死刑囚診断書

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致命的な一点

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話を終えたあと、部屋にはしばらく沈黙が残った。
 重たい沈黙ではない。むしろ、ようやく空気が整理されたあとの静けさだった。

 三枝幸一は、床に座ったまま、指を組んではほどき、また組む。
 その動きが、先ほどよりも規則的になっている。

「……一つ、確認してもいいですか」

 彼が口を開いた。

「どうぞ」

 鷹宮は、水を一口飲んでから答えた。

「硬膜下血腫って」

 三枝は、言葉を選ぶように間を置く。

「外力があった“時点”で、すぐに症状が出るとは限らないんですよね」

「ええ」

 鷹宮は、即答した。

「受傷直後は軽症に見えても、数時間後に急変することがあります」

「いわゆる、ルーシッド・インターバル」

 三枝は、当然のように専門用語を口にした。

 鷹宮は、そこで小さく息を吐く。
 この男は、やはり“理解する準備”ができている。

「……裁判では」

 三枝が続ける。

「死亡推定時刻が、僕が最後に研究室にいた時間帯と、ほぼ一致するとされました」

「“ほぼ”」

 鷹宮が、その言葉を拾う。

「はい。幅は、二時間ほど」

 二時間。
 医師にとっては、決して短くない時間だ。

「その間に」

 鷹宮は、思考を整理しながら言う。

「被害者が、自力で移動した可能性は」

「否定されました」

「理由は」

「防犯上、夜間は出入口が限定されている。
 だから、外部との接触はない、という論理です」

 鷹宮は、首を横に振った。

「それは、医学的理由ではありません」

 三枝の目が、わずかに見開かれる。

「ええ」

 鷹宮は、はっきりと言う。

「“動けなかった”ことの証明にはなっていない」

 沈黙。
 だが今度は、思考が回っている沈黙だった。

「被害者は」

 鷹宮は続ける。

「倒れる前に、誰かと争った形跡があると言いましたね」

「はい」

「その時点で、意識障害は」

「……記録上は、ありません」

「そこです」

 鷹宮の声が、少しだけ低くなる。

「硬膜下血腫で即時に重篤化するなら、
 争う行動自体が困難なはずです」

 三枝は、息を止めた。

「つまり」

 鷹宮は、ゆっくりと言葉を積む。

「争った“あと”に、頭部を打った可能性がある」

「……転倒」

 三枝が、かすれた声で言う。

「ええ」

 鷹宮はうなずく。

「例えば、研究室内での単独転倒。
 金属器具は、たまたま近くにあった」

「でも」

 三枝はすぐに反論する。

「僕の指紋が」

「当然です」

 鷹宮は遮らない。

「あなたの職場です。
 器具に触れていて、何の不思議もない」

 三枝の指が、急に早く動き始める。

「……それって」

 声が少し高くなる。

「“凶器”が凶器じゃない、ってことですよね」

「はい」

 鷹宮は、迷いなく言った。

「少なくとも、
 “殺意を伴った凶器”とは言えません」

 部屋の空気が、はっきりと変わった。

 三枝は立ち上がり、部屋の中を数歩歩く。
 狭い空間を、思考が埋め尽くしていく。

「待ってください」

 早口になる。

「死亡推定時刻がズレる。
 争った時間と一致しない。
 外力のタイミングが不明」

 指を折りながら、整理していく。

「……それでも裁判では」

「“一番分かりやすい説明”が採用されます」

 鷹宮は、静かに言った。

「医学ではなく、物語として」

 三枝は、そこで完全に足を止めた。

「……あ」

 小さな声。

「それ、裁判で言われました」

「何と」

「“あなたの説明は複雑すぎる”って」

 鷹宮は、苦く笑った。

「診断でも、同じことがあります」

「単純な説明ほど、信じられやすい」

 三枝は、両手で顔を覆った。
 泣いてはいない。だが、呼吸が一瞬乱れる。

「……三年」

 低い声。

「三年間、ずっと」

 一拍。

「誰も、そこを見なかった」

 鷹宮は、その背中を見ながら、はっきりと口にした。

「三枝さん」

 声に、迷いはない。

「これは、殺人事件ではありません」

 三枝が、ゆっくりと振り向く。

「事故です」

 一拍。

「少なくとも、
 あなたが殺した事件ではない」

 その言葉は、慰めではなかった。
 医師としての診断結果だった。

 三枝は、何度か口を開こうとして、閉じる。
 そして、ようやく言った。

「……じゃあ」

 声が震える。

「僕は、何だったんですか」

 鷹宮は、即答しなかった。
 その問いは、医学の外にある。

「誤診された患者です」

 ゆっくりと、しかしはっきりと答える。

 三枝は、その言葉を反芻するように、目を閉じた。

 外で、遠く車の音がする。
 世界は何も変わっていない。

 だが、この部屋の中では、
 一つの“確定診断”が下された。

 問題は、ここからだった。

 ——どうやって、この診断を“証明”するか。

 鷹宮は、ようやく次の段階を見据える。

 これは治療ではない。
 再検査だ。

 しかも、相手は司法という、最も厄介な臓器だった。
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