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俺のためのお前のこれまで

第16話 姉の事情(7)

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「よし、完璧だ」
 食卓に並べた料理を見下ろし、ひとりごちる。
「ただいまー!」
「おかえりなさい」
 男達を呼びに出たレティが帰ってきた。
「勇者様と……ラバルトさんも、いらっしゃいませ」
「ん」
「……お邪魔します」
 あいつがいない。念のためラバルトの背後に視線を向けてみるが、やはり見当たらない。
「イオニスさんはどうなさったのですか?」
「あいつは――」
「ひとりで考えごとをしたいそうだ」
 どうも歯切れの悪いラバルトに代わり、ハンスが答えてくれた。
「あら、そうなのですか」
 手間を増やして、仕方のない奴だ。
 台所へ小鍋を取りに行き、食卓の大皿からマモフフを取り分けていれば、レティが横から覗き込んできた。
「イオニスさんに持ってくの?」
「ええ。だから先に食べ始めておいて」
「なら姉さんの分も持っていって、一緒に食べてきたらいいよ!」
「……いいえ。料理を渡したらすぐ帰って来るわ」
「そっかー」
 レティは残念そうな顔をする。
 ひとりで食事するなんてかわいそうと思っているのか。レティは本当にイオニスが好きだなあ。今に兄さんとか呼び始めたりして? もしもそうなったら……羨ましい。俺もできることならレティに兄さんと呼ばれたい。
「レティだってひとりで考えたい時があるでしょう? そっとしておいてあげましょう」
「はぁい……」
 まあそれはそれとして、食事はしっかり摂ってもらう。何を考えたいのかは知らないが、万全の体調で臨んだ方が有益な答えを出せるだろう。少なくとも飢えているよりはマシな考えが浮かぶはずだ。
 厚手のストールをさっと巻き、小鍋を手にいざ出発というところで、ラバルトから呼び止められた。
「あいつのこと頼みます」
 しおらしい言葉と気まずげな顔に首を傾げる。またもや態度を変えてきたが、情緒不安定なのだろうか。
 しかしわざわざ頼まれるほど、あいつは深刻に悩んでいるのか。とはいえそれなら俺に頼むより、ラバルトの方が――、
「あいつ、聖騎士をやめるとか言ってて」
 ……はあ?
 そう訊き返さなかった俺の自制心を誰か褒めてくれ。寝ていたらいきなり顔に水をぶっかけられたかのような衝撃だった。
 だが驚きこそすれ、どうしてとは言うまい。たったひとつだけ、これ以上ないくらいの心当たりがある。俺だ。
「あれ? 忘れ物?」
 小皿にマモフフを取り分けていたレティが、舞い戻った俺を見る。
「少し貸してくれる?」
「これ? いいよー、はい」
 渡されたレードルで、手早く小鍋にマモフフを追加する。ついでに食器ひとり分も。
「やっぱり一緒に食べてくるわね」
「うん! いってらっしゃーい」
 とびきりの笑顔に見送られ、今度こそ礼拝堂へ向かう。
 見上げた黒い夜空ではたくさんの星が瞬き、そして流れていく。今夜もソゥラ様はお忙しそうだ。
 俺は礼拝堂の前で一回深呼吸をしてから、扉をゆっくりと押し開いた。
 
