7 / 10
拡散《pandemic》
しおりを挟む
「……これが、例の動画ですか」
呼吸を忘れていたかのように大きく息を吸って吐いてから、PCの画面をのぞき込んでいた若い男が言った。傍らで、少し年かさの男が無言でうなずく。
「なんです、あのバツ印は……」
「いまはアプリで簡単に加工ができるそうだ」
二人の肩書きは刑事。一連の連続猟奇殺人事件の、捜査班の一員であった。
「それは、わかるんです。そうじゃなくて……」
年かさの刑事には、その先を言葉にできなかった後輩の言いたいことも、わかる気がした。
彼とて、あまりに得体の知れない彼女の意図を、できることなら誰かに解説してほしい。なぜなんのため、こんな動画をわざわざネットに流したのか。
「それで、彼女が一人目の被害者の妹?」
「いないよ」
「え」
「最初の被害者に、妹はいない」
思考が追い付かないのだろう。無言でただ硬直する後輩の、肩をそっと揺らしてやる。
「……どういうことです」
「ぜんぶ作り話か。それとも、まだ見つかっていない『一人目』の被害者がいるのか、だな」
「ああ……」
そこで後輩はマウスを操作し、動画の終わり際をコマ送りする。こちらを見つめて微笑む少女の、赤いバツで隠れた顔を拡大表示し、まじまじと見つめ返していた。
「……でもなんか、こんなこと言ったらマズいんだろうけど」
「なら、言うな」
そんな後輩の言葉を遮って、刑事はマウスを奪うようにウインドウ右上のバツ印をクリックし、動画を終了させる。ああ、ここにもバツだ、そんなことを片隅に思いながら。
彼女──自称「ペケ子」がしていることは、本人の言葉を鵜呑みにするのなら、あくまで悪人を罰する行為ということになるのだろう。
このクルセイダー殺害事件は、先週のうち匿名の通報によって発覚し、現場検証も済んでいた。
そこでは男の変死体とともに、彼が六人目と七人目の被害者を殺害した証拠となる凶器や映像が多数押収され、容疑者死亡のまま書類送検となっている。
男の素性は、さる権力者の「ご子息」だった。
そのことを知ってしまった今、明らかに手口の異なっていた六人目以降も同一犯としての捜査を決定した上層部への一抹の不信感を、刑事は心中から拭えずにいた。
──果たして我々は、これ以上の被害者を出すことなく彼を捕え、相応しい罪を科すことができたのだろうか。
反して、クルセイダーを殺害した犯人の手掛かりは、五人目までと同様に見事なまでに何ひとつ残されていなかった。
それだけの慎重さを見せておきながら、今日になって突然、ネットに例の動画は投稿されたのである。投稿者はまず間違いなく「本人」だろう。
「言わないでくれ、頼むから……」
刑事は、うわ言のように小声で繰り返していた。後輩が、何を言おうとしたのかはわからない。しかし、その言葉がもし彼の中にくすぶる感情と重なるもので、それを肯定されてしまったら。
──逮捕したくない、だなんて。
そうしたらもう、彼女という存在の甘美な魅力を否定できなくなる。それは信じてきた正義が音を立てて崩れ、自分が三十数年生きてきたこの世界が、別のなにかに変容してしまいそうな恐怖──あるいは誘惑だった。
しかし彼はまだ知らない。
瞬く間にネット上のトレンドを席巻したこの動画は、削除されても無数のコピーから復活し、いまこの瞬間も世界中に拡散し続けていることを。
そこに群がるコメントたちは熱病に浮かされたように彼女を礼賛し、こんな都市伝説めいた噂までもが既に生まれていた。
ハッシュタグ #pekeko にマチガイを書き込めば
彼女が罰をつけに来る。
クルセイダーのいた過去から、彼女のいる現在へ。彼女を交点に、世界はもう変わってしまったのかも知れない。
呼吸を忘れていたかのように大きく息を吸って吐いてから、PCの画面をのぞき込んでいた若い男が言った。傍らで、少し年かさの男が無言でうなずく。
「なんです、あのバツ印は……」
「いまはアプリで簡単に加工ができるそうだ」
二人の肩書きは刑事。一連の連続猟奇殺人事件の、捜査班の一員であった。
「それは、わかるんです。そうじゃなくて……」
年かさの刑事には、その先を言葉にできなかった後輩の言いたいことも、わかる気がした。
彼とて、あまりに得体の知れない彼女の意図を、できることなら誰かに解説してほしい。なぜなんのため、こんな動画をわざわざネットに流したのか。
「それで、彼女が一人目の被害者の妹?」
「いないよ」
「え」
「最初の被害者に、妹はいない」
思考が追い付かないのだろう。無言でただ硬直する後輩の、肩をそっと揺らしてやる。
「……どういうことです」
「ぜんぶ作り話か。それとも、まだ見つかっていない『一人目』の被害者がいるのか、だな」
「ああ……」
そこで後輩はマウスを操作し、動画の終わり際をコマ送りする。こちらを見つめて微笑む少女の、赤いバツで隠れた顔を拡大表示し、まじまじと見つめ返していた。
「……でもなんか、こんなこと言ったらマズいんだろうけど」
「なら、言うな」
そんな後輩の言葉を遮って、刑事はマウスを奪うようにウインドウ右上のバツ印をクリックし、動画を終了させる。ああ、ここにもバツだ、そんなことを片隅に思いながら。
彼女──自称「ペケ子」がしていることは、本人の言葉を鵜呑みにするのなら、あくまで悪人を罰する行為ということになるのだろう。
このクルセイダー殺害事件は、先週のうち匿名の通報によって発覚し、現場検証も済んでいた。
