怪しいバイト、行ってみた

濃霧

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番外編

初めてお泊りした日の話◎

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 透は未だかつてないほど緊張していた。

 夏季休暇に入り、初めて藍の家に泊まることになった。宅配のピザを食べて、有名な小説が原作の映画を観て、しばらく感想を語り合ったあと、藍が風呂の湯を溜めに行くといって席を立った。  

 恋人同士で「泊まる」ことの意味ぐらい透も理解している。だが同性同士のアレコレについては、正直わからないことだらけだった。

 今のうちに調べておこうと検索バーに文字を打ち込んでいるところで、背後から声が掛かった。

「透」

「うわぁ!」

「風呂、先に入るか?」

「え、あ、はい」

「わかった。タオルの場所とか教えるから、ちょっと来てくれ」

 この棚の上がバスタオル、こっちがシャンプー、こっちがリンス。その隣がボディーソープで――。

「だいたいわかったか?」

「はい……」

 ごめんなさい。何も頭に入ってきません。

「やっぱり俺、後がいいです」

「そうか」

 よし、藍が入っている間に調べよう。そうしよう。

 リビングに戻りソファに腰を落ち着けると、着替えを用意しに行ったはずの藍がやってきて隣に座った。

 肩が触れ合い、身がこわばる。

「透」

「はい」

「今日、あまり目が合わない気がするんだが」

「う……」

 だって、この先を意識すればするほど、目を見るのが恥ずかしい。

「何か不快な思いをさせたか?」

「いや、全然……ちょっと緊張してるだけで」

「緊張?」

 まずい。口を滑らせた。透は慌てて訂正したが、もう遅い。

「私といるのは緊張するか?」

 悲しげな顔で言われたら、誤解を解かないわけにはいかない。透は顔が熱くなるのを感じながら口を開いた。

「そうじゃなくて――」

 透の話を聞くと、藍は目を見開き、耳を赤くして、それからやさしく頭を撫でてきた。

「今日は透が想像しているようなことは何もしないから、湯船で温まっておいで」

「……しないんですか?」

「ああ。だから安心してくれ」

 透を見つめる目は甘い。恋人に向ける目というより、守るべきものを見るような目だと思う。その甘さに、透はいつも寄りかかってしまっている。もっと対等でありたいのに。

「藍さんはその……したいと思いますか?」

「うん。したい」

 ノータイムで返ってきた言葉に、透は赤面した。好きな人の口から出る「したい」はものすごい威力だ。 

「俺は……男同士だと何するかよくわからないから、怖くて」

「うん」

「でも興味がないわけじゃなくて。そういうことするのって、藍さんと特別な関係になった証みたいで嬉しいし」

 透がそうこぼすと、藍は片手で口元を覆い、天を仰いだ。彼が時々する仕草だ。透にはどういう意味なのかよく分からない。

 しばらくそうした後、藍は透に向き直って言った。

「透は焦らなくていい。どういうことをするか知って、もし怖くないと思ったら、少しずつ試してみよう」

「でも、それじゃ辛くないですか?」

 透だって男だ。我慢する辛さは想像できる。
 だが藍はゆるゆると首を横に振った。

「私は透と一緒にいられて、とても満たされているんだ。時折、食事をとることすら忘れるほどにな」

 恋人があまりに幸せそうな顔でそう言うので、透は食い下がるのをやめた。藍が望むなら、怖くてもぶっつけ本番でするつもりだった。大好きな人に無理はさせたくない。
 でも本心から焦らなくていいと言っているのが分かって、肩の力が抜けた。

 結局、透が先に風呂を済ませた。髪を濡れたまま放置していたら、ドライヤーで丁寧に乾かしてくれた。至れり尽くせりだ。

 透はすっきりした気持ちでソファで寛ぎながら、藍が風呂から出るのを待った。

 その十数分後。

「待たせたな」

 湯上がりの藍が現れて、透はしばらく呼吸の仕方を忘れた。襟元から見える肌がやけに扇情的で、前髪をかきあげる仕草などは目眩がするほどだった。
 若い男の思考はすぐさま妄想の世界へ飛び立っていく。

 ――透、気持ちいいか……?

「うわぁぁぁ!!!!」

 叫びながらスマホを放り投げるという奇行に、藍は目を丸くした。

「どうした」

「ちょ、ちょっと顔洗ってきます!」

 冷たい水で顔を洗い、気を鎮めてリビングに戻ると、藍は髪を乾かし終えて待っていた。凄まじいほどの色気はすっかり封印されている。

「一緒に寝るか別々に寝るか、どっちにする?」

「……一緒がいいです」

「ん。おいで」

 手を引かれ、寝室に案内された。ベッドの他には小さな机ぐらいしかない、こざっぱりとした部屋だった。机の上にはライトスタンドと本が何冊か乗っていた。

 藍は壁際の方に寝転ぶと、タオルケットを広げて透を招いた。おずおずと乗りあげ横になると、タオルケットをかけてくれた。藍の匂いに包まれて、透は心の底から幸せだと思った。

 平均寿命の80歳まで生きるとして、あと約60年。
 あまりにも短いなと思う。永遠の命がほしい。藍の隣に、いつまでもいられたらいいのに。

 透は目の先にある胸元にすり寄った。筋肉質な腕が背中に回り、その重みに安心する。

「おやすみなさい」

「おやすみ」

 愛おしい鼓動を聞きながら、透は深い眠りに落ちた。






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