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第一章

第二十二話 光の架け橋(二)

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 護栄と浩然の歩行速度はとても速かった。
 それは侍女に定められたしずしずとした上品な歩き方では到底追い付けず、店に着くころには肩で息をしていた。

「あ、護栄様歩くの武官並みに速いから」
「……先に言って下さい」

 護栄と浩然はけろりとしている。これくらいは何でも無い事なのだろう。
 美星はふうと息を整えると応接室へ二人を案内した。

「こちらで少々お待ち下さい。今お茶を」
「お茶はいいので秒で呼んで下さい」
「秒?」
「護栄様は礼儀作法って気にしないから。それより業務速度」
「十秒以内で」
「十秒!?」
「一、二」
「すぐに呼んで参ります!」

 あれほど莉雹に叩きこまれ同僚にも妬まれた努力と成果は無に帰した。
 けれどそれも美星には嬉しくて、ばたばたと父の仕事場へ駆け込んだ。

「お父様!」
「ん? おお、どうした。まだ仕事中で」
「来て! 早く!」
「何だ。どうした」
「秒で! 秒で来て!」
「あ、ああ……?」

 突如やって来た娘の慌てぶりに驚きつつ、響玄も足早に美星へ付いて来てくれた。
 いつもならここで『私はお茶を淹れて参ります』となるところだが、そんな事はしていられない。
 ぐいぐいと父を引っ張り戻った。

「お待たせ致しました!」
「十五秒。初回ですし許容しましょう」
「……有難う御座います」

 護栄に緊張してたのが遠い過去のように思えて来たが、一方で父は目を見開き驚いていた。

「護栄様が何故ここに……」
「すみません急に押しかけて。ご相談がありまして」
「構いません。どのようなご用件でしょう」
「お父様。とりあえず座って下さい」
「あ、ああ。そうだな」

 座ることを忘れるほど仰天していた父に着席を促し美星はその隣に座ろうとした。
 しかし護栄はとんとん、と自分の隣を叩いて示す。

「これは仕事です。美星はこちらに座りなさい」
「あ、は、はい!」

(そうだ。これは宮廷から天一に対する商談だ。私は宮廷側に立たなければ)

 慌てて護栄の隣に座ると、その拍子にとんと肩が触れた。それに配慮したのか、護栄は少しだけ横にずれてくれる。
 思いのほか人間らしい振る舞いをしてもらえた事は同じ土俵に立てたと実感させてくれた。

「いくつかご相談があります。美星、説明を」
「はい」

(大丈夫。いつもお父様がなさるようにするの)

 美星は緊張と期待で震える手を押さえ、父に――天一店主へ向き直った。

「宮廷備品の買い付けをお願いできませんでしょうか。装飾に寝具、備品など一括購入で値下げを交渉。そして帳尻合わせ分で宮廷が必要な物をできる限り安く卸して頂きたいのです。如何でしょうか」

 響玄は少し驚いたような顔をした。けれどすぐににこりと微笑み、大きく頷いてくれる。

「宮廷へ卸せるとは光栄の至り。喜んでお受けいたします」
「助かります。品選びは美星に任せます。金額と契約は浩然に相談なさい」
「承知致しました」

(やった!)

 美星はぎゅっと手を強く握った。
 今ここで喜び父に飛びつきたいほどの気持ちを押さえ護栄を振り向くと、どういうわけか護栄はとても真剣な面持ちだった。

(そういえば護栄様も用があるっておっしゃってたわよね)

 美星はすっと身を引き姿勢を正した。

「もう一つご相談です。これは少々気の長い話になるんですが」
「なんなりと」

 護栄は表情を変えなかった。
 まるで何も大変なことなど、日常的な仕入れと何も変わらないように見える。
 けれど紡がれる言葉は美星の想像のはるか上を行った。

「明恭との交易をお任せしたい。如何でしょうか」
「「明恭?」」

 美星と響玄は声を合せた。
 明恭とは極北に位置する極寒の国だ。痛烈な寒さで死者も多く、防寒と暖を取る手段は常に模索しているという。
 生活で精いっぱいで、特別何かの生産に長けているわけでもないため侵略をしようとする国はほぼない。手に入れたところで得することがあまりないのだ。
 だが侵略しない理由は他にもある。それは、明恭が人間の高度な道具を駆使する世界有数の軍事国家だからだ。

(単純な武力では肉食獣人をも凌駕するって言うわよね。海に囲まれた国だから海軍も手厚いらしいし)