 ――えぇう? 何? 姉さん?
 突然の轟音。今にも出て行ってしまいそうなレティの手を握り、一緒に外へ出る。周囲を見回せば、礼拝堂から白く細い煙が立ち上がっていた。
 礼拝堂にはハンスとイオニス、あとラバルトがいるはず。ハンスハンスと先行しそうになるレティを御しつつ、礼拝堂に駆けつけて話を聞けば、礼拝堂に現れた魔獣をイオニスが聖具で退治した余波とのことだった。
 派手にやったなと思いつつ、魔獣の毒を警戒すれば悪手とは言えない。取り逃がして村人に被害が出ることと比べれば、長椅子と壁が多少焦げたくらいたいしたことではない。その椅子の補充と壁の修繕にしても、ラバルトが纏めて手配してくれて費用も心配いらないと言われたのだからなおさらだ。さらにとりあえずの片付けも男三人で済ませてくれた。
 そうして並べられていた椅子の大半を失い、ずいぶんと殺風景になった礼拝堂内。静寂で包まれた薄暗がりの奥にイオニスがいた。無事だった椅子に腰かけ、こちらに背を向けている。
 もしかしたら寝ているのかと思って静かに歩み寄り、そのままイオニスの前に辿り着いた。
 声をかけていいものか、目を閉じて動かないイオニスの顔を見つめていれば、不意にイオニスの瞼が震えた。
「あの……レジーナ殿」
 目を開けたイオニスが、俺から顔ごと視線を逸らす。
 お互いの息がかかるほど顔を近づけていたことに気付き、俺も恥ずかしくなった。
「もしかして、ずっと起きてらっしゃいました?」
「すみません……どうしてここへ?」
「お食事をお持ちしました」
「……」
「もしかして、もうお召し上がりになりましたか?」
「いえ……」
「では、食欲がありませんか? それともどこか調子の優れないところでも?」
「そういうわけでは……」
 ならばどういうわけだと続きを待つも、イオニスは煮え切らないままだ。
 話が進まない。進めよう。
「つまりまだご夕食をお召し上がりでなく、身体の不調もないわけですね?」
「……はい」
「わかりました。では冷める前にお召し上がりください」
 躊躇せずマモフフを皿に盛る。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
 二人並んで座りマモフフを食べながら、横目でイオニスを窺う。
 イオニスは大粒のクルミほどあるマモフフを一口で含み、しっかり咀嚼し、そして飲み込む。それを黙々と繰り返し、スープまできちんと完食した。
「お茶はいかがですか?」
「いただきます」
 茶を飲んで一息吐くイオニスの横顔を眺める。そういう顔も悪くない。
「……ごちそう様でした。とても美味しかったです」
「……どういたしまして」
「……」
「……」
 ……ずっとこうしているわけにもいかないよな。腹ごしらえも済んだし、本題に入ろう。
 俺は腰を上げ、イオニスの前に立った。
「聖騎士を辞めるおつもりらしいですね」
 いつかのように見下ろしながら切り出せば、イオニスは伏し目のままながら睫毛を揺らした。
「主はあなたを見捨てなかったのに、肝心のあなたが放り出すのですか」
 どうなんだ? 顔を引き締めて問うた俺だったが――、
「……それも考えたのですが」
 イオニスは気まずそうに俺を見るも、またすぐ視線を逸らす。
「やはりあの方を他の聖騎士に押し付けることはできないと、考え直しました」
「何それ……」
 しばし呆然とした。
 望んだ結果なのに釈然としない。
「イオニスさんは本当に勇者様がお好きなのですね」
 こいつはもし結婚できても、奥さんから自分とハンスのどちらが大切なのか詰め寄られるに違いない。そして返答に詰まって逃げられる。間違いない。
「あまり好き嫌いで考えたことはなかったのですが……そうですね、大切な方には違いありません」
「主の選んだ勇者だからですか?」
「否定はいたしません」
 ですが、とイオニスは続ける。
「あの方は他人を世話する以上に、他人から世話されることを厭います。旅の間も、大抵のことはご自身でなされていました」
 確かに。ハンスが家へ出入りするようになってから、俺の自由時間は増えている。
 ハンスが家事をしてくれなかったら、イオニスのことはもっと放置せざるをえなかっただろう。
「求められた役目は果たしてきましたが……もし私がいなくとも、ご自身でどうにかなされたと思います。あの方にとって、他者と関わる煩わしさに勝る働きではなかったでしょう」
 ずいぶんと寂しいことを、よくもそんな穏やかに語るものだ。
「獣道を獣より速く駆けるような方ですから、振り切ろうと思えば容易だったはずです。それでもあの方は、私を置いていくことはしませんでした」
「……欲のない人」
 それだけで、と思わなくもなかった。でも言うまいと飲み込んで、ここへ来る前から決めていたことを口にする。
「私はあなたを赦します」
 イオニスが弾かれたように顔を上げた。
「何、を……」
 大きく見開かれたイオニスの目を見下ろし、再度告げる。
「あの日、あなたが私にしたことを赦すと言いました」
 俺もかつて取り返しのつかない失敗をした。周りから支えられてようやく掴みかけた夢だったのに、軽率な行動で潰してしまった。それでも主に赦され、今ここにいる。そんな俺がこいつを赦さないなんて嘘だろう。
「私は……ッ」
 イオニスは顔を歪め、言葉を詰まらせる。
 少し迷って……俺はイオニスを抱き寄せた。息を飲む気配はあったが、抵抗はないのでさらにぎゅっとする。ぬくい。
「大丈夫です、赦します」
 そのまま大丈夫、大丈夫と言い聞かせていれば、
「レジーナ殿……ッ」
 とうとうイオニスが抱き締め返してきた。そしてついに漏れ始める、押し殺した嗚咽。
 うん、それでいい。
「大丈夫ですよ、イオニスさん」
 欲を言えば、もっと思い切り泣いて欲しいが。
 とりあえず、今はこれで――。

「……」
「……落ち着きましたか?」
「……はい」
 少し掠れた声が、顔の横ではなく頭の上から聞こえる。
「これは……」
 ようやく気付いたか。俺がお前の膝に向かい合って跨るという、もし誰かから目撃されれば言い訳の難しい状況に。お前がぐいぐい引っ張ったせいだぞ。
「……すみません」
 潤んだ目で恥らうイオニスの破壊力よ。密着度の高さも相まってそろそろ限界だ。ぬくいを通り越して熱い。
「いえ……」
 腕を外されたので、俺はイオニスの膝から降りて身体を離した。イオニスのぬくもりに馴染んだせいか肌寒さを覚える。特に太ももを挟んでいた股なんて感触的にも寂し――、
「~~ッ」
 なんか猛烈に恥ずかしいぞどうしてくれる責任を取れなんとか言え。
 苦し紛れに心の中で悪態を吐いていれば、
「――レジーナ殿」
 イオニスが片膝をついて、俺の左手を取った。
「これから先、私にはあなただけです」
 俺を真っ直ぐ見上げる真剣な顔に思わず見惚れていれば、
「主に誓います」
 イオニスは静かに宣言し、小指に唇を当ててきた。
 あわわわわわわわわ、イオニスの唇柔らかい! ふにって、ふにって!?
 動揺する俺だったが、驚くべき事態はそれだけに止まらなかった。イオニスが口付けた部分、小指の根元が白い輝きに包まれる。柔らかい光がほのかな温かさを残して消えた後には、指の根元をぐるっと覆うように白い模様が残されていた。
「……なんですか、これ」
 触れても、いつもと変わらない肌の感触がするだけだ。
「それはあなたへの加護の願いを、主がお認めくださった験です。私達は誓いの環と呼んでいます」
 初めて聞いた。たぶん俺が死んだ後に創られた聖則だろう。
「本来は婚姻の誓いとともに願うものですが……どうか、受け取っていただきたい」
「そ、そうなのですか……」
 いきなりそんな……先走るにもほどがあるだろう。でも――、
「仕方ないですね。受け取ってあげます」
「……ありがとうございます」
 噛み締めるような言葉とともに、イオニスは両手で俺の左手を包むと自分の額に押し当てた。
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