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第一話 花嫁のいない結婚パレード
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一
大勢の民衆が集まり、今か今かとその時を待っていた。彼等は花びらが入った籠を手にし、大通りの端に綺麗に並んで立っている。俺は双眼鏡を片手に、その様子を建物のバルコニーからジッと眺めていた。まだ大人の背丈の半分にも届かぬ幼い少女が、母親と手を繋ぎながら「パレードはまだなの?」と舌足らずに尋ねているのを俺の耳がはっきりと捉える。別の場所では大通りに面したある建物の中から、耳の遠い老婆が杖を突きながらゆっくりと外へ出て、周りの様子に仰天していた。彼女は適当な男の服の袖を引く。
「何だい、騒がしいねぇ。お前さん、こりゃ一体何事かい」
老婆の問いに、袖を引かれた男は快活に笑う。
「おや、知らないんですか? もう随分と前から話題になっていたでしょうに」
――今からね、ホルスト卿の結婚パレードがあるんですよ。
俺はその言葉を聞き、双眼鏡を下ろして、その場を後にした。あの男の言う通り、そろそろ待ちに待ったお楽しみの時間なのだ。煌びやかな宝石達で飾り立てられた白の衣装を整え、建物のそばに停車していた屋根なしの高級車に乗り込む。俺が席に腰かけたのを確認した運転手が嫌そうな顔をしつつ、エンジンをかけた。ブルルと音を鳴らしながら、人が歩く程の速さで車が走り始める。俺は化粧が崩れないように気をつけながら、軽く頬を叩いた。
さぁ、刮目せよ、無知で愚鈍な民衆達よ。ついに、俺の華々しい晴れ舞台の始まりだ。
俺を乗せた車が大通りに出た瞬間、その場はどよめいた。ある者が籠を落とし、道に色とりどりの花びらが撒き散らされる。その様が異様に滑稽だ。俺は内心笑いながらも表情を取り繕い、静かに目を伏せてみせる。
誰かが茫然と口を開いた。
「何故、結婚パレードだというのに花嫁が車に乗っていないんだ」
俺は一人、己の感情を遮断するように、車の上で目を閉じた。
*
『かの有名な御仁がついに結婚なさるらしいぞ。……おやまぁ、そいつはめでたいねぇ。ところでその御仁って一体誰なんだい。……お前だって知ってるお人だよ。ほら、ホルスト卿だ。……ホルスト卿? おや、ホルスト卿っていったら、慈善活動に熱心なあの素晴らしい御仁じゃないの。こりゃあめでたいねぇ、めでたいねぇ。ついにご結婚なさるのね。……それでね、一週間後にパレードをやるらしいんだ。花嫁さんと二人で車に乗って大通りを走って、花嫁さんをお披露目なさるらしいよ。最後は俺達一般庶民向けに小さな披露宴もやってくださるらしい。……そりゃあすごいねぇ。こりゃあ、絶対見に行かなくっちゃいけないね』
このように一週間以上前から大々的に宣伝されていた結婚パレード。ホルスト卿といえば慈善家として民衆に親しまれていたものだから、このパレードの開催は直ちに大勢の民衆の間に広まったのである。その速さはアッと驚くものであった。そして噂を聞いた誰もが結婚を祝うために、祝福の花びらを持参して見物に集まったのである。おかげでパレードの車が通ると噂になっていた大通りの両端には驚く程の人数が集まっており、その極度の人口密度に、俺は彼等が立っている地面が悲鳴を上げているように見えてしまった。俺はそれを憐れむ。あぁ、可哀そうに、多くの人間に踏みつけにされた道端よ、そしてコンクリートの間から健気に生えたというのに踏みにじられた雑草よ。こうして尊厳を蹴散らかされ、あろうことか足蹴にされるとは。俺は特別に誂えさせた最高級の車の上から一人、密集した人々の足元を飽き飽きと見つめ続けた。顔を伏せる俺の目には皆の顔などどうやっても映りはしない。しかし、俺の耳は勝手に民衆の動揺を飽き足らず捉え続けるため、現状の把握に苦労することはなかった。
「何故、ホルスト卿お一人しか車に乗っていないのだ」「花嫁は何処へ?」「これは何かの余興なのか」「それとも何かの間違いでもあったのか」「いやいや、あれ程大々的に宣伝された結婚パレードなのだから、そのような明らかな不備がある訳がない」「しかし、それならば何故、ホルスト卿はあのように俯いておられるのだ」「これは一体どういうことなのか」「何故、ホルスト卿はたったお一人で結婚パレードを開催なさったのだろうか」
人々は動揺し、あまりの不可解さにそれぞれが顔を見合わせていることであろう。俺がそう判断したのは、道路に映る彼等の影が右へ左へと揺らめいているからだ。そこから如何様にも読み取れる彼等の感情。俺はそれを明確に理解しつつ、顔を上げずに唇を噛み締めた。俺の横には誰もいない。純白のドレスに身を纏った花嫁姿の女性はおろか、哀れにも体を縮こまらせた運転手以外の誰一人も、この車の上にはいないのである。ただ花婿の衣装を身に纏った俺が一人で車に揺られているだけだ。排気ガスを空気に提供しながら車輪はのんびりと回り続け、俺の孤独な姿は道の端一杯に並んだ民衆の目にマザマザと焼き付けられていることであろう。俺は誰も伴わずにパレードの終着点へと進むのだ。誰もが花びらを振り撒くのを忘れたまま、花嫁のいない結婚パレードは続く。