 蛍宮はこれまで当たらず触らずの距離を保っていた。
 万が一敵対し攻め込まれたら、軍の主力がほぼ獣人で海が手薄な蛍宮では敗北が目に見えているからだ。

(明恭と交易なんて蛍宮の歴史をひっくり返すようなものだわ。そんな大きな事をどうしてお父様に)

 美星はちらりと父を見ると、響玄もやはり怪訝な顔をしていた。
 少し悩んだようだったが、ふうと息を吐き護栄に向き直ってくれる。

「具体的にはどういった事でしょうか」
「ある物の定期輸入契約を取り付けて頂きたい。私は商談に関しては素人なのでお力添えをお願いしたいのです」
「品がお決まりであれば他国の方がよろしくはありませんか。明恭は武力行使も厭わぬ国。必要以上に縁を持つは危険かと思います」

(交易に失敗し怒りを買えば攻め込まれる口実を与えてしまう。当たらず触らずが正解よ)

 けれど護栄はまったく表情を変えていない。
 まるで問題無いというかのように。

「問題ありません。数か月のうちに皇王が穏健派の公吠殿に代替わりし軍事から民主主義に変わります。交易にはご子息の麗亜殿が立つでしょう。彼と対等にやりあえる人にいて欲しい」
「聞かぬ名ですね。それを私に相手をしろと」

 響玄は突拍子もない話に眉をしかめていたが、すうっと目を細めた。

(失礼だわ! これだけの交易実績があるお父様に無名の相手をさせるなんて!)

 響玄は既に豪商と呼ばれ蛍宮でも天一の名は知れ渡っている。
 小売りから手を引き国家や種族問わず大企業との取引へ切り替え始めているくらいだ。
 それが現時点で反逆者との取引をさせようなど、こんなに馬鹿な話はない。普段なら怒り追い出しても良いだろう。
 だが相手は護栄だ。響玄はぐっと拳を握り、何かを堪えたようだった。

「おいそれと引き受ける事はできません。明恭は内乱も多い」
「その内乱を全て納めて皇王が変わります。これの軍師が麗亜殿」
「信じられませんね。護栄様ならともかく、無名の者が数か月で成せるとは思えない」
「私は国崩しくらい座って出来ますよ。それが遠い果ての地でも」

 護栄は笑った。何でも無い事のように。

「明恭は代が変わります。その時には私が優位であるうちに輸出入の主導を握りたい。これは必須」

 響玄はいっそう目を細め、美星ですら見たことの無い険しい顔をしている。

「ご指名大変光栄ですが、私は国交に関与するつもりはございません。ご期待に沿えず申し訳ない」
「分かっています。でもあなたでなくては出来ないのです」
「買いかぶりです。私にできるのは商売と精々財を分ける程度のこと。国の利益を導ける器ではございません」
「それでもあなたにお願いしたいのです。非合法に踏み込んででも有翼人を救い救世主と崇められるあなたに」

 ぴくりと響玄の眉が揺れた。
 護栄の言う通り、響玄は時に非合法な事もしてきた。例えば住民登録の無い者に定住するための住居を持たせるのは違法だった。
 蛍宮に定住するには蛍宮国籍が必要なのだ。その上で住民登録をして初めて個人の住居を持つことができる。
 しかし響玄は自分の持つ不動産に有翼人を匿っている。これは罰せられる行為なのだ。

(見逃してやるから手伝えということね)

 卑怯だ、と思わずにはいられない。響玄がいなければ死んだ者も多いのだから。
 美星はぎりっと唇を噛んだが、響玄はどこか驚いたような顔をしてる。

「それは私なりの有翼人救済を国の名で行ってよし、という事でよろしいですか」
「お父様なりの? それは、でも」

 恐る恐る護栄を見るとけろりとしていた。いつも通りだ。

(お父様のやり方には限界があった。ばらまける財は有限だから。でもその費用が国の予算から出るなら話は変わってくる)

 ふと護栄の向こう側にいる浩然の姿が目に入った。
 浩然は護栄の手が回らない事を代わりにやると言っていた。彩寧も女官も同じことを言っていたが、今起きているのはそれと同じことだ。

(そうか! 護栄様にできない有翼人救済をお父様に任せて下さるんだわ!)

 美星の胸がどくんと鳴った。
 響玄は少し困ったような、けれど期待に満ちた笑みを浮かべている。
 しかし護栄はいつも通り凛としていた。

「宮廷を利用していい。その代わり蛍宮全有翼人を救いなさい」

(全有翼人……!)

 響玄はにやりと笑みを返し、大きく頷いた。
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