そこでは男の変死体とともに、彼が六人目と七人目の被害者を殺害した証拠となる凶器や映像が多数押収され、容疑者死亡のまま書類送検となっている。
男の素性は、さる権力者の「ご子息」だった。
そのことを知ってしまった今、明らかに手口の異なっていた六人目以降も同一犯としての捜査を決定した上層部への一抹の不信感を、刑事は心中から拭えずにいた。
──果たして我々は、これ以上の被害者を出すことなく彼を捕え、相応しい罪を科すことができたのだろうか。
反して、クルセイダーを殺害した犯人の手掛かりは、五人目までと同様に見事なまでに何ひとつ残されていなかった。
それだけの慎重さを見せておきながら、今日になって突然、ネットに例の動画は投稿されたのである。投稿者はまず間違いなく「本人」だろう。
「言わないでくれ、頼むから……」
刑事は、うわ言のように小声で繰り返していた。後輩が、何を言おうとしたのかはわからない。しかし、その言葉がもし彼の中にくすぶる感情と重なるもので、それを肯定されてしまったら。
──逮捕したくない、だなんて。
そうしたらもう、彼女という存在の甘美な魅力を否定できなくなる。それは信じてきた正義が音を立てて崩れ、自分が三十数年生きてきたこの世界が、別のなにかに変容してしまいそうな恐怖──あるいは誘惑だった。
しかし彼はまだ知らない。
瞬く間にネット上のトレンドを席巻したこの動画は、削除されても無数のコピーから復活し、いまこの瞬間も世界中に拡散し続けていることを。
そこに群がるコメントたちは熱病に浮かされたように彼女を礼賛し、こんな都市伝説めいた噂までもが既に生まれていた。
ハッシュタグ #pekeko にマチガイを書き込めば
彼女が罰をつけに来る。
クルセイダーのいた過去から、彼女のいる現在へ。彼女を交点に、世界はもう変わってしまったのかも知れない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ
シロタカズキ
ファンタジー
──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。
だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。
かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。
だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。
「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。
国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。
そして、勇者は 死んだ。
──はずだった。
十年後。
王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。
しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。
「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」
これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。
彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。
妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転
小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。
人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。
防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。
どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
王国の女王即位を巡るレイラとカンナの双子王女姉妹バトル
ヒロワークス
ファンタジー
豊かな大国アピル国の国王は、自らの跡継ぎに悩んでいた。長男がおらず、2人の双子姉妹しかいないからだ。
しかも、その双子姉妹レイラとカンナは、2人とも王妃の美貌を引き継ぎ、学問にも武術にも優れている。
甲乙つけがたい実力を持つ2人に、国王は、相談してどちらが女王になるか決めるよう命じる。
2人の相談は決裂し、体を使った激しいバトルで決着を図ろうとするのだった。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
復讐を誓う少年と蒼き魔族の女将軍 ~人類を裏切った俺が、異界の救世主になるまで~
M_mao
ファンタジー
少年は全てを失った。残されたのは、骨の髄まで染みた憎悪だけ。
復讐のためならば、彼は悪魔にでもなろう。たとえそれが、己が属する人類を裏切ることであっても。
彼の前に現れたのは、氷のように冷徹で、神のように美しい魔族の女帝。 利用する者と、利用される者。二つの魂が交差する時、世界の運命は動き出す。
これは、最も孤独な復讐者と、最も気高き征服者が織りなす、ダーク・ファンタジー戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる