キリンのKiss

ユーリ(佐伯瑠璃)

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そして、愛

お願いっ、話を聞いて!

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 家につくと沢柳はすぐにジャケットを脱ぎ、腕まくりをして手を洗い始めた。
 夕凪は荷物を置くために寝室に入る。すると、いつ寝てもいいように整えられたベッドが目に入った。洗濯物もキレイに畳んで夕凪のものは別にかごに入れてある。自分がいない間も、いつもと変わりなく家事をした沢柳の姿が目に浮かぶと心がほっこりする。女性だったら本当に完璧な奥さんになれると夕凪は苦笑した。

 夕凪がリビングに戻ると沢柳はネクタイも外さず夕飯作りに取り掛かろうとしていた。夕凪は沢柳の隣にそっと立って声をかける。

「浩太、ありがとう。何か手伝うことある?」
「いや。ああ、風呂を入れ始めたんだ。沸いたら先に入ってくれ」
「ふっ、ふふふ」
「なんで笑う」
「だって、なんか、本当に逆転してる」
「なんの話だ」

 沢柳は怪訝そうに夕凪を横目で見ながらも、手を止めない。そんな沢柳に夕凪の笑いは増していく。

「ごめん。あ、ネクタイ、汚れる」
「ああ、悪いが取ってくれないか」

 沢柳は少し屈んでネクタイの結び目を夕凪に近づけた。夕凪は前に教えてもらった通り、シュルリと解いた。

「よかった。一回で取れて」

 沢柳はいつも淡々とした口調で話す。それも無表情に近い顔を夕凪に向けてくる。けれど、夕凪がにこりと笑って見せれば少しだけ頬を緩めてくれる。それが嬉しくて夕凪はまた微笑む。
 夕凪は沢柳とならずっと一緒に生きて行ける気がした。変わらない日常を一緒に営んで行けるのではないかと思った。

『縛っちまえよ』

 鬼丈の言葉が頭の中を駆け抜けた。夕凪は沢柳と家族になることを想像してみる。
 家に帰ると、お帰りと言ってくれる人がいる。どんなに疲れていても、苦しい事があっても、家族が迎えてくれる。もう、一人ぼっちを感じる事はなくなると思えば、とたんに心がジンジンと疼きだした。この感情をどうしたらいいのか分からず、夕凪は思わず眉間に力を入れる。

「夕凪?」
「はい!」

 沢柳はネクタイを持ったまま、難しい顔をして立つ夕凪の顔を覗き込んだ。思いの外、元気な返事に安堵する。疲れているだろう彼女を今夜はゆっすり休ませてやりたい。沢柳はそう決めていた。

「テレビでも見たらどうだ。それとも何か飲むか。あ、今夜はハンバーグなんだが」
「え! ハンバーグ!? うそぉ!」
「っ、すまん。聞けばよかったな」
「ありがとう!」
「ゆっ、うな」

 夕凪は自分の心の叫びが通じていたことに感動し、興奮して思わず沢柳に抱きついた。下準備中の沢柳は汚さないようにと両手を上げている。

トクトクトクトク

 聞き慣れないリズムの心音が、夕凪の耳をノックした。まさかと思い、夕凪はそっと顔を上げる。眼鏡をかけたままの沢柳は夕凪と目が合うとすぐにプイと顔を逸らした。

(わぁ! 浩太の顔、真っ赤っか!)

「浩太?」
「夕飯が遅くなる。離れてくれないか、風呂もそろそろだろ。入って来るんだ」
「ねえ、顔、赤い」
「っ! 見るな」
「もしかしてっ」

 ーー お風呂が沸きました♫

 夕凪が核心に迫ろうとしたタイミングで、お知らせが鳴る。真っ赤な顔をしてムキになる沢柳を夕凪は初めて見た。恋だ愛だに鈍感な夕凪にもわかるほどの動揺っぷり。

(浩太が照れてる! ありがとうって抱きついただけなのに? かわいい!)

「風呂だ」
「はぁい。お先にいただきます」

 夕凪が身を離すと、沢柳はくるりと背を向けて夕飯作りに戻っていった。夕凪は緩む口元を押さえながらお風呂に入る準備をする。恥ずかしいとか照れくさいとか、ドキドキが抑えられないのは自分だけじゃなかった。いつも冷静で落ち着いているのに、沢柳はたったあれだけで赤くなって慌てた。

(浩太。私、決めたからっ!)

