11 / 47
謎の男と不思議な縁があるようで
第11話
しおりを挟む
「君をネガティブな気持ちにさせた人間がいるだろう。君に恐ろしい思いをさせた人間がいるだろう。君の余裕を奪った人間がいるだろう。性格が悪いのはそいつだ。自分のことを嫌になるぐらいなら、そいつを憎め」
そいつとは誰だろう。溺れた子どもか。きちんと躾をしなかったその親か。執拗に嗅ぎまわった大人たちか。
そう考えていると、足元の感覚がなくなっていく気がした。またあの得体の知れない苦しさを感じた。
でもやはり、どれもこれも透がもとから持っていた性質ではないだろうか?
もし仮に透がいなくなったとして、兄はきっとこうはならない。
「他人のせいにするのが上手い人間ほど、楽に生きている。すべて自分のせいだと思う人間は、傷つけられたときも、傷つけたかもしれないときも、苦しまなくてはならない。理不尽な話だ」
男はそれから何事か考え込み、やがて立ち上がった。
「気が変わった」
「え?」
透を置き去りにして、男は説明もなく歩き出した。数メートル進んで振り返り、座ったままの透を見て、ひらりと手を振る。
わけもわからず振り返すと、男はまた手を振る。透も振る。
しばしテーマパークのような奇妙な時間が流れ、男は諦めたように手を下ろすと、こちらへ戻ってきた。
「来い」
「どこへ行くんですか?」
答えはない。ただ、男は透が立ち上がるのを待っている。
透は行き先を聞かない限り動かない意思を態度で示してみたが、効果はありそうにない。結局、我慢比べに負けたのは、透の方だった。
このままではどうせ、家に帰ることもできない。
「本は読むか?」
道すがら、男は透にそう問いかけた。
「一応。文学部だし」
「大学生なのか」
平坦な声音だが、信じられないという空気が伝わってきた。透は苦笑いを浮かべて言う。
「よく驚かれます。19には見えないって」
「不快な思いをさせたか」
「いえ、慣れてるので。気にしないでください」
「そうか。本はどんなジャンルを読むんだ?」
「人が死なない話が好きです。死ぬ本は読みません」
「ミステリーやサスペンスは端から対象外か」
「まあ、それもそうですけど。俺が嫌いなのはミステリーでもサスペンスでもない、感動のために死が生まれる話です。売れるために人を死なせているんだろうなと思うと、ぞっとします」
こう考えるようになったのは、兄がいなくなってからだ。とても無関係とは言い難い。
「人を死なせなければ感動を呼べない話なんて、くだらないと思いませんか。技量がある作家は、人を一人も死なせずに面白い話を作れるはずです。ただ目の前の風景を描写するだけで、一流なら面白いはずです」
「耳が痛いな」
男は口元をわずかに歪めた。不敵な笑みだと感じたが、自嘲的な笑みを浮かべているのだと気づいたのは、男が再び話し出してからだった。
「昔、小説家を目指していた時期があった。最初は、自分の内側にある言葉を書きたかった。物語は秘めた思いを吐き出すことができる唯一の場所だった。次に、自分の書いた小説で誰かを救いたいと思った。しばらくすると、急にそれが馬鹿らしく思えた。そして書くこと自体をやめた。あの頃の私が君の話を聞いたら、どう思うだろうな」
「人が死ぬ話を書いたんですか?」
「ああ。君が言うところの、感動のための死だった。もうとっくに土になっているだろうが」
「捨てたんですか?」
「ああ。正確には、捨てられた」
男はそこで話を切り、今度はつらつらと自分の好む文学について話を始めた。透は会話をしているというより、ラジオを聞いている気分になった。夜更けの道と男の声は、不思議と相性がよかった。
「どこへ行くんですか?」
透は黒いワゴン車の前で何度目かの質問をした。駐車場に停まっている車はその1台だけだった。
男はもう文学の話をすることなく、透に向かって言った。
「バイトだ」
男は透が助手席に座ったのを確認すると、運転席に乗り込みエンジンをかけた。
「意外に柔軟だな」
「ええ、まあ。自分でやると決めたことなので」
本当は、疲れていて抵抗する気が起きなかったのだ。それにあたりはほとんど真っ暗で、街灯と信号が申し訳程度に光っている。断ってこんなところに一人取り残されるのはごめんだった。
透を乗せた車はゆっくりと走り出した。
「言い遅れたが、私のことはランと呼んでくれ」
「ラン? どういう字ですか?」
「君の解釈次第だ」
男は投げやりな口調で言った。
蘭。この男には少々可憐すぎる名前だ。卵はないだろう。何にせよ本名とは思えない。
「コードネームですか?」
「コードネームがつくような人間だと思っているのか」
