43 / 80
第6章 第二波:告発者を完全に潰す「手続きの暴力」
新人の告白
しおりを挟む
休憩室のドアが閉まった瞬間、彼女の膝が抜けた。倒れなかったのは、吉岡が“壁”になったからだ。支えるんじゃない。寄りかかれる面を作る。——それが今の最善。
「……ごめんなさい」
新人は息を吸えないまま、謝った。謝る癖が、首輪の名残みたいに見えて胸が痛む。
「謝らなくていい」
吉岡が低い声で言う。
「今は、息。——4つ吸って、6つ吐く」
彼女は言われた通りにやろうとして、最初の一回は失敗した。二回目で少し入って、三回目でようやく肩が落ちた。
私は距離を詰めないまま、テーブルの上に紙を置いた。総務の受領用フォーマット。日付欄と時刻欄、同席者欄がある。
「口で言わなくていい」
私は短く言った。
「書ける断片だけ、書く。今ここにいるのは、あなたの言葉を奪わないため」
新人の目が紙に落ちる。ペンを握る手が、まだ震えている。
「……私」
喉が鳴って、声が出る。
「昨日の夜……電話が来ました」
吉岡が、すぐに“時刻”を見た。
「何時」
「……21時すぎ」
新人は唇を噛んで続ける。
「番号は、知らない番号で……出たら……“本社人事の”って」
言いかけて、言葉が詰まる。
私は言葉を補わなかった。補うと切り貼りされる。代わりに、問いを最小にする。
「名前、言った?」
新人は、ほんの小さく頷いた。
「……佐伯、って」
吉岡が息を呑んだ。私は表情を動かさず、紙の上の時刻欄に指を置いた。
「そこ、書ける?」
新人は震える字で 21:08 と書いた。数字は、嘘をつきにくい。だから先に数字。
「何て言われた」
吉岡が、淡々と聞く。新人は一拍置いて、言った。
「……“あなたは守られたいよね”って」
その言い回しが、昨日の佐伯と同じ構造で、胃が冷える。
「“このままだと、あなたが守秘義務違反で困る。契約も難しくなる”って」
彼女の声が細くなる。
「だから……“福本さんに言われた”って言えば、丸く収まるって」
吉岡が即座に紙に書いた。
「丸く収まる」
原文のまま。ここが後で効く。
新人の肩が小さく震えた。
「私、怖くて……」
「うん」
「……今朝も、来る前に呼ばれて」
「誰に」
「監査の人」
彼女は視線を落とし、ペン先で紙を叩いた。
「会議室に……紙が置いてあって……“これを読んでから入って”って」
「どんな紙」
私が聞くと、彼女は鞄から、折り目だらけの一枚を出した。見出しは、例の配布用テンプレ。
『ヒアリング前説明(統合PJ対応)』
余白に手書きで、赤い丸と矢印。そして、短いメモ。
「福本の名前を出す」
「社長に“守られてる”と言う」
喉が、鳴った。恋愛禁止条項へ繋ぐ導線が、ここに書いてある。
「これ、誰が書いた」
新人は首を振った。
「……監査の人が、ペンで」
「目の前で?」
「目の前で……“ここ重要”って」
吉岡が、震える手で写真を撮った。全体、アップ、時刻が入るように壁時計も一緒に。手順どおり。ここから先は“原本の作り方”だ。
新人が、堰を切ったように言った。
「私、福本さんのこと……悪く言いたくないんです」
声が少しだけ太くなる。
「福本さん、昨日、守ってくれた。……助かった。だから、今日も……守ってほしかった」
言った直後、彼女は自分で自分の言葉に怯えた。“守ってほしかった”は切り貼りで危険な一文になる。
私は即座に、条件を付けて受け止めた。
「守るのは、私じゃない」
短く、強く。
「手続きで守る。それなら、あなたは誰にも利用されない」
新人が、涙をこぼした。でも崩壊の涙じゃない。“言えた”涙だ。
「……もう一つ」
彼女が声を落とす。
「録音……あります」
吉岡が顔を上げた。
「何の」
「今朝、監査の人が……“言い方”を言ったとき」
新人はスマホを取り出し、震える指で画面を見せた。ボイスメモ。時間は 09:57。長さ 0:43。
「怖くて……手が勝手に押してました」
彼女は言い訳みたいに言う。私は首を横に振った。
「言い訳じゃない。——生きるための反射だ」
吉岡が、静かに言った。
「これ、保全フォルダに入れる。元データのまま。あなたの端末から消さない。複製も、手順で」
新人が頷く。頷けるだけの息が、今はある。
私は最後に、彼女に一つだけ頼んだ。“告白”を、切り貼りできない形にするために。
「今の話、文章にして」
「……書けますか」
「書けるところだけでいい」
私は紙の同席者欄を指した。
「吉岡が同席者。時刻も残る。あなたの言葉のまま残す」
新人は震える字で書き始めた。一行目から、すでに原本だった。
私は、2026年1月23日(※)21時頃、知らない番号から電話を受け、「本社人事部長 佐伯」と名乗る人物から、「福本に言われたと言えば丸く収まる」「契約が難しくなる」等の趣旨を言われました。
2026年1月24日(※)9時台に、監査担当者からヒアリング前説明の紙を渡され、「福本の名前を出す」「社長に守られていると言う」等の言い方を指示されました。
私は事実として、福本からそのような指示を受けていません。
