死刑囚診断書

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当直医の診断

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 当直という仕事は、時間の感覚を狂わせる。
 深夜の病院では、昼と同じ器具を使い、同じ手順で処置をしているはずなのに、世界だけが別の場所に切り離されたように感じる。

 鷹宮恒一は救急外来の椅子に腰を下ろし、淡々と点滅するモニターを見つめていた。
 心拍は規則正しく、数値は教科書通りだ。異常がないことが、かえって彼を退屈にさせた。

 この時間帯の救急外来に、驚きはない。
 酒に足を取られた転倒、居眠りの末の事故、原因のはっきりした痛み。どれも、診断名が先に浮かぶ。

 できてしまう、という感覚は、いつからか鷹宮の中で重みを失っていた。
 判断に迷うことはない。処置に手が震えることもない。その安定が、彼から時間の感覚を奪っていた。

 内線電話の呼び出し音が、救急外来の静けさを裂いた。
 単調で、感情のない電子音だった。

 鷹宮は受話器を取り、名乗る。

「救急外来、鷹宮です」

 少しの間のあと、受話器の向こうから低い男の声が返ってきた。

「警視庁の者です。身柄を確保している人物が負傷しました」

 公的で、要点だけを並べる話し方だった。

「頭部外傷の可能性があります。診察をお願いできますか」

 鷹宮は「分かりました」と答えながら、胸の奥で、久しく動かなかった何かがわずかに揺れた。

 続けて、相手は淡々と言った。

「死刑囚です。拘置所からの移送中に、転倒しました」

 「死刑囚です」という言葉が、診断名のように頭の中で反復された。
 それでも鷹宮は一瞬だけ言葉を選び、医師として当然の調子で答えた。

「分かりました。受け入れます」

 受話器を置くと、救急外来は元の静けさを取り戻した。
 モニターの電子音だけが、何事もなかったかのように続いている。

「先生、今の電話……?」

 近くで記録を取っていた看護師が、戸惑いを隠さずに視線を向けてきた。

「頭部外傷だ。これから一人、来る」

「……警察、ですか?」

 鷹宮は一拍置いてから答えた。

「死刑囚だ」

 看護師の手が、わずかに止まった。
 だが驚きの声は上げず、すぐに表情を整える。

「……分かりました。準備します」

「お願いします」

 準備は滞りなく進んだ。
 処置台が整えられ、器具が所定の位置に並ぶ。その一つ一つを確認しながら、鷹宮はいつもと同じ動作をなぞっていた。

 同じはずだった。

 壁の時計が、秒を刻む音がやけに大きく聞こえる。
 まだ患者は来ていない。それでも、救急外来の空気は、わずかに張りつめていた。

 ——死刑囚。

 その言葉が、意味ではなく音として、頭の奥に残っている。

 自動ドアが開き、冷たい夜気が流れ込んだ。
 警察官に挟まれるようにして、ストレッチャーが押し込まれてくる。

 鷹宮は、その上の男を一目見て、拍子抜けした。

 派手さはない。
 凶悪犯を想像して構えていた視線を、肩透かしにするほど、地味な風貌だった。

 痩せた体に、使い古したスウェット。
 前髪が目にかかり、落ち着きなく視線が揺れている。

 それでも、鷹宮が目を留めたのは、男の呼吸だった。
 浅くも荒くもない。極刑を待つ人間に特有の緊張が、そこには見当たらない。

 その男――三枝幸一は、処置室の天井を見上げたまま、小さく息を吐いた。

「こちらに移します」

 ストレッチャーが処置台に寄せられ、金属の触れ合う音が響く。
 鷹宮は手袋越しに男の額に触れ、傷の状態を確かめた。

 血は止まりかけている。腫脹はあるが、致命的ではない。

「……その、CTは、撮りますよね」

 遠慮がちな声だった。
 命乞いでも、抗議でもない。ただの確認のような調子。

「撮ります。頭部を打撲されていますから」

「ですよね……できれば、スライス幅、薄めで」

 三枝は言い切る前に、わずかに言葉を詰まらせた。

「前頭部、血腫、できやすいので」

 鷹宮の手が、わずかに止まった。
 患者から出る言葉としては、あまりに具体的だった。だがその違和感を、表情には出さない。

「分かりました。こちらで判断します」

「——私語は控えてください」

 警察官の低い声が、会話を遮った。
 三枝は「すみません」と小さく呟き、口を閉じる。

 処置室に、再び器具の音だけが戻った。
 だが鷹宮の意識は、傷ではなく、男が口にした知識の方に向いていた。
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