透は言い淀んだ挙句、遠慮がちに言った。
「少しだけ」
本当はかなり思っている。
「君のことは何と呼べばいい」
「俺はただのしがない大学生なので、コードネームとかは持っていなくて」
透がそう言うと、男――ランは前を向いたまま、口の端をわずかに上げた。
「なら今考えればいい」
透は考えた。透から連想するもの。透明なもの……。
「空気」
車内が沈黙で満たされた。
「それは、かなしくないか」
かなしい。透は新鮮な気持ちでその言葉を聞いた。久しく使ったことがない言葉だった。
「かなしいって、どんな感じでしたっけ」
なんて間抜けな質問だ、と透は尋ねてから思った。
「漢字? 心に非ずだ。あとは、口がつく方もあるか」
「あ、そういう意味じゃなくて」
赤信号になり、男が透のほうを見た。
透は今更なかったことにもできず、ぎこちなく問いかけた。
「かなしいって、どういう気持ちでしたっけ、と思って」
ランは前に向きなおり、真面目な顔で答えた。
「そうだな……自分がすり減っていくような、ブルーな感じだ」
「疲れるみたいなことですか」
「似ているが、違うな」
しばらくしてランが言う。
「口がつく方は、見ていられないと思う気持ちだ」
「見ていられない」
「そう。私は最近、それになることが多い」
透はどう相槌をしていいかわからず、目を瞑った。狸寝入りに入ったのだ。
だんだん体が重くなる。微かな振動が心地良かった。
そいつとは誰だろう。溺れた子どもか。きちんと躾をしなかったその親か。執拗に嗅ぎまわった大人たちか。
そう考えていると、足元の感覚がなくなっていく気がした。またあの得体の知れない苦しさを感じた。
でもやはり、どれもこれも透がもとから持っていた性質ではないだろうか?
もし仮に透がいなくなったとして、兄はきっとこうはならない。
「他人のせいにするのが上手い人間ほど、楽に生きている。すべて自分のせいだと思う人間は、傷つけられたときも、傷つけたかもしれないときも、苦しまなくてはならない。理不尽な話だ」
男はそれから何事か考え込み、やがて立ち上がった。
「気が変わった」
「え?」
透を置き去りにして、男は説明もなく歩き出した。数メートル進んで振り返り、座ったままの透を見て、ひらりと手を振る。
わけもわからず振り返すと、男はまた手を振る。透も振る。
しばしテーマパークのような奇妙な時間が流れ、男は諦めたように手を下ろすと、こちらへ戻ってきた。
「来い」
「どこへ行くんですか?」
答えはない。ただ、男は透が立ち上がるのを待っている。
透は行き先を聞かない限り動かない意思を態度で示してみたが、効果はありそうにない。結局、我慢比べに負けたのは、透の方だった。
このままではどうせ、家に帰ることもできない。
「本は読むか?」
道すがら、男は透にそう問いかけた。
「一応。文学部だし」
「大学生なのか」
平坦な声音だが、信じられないという空気が伝わってきた。透は苦笑いを浮かべて言う。
「よく驚かれます。19には見えないって」
「不快な思いをさせたか」
「いえ、慣れてるので。気にしないでください」
「そうか。本はどんなジャンルを読むんだ?」
「人が死なない話が好きです。死ぬ本は読みません」
「ミステリーやサスペンスは端から対象外か」
「まあ、それもそうですけど。俺が嫌いなのはミステリーでもサスペンスでもない、感動のために死が生まれる話です。売れるために人を死なせているんだろうなと思うと、ぞっとします」
こう考えるようになったのは、兄がいなくなってからだ。とても無関係とは言い難い。
「人を死なせなければ感動を呼べない話なんて、くだらないと思いませんか。技量がある作家は、人を一人も死なせずに面白い話を作れるはずです。ただ目の前の風景を描写するだけで、一流なら面白いはずです」
「耳が痛いな」
男は口元をわずかに歪めた。不敵な笑みだと感じたが、自嘲的な笑みを浮かべているのだと気づいたのは、男が再び話し出してからだった。
「昔、小説家を目指していた時期があった。最初は、自分の内側にある言葉を書きたかった。物語は秘めた思いを吐き出すことができる唯一の場所だった。次に、自分の書いた小説で誰かを救いたいと思った。しばらくすると、急にそれが馬鹿らしく思えた。そして書くこと自体をやめた。あの頃の私が君の話を聞いたら、どう思うだろうな」
「人が死ぬ話を書いたんですか?」
「ああ。君が言うところの、感動のための死だった。もうとっくに土になっているだろうが」
「捨てたんですか?」
「ああ。正確には、捨てられた」
