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第一章

第二十一話 光の架け橋(一)

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 申し送り中に先触れも無く現れた護栄に連れて来られたのは戸部の執務室だった。
 相変わらずの汚さに眉をしかめる。

(数字が分からなくなるから勝手に片付けるなって言われてるのよね。でもこれはさすがに)

 護栄の見た目からくる印象だけなら綺麗好きだ。
 髪も服もきちんとしていて、凛として颯爽と働く姿は仕事ができる人間の鏡のように思う。
 当然誇りまみれを嫌うだろう思っていたが、以外にも嫌な顔一つせず執務室に入って行く。それどころか踏まないよう、慣れた足取りで避けて歩いている。ということはこの汚さを視認していて放置してるという事だ。

(お洒落に無頓着とも言っていたし。実は結構雑な人なのでは……)

 思わず護栄をじっと見つめた。
 護栄は手に持っていた書簡をぽいと放り投げるように本棚の隙間に放り込んだ。だがその本棚も酷い有様だ。横にして積み上げられているので何が収納されているかも分からない。
 けれどその時、その書簡をひょいひょいと誰かが取り出した。浩然だ。

「またこんなとこに置いて。だからすぐ無くすんですよ」
「探せばいいでしょう」
「無駄な仕事を増やさないで下さい。放置するくらいなら僕に下さい」
「はいはい」

 二人は上司と部下というより同年代の友達のようだった。
 護栄は逸話が凄すぎるのでとても大きな存在に思えていたが、よく考えればまだ十七、八歳だ。浩然はもう少し下に見えるが歳は近いだろう。

(意外だわ。こんな子供みたいなとこがあるなんて)

 思わずくすっと笑うと、それが聴こえたのか二人は同時にくるりと振り向いて来た。

「あーあ。墓穴」
「え?」

 浩然はにやりと笑って肩をすくめた。
 何だか分からずにいると、すかさず護栄がすすっと前に出て来る。

「笑う余裕があるとは素晴らしい。では説明して下さい」
「何をでしょうか」
「何言ってるんです。備品を安く仕入れる詳細に決まってるでしょう」

 え、と美星はぱちぱちと瞬きをした。
 それはつい昨日の報告会で出たばかりの話で、いつか進むだろうと言われたことだ。

「え!? それもう進むんですか!?」
「当然でしょう。いつやるつもりだったんです」
「いつって、それは、いずれそうできるかなと」
「そんなのんびりされては困ります。利のあることは即断即決で動きなさい」
「はい……」

 浩然はちゃきちゃきと紙や筆、帳面を次々に出してきた。
 揃えて並べている資料には整った表が書かれていて、数字がいくつも並んでいる。

(こんな早く動くの……?)

 美星も天一で予算割りのようなことはやっていた。
 予算割りとは毎月使える金額を決める作業だ。だが商品には季節の流行もあるし値段は物価次第で変動もある。
 そのため父の方針を踏まえて市場調査をし、かつ利益が出るように定めなくてはいけない。
 そこに倉庫費用や人件費、水道光熱費といった販管費も加味すると、一律で『今月はこのくらい』と金額を決めるのは難しかった。
 だが昨日の今日で話が進んだとなると、一夜でそれを終わらせたという事になる。天一の商品量でさえ天手古舞なのに、宮廷という大規模な組織でそれをするなど美星には想像もつかなかった。
 展開の早さにぽかんとしていると、とんとんと護栄がを突いてくる。

「何を他人事のような顔をしてるんです。あなたがやるんですよ」
「え? 私が? そういうのは戸部でやるんじゃ……?」
「だから言ったでしょ。実力見せれば護栄様は取り立ててくれる」
「実力……」

 浩然はくすくすと笑っている。金勘定は侍女のやることではない。やらせてもらえないはずだ。
 美星は昨日の報告会で思ったことを思い出した。
 あの場で自分の実力を見せようと、そう思い予算削減案を語った。

(……実力を認められたということ?)

 どきんと鼓動が跳ねた。

「人手不足なので侍女と並行でやって下さい。迅速に」
「は、はい!」
「仕入れを天一で一本化でしたね。本当にできるんですか」
「はい。絶対にできます」
「確実に?」
「確実です。天一の予算草案作りと帳簿付けは私がやっています。予算上可能です」
「いいでしょう。では今日中に来月の着地予想と月ごとの修正予算、それと年間の削減費用も算出して下さい」
「……今日中?」
「現予算は浩然に聞いて下さい。削減商品も一覧にすること」
「でもお父様――天一へ意向確認に行かないと。その、こんな即日で動くと思っておらず承認はまだ頂いておりません」
「は? 一晩あって何もしなかったんですか?」
「……申し訳ございません」
「護栄様。最初からそんな無茶言わないで下さいよ」
「何が無茶です。私を動かすのならのんびり堅実に足固めしようなんて思わないことですね」
「あ……」

 それは昨日美星が決意したことだ。
 背伸びしても駄目だと、無理をしても何にもならないと思ったからだ。

(無理を常に成せということね。じゃあ一か八か賭けるしかないわ)

「言っておきますが一か八かの賭けなんてしないで下さいよ」
「え」
「予算削減案を出す時点で裏付けと確証を得ておけば一か八かじゃありません。それが実力というもの」
「そうそう。ただ提案する時に、さも今思いついたように見せれば一か八が常に成功になる」
「……つまり単なる実力不足とおっしゃりたいわけですね」
「美星は察し良いよね。護栄様の下で働くに大事な素養」

 苛立つやり方だ。素直に最初からそう言えばいいと思うが、きっとこういう嫌味な性格なのだろう。
 腹が立つ。けれど美星はにやりと笑みをこぼした。

(本性を見せてもらえたのは同じ土俵に立てたからだわ)

 実力不足だろう。それは間違いなくそうだ。
 けれど美星は辿り着いたのだ。有翼人を含めた全国民を救済できるであろう男達と同じ土俵に。
 美星はぐっと一歩前に踏み出した。

「天一へご案内します! 今日中に決めてみせます!」

 護栄と浩然はくすっと笑った。

「私も行きます。響玄殿に頼みたい事がありますし案内してください」
「はい!」

 護栄は足を止めるどころか振り向きもせずすたすたと前進し、浩然はけらけら笑いながら付いて行った。
 美星は慌てて追いかけるので精一杯だった。
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