1 / 2
第1話 白梅
しおりを挟む
自宅から駅まで向かう道の途中で、ふわりといい香りが流れてきた。そうだわ、この時期、そろそろ梅が咲く。瑠璃子は足を止めた。見上げると梅のつぼみがふくらんでいた。咲くのは紅梅でなく、香りの強い白梅のようだった。春は近い、と思うと自然と瑠璃子の白い頬にえくぼが浮かんだ。やはり早春というのは人の心を浮き立たせる。何かいいことが、あるかも……。
しかし、そんな瑠璃子のえくぼも、しばらくすると消えてしまった。
瑠璃子は今日から、お茶の稽古に通わされることになっているからだ。昔風の考えの祖母の文代と暮らしている瑠璃子は、だいぶ前から文代からお茶とお花のお稽古に通うように言われていた。そのたび瑠璃子は文代に「もうすぐ塾のテストだわ」とか「合唱部の練習で忙しくて」と、受験だのクラブだのにかこつけて、断ってきた。
しかし瑠璃子はいまは大学一年生、十九歳である。受験も終わり、大学生活も慣れてくると、だんだんと断る理由も乏しくなり、また文代の目も厳しくなってきた。それになんと言っても文代は、父母に代わって瑠璃子を育ててくれた人なのである。瑠璃子はどうしても、文代には頭が上がらない。
瑠璃子の母の泰子は、瑠璃子が七つの時に亡くなった。父の総一郎は仕事で海外を飛び回っており、とても瑠璃子の世話はできなかったので、瑠璃子は泰子の母である文代の手で育てられた。瑠璃子は白梅をふたたび見上げると、ちいさなため息をついた。「仕方ないよね」と、つぶやくと瑠璃子は文代から渡された和菓子の入った包みを持ち直して、駅に向かって歩き出した。
「へぇ、で、どうだったの? そのお茶の稽古ってのは」
恋人の藤島正巳は面白そうに聞いた。
「どうだったも、何もないわ。足がしびれて倒れちゃったの。それもお稽古しているみんなの前でよ。あんなに足がしびれたのは生まれて初めてよ。帛紗捌きも全然うまくできないし、散々だったわ」
瑠璃子は口をとがらした。
「フクササバキって何それ? 何か裁くの?」
法学部生の正巳は帛紗捌きを「裁き」と思っているようだった。
「あのね帛紗捌きってのはねぇ、裁判とかお白州裁きなんかと違うわ。こうやって帛紗っていう言う赤い布を持ってね……」
瑠璃子は澄ました顔をして、うろ覚えの帛紗捌きの真似をした。どうせ間違えたところで、正巳にはわかるまい。
「ふーん。茶道って何がありがたいのかなぁ。茶碗に抹茶を入れて泡だて器でかき混ぜるか、シェーカーを使えば終わりなのに、何でいちいち帛紗捌きやら、茶筌やら茶杓やらを持ち出して、そう物々しくやるのかな」
「知らないわよ、そんなの。でも茶道って武野紹鴎とか千利休とか、もともとは男が始めたんじゃなかったっけ? 物々しいのは男文化の特徴なんじゃないの? 昔から徒党を組んだり、刀を振り回したり、戦争したりするのは男ばっかりよ」
「おっと、話がとんでもない方に飛び火しそうだ」
正巳は苦わらいした。
しかし、そんな瑠璃子のえくぼも、しばらくすると消えてしまった。
瑠璃子は今日から、お茶の稽古に通わされることになっているからだ。昔風の考えの祖母の文代と暮らしている瑠璃子は、だいぶ前から文代からお茶とお花のお稽古に通うように言われていた。そのたび瑠璃子は文代に「もうすぐ塾のテストだわ」とか「合唱部の練習で忙しくて」と、受験だのクラブだのにかこつけて、断ってきた。
しかし瑠璃子はいまは大学一年生、十九歳である。受験も終わり、大学生活も慣れてくると、だんだんと断る理由も乏しくなり、また文代の目も厳しくなってきた。それになんと言っても文代は、父母に代わって瑠璃子を育ててくれた人なのである。瑠璃子はどうしても、文代には頭が上がらない。