(※日付は彼女が書いたままにした。後で総務が「今日の日付」と照合して補記する。今は“崩さない”が優先。)
彼女が最後の行を書き終えたとき、廊下のスピーカーが鳴った。
「休憩終了。再開します」
新人の顔が、一瞬だけ青くなる。私は短く言った。
「次は、あなたは喋らない」
「……え」
「この紙を“提出”して、文書で進める」
私は言い切った。
「口頭の戦場から、引き上げる。——それが、あなたの命を守る順番」
吉岡が頷き、受領欄に時刻を書いた。
10:13 受領(吉岡)
新人の告白は、もう“声”じゃない。切り貼りできない、紙になった。
「……ごめんなさい」
新人は息を吸えないまま、謝った。謝る癖が、首輪の名残みたいに見えて胸が痛む。
「謝らなくていい」
吉岡が低い声で言う。
「今は、息。——4つ吸って、6つ吐く」
彼女は言われた通りにやろうとして、最初の一回は失敗した。二回目で少し入って、三回目でようやく肩が落ちた。
私は距離を詰めないまま、テーブルの上に紙を置いた。総務の受領用フォーマット。日付欄と時刻欄、同席者欄がある。
「口で言わなくていい」
私は短く言った。
「書ける断片だけ、書く。今ここにいるのは、あなたの言葉を奪わないため」
新人の目が紙に落ちる。ペンを握る手が、まだ震えている。
「……私」
喉が鳴って、声が出る。
「昨日の夜……電話が来ました」
吉岡が、すぐに“時刻”を見た。
「何時」
「……21時すぎ」
新人は唇を噛んで続ける。
「番号は、知らない番号で……出たら……“本社人事の”って」
言いかけて、言葉が詰まる。
私は言葉を補わなかった。補うと切り貼りされる。代わりに、問いを最小にする。
「名前、言った?」
新人は、ほんの小さく頷いた。
「……佐伯、って」
吉岡が息を呑んだ。私は表情を動かさず、紙の上の時刻欄に指を置いた。
「そこ、書ける?」
新人は震える字で 21:08 と書いた。数字は、嘘をつきにくい。だから先に数字。
「何て言われた」
吉岡が、淡々と聞く。新人は一拍置いて、言った。
「……“あなたは守られたいよね”って」
その言い回しが、昨日の佐伯と同じ構造で、胃が冷える。
「“このままだと、あなたが守秘義務違反で困る。契約も難しくなる”って」
彼女の声が細くなる。
「だから……“福本さんに言われた”って言えば、丸く収まるって」
吉岡が即座に紙に書いた。
「丸く収まる」
原文のまま。ここが後で効く。
新人の肩が小さく震えた。
「私、怖くて……」
「うん」
「……今朝も、来る前に呼ばれて」
「誰に」
「監査の人」
彼女は視線を落とし、ペン先で紙を叩いた。
「会議室に……紙が置いてあって……“これを読んでから入って”って」
「どんな紙」
私が聞くと、彼女は鞄から、折り目だらけの一枚を出した。見出しは、例の配布用テンプレ。
『ヒアリング前説明(統合PJ対応)』
余白に手書きで、赤い丸と矢印。そして、短いメモ。
「福本の名前を出す」
「社長に“守られてる”と言う」
喉が、鳴った。恋愛禁止条項へ繋ぐ導線が、ここに書いてある。
「これ、誰が書いた」
新人は首を振った。
「……監査の人が、ペンで」
「目の前で?」
「目の前で……“ここ重要”って」
吉岡が、震える手で写真を撮った。全体、アップ、時刻が入るように壁時計も一緒に。手順どおり。ここから先は“原本の作り方”だ。
新人が、堰を切ったように言った。
「私、福本さんのこと……悪く言いたくないんです」
声が少しだけ太くなる。
「福本さん、昨日、守ってくれた。……助かった。だから、今日も……守ってほしかった」
言った直後、彼女は自分で自分の言葉に怯えた。“守ってほしかった”は切り貼りで危険な一文になる。
私は即座に、条件を付けて受け止めた。
「守るのは、私じゃない」
短く、強く。
「手続きで守る。それなら、あなたは誰にも利用されない」
新人が、涙をこぼした。でも崩壊の涙じゃない。“言えた”涙だ。
「……もう一つ」
彼女が声を落とす。
「録音……あります」
吉岡が顔を上げた。
「何の」
「今朝、監査の人が……“言い方”を言ったとき」
新人はスマホを取り出し、震える指で画面を見せた。ボイスメモ。時間は 09:57。長さ 0:43。
「怖くて……手が勝手に押してました」
彼女は言い訳みたいに言う。私は首を横に振った。
「言い訳じゃない。——生きるための反射だ」
吉岡が、静かに言った。
「これ、保全フォルダに入れる。元データのまま。あなたの端末から消さない。複製も、手順で」
新人が頷く。頷けるだけの息が、今はある。
私は最後に、彼女に一つだけ頼んだ。“告白”を、切り貼りできない形にするために。
「今の話、文章にして」
「……書けますか」
「書けるところだけでいい」
私は紙の同席者欄を指した。
「吉岡が同席者。時刻も残る。あなたの言葉のまま残す」
新人は震える字で書き始めた。一行目から、すでに原本だった。
私は、2026年1月23日(※)21時頃、知らない番号から電話を受け、「本社人事部長 佐伯」と名乗る人物から、「福本に言われたと言えば丸く収まる」「契約が難しくなる」等の趣旨を言われました。