 夕凪はそんな沢柳に応えるべく、あることを決心してバスルームの扉を静かに開けた。





 お風呂から上がり、沢柳の作ったハンバーグを美味しく頂いて、夕凪の体と心はとても喜んでいた。肉汁はたっぷりで、ソースは好きな方を選べと定番のデミグラスソースと、和風さっぱりおろし醤油にんにく風味の二種類があった。もちろんそれらも沢柳の手づくりソース。
 夕凪は当然、両方を味わった。

「美味しかったぁ! もう私、ハンバーグ作らないからっ。浩太以上のものは作れない」
「大袈裟だな」
「ね、片付けは私がするから浩太もお風呂に入って来て」
「じゃあ、頼む」
「任せて」

 とは言ったものの、この家には食洗機という贅沢家電がある。少し水で汚れを流してそこへ入れれば乾燥までしてくれる優れもの。あっという間に片付けも終わって夕凪は暇になった。

「うーん、さすがに疲れたかも。もう眠くなっちゃった。寝たらダメ。浩太が戻ってきたら……ちゃんと」

 ちょっとだけとソファーに横になった夕凪の瞼は、疲労と言う名の重力には勝てそうにもない。でも、眠りたくないと脳と意識が戦いを始めた。とにかく体を起こさなければと思い手足に力を入れる。

(起きなくちゃ! 起きて私っ、寝たらダメ!)

「ん……っ、は、いたああっ!」

 寝てしまった! 起きなくちゃ! そう脳が命令をして体を激しくビクつかせた夕凪は、どうも足を攣ってしまったようだ。

「イイイッ、イタイ、イターイ! 攣った、攣ったぁ」
「どこだ、ここか」
「うあああーーっ! 浩太っ、いっ」
「動くな」
「うっ、ひっ」

 沢柳は夕凪が足を攣ったのだと知った途端、その体を素早く仰向けに転がすと手早く処置を施した。

「風呂に入ってマッサージをしなかったのか。あちこちの筋肉がまだ緊張している。あんた風呂でいったいなにをやってた」
「うぅ……浸かってたよ? ちゃんと」
「はぁ、まったく。こんなことなら一緒に入ればよかったな」

 沢柳は眉間にシワを寄せたまま夕凪の足を持ち上げて、せっせせっせと揉みほぐす。
 夕凪は抵抗なんてできない。だって気持ちよ過ぎるから。夕凪はこんなはずではなかったのに、沢柳にたくさんの感謝の気持ちを伝えたかったのにと心の中で大反省。男女逆転じゃないかと言われても、反論なんてできないと思った。

「浩太っ、あぅ……」
「効くだろう? 座ったまま下を向いているとここも痛むんだ」
「んっ、気持ちいいよ。気持ち、いい。ちょっと痛いけどぉ」
「本社でも一日、あのコンテナ船の話題でもちきりだった。よく頑張ったな」

 沢柳の手の動きは最初よりも緩くなり、擦るように夕凪の足を撫でた。沢柳の掌の温もりが、夕凪の全身を包み込む。その手は張り詰めた精神を癒やしてくれる。頑張ったな、よくやった、お疲れ様と労ってくれている。夕凪は早く気持ちを伝えなければと焦った。いつまでもダラダラと甘えていてはいけないからと、勇気を振り絞る。

「浩太、話があるの。聞いて」

 夕凪はゆっくりとソファーから起き上がると、沢柳に体を向けて座った。突然かしこまった夕凪に沢柳は戸惑う。

「話、とは」
「先ずは、ありがとう。浩太も忙しいのに、洗濯とかお弁当とか、今日なんて迎えに来てくれたし、お夕飯だって一人で作らせて。私はただ仕事をしてきただけで、なんにも家のことをしてないの」
「俺が好きでやっている」
「うん。浩太はいつもそう言ってくれる。でも、このままじゃイケないと思う。彼氏に家事を全部させちゃって、私、甘え過ぎてるよね……だから、この関係を、終わ」
「夕凪!」
「きゃっ」

 沢柳が珍しく声を上げ、乱暴に夕凪の体をソファーに押し倒した。夕凪は沢柳の突然の豹変ぶりに何がなんだか分からなくなった。押し付けられた背がギシと深く沈んだことだけは分かった。沢柳の指が夕凪の肩に喰い込んで、ほんの少し痛みを感じた。

(え、浩太、怒ってる!?)

 夕凪が口を開こうとした途端、沢柳の唇によって封じられた。息を吸う間もなく重ねられた唇は食むような動作を繰り返し、角度を変えたとたん抉じ開けるように沢柳の舌が咥内に入ってきた。夕凪に考える暇を与えたくないのか、沢柳の手は夕凪の上着の裾を捲りあげ脇腹を這いながら胸へと到達した。あまりにも性急な動きに夕凪は慌てた。

「んんっーー」

 何か言わなくてはと顔をそらそうとすると、沢柳は許さないと軽く夕凪の唇を噛んだ。不思議とそれに痛みを感じることはなく、むしろ甘く痺れて蕩けてしまいそうだった。胸の頂きを指で捏ねられ、今度は下腹部が収縮を始め、隘路が濡れ始める。

