スタートボタン

水瀬白龍

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最終話 スタートボタン

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『ただの人形如きと過ごした思い出の方が大切だなんて、貴方はそんな酷い人じゃなかった! 貴方は私の知っている修二さんじゃないわ!』
「君の方こそ、先ほどから訳の分からないことばかり喚きたてている。変わってしまったのは君じゃないか!」

 先程から美里は「私らしからぬ」だの「変わってしまった」だの酷い言い様だ。まるで私が別人になったとでも言いたげであるが、若かりし頃の私と今の私は同一人物ではないのか。多少性格は変わったかもしれないが、それでも年齢だけでは私の本質――根の部分は変わらない。
 ならば、美里は何をもって私を私だと定義しているのだ。三十年間の記憶の有無が、私が私である同一性を揺らがせるということか。持ち得ている記憶が当時と今で異なる私は、同一の人間であると言えないのか。
 私には最早、何も分からなかった。ただ、彼女は私を責め続ける。

『要するに、貴方はもう私のことなんて大切じゃないってことでしょう!』

 スピーカーが空気を大仰に揺らして音を出す。

『私の体がこんな風になったから? あぁ分かった。私が料理をしなくなったからでしょう! なんでも調理してしまう電子レンジが出来たから、私はもうお役御免ってことね!』
「君は何を言って――」
『あぁ、そういうこと! それなら、あんなアンドロイド如きに現を抜かす理由が分かるわ! 電子レンジがある以上、私はもう用なしだものね! 貴方に都合のいいことしか言わない意思のないロボットの方が、それは遊んでいて楽しいでしょうよ。えぇ、そうじゃなくちゃ、私が玩具の人形に負けるなんてありえないもの! そう、全部あの電子レンジが悪いんだわ。私の居場所を奪ったのだから!』

 彼女はまるで笑うように叫び続ける。

『そうだ、貴方、私の代わりに電子レンジと結婚すれば? だって、私の代わりに料理を作ってくれるんでしょう? それで、貴方の大好きなロボットと楽しく暮らせばいいのよ。あぁ、貴方がそんな最低な人だとは思わなかったわ。あんな玩具に執着して――』

 これ以上は耐えられなかった。
 私は目の前にある箱を蹴飛ばしていた。『きゃあ!』という女の悲鳴と共に、ザーと言う雑音がスピーカーから漏れ出る。私は気にせず、近くの椅子を振り上げてスピーカー部分を殴りつけた。
 何度、椅子を箱にぶつけただろうか。私の肩が激しく上下する頃には、その箱はジージーというノイズ以外の何の音もたてなくなっていた。あぁ、これで静かになった。
 私は時間を掛けて呼吸を落ち着かせてから、工具箱を取ってきて箱の解体を始める。葉山から聞いて、この機械の構造は熟知していた。
 気づいたら、夜が明けていた。天井窓から差し込む朝日が照らすのは、箱の中に収められた、何本もの管が突き刺さる人間の脳であった。私はそれを鷲掴む。
 血と名の知らぬ液体がボタボタと私の手を伝うが、気にせずにその脳を運んだ。
 私は無言でそれを電子レンジに入れる。パタリと蓋を閉めれば、無理矢理管を引き千切ったせいで崩れた脳が、ベシャリと電子レンジの中に納まっている光景が見えて、私はそれを滑稽に思う。

「君は電子レンジと喚いてばかりだ……そんなに電子レンジが好きなのならば、君のいるべき場所は私の隣ではなく、ここなんじゃないかな」

 私はそう呟いて、ゆっくりと指を伸ばす。

 そして、私はスタートボタンを押した。

 *

 記憶の有無が人の同一性を決定づけるのならば、私にとっての「秋月美里」は、私と同じ日々を過ごした記憶を持つ存在ではないだろうか。
 カプセルの中で眠る彼女をベッドまで運び、胸元に掛けた小さなカードを彼女の額に当てる。すると、彼女の口が急にパカリと開かれ、そこから私の知る彼女の声とは似て非なる機械音声が滑らかに流れ出た。

『アンドロイド【美里】を起動しますか』

 答えはもう、決まっている。

 *

 ゆっくりと目を開けた彼女に、私は微笑みかけた。

「おはよう、美里」
「……あら、おはよう、貴方」

 ゆっくりと体を起こした美里は不思議そうに辺りを見回す。
 暫くしてから、彼女は私に向かって口を開いた。

「貴方、今はハンバーグが食べたい気分だわ」
「そうかい」
「だから昨日あなたが言った通り、今朝はハンバーグ弁当を電子レンジで温めようと思うの」

 彼女の言葉に、私は苦笑した。

「すまないね。電子レンジは今、使えないんだ」

 (終)
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