あなたの知らない、それからのこと

羽鳥むぅ

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2.思い出した記憶

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 駅で晴輝と偶然会ってから、数か月後。二人でいるところは誰にも見られなかったらしい。晴輝も言いふらしたりするタイプではなさそうではある。学校で彼と目が合う頻度が増えたようにも思えるが、それは凛香が気にして目で追ってしまっている可能性もあるからなんとも言えなかった。それ以外は今まで通り、平穏な日々を過ごしていた。が、しかし。
 
 あまりにも唐突すぎて、凛香は思わず髪から手を離した。せっかく毛先まで編んでいたというのに、三つ編みが緩やかに解けていく。
「……は。え? うそ」
 ポツリと落ちた呟きは、アナウンサーの声に掻き消された。

 何の変哲もないよく晴れた日の、少しだけ憂鬱な、まだ休日には少し遠い週の半ばの朝。星占いはあてにしていないし、トレンドを追うほどファッションや芸能にも興味はない。毎朝流している情報番組は、時間を知るためだけだ。その日も画面左上に表示されている時刻を確認するため、ドレッサーの鏡越しにテレビの画面へと視線を向けた。その時、ふいに凛香は視界に入った風景に既視感を覚えて振り向いた。映像を直接見たその瞬間、脳内が雷に打たれたかのような衝撃を受けたのだ。

「あれは……」

 花が咲き誇る立派な庭園の中央には噴水があり、その奥には映画の舞台のような大きな屋敷が映っていた。よくありがちな西洋の屋敷。ナレーションとテロップから察するに外国にある屋敷らしい。特に目を引いたのはその噴水のオブジェだ。凜香はそれを知っている。

 女神が手に持っている水瓶から水が流れる仕組みになっている像は、輝く金色だったはずだ。しかし画面に映っているのは青銅色で微かに金色の名残が分かる程度。
 凛香は今まで海外旅行に行ったことがない。それなのになぜかその像を知っていたし、よじ登って繊細なその髪飾りを折った記憶があった。しかしそれは凛香であって凛香ではない。そもそも映っている屋敷自体、凛香の知るものかどうかも定かではないのだが。ゆっくりと流れ出した不思議な記憶は次第に奔流となって押し寄せてきた。

――それは凛香として生まれる前、遠いどこかの国のレベッカ・バートンという名前の女性であり、短い生涯を終えたという記憶。
 そう、唐突に前世を思い出してしまったのだ。

   * * *

 裕福な公爵家に生まれ、蝶よ花よと育てられたレベッカは幼い頃からお転婆で。止める従者を振り切り噴水の女神像によじ登っては、髪飾りを折ってメイドを卒倒させた。幼いレベッカは女神の髪飾りを自分の髪に付けたかっただけなのだが。両親にはその時は叱られたものの、暫くしてレベッカの艶やかな赤い髪には、金色に緑色の宝石が散りばめられた髪飾りが輝いていた。お抱えの細工師が手を加えて、レベッカが使えるようにしてくれたのだ。
 そんなレベッカは令嬢らしく我儘ではあったが気位も高かったので、惜しむことなく精一杯努力もした。誰から見ても完璧な淑女であるために。そんなレベッカがウィルキンズ王家の王太子妃の候補になるのは当然だった。家格、美貌や教養まで完璧で誰も文句が出ることはなく、まさにレベッカには敵なしであった。結果、あっさりと王太子であるエルバートの婚約者に決定したのがレベッカが十四歳のときである。
 エルバートのことを愛しているか、といえば答えはノーだ。彼は物静かな少年で、知的であり人として好きな部類ではある。一人娘のレベッカにとって年の近い異性といえば、同い年で護衛騎士のクライヴ・ダンバーだが彼もまた従順で穏やかな青年だった。主従関係だからといえばそれまでだが別に強要したわけではない。それでもいつもレベッカが一方的に話してはクライヴが相づちを打つのが常であった。だからエルバートの反応が薄くとも、外面だけの口煩い傲慢な男よりは良いと気にもしなかった。
 この国のたった一人の王太子の婚約者候補に選ばれたときから、国母になるであろう未来に備えて、レベッカはさらに努力を重ねた。けれどその覚悟が踏みにじられる日は突然訪れてしまう。誰もがレベッカが王太子妃になると思って疑わなかったというのに。
 
 十五歳になると同い年のクライヴとともに揃って学園に入学した。エルバートは一つ上の学年だったが、レベッカの入学を祝ってくれた。次第に集団生活にも慣れ、進級するころには社交に役立つような付き合いもできるようになっていた。勉学に作法に人脈作りと忙しかったレベッカは気づくのが遅れてしまったのだ。いつからかエルバートと顔を合わせていないということに。在学中はまだ会う機会もあったが、彼が先に卒業すると一切会えなくなった。心配になり、手紙を書いても素っ気のない返事が送られてくるだけ。そのうち返事すら返ってこなくなっていた。始めは忙しいのかと思って気にも留めなったが、どこからともなく噂が流れてきたのだ。

『王太子は最愛を見つけたのだ』と。

   * * *
 
「――でしたのよ。……ねぇ、殿下?」
「…………」
「殿下……?」
「ああ」

 卒業して本格的な妃教育が王城で始まると、帰り際に王妃の計らいでエルバートとのお茶の席が設けられた。大抵は何かしら理由を付けて断られていたが、時折了承されたと思えば、不機嫌そうで内心ため息が零れる。一生懸命話しかけても空返事しか返ってこなず、いつしかレベッカも口を閉ざした。
「執務があるから、僕はこれで失礼する」
 しばらくの沈黙のあと、さっさと席を立ってしまう始末。慌てて立ち上がり礼をするも一切振り向くことはなかった。去っていく後ろ姿ですら、レベッカを全力で拒絶しているかのようで、とても引き止めるなんてできやしなかった。学生時代に流れてきた噂が何度も頭を過るが、レベッカとの婚約は本人たちの意志に関係なく決まっていることだから仕方がないというのに。
 エルバートの態度を思い出すと情けなくて泣きそうだった。義務を果たせないエルバートにも、毅然と彼にそれを説けない己にも。恋愛感情は無かったが、情はあった。彼には立派な国王になって他国からも一目置かれる存在になり、正しく民を導いて欲しいだけだ。
「王太子ともあろう御方なのだから、私との会話も執務と思ってしっかりこなして頂きたいものだわ」
 帰りの馬車で零れ落ちた独り言の、その声は悔しさと虚しさで震えていた。しかしグッと口内を噛んで耐える。馬車の中は侍女もいるし、外には護衛がいる。他人の目がある場所で涙なんて流せるはずがない。
「お嬢様? 何か仰いましたか?」
「いえ、なんでもないわ」
 馬車の音のおかげか、レベッカの呟きは侍女には届かなかったらしい。思わず不満を口にしてしまった自分を反省して気持ちを切り替えなければ。彼は王太子として忙しい日々を送っているのだから、不満を口にするなんて間違っているのだと自分自身で言い聞かせて。
 それからお茶の誘いも断られる回数が増えていくと、レベッカだけでなく父のサイモンも事態を深刻に受け止めるようになった。それでも気丈に日常をこなすレベッカに対し、サイモンがエルバートを秘かに調べたのだ。そして分かったことは、男爵家のとある令嬢と学園で出会い、人目を忍んで愛を確かめ合っているらしい、と。
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