大勢の民衆が集まり、今か今かとその時を待っていた。彼等は花びらが入った籠を手にし、大通りの端に綺麗に並んで立っている。俺は双眼鏡を片手に、その様子を建物のバルコニーからジッと眺めていた。まだ大人の背丈の半分にも届かぬ幼い少女が、母親と手を繋ぎながら「パレードはまだなの?」と舌足らずに尋ねているのを俺の耳がはっきりと捉える。別の場所では大通りに面したある建物の中から、耳の遠い老婆が杖を突きながらゆっくりと外へ出て、周りの様子に仰天していた。彼女は適当な男の服の袖を引く。
「何だい、騒がしいねぇ。お前さん、こりゃ一体何事かい」
老婆の問いに、袖を引かれた男は快活に笑う。
「おや、知らないんですか? もう随分と前から話題になっていたでしょうに」
――今からね、ホルスト卿の結婚パレードがあるんですよ。
俺はその言葉を聞き、双眼鏡を下ろして、その場を後にした。あの男の言う通り、そろそろ待ちに待ったお楽しみの時間なのだ。煌びやかな宝石達で飾り立てられた白の衣装を整え、建物のそばに停車していた屋根なしの高級車に乗り込む。俺が席に腰かけたのを確認した運転手が嫌そうな顔をしつつ、エンジンをかけた。ブルルと音を鳴らしながら、人が歩く程の速さで車が走り始める。俺は化粧が崩れないように気をつけながら、軽く頬を叩いた。
さぁ、刮目せよ、無知で愚鈍な民衆達よ。ついに、俺の華々しい晴れ舞台の始まりだ。
俺を乗せた車が大通りに出た瞬間、その場はどよめいた。ある者が籠を落とし、道に色とりどりの花びらが撒き散らされる。その様が異様に滑稽だ。俺は内心笑いながらも表情を取り繕い、静かに目を伏せてみせる。
誰かが茫然と口を開いた。
「何故、結婚パレードだというのに花嫁が車に乗っていないんだ」
俺は一人、己の感情を遮断するように、車の上で目を閉じた。
*
『かの有名な御仁がついに結婚なさるらしいぞ。……おやまぁ、そいつはめでたいねぇ。ところでその御仁って一体誰なんだい。……お前だって知ってるお人だよ。ほら、ホルスト卿だ。……ホルスト卿? おや、ホルスト卿っていったら、慈善活動に熱心なあの素晴らしい御仁じゃないの。こりゃあめでたいねぇ、めでたいねぇ。ついにご結婚なさるのね。……それでね、一週間後にパレードをやるらしいんだ。花嫁さんと二人で車に乗って大通りを走って、花嫁さんをお披露目なさるらしいよ。最後は俺達一般庶民向けに小さな披露宴もやってくださるらしい。……そりゃあすごいねぇ。こりゃあ、絶対見に行かなくっちゃいけないね』
このように一週間以上前から大々的に宣伝されていた結婚パレード。ホルスト卿といえば慈善家として民衆に親しまれていたものだから、このパレードの開催は直ちに大勢の民衆の間に広まったのである。その速さはアッと驚くものであった。そして噂を聞いた誰もが結婚を祝うために、祝福の花びらを持参して見物に集まったのである。おかげでパレードの車が通ると噂になっていた大通りの両端には驚く程の人数が集まっており、その極度の人口密度に、俺は彼等が立っている地面が悲鳴を上げているように見えてしまった。俺はそれを憐れむ。あぁ、可哀そうに、多くの人間に踏みつけにされた道端よ、そしてコンクリートの間から健気に生えたというのに踏みにじられた雑草よ。こうして尊厳を蹴散らかされ、あろうことか足蹴にされるとは。俺は特別に誂えさせた最高級の車の上から一人、密集した人々の足元を飽き飽きと見つめ続けた。顔を伏せる俺の目には皆の顔などどうやっても映りはしない。しかし、俺の耳は勝手に民衆の動揺を飽き足らず捉え続けるため、現状の把握に苦労することはなかった。
「何故、ホルスト卿お一人しか車に乗っていないのだ」「花嫁は何処へ?」「これは何かの余興なのか」「それとも何かの間違いでもあったのか」「いやいや、あれ程大々的に宣伝された結婚パレードなのだから、そのような明らかな不備がある訳がない」「しかし、それならば何故、ホルスト卿はあのように俯いておられるのだ」「これは一体どういうことなのか」「何故、ホルスト卿はたったお一人で結婚パレードを開催なさったのだろうか」
人々は動揺し、あまりの不可解さにそれぞれが顔を見合わせていることであろう。俺がそう判断したのは、道路に映る彼等の影が右へ左へと揺らめいているからだ。そこから如何様にも読み取れる彼等の感情。俺はそれを明確に理解しつつ、顔を上げずに唇を噛み締めた。俺の横には誰もいない。純白のドレスに身を纏った花嫁姿の女性はおろか、哀れにも体を縮こまらせた運転手以外の誰一人も、この車の上にはいないのである。ただ花婿の衣装を身に纏った俺が一人で車に揺られているだけだ。排気ガスを空気に提供しながら車輪はのんびりと回り続け、俺の孤独な姿は道の端一杯に並んだ民衆の目にマザマザと焼き付けられていることであろう。俺は誰も伴わずにパレードの終着点へと進むのだ。誰もが花びらを振り撒くのを忘れたまま、花嫁のいない結婚パレードは続く。
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