恋愛禁止条項の火消し屋は、子会社社長を守る側に立つ

swingout777

文字の大きさ
7 / 80
第1章 左遷と「雇用を守る」嘘

夜・仮住まい

しおりを挟む
仮住まいは、駅前のビジネスホテルより少しだけ“生活”に近いワンルームだった。家具付きの部屋に入ると、暖房の乾いた匂いが鼻の奥をくすぐる。壁は白、床は薄い木目。置いてあるのは折り畳みテーブルと、真新しいマグカップだけ。――ここに長居するつもりはない、と部屋が先に言っている。

コートを脱ぎ、鞄を床に置いた瞬間、スマホが震えた。画面に踊るのは、知らない番号。出る前に通知が重なる。

【社内共有】
「子会社社長、不倫か」
「ホテル密会写真」
添付あり。

息が浅くなる。火は、夜に大きくなる。私は通知を開き、添付をタップした。

画面に映ったのは、ホテルのエントランスを斜め上から切り取った一枚。外灯の白い光。少し濡れたアスファルト。傘の先。男性――社長が、誰かと並んで歩いている。相手は帽子とマスクで顔が隠れている。輪郭は細い。体格は私の知る“告発者”に近い。それでも、写真は語る。語ってしまう。

「不倫相手とホテルへ」

人は、見たいものしか見ない。

スクロールすると、二枚目。社長がドアを押さえ、相手を先に入れている。紳士的な動作が、より最悪の誤解を生む。三枚目。――腕が、触れている。ほんの一瞬。その“ほんの一瞬”を切り取るために、誰かが何時間も張ったのだと思うと、背中が冷えた。

スマホがまた震えた。今度はメッセージ。

【匿名】
「本社の火消し屋さん、今夜も忙しいですね」
「社長の次は、あなたの番かも」

指先が固まる。脅しの文章は、いつも余裕ぶっている。余裕のある側が書くからだ。私は画面を閉じ、深呼吸を一つだけした。恐怖は時間を食う。食わせない。

鞄からノートPCを出し、机に置く。ログ。時刻。共有範囲。誰が最初に投げた。――追える。追えるはず。でも、追っている間に“空気”は出来上がる。空気が出来たら、火は消えない。火は、燃え広がる。

キッチンの小さな水道で手を洗う。冷たい水が指先の震えを止めてくれる。鏡の前で顔を上げると、頬がわずかに赤い。寒さのせいか、さっき社長が近づいた距離のせいか。どちらにしても、理由を認めたら負けだ。

恋愛禁止条項。あれは、守るための線引き。私は線を引く側。越える側じゃない。

――そう思ったところで、ドアの外から、控えめなノックがした。

一拍、心臓が跳ねる。こんな時間に?覗き穴を覗くと、廊下の白い蛍光灯の下に、見覚えのある影が立っていた。背が高い。肩が広い。コートの下に、作業着の名残。社長だ。

私は鍵を開けかけて、手を止めた。危ない。距離が近い男は、余計な熱を連れてくる。

それでも鍵は回った。火消し屋の癖だ。危機は、ドアの外で放置できない。

ドアを少しだけ開けると、冷たい外気と一緒に社長の低い声が滑り込んできた。

「……出回ったな」
「はい」

私が短く答えると、社長は私の顔を見て、目を細めた。怒りじゃない。確かめるみたいな目。

「怖いか」

そう訊くのか、と意外で、言葉が一瞬遅れた。怖い。でも、それを見せたら負けだ。

「怖くないと言えば嘘です。ただ――仕事です」

社長は小さく息を吐き、視線を廊下の先へ投げた。

「ここ、壁薄いか?」
「普通です」
「なら、廊下で話すのはやめる」

そう言って、彼は私のドアをもう少しだけ押し開けた。入ってくる、ではなく、私を“外の視線”から隠すみたいに。
その動作が、妙に優しくて、胸の奥が勝手に熱を持つ。

「今夜、動くって言ったろ」

社長は声を落とす。

「告発者を移す。ここじゃない。……本社が来る」

本社。人事部長の顔が浮かぶ。私は喉の奥の乾きを飲み込み、頷いた。

「場所は」

社長はスマホを取り出し、短く画面を見せた。地図と、ピン。そして、最後に一行。

――『22:30 ホテル裏口 見られるな』

見られるな。恋愛じゃない。仕事だ。それでも、背中に走ったのは、火事場の緊張だけじゃなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

消えた記憶

詩織
恋愛
交通事故で一部の記憶がなくなった彩芽。大事な旦那さんの記憶が全くない。

出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜

泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。 ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。 モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた ひよりの上司だった。 彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。 彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……

Perverse second

伊吹美香
恋愛
人生、なんの不自由もなく、のらりくらりと生きてきた。 大学三年生の就活で彼女に出会うまでは。 彼女と出会って俺の人生は大きく変化していった。 彼女と結ばれた今、やっと冷静に俺の長かった六年間を振り返ることができる……。 柴垣義人×三崎結菜 ヤキモキした二人の、もう一つの物語……。

フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛

春咲さゆ
恋愛
26歳OLの木崎茉莉は人生のどん底にいた。上手くいかないことに慣れ、心を凍らせることで自分を守る毎日に絶望した茉莉は、雨の夜に思わず人生の終わりを願ってしまう。そんな茉莉に手を差し伸べたかっこいい彼。茉莉は、なぜか無償の愛のような優しさをくれる不思議な男性に少しずつ救われ、前を向いていく。けれど、疑ってしまうほど親切な彼には、親切であり続ける理由があって……。雨の夜の出会いがもたらした、優しくも切ない物語。

私の婚活事情〜副社長の策に嵌まるまで〜

みかん桜
恋愛
身長172センチ。 高身長であること以外ごく普通のアラサーOL、佐伯花音。 婚活アプリに登録し、積極的に動いているのに中々上手く行かない。 「名前からしてもっと可愛らしい人かと……」ってどういうこと? そんな男、こっちから願い下げ! ——でもだからって、イケメンで仕事もできる副社長……こんなハイスペ男子も求めてないっ! って思ってたんだけどな。気が付いた時には既に副社長の手の内にいた。

距離感ゼロ〜副社長と私の恋の攻防戦〜

葉月 まい
恋愛
「どうするつもりだ?」 そう言ってグッと肩を抱いてくる 「人肌が心地良くてよく眠れた」 いやいや、私は抱き枕ですか!? 近い、とにかく近いんですって! グイグイ迫ってくる副社長と 仕事一筋の秘書の 恋の攻防戦、スタート! ✼••┈•• ♡ 登場人物 ♡••┈••✼ 里見 芹奈(27歳) …神蔵不動産 社長秘書 神蔵 翔(32歳) …神蔵不動産 副社長 社長秘書の芹奈は、パーティーで社長をかばい ドレスにワインをかけられる。 それに気づいた副社長の翔は 芹奈の肩を抱き寄せてホテルの部屋へ。 海外から帰国したばかりの翔は 何をするにもとにかく近い! 仕事一筋の芹奈は そんな翔に戸惑うばかりで……

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

友達婚~5年もあいつに片想い~

日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は 同僚の大樹に5年も片想いしている 5年前にした 「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」 梨衣は今30歳 その約束を大樹は覚えているのか

処理中です...