怪しいバイト、行ってみた

濃霧

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誰が敵で、誰が味方か

第24話

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 投げつけられる言葉は、決してあの人のものではない。

 当たり前だ。あの人はもっと大柄で、繊細で、力でものを言わせるようなことはしない。いつだって受け取る相手がいることを、理解したうえで喋る。

 頭ではわかっているのに、刃物で切り付けられたような鋭い痛みを感じた。
 どうしようもなく苦しく、それに比べれば喉の圧迫感など、もう何でもないほどだった。

「おい、聞けっつってんだよ」

 両手の自由を奪われ、おぞましい表情をした男の顔がすぐ傍にあった。解放された喉は、酸素を取り込む前にえずいた。

「殺したのは俺じゃねえ」 

「俺ッ、俺は……俺は死んでない」

 今にも死にそうな声で言い返す。

「殺したのはあいつだ。アイの野郎だ」  

「は……? そんな奴知らない。俺は生きてる」

「忘れたのか?」

「忘れたも何も、知らないんだって!」 

「嘘だ。忘れてるわけがねえ。覚えてるから、俺に付きまとうんだろうが。寝ても覚めてもしつこく文句言ってきやがって。どうしてくれんだよなあ」 

 再び首に手が掛かった。締める手に力が籠もる。男の手はひどく震えている。震えに合わせて、透の頭はがくがくと揺れた。

 何やらひどく罵倒されているようだったが、もう聞き取ることができなかった。透は目を瞑った。





 それから果てしなく長い時間が経った気がした。

 気づけば、喉の圧迫感が嘘のように消え失せていた。

 目の前によく晴れた夏の空が広がっていた。1匹の蝶が、純白の羽を広げて飛んでいる。


 ――いってらっしゃいって、言えばよかったな。


 蝶はふわりと向きを変え、透に近寄ってくる。


 ――今頃、どこにいるんだって心配してるかな。


 鼻先にひらりと止まり、羽を何度か揺らした。


 ――どう思う? 兄ちゃん。


 蝶は答えず、またどこかへ飛んでいく。その道筋が、光の粒になって見えた。





「は……じゃなくて、いとちゃん。大丈夫かい」

 透は呆然としたまま、自分を覗き込んでいる友人を見た。

「……もしかして誠司?」

 ガラガラの声が出る。

「もしかしなくても誠司。それで、この不届き者は誰?」

 誠司は倒れている男を睥睨し、つま先で蹴った。仰向けに転がった男の顔を見て、誠司は顔を引き攣らせた。
 透も鳥肌が立って、目を逸らした。

「何したの」

「護身術で気絶させただけ。どこまでやってやろうか、ちょっと迷ったけれど」 

「迷わないでよ」

 誠司の手を借り、透は上半身を起こした。今になって、服に染み込んだ泥水が気持ち悪い。

「救急車を呼ぶかい」

「ううん。呼ばないで」

 即答すると、誠司は微笑んでから頷いた。

「わかった。異変があったら勝手に呼ぶからね」

「うん」

 透は誠司の肩を借り、公園を出た。
 人気のない道の端に止まっていたのは、可愛らしいデザインのキッチンカーだった。先ほどまでとの温度差に軽い眩暈を覚えながら、あれ、と思った。

「これって」

「パン屋だよ」

「あのときの店員さん、誠司だったの?」

「そう。一目で気づいてくれると思っていたから、正直凹んだね」

 誠司は「先に乗ってて」と言い残してどこかへ行った。

 取り残された透は、服についた汚れを確認した。泥の上に仰向けになったのだから、かなり汚れているだろうと思っていたが、想像以上だった。洗濯したら綺麗に落ちるだろうか。

 透はそれ以上考えることを放棄し、その場に座り込んだ。熱のこもったアスファルトが泥水で冷えた尻に丁度良く、透は調子に乗って背中も地面につけた。ちょっとした岩盤浴だ。

「あれ、まだ乗ってなかったのかい? やっぱり具合が……」

 戻ってきた誠司は透を見て眉を下げた。もともとたれ眉のため、だいぶ急角度になっている。

「乗ろうと思ったんだけど、このままだと俺、シート汚しちゃう」

「別に構わないけれど」

 そう言われても、この格好で車に乗るのはやはり抵抗がある。
 なかなか乗り込めずにいると、誠司はグローブボックスからビニール袋を数枚取り出した。「これを敷くといいよ」と透に手渡す。

「助かる」

 透はビニール袋を二重に敷き、ずれないように注意しつつその上に座った。意味があるかはわからないが、一応背もたれにもビニール袋をあてがった。

「さあ、行こうか」

「どこに?」

 そう尋ねてから、透はハッとした。

「待たせてるかもしれない人がいる」

「……それ、どこらへんかわかるかい?」

「わからない。そんなに遠くじゃないと思うんだけど」

 無我夢中で走っていたのだ。道順など、覚えているはずがなかった。

「じゃあ、一旦家に帰ろう。心身共に相当疲れているはずだ。少し休むべきだよ」

 誠司は透に住所を聞くと、ゆっくりと走り出した。遠くからパトカーのサイレンが聞こえたような気がして、透は幾度も後ろを振り返った。

 道すがら、誠司は透に他愛もない話題を振った。気遣われているのは明白だったが、誠司からパスされたボールをしっかり掴み、返すことで精一杯だった。

 そのうち誠司のひとり語りになり、透は眠ってしまわないように注意しながら、その話に耳を傾けた。

 誠司は、透の大学からほど近い大学に通っているそうだ。キッチンカーのバイトは友人の紹介で始めたが、その友人は紹介したあとすぐに辞めてしまい、今は店長とほぼ2人、きりきり舞いでキッチンカーの営業を回しているらしい。

「あ、話をすれば」

 キッチンカーを止め、誠司が電話に出る。

「うん、メールしたとおりだよ――それは僕も同意見さ。よりによって――いいや、それはいけない―――そうさ――え、声?」

 誠司はスマホを耳から離し、スピーカーに切り替えた。

「いとちゃんの声が聞きたいって」

「誰?」

「さっき話していた友人。無事を確認したいってさ」

「俺の? なんで?」

 事態が飲み込めない透だったが、誠司は説明もなくスマホを近づけてくる。

『透くん。聞こえてる?』

「え、うん。聞こえるよ? ええっと、雪さんで合ってる?」

『そうだよ。雪。連絡つかなくて、大学にも来てないみたいだし、すごく心配した』

「ごめん、色々事情があって。亮太は何か言ってた?」

『事件に巻き込まれてるんじゃないかって、毎日電話掛けてたよ。透はマメな性格じゃないけど、こんなに何日も連絡がないまま休むのは変だ!って』

「そうなんだ。申し訳ないんだけど、無事だって亮太に連絡しておいてもらえないかな。色々あって、手元にスマホがないんだ」

『おっけー任せて。で、身体はどう? 怪我とかないか、病院で検査してもらったら?』

「何ともないから、大丈夫だよ」

『透くんがそういうなら……わかった。じゃ、大学で待ってるからね。またね!』

 溌溂な声とともに電話が切れた。透は困惑しつつも、とりあえずスマホを返した。

「雪さんと友達だったんだ」

「わりと長いよ。もう6年になるかな」

「へえ」

 6年。それなりに長い付き合いだ。ちょうど誠司が中学1年生の頃ぐらいからか。

 ん? 中学1年生?

 運転席を見ると、誠司が前を向いたまま、にんまりと笑っている。

「覚えてないかい? 灰田雪。僕らの学級委員長だよ」




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