男はそこで話を切り、今度はつらつらと自分の好む文学について話を始めた。透は会話をしているというより、ラジオを聞いている気分になった。夜更けの道と男の声は、不思議と相性がよかった。
「どこへ行くんですか?」
透は黒いワゴン車の前で何度目かの質問をした。駐車場に停まっている車はその1台だけだった。
男はもう文学の話をすることなく、透に向かって言った。
「バイトだ」
男は透が助手席に座ったのを確認すると、運転席に乗り込みエンジンをかけた。
「意外に柔軟だな」
「ええ、まあ。自分でやると決めたことなので」
本当は、疲れていて抵抗する気が起きなかったのだ。それにあたりはほとんど真っ暗で、街灯と信号が申し訳程度に光っている。断ってこんなところに一人取り残されるのはごめんだった。
透を乗せた車はゆっくりと走り出した。
「言い遅れたが、私のことはランと呼んでくれ」
「ラン? どういう字ですか?」
「君の解釈次第だ」
男は投げやりな口調で言った。
蘭。この男には少々可憐すぎる名前だ。卵はないだろう。何にせよ本名とは思えない。
「コードネームですか?」
「コードネームがつくような人間だと思っているのか」
透は言い淀んだ挙句、遠慮がちに言った。
「少しだけ」
本当はかなり思っている。
「君のことは何と呼べばいい」
「俺はただのしがない大学生なので、コードネームとかは持っていなくて」
透がそう言うと、男――ランは前を向いたまま、口の端をわずかに上げた。
「なら今考えればいい」
透は考えた。透から連想するもの。透明なもの……。
「空気」
車内が沈黙で満たされた。
「それは、かなしくないか」
かなしい。透は新鮮な気持ちでその言葉を聞いた。久しく使ったことがない言葉だった。
「かなしいって、どんな感じでしたっけ」
なんて間抜けな質問だ、と透は尋ねてから思った。
「漢字? 心に非ずだ。あとは、口がつく方もあるか」
「あ、そういう意味じゃなくて」
赤信号になり、男が透のほうを見た。
透は今更なかったことにもできず、ぎこちなく問いかけた。
「かなしいって、どういう気持ちでしたっけ、と思って」
ランは前に向きなおり、真面目な顔で答えた。
「そうだな……自分がすり減っていくような、ブルーな感じだ」
「疲れるみたいなことですか」
「似ているが、違うな」
しばらくしてランが言う。
「口がつく方は、見ていられないと思う気持ちだ」
「見ていられない」
「そう。私は最近、それになることが多い」
透はどう相槌をしていいかわからず、目を瞑った。狸寝入りに入ったのだ。
だんだん体が重くなる。微かな振動が心地良かった。
0
あなたにおすすめの小説
ふたなり治験棟 企画12月31公開
ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。
男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
冴えないおじさんが雌になっちゃうお話。
丸井まー(旧:まー)
BL
馴染みの居酒屋で冴えないおじさんが雌オチしちゃうお話。
イケメン青年×オッサン。
リクエストをくださった棗様に捧げます!
【リクエスト】冴えないおじさんリーマンの雌オチ。
楽しいリクエストをありがとうございました!
※ムーンライトノベルズさんでも公開しております。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜
トマトふぁ之助
BL
某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。
そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。
聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。
シスルの花束を
碧月 晶
BL
年下俺様モデル×年上訳あり青年
~人物紹介~
○氷室 三門(ひむろ みかど)
・攻め(主人公)
・23歳、身長178cm
・モデル
・俺様な性格、短気
・訳あって、雨月の所に転がり込んだ
○寒河江 雨月(さがえ うげつ)
・受け
・26歳、身長170cm
・常に無表情で、人形のように顔が整っている
・童顔
※作中に英会話が出てきますが、翻訳アプリで訳したため正しいとは限りません。
※濡れ場があるシーンはタイトルに*マークが付きます。
※基本、三門視点で進みます。
※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる