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早春
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暦はとうに春なのだが、三月の風はまだ冷たい。日は照っているものの、時々手を擦り合わせながら、真由子は庭の掃除をした。真由子はもうすぐ二十七になる。
いまどき都心に庭付きの家がある、と言えば金持ちのように思われそうだが、真由子の亡くなった父、水上実之が、たまたまそこに親の代から住んでいただけのことで、水上家は金持ちでも何でもない。
地価がいくらになろうが、真由子や母の雪江の生活には、さしあたって大きな影響をもたらさなかった。よく知らない人々から折に触れ、バブルの時に売れば良かっただの、バブルがはじけて売り損ねただのと言われても、真由子にしろ、母の雪江にしろ、一向にこたえず、どこか他人事のように聞いてしまうのが常だった。変わった母娘だと思われているかもしれない。もし真由子自身、自分の家について何か聞かれたとしても、思っていることはせいぜい、この家は古い家だ、ということぐらいしか答えられない。実際、建物の大半は、昭和四十年代に建てられたらしい。
「真由子、こちらに来てお茶にしましょう」
縁側の廊下に面したガラス戸を開けて、母の雪江が声をかけた。
「あと少しで終わるから、もう少しだけ待っててね」
真由子は雪江に向かって手を振った。
庭掃除は小さな頃からの真由子の仕事だった。真由子は手際よく庭箒で落葉を集めると、ちり取りに落葉を入れていった。そしてごみ箱に落ち葉を捨てると、庭箒とちり取りをもとの場所へと戻した。
縁側では雪江が、真由子の来るのを待っている。
真由子は足早に縁側の方に走って行き、三和土の上に庭下駄を脱ぐと、そのまま縁側に用意された座布団に座った。
雪江の運んできた漆塗りのお盆には、お茶と羊羹が二人分置いてある。真由子は口元をほころばせた。
「羊羹って子供の時は、どこがおいしいのかちっともわからなかったけど、大人になってから熱いお茶を飲みながら食べると、ほんとにおいしいわ。これでお茶が玉露だったら、もっとおいしいのに」
真由子が黒文字で羊羹を切りながらそう言うと
「玉露はお客様用よ。かりがねだって十分おいしいじゃないの」と雪江はわらった。
雪江は夫の実之が主催する、短歌の結社「秋濤」の手伝いをしていた。手伝いといっても、雪江自身は歌を作るわけではなく、毎月届く「秋濤」の会員の原稿を整理したり、歌会の場を整えたり、お茶やお菓子を出したりするぐらいだった。実之が自宅で長く続けていた歌会なので、実之亡き今も月に一度、歌会は開かれている。駅からも近く、便利なことが歌会の続けられる理由だろうが、雪江のさりげないもてなしも、一役かっていると真由子は思う。
羊羹は、仏壇にも同じものが供えられている。実之は私立大学の文学部の教授で日本文学を専門にしていた。大学から自宅に戻ると、すぐに着物に着替えるような古風な男だったが、甘いもの、特に羊羹には目がなかった。そんな父を思い出し、真由子はくすりとわらった。
いまどき都心に庭付きの家がある、と言えば金持ちのように思われそうだが、真由子の亡くなった父、水上実之が、たまたまそこに親の代から住んでいただけのことで、水上家は金持ちでも何でもない。
地価がいくらになろうが、真由子や母の雪江の生活には、さしあたって大きな影響をもたらさなかった。よく知らない人々から折に触れ、バブルの時に売れば良かっただの、バブルがはじけて売り損ねただのと言われても、真由子にしろ、母の雪江にしろ、一向にこたえず、どこか他人事のように聞いてしまうのが常だった。変わった母娘だと思われているかもしれない。もし真由子自身、自分の家について何か聞かれたとしても、思っていることはせいぜい、この家は古い家だ、ということぐらいしか答えられない。実際、建物の大半は、昭和四十年代に建てられたらしい。
「真由子、こちらに来てお茶にしましょう」
縁側の廊下に面したガラス戸を開けて、母の雪江が声をかけた。
「あと少しで終わるから、もう少しだけ待っててね」
真由子は雪江に向かって手を振った。
庭掃除は小さな頃からの真由子の仕事だった。真由子は手際よく庭箒で落葉を集めると、ちり取りに落葉を入れていった。そしてごみ箱に落ち葉を捨てると、庭箒とちり取りをもとの場所へと戻した。
縁側では雪江が、真由子の来るのを待っている。
真由子は足早に縁側の方に走って行き、三和土の上に庭下駄を脱ぐと、そのまま縁側に用意された座布団に座った。
雪江の運んできた漆塗りのお盆には、お茶と羊羹が二人分置いてある。真由子は口元をほころばせた。
「羊羹って子供の時は、どこがおいしいのかちっともわからなかったけど、大人になってから熱いお茶を飲みながら食べると、ほんとにおいしいわ。これでお茶が玉露だったら、もっとおいしいのに」
真由子が黒文字で羊羹を切りながらそう言うと
「玉露はお客様用よ。かりがねだって十分おいしいじゃないの」と雪江はわらった。
雪江は夫の実之が主催する、短歌の結社「秋濤」の手伝いをしていた。手伝いといっても、雪江自身は歌を作るわけではなく、毎月届く「秋濤」の会員の原稿を整理したり、歌会の場を整えたり、お茶やお菓子を出したりするぐらいだった。実之が自宅で長く続けていた歌会なので、実之亡き今も月に一度、歌会は開かれている。駅からも近く、便利なことが歌会の続けられる理由だろうが、雪江のさりげないもてなしも、一役かっていると真由子は思う。
羊羹は、仏壇にも同じものが供えられている。実之は私立大学の文学部の教授で日本文学を専門にしていた。大学から自宅に戻ると、すぐに着物に着替えるような古風な男だったが、甘いもの、特に羊羹には目がなかった。そんな父を思い出し、真由子はくすりとわらった。
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