「う、はっ、あっ……こう、た」
「俺は、あんたを離さないと言ったはずだ。理解できていないなら、手段を選ばない。どんなに泣いても、離してやれない」
「えっ、待って、それって! ああっ、ん」

 沢柳は何か勘違いをしている。早く伝えなければと夕凪は焦る。とにかくこの態勢を崩して話を続けなければと。しかし、夕凪の体格がいくら男に近いと言っても、沢柳が本気で押えにかかれば、夕凪に適うわけがない。
 沢柳は夕凪のスウェットパンツとショーツを膝まで下げた。そして、膝で脱げかけのスウェットを押さえた。これで下半身は動かない。両手も背中の下に回わされ、夕凪はなんの抵抗もできない状態になった。ただ、潤んだ瞳で沢柳を見つめるだけ。

「そんな顔をしてもダメだ。なぜこの関係を終わらせたいんだ。こんな俺では受け入れてもらえないのか」
「違う! 違うの。終わらせたいのは恋人関係であって、浩太の事を」
「嫌だ!」
「ちょっと、まっ……ぁ」

 沢柳は性急に夕凪の体を暴こうと、彼女の弱いところを攻め立てた。それでも、白くて柔らかな肌に触れるときはいつもと同じように優しい。口ではキツく言って見せても、やっぱり酷くはできない。沢柳は夕凪の下肢にゆっくりと手を伸ばした。

「やっ、はんっ」
「あんたの体は、こんなに俺を欲しがっている。聞こえるだろう、夕凪」
「んんっ、はぁぁっ」

 クチクチと音がする。
 入り口に空気を入れられて泡立てるように沢柳は掻き回した。閉じることも開くことも出来ずに夕凪は身悶えた。閉じて抵抗するよりも、むしろ、開いてもっと奥に来てほしかった。開いた口は悲しげに鳴くしかない。

「ああっ、いやぁ。あん、あんっ」

 夕凪の胸にあるふたつの膨らみが、フルフルと揺れ沢柳を誘う。こっちも触ってと言うように。下肢に伸ばした手はそのままに、もう片方の手は右の乳房を、そして口に左の乳房を咥え込んだ。

「あっ!」

 夕凪の体に電気が奔った。敏感な箇所を同時にに可愛がられたのは初めてだった。逃げることもできない、少しでも捩ると沢柳が歯を立て、爪を立てる。夕凪は狂いそうだった。気持ちいいことが続くのはとても苦しいことだと身を持って知る。

 チウっと音を立てて沢柳が乳房から口を離した。夕凪は言葉を紡げないほど息を荒げ、朦朧としている。イキたいのに、イカせてもらえない。

「イキたいのか」

 沢柳の冷静な声が耳に届いた。夕凪はなんとか視線を沢柳に向けると、目尻から涙を垂らしながらコクンと頷いた。
 沢柳はその光芒とした視線にひゅっと息を呑む。俺はいったい何をしているのか、と。

「こう、た」

 夕凪の絞り出した声は震えていた。

「夕凪っ、すまないっ」
「わっ」

 夕凪の体はふわっと浮いて、気づけばソファーの下で沢柳の膝の上で抱きしめられていた。乱された服も沢柳が整えてくれた。
 沢柳はすまないともう一度言うと、夕凪を優しく抱きしめ直す。ふわりと沢柳から自分と同じ石鹸の匂いがして、思わずスンと吸い込んだ。この匂いが好きなのと。

「冷静を欠いていた。酷くしてすまない。痛かっただろ? 本当にすまない」
「ううん、大丈夫だから。ねぇ、聞をいてくれる? 私の話」
「ああ、聞く。でも、このままでいいか」

 沢柳は夕凪の顔を胸に押し当てたまま、話を聞くという。それは、今の自分はとても情けない顔をしている。まだその顔を夕凪に見せられるほどの勇気がなかったからだ。

「うん。そのまま聞いて」

 夕凪はぎゅっと沢柳にしがみついた。すると沢柳がピクンと揺れ、その反動で目があった。目が合えばそらす理由はない。だってお互い求め合っているのだから。でも、沢柳の瞳は不安で揺れている。

「浩太、お願いがあるの」
「……」
「私と……て?」

 その言葉を聞いた沢柳は天井を仰ぎ、片手で顔を覆った。まさか夕凪からそんなことを言われるとは思わなかった。なんで夕凪に言わせたのか、自分は夕凪の何を見ていたのかと激しく責めた。

 その夕凪の願いの言葉で、沢柳の視界はぐわんと歪んだ。その瞳から熱く滾った雫が、指の間を縫って流れ落ちて行く。自分にこんな事が起きるとは予測していなかったと。

 沢柳の熱い雫は線を描いて、首筋までゆっくりと、伝った。
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