瑠璃子の母の泰子は、瑠璃子が七つの時に亡くなった。父の総一郎は仕事で海外を飛び回っており、とても瑠璃子の世話はできなかったので、瑠璃子は泰子の母である文代の手で育てられた。瑠璃子は白梅をふたたび見上げると、ちいさなため息をついた。「仕方ないよね」と、つぶやくと瑠璃子は文代から渡された和菓子の入った包みを持ち直して、駅に向かって歩き出した。
「へぇ、で、どうだったの? そのお茶の稽古ってのは」
恋人の藤島正巳は面白そうに聞いた。
「どうだったも、何もないわ。足がしびれて倒れちゃったの。それもお稽古しているみんなの前でよ。あんなに足がしびれたのは生まれて初めてよ。帛紗捌きも全然うまくできないし、散々だったわ」
瑠璃子は口をとがらした。
「フクササバキって何それ? 何か裁くの?」
法学部生の正巳は帛紗捌きを「裁き」と思っているようだった。
「あのね帛紗捌きってのはねぇ、裁判とかお白州裁きなんかと違うわ。こうやって帛紗っていう言う赤い布を持ってね……」
瑠璃子は澄ました顔をして、うろ覚えの帛紗捌きの真似をした。どうせ間違えたところで、正巳にはわかるまい。
「ふーん。茶道って何がありがたいのかなぁ。茶碗に抹茶を入れて泡だて器でかき混ぜるか、シェーカーを使えば終わりなのに、何でいちいち帛紗捌きやら、茶筌やら茶杓やらを持ち出して、そう物々しくやるのかな」
「知らないわよ、そんなの。でも茶道って武野紹鴎とか千利休とか、もともとは男が始めたんじゃなかったっけ? 物々しいのは男文化の特徴なんじゃないの? 昔から徒党を組んだり、刀を振り回したり、戦争したりするのは男ばっかりよ」
「おっと、話がとんでもない方に飛び火しそうだ」
正巳は苦わらいした。
0
あなたにおすすめの小説
隣の夫婦 ~離婚する、離婚しない、身近な夫婦の話
紫さゆり
恋愛
オムニバス形式です。
理解し合って結婚したはずの梓、同級生との再会が思わぬことになる雅美、年下の夫のかつての妻に引け目を感じる千晴、昔の恋の後悔から前向きになれない志織。
大人の女性のストーリーです。
白椿の咲く日~ひそかな恋、遠い日の思いは
紫さゆり
恋愛
結婚を控えた真由子は、久しぶりに異母姉の稚子(わかこ)と会う。
真由子の母の雪江は、大学教授であり著名な歌人の水上実之(みなかみさねゆき)の後添いとして水上家に嫁いだ。
婚約者の諒人(りょうと)のことなど、真由子は稚子と色々語り合ううち、庭の白椿の木は真由子がなついていた異母兄、靖之が植えたものだと知る。
白椿の木をめぐっての、ひそかな大人の恋物語です。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
老け顔ですが?何かあります?
宵森みなと
恋愛
可愛くなりたくて、似合わないフリフリの服も着てみた。
でも、鏡に映った自分を見て、そっと諦めた。
――私はきっと、“普通”じゃいられない。
5歳で10歳に見られ、結婚話は破談続き。
周囲からの心ない言葉に傷つきながらも、少女サラサは“自分の見た目に合う年齢で学園に入学する”という前代未聞の決意をする。
努力と覚悟の末、飛び級で入学したサラサが出会ったのは、年上の優しいクラスメートたちと、ちょっと不器用で真っ直ぐな“初めての気持ち”。
年齢差も、噂も、偏見も――ぜんぶ乗り越えて、この恋はきっと、本物になる。
これは、“老け顔”と笑われた少女が、ほんとうの恋と自分自身を見つけるまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる