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番外編
おにぎりの端っこ△
しおりを挟む次に目が覚めたとき、部屋にはKひとりだった。最後の記憶でNが寝ていた場所に手を置くと、ひんやりと冷たかった。
のそりと身を起こし、ベッドから立ち上がった。
身体はさっぱりしていて、寝間着を上下共きちんと着ている。腰の怠さを除けば、昨夜の出来事を証明するものはどこにもない。
狐につままれたようになりながら、Kは家中をふらふらと彷徨った。Nの姿はどこにもない。まるで初めから、誰もいなかったかのように。
「帰ったんか……」
しんと静まり返った部屋で、Kの言葉は思いのほか大きく聞こえた。
「別にどうでもいいし」
誰に何を言われた訳でもないのに、Kはそう吐き捨てた。前髪の下で、眉間に薄く皺を作りながら。
ドタドタと音を立てて洗面所へ向かい、顔を洗ってヒゲを剃った。ガシガシと歯を磨き、なんとなく服を着替えてキッチンへ向かった。
水をコップ1杯飲んでから、今日は非番であることを思い出した。時計は朝の7時を指している。
Kは何もかも面倒臭くなり、リビングのソファに座り込んだ。
遊ばれたってことなんだろうか。
性欲を持て余していたところに、ちょうど都合のいい後輩がいたから、家に押しかけてヤッた。で、満足したから捨てた。そんなところか。
そもそも、Nが男を抱くことすら想像になかった。
Kは今まで異性としか付き合ったことがない。性交渉の経験も女性相手だけだった。昨日までは。
抱かれる側で、しかも相手はNなのに、昨日の自分はなぜかそれを受け入れてしまった。最後まですることを許してしまった。拒むチャンスはいくらでもあったはずなのに。
酒のせいで、快楽に弱くなっていたのだろうか。たしかに抱かれる側は、抱く側にはない気持ちよさがあった。
とはいえ今まで、酔ったことで性欲が強くなったことなどなかったように思う。どちらかというとKは性交渉には淡白で、女性と交際していたときも積極的にはしなかった。
付き合っていく中で「性的に求めること=気持ちの強さ」と捉える恋人は多かった。「私のことを本当に好きなのか」と当時の恋人に言われたことは一度や二度ではない。
「全然わかんねえ」
今のKには、Nのことはもちろんだが、自分のことすらよくわからなかった。
悶々としていると、電話が鳴った。一瞬身構えたが、表示されている名前はNではなかった。
「もしもし」
『もしもしー今日非番?』
「うん」
『このあと家に遊びに行っていい?』
屈託のない明るい声に、自然とため息が漏れた。
『無理そう?』
「ううん。いいよ」
『やったラッキー! お昼頃に行くねー』
「わかった。気をつけて来いよ」
『うん!』
元気のいい返事を最後に、電話は切れた。Kはしばらく、ぼんやりと画面を見つめた。
「眩しすぎる……」
電話の相手は、従弟の陽色だ。Kの7つ歳下で、現在は大学4年生。隣県にひとり暮らしをしているが、今日はこっちに来ているらしい。
従弟が来るならば、腑抜けてはいられない。
Kはいくらか気分を持ち直し、ソファから立ち上がった。その瞬間。
――ガチャ
その音に、Kは再び座った。正確に言えば、足の力が抜けて座らざるを得なかった。
息を詰めていると、足音が近づいてくる。
「おはよ」
出ていったはずの男が、ビニール袋を片手に澄ました顔で現れた。
「身体どう?」
「…………」
「ベッドから動けないんじゃないかと思ってた」
「…………」
返事がないことを不審に思ったらしく、Nはテーブルに袋を置くと、Kの傍にしゃがみこんだ。
「おーい」
顔の前で手を振られ、Kはハッとした。すぐ目の前でNが首を傾げている。
「どうした」
その問いに、Kは唇を噛んだ。
「……出ていったんじゃねえの?」
「出ていったよ。朝飯買いにコンビニまで」
「コンビニ」
あまりにさっぱりとした返事に、Kは復唱することしかできなかった。
「そう。ここから1番近いコンビニ」
「なら、言ってから行けよ!」
「言ったよ。そしたらふにゃふにゃ笑ってた。寝ぼけててちゃんと聞こえてなかったんだろうね」
「……あっそ」
あっけらかんとしているNを前にすると、細かなことなどどうでもよくなってきた。
Kは急に空腹を感じ、立ち上がってテーブルに置かれた袋を漁った。ところが、取り出しても取り出してもおにぎりが顔を出す。
「無限に出てくるじゃねえか」
「全種類買ってきたからね」
「買いすぎだろ」
「先に選んでいいよ。今日は特別な」
「でも俺、朝はパン派なんだよな」
この間の意趣返しというのが伝わったのだろう。Nは笑いながらKの肩を軽く小突いた。
✻
「あ、そうだ」
向かい合っておにぎりを食べながら、Kはふとこのあとの予定を思い出した。
「これ食べたら帰るよな?」
「えーわかんない。どうして?」
「いや、昼から人来るから」
その一言で、Nの手がぴたりと止まった。
「へえ。誰?」
「陽色。俺の従弟」
「何歳?」
「大4だから……21。今年で22」
「ふぅん」
Nは鮭のおにぎりを片手に、ニコニコと笑っている。だがKにはわかった。今のNは機嫌があまりよくない。上司に計画通り進めろと圧を掛けられたときと同じ顔をしている。
「帰らないつもりだろ」
「ご名答」
「はぁ……ならせめて陽色が帰るまでは寝室にいてくれ」
陽色は昔から鋭い。気づかなくていいことにまで気づいてしまう。そんな陽色がNと顔を合わせたら、ややこしいことになる未来しか見えない。
「いいよ」
呑気に答えるNに、Kは不安になった。
「本当にわかってるんだよな?」
「隠れとけばいいんでしょ?」
「おう。頼むわ」
「ご褒美は?」
「ご褒美? 俺があんたに?」
腑に落ちないものを感じていると、Nは話し続けた。
「うん。そうだな、こっちの要望1個聞いてもらうのはどう?」
了承する前に、どんどん話が進んでいる。こうなったが最後、Nはもう言うことを聞かないのだ。Kは自分が折れる他ないとしぶしぶ頷いた。
「わかった。それでいい」
「よし決まり。じゃあ今日も泊まりね」
「はあ?!」
大きく開いたKの口は、おにぎりによって塞がれた。しかも具がない端っこの部分だ。
Kは怒って身を乗り出したが、食べながら立ち上がるのは行儀が悪いと気づき座り直した。
眉をつり上げながら、頬に詰まったおにぎりを一生懸命に咀嚼するKを見て、Nは堪えきれないといったふうに吹き出した。
「お茶持ってきてやるから、ゆっくり食べろよ」
通り過ぎざまに髪をくしゃくしゃとかき混ぜられ、Kはその手をペシッと振り払った。
Nはいやな顔をせず、むしろ嬉しそうな顔で言った。
「やっぱり、お前はそっちのほうがいいよ」
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