憎欲

水瀬白龍

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第八話 一人の男

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 その数日後、とある邸宅にて俺ともう一人の男が寛いでいた。

「色恋というものは低俗なものと思われているがね」

 俺の前で、彼はゆっくりと新聞を捲っている。俺は彼から贈られたブランデーを楽しみながら、彼の言葉に耳を傾けた。

「その本質にあるのは性欲だ。一般に人間の三大欲求と呼ばれるものの一つを担う重要な本能だよ。故に、人がそれに興味を示すのは当然と言える。色恋を題材とした演劇のなんと多いことか。集客力があると言えば分かりやすいかもしれないね。そして子孫を残すという本能に従った結果、理性的な文明を構築したはずの人間の間にも、性欲を満たす手段として色恋というものが大いに溢れている。そして物事が身近な物であればある程、それを見ている者は感情移入がしやすくなり、共感しやすくなる。その考えが此度の件の根底にあった訳だ。分かりやすくするために演劇を例としようか。つまり難解なものを題材とするよりも、平易なものを選んだ方が観客の興奮は増し、同じ演劇を楽しむ別の観客達と感情を共有しやすくなるということだよ。要するに、集客力と扇動のしやすさにおいて色恋とは扱いやすい題材と言えるんじゃないかな。例えば被害者や当事者でない限り、小難しい罪状をあれこれと並べることよりも、女に見捨てられた哀れな男という方が遥かに人々の印象に残りやすく広まりやすいとかね。ほら、強姦の罪や他のあれこれの罪状と違って、これは子供ですら楽しめる内容だろう? これも此度の件に組み入れた仕掛けの一つだよ」
「成程。つまり一般民衆は学がない故、この見世物の開幕として花嫁のいないパレードという催しを選ぶことが効果的であったという訳ですね」

 俺が彼の話に対する感想を率直に述べれば、彼は新聞から顔を上げてクスリと笑った。

「相変わらず君は彼等が大嫌いな様だね」
「えぇ、貴方もそれは良くご存じでしょう、ホルスト卿」

 俺がそう言葉を返せば、大勢の民衆からは蛇蝎の如く嫌われ、一部の人間からは自殺したと思われている男は、どこか楽しそうに目を細めた。
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