2026年1月24日(※)9時台に、監査担当者からヒアリング前説明の紙を渡され、「福本の名前を出す」「社長に守られていると言う」等の言い方を指示されました。
私は事実として、福本からそのような指示を受けていません。
(※日付は彼女が書いたままにした。後で総務が「今日の日付」と照合して補記する。今は“崩さない”が優先。)
彼女が最後の行を書き終えたとき、廊下のスピーカーが鳴った。
「休憩終了。再開します」
新人の顔が、一瞬だけ青くなる。私は短く言った。
「次は、あなたは喋らない」
「……え」
「この紙を“提出”して、文書で進める」
私は言い切った。
「口頭の戦場から、引き上げる。——それが、あなたの命を守る順番」
吉岡が頷き、受領欄に時刻を書いた。
10:13 受領(吉岡)
新人の告白は、もう“声”じゃない。切り貼りできない、紙になった。
0
あなたにおすすめの小説
You Could Be Mine ぱーとに【改訂版】
てらだりょう
恋愛
高身長・イケメン・優しくてあたしを溺愛する彼氏はなんだかんだ優しいだんなさまへ進化。
変態度も進化して一筋縄ではいかない新婚生活は甘く・・・はない!
恋人から夫婦になった尊とあたし、そして未来の家族。あたしたちを待つ未来の家族とはいったい??
You Could Be Mine【改訂版】の第2部です。
↑後半戦になりますので前半戦からご覧いただけるとよりニヤニヤ出来るので是非どうぞ!
※ぱーといちに引き続き昔の作品のため、現在の状況にそぐわない表現などございますが、設定等そのまま使用しているためご理解の上お読みいただけますと幸いです。
出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜
泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。
ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。
モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた
ひよりの上司だった。
彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。
彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……
【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
なぜ私?スパダリCEOに捕獲され推しの秘書になりました
あいすらん
恋愛
落ち込んでいた私が見つけた最高の趣味。
それは完璧スパダリCEOの「声」を集めること。
動画サイトで最高のイケボを見つけた私、倉田ひかりは、声を録音するためだけに烏丸商事の会社説明会へ。
失業中の元ピアノ講師には、お金のかからない最高のレクリエーションだったのに。
「君、採用」
え、なんで!?
そんなつもりじゃなかったと逃げ出したのに、運命は再び私と彼を引き合わせる。
気づけば私は、推しの秘書に。
時短の鬼CEO×寄り道大好き迷子女。
正反対な2人が繰り広げる、イケボに溺れるドタバタラブコメ!
決して飼いならされたりしませんが~年下御曹司の恋人(仮)になります~
北館由麻
恋愛
アラサーOLの笑佳は敬愛する上司のもとで着々とキャリアを積んでいた。
ある日、本社からやって来たイケメン年下御曹司、響也が支社長代理となり、彼の仕事をサポートすることになったが、ひょんなことから笑佳は彼に弱みを握られ、頼みをきくと約束してしまう。
それは彼の恋人(仮)になること――!?
クズ男との恋愛に懲りた過去から、もう恋をしないと決めていた笑佳に年下御曹司の恋人(仮)は務まるのか……。
そして契約彼女を夜な夜な甘やかす年下御曹司の思惑とは……!?
こじらせ女子の恋愛事情
あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26)
そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26)
いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。
なんて自らまたこじらせる残念な私。
「俺はずっと好きだけど?」
「仁科の返事を待ってるんだよね」
宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。
これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。
*******************
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる