一心君は、人狼です!

清澄 セイ

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第二章「たくさん雨が降る日の、出会い」

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 従業員用の休憩室で、一心君はパイプ椅子に座り頭からタオルを被っている。要らないと言ったのを、お母さんが無理やり渡したのだ。

 彼のことがどうしても気になって、わたしも部屋には戻らなかった。

 彼と同じように頭に被ったタオルの隙間から、ちらりと一心君に視線を向ける。こちらを見ることもなく、長いまつ毛を伏せたまま黙っていた。

「大丈夫?親御さんに迎えにきてもらいましょうか」

 お母さんが、柔らかな口調で一心君に問いかける。彼は小さく首を横に振って、おもむろにズボンのポケットに手を突っ込んだ。

 何かを握ったまま、お母さんに向かって拳を突き出す。

「なに、これ?メモ…?」

 濡れたせいなのか、握ったせいなのか、それはクシャクシャに丸まっていた。お母さんはその紙を広げて、視線で文字を追う仕草をしている。

 読み終えた瞬間、絶句したように口元を手で覆った。

「あなた、あの一心君なの…?」

 彼は、なにも答えないままだった。

 お母さんは複雑な表情で一心君を見つめた後、その紙を丁寧に折ってエプロンのポケットにしまう。そしてニコッと柔らかく微笑んだ。

「とにかく着替えた方がいいわね。日向、一心君のこと二階に案内してあげて?新しいタオルと、お父さんの部屋着も」
「…俺はそんなものいらない」
「いいから、今はちょっと落ち着きましょう。日向、お願いね?」

 お母さんの言葉に、わたしは頷く。本当はまだ「覚えていない」と言われたことで、胸がズキズキと痛んでいる。

 それに目の前の男の子には、わたしが知っている一心君の面影はどこにも残っていなかった。

 だけど確かにお母さんの言う通り、このままだと風邪をひいてしまう。

「行こう、一心君」

 立ち上がって、彼の名前を呼ぶ。向けられた視線はやっぱり冷たくて、また胸の奥がギュッと苦しくなった。

「これがタオルで、これが着替え。シャワーも自由に使っていいから」

 二階の居住スペースに上がり、一心君を脱衣所へ案内した。彼は終始無言のまま、目を合わせようともしない。悲しい気持ちになりながら、ジャマにならないようわたしは静かにそこから出た。

 しばらくして、一心君がリビングにやってくる。シャンプーの香りがフワッと漂ってきて、思わずドキッとした。

「お母さんが下から持ってきてくれたんだ。わたしも夕飯まだだから、一緒に食べよう」

 テーブルには、オムライスが二つ置かれている。赤いケチャップと黄色い卵が、キラキラと輝いていた。

 お父さんがわたし達の為に急いで作ってくれたんだろう。まだほかほかと湯気が立っている。

「いらない」
「食べようよ。一心君、お父さんのオムライス大好きだったでしょ?」
「知らない」

 ふいっとそっぽを向いてしまった。わたしは困って、とりあえず自分だけ席に着く。

「ねぇ、ご飯まだなんだよね?あったかいうちに食べようよ」
「要らないって言ってるだろ」
「じゃあわたしだけ食べちゃうからね」

 頑固な彼に少しムッとして、わたしはスプーンを持つ。軽く卵をつつくと、ふるっとおいしそうに揺れた。

「いただきます」

 いつもより大きな口を開けて、すくったそれをぱくんと頬張る。しっかりと味がついたケチャップライスに、ほんのり甘い卵が絡む。

「んー、やっぱりおいしい」

 小さい頃からもう数え切れないくらい食べているのに、飽きることがない。口に入れた瞬間毎回感動しちゃうくらい、わたしはこのオムライスが好きだ。

 オムライスって簡単そうに見えて、意外と奥が深い。もう数え切れないほど練習しているのに、未だにお父さんみたいに作れたことは一度もないんだよな。

「こんなにおいしいオムライス、食べないと損だよね」

 チラッ

「あったかいうちに食べないなんてもったいないなぁ」

 チラッ

「……」

 今日は特に大げさに感想を口にしながらチラチラと一心君に視線を向ければ、彼の黒い瞳はテーブルの上のオムライスに釘付けになっていた。

 なんだ。やっぱり食べたいのを我慢してるんだ。

「一心君も食べようよ」
「だからいらないって…」
「わたしが一緒に食べたいだけだから。ほら、座って座って」

 立ち上がって椅子を引くと、彼はしぶしぶと言った様子でそこに腰掛けた。

「じゃあ改めて、いただきます」
「……」

 一心君は無言で手を合わせ、スプーンですくったオムライスをひと口頬張る。

 そしてすぐに、瞳がこぼれ落ちそうなくらいに目を見開いた。

「おいしいでしょ?お父さんのオムライス」

 正面の一心君を見つめてニコニコしながら、そう問いかける。彼は答えることなく、一心不乱にオムライスを食べ続けていた。

 瞳がキラキラ輝いているのを、隠しきれていない。

 ーーぼく、このオムライスが世界で一番好き!

 ふと、あの頃の彼の笑顔が頭に浮かんだ。

「ふふっ」
「…なんで笑うんだ」

 つい頬を緩めてしまったわたしのことを、一心君がジロリと睨む。

 彼のお皿のオムライスは、もう半分に減っていた。

「一心君は昔から、これが好きだったなって思って」
「….…」

 カチャン

 彼がスプーンを置く音が、やけに響く。

「俺には、昔のキオクがない」

 伏せられた瞳は、ひどく悲しそうだった。

「キオクがない…?どうしてそんな」
「お前には関係ない」

 ピシャリと、拒絶を示される。

「俺は人間が嫌いだ。本当はここにも、くるつもりはなかった」
「い、一心く…」
「もう関わるな」

 冷たい声でそう言って立ち上がると、一心君はどこかへ行ってしまう。

 残されたオムライスを見て、泣いてしまいそうになるのを必死に堪えた。

「キャンキャン!」

 ココアはとても良い子で、わたし達が食事をしている間はいつも大人しくしている。だけど今日は、わたしの足元にスリスリと寄ってきた。

「…ココアは優しいね」
「クゥン」

 小さな体をそっと抱き上げて、頭を撫でる。そのあったかさを感じながら、わたしは残ったオムライスをしばらくのあいだ見つめていた。
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