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13.勘違い
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「そういえば最近、あの髪飾り付けないのね」
母からそう言われ、凛香は曖昧に返事をした。それまではデートの際には時々付けていたのに、旅行の日からなんとなく避けていたのだ。
卒業旅行から半年が経った。今となっては、どうやって翌日を過ごしたのか覚えていないが、多分ちゃんと笑えていたと思う。ほどなくして新社会人となり、新しい環境への緊張と慣れない業務で、凛香が想像していた以上に忙しくしていた。今までは毎日のように会っていたのが退社時間が被ったときに帰り道で食事をしたり、デートも週に一回できればいい方になり、限られた時間では互いの近況報告と、未だに緊張と羞恥のある肌の触れ合いがその時間を占めていた。あのとき以降、晴輝は『レベッカ』と口にしていないのに、やはりどこか警戒してしまう。
このまま忙しさにかまけて距離を置きたくなるときがある。令嬢としてのプライドをへし折られ、築き上げたものが足元から崩れ去ったあの絶望感が未だに胸に残っているから。
「それに土日だって家にばかりいるじゃない」
「まぁね。今は入社したばかりだし、お互い慣れない環境だからね」
言いづらそうな母の様子に、髪飾りのことよりもこちらが本当に聞きたかったことなんだと気付いた。確かに今まで休日になると一緒に出掛けたりしていたし、まめに連絡を取り合っていたので気になっていたのだろう。晴輝からの連絡は変わらずにあって休日の予定も聞かれるが、仕事を覚えるのが大変だと言って少し距離をとっている。嘘をついているわけではないと心で言い訳をしながら。
「そりゃあそうか。うん、まだ若いんだものね。……あ、そういえば斉藤さんちに黒いワンちゃんいるでしょ? あの子、テレビに出たんだって!」
なんとなく上手くいっていないのだろうと察したのか、母は違う話題を出してきた。説明するにしても、いきなり前世の話を始めたなら、別の心配をさせてしまう恐れがあるだろうし。話が全く関係のない、近所の犬の話になり心の中で安堵した。
(他に素敵な人、かぁ……)
すぐに浮かぶのはクライヴだ。いつもそばにいてくれて、頼りになって優しくてレベッカの好きだった人。口にできなかったからか、生まれ変わっても尚更想いが募っているみたいだ。
(でも顔は未だに思い出せないから、内面が似た人を探すのも難しいな……っていやいや)
と、思い至ったところで晴輝を付き合っているのにそんなことを考えてしまって自己嫌悪した。だったら晴輝に別れを告げる? でもそれでは彼を愛する凛香の気持ちがやるせない。でもこのままでは……。
やっぱり少し距離を置くのは正解かもしれない。こんな堂々巡りは、この半年で何度もしていた。ただ日々が忙しいことが救いだった。
* * *
晴輝とどう接していけばいいのか悩んでいたのが、態度にでてしまっていたのだろう。ここ最近は強引に凛香と帰る時間を合わせたり、以前のように休日も一緒にいたから晴輝は何か違和感を覚えたのかもしれない。
「あの、ええと……」
「気になっていたんだが、凛香、最近様子がおかしくないか?」
頭上から見下ろしてくる瞳にハイライトがない気がするのは逆光だからだろうか。付き合いだしてからは穏やかな面ばかりを見てきたので、久しぶりの威圧感に懐かしさすら覚えた。その頃はもっと距離も遠くて、こんなに至近距離で凄まれることなんてなかったけれど。
「そ、そうかな? えっと、ほら、うちの部署忙しかったし……」
「どうしてそんなに焦る必要がある?」
「焦ってなんかないって。同じ部署の人に見られたら、気まずいでしょ」
思わず小声でかつ早口になる。なんせここは職場である。入社して一年も経っていないような新人同士が壁ドンして、されているのを見られたらと思うと、そちらのほうも気になってしまう。胸をそっと押したのが逆効果だったようで、さらに顔を近づけられ、見ようによってはキスをしているように見えそうだ。たとえ人が殆ど通らない非常階段の近くとはいえ、絶対に人が来ないとは限らない。
「別に俺はちっとも。それとも凛香は誰かに見られると困るのか? 何か隠していることでも?」」
「……近い!」
辺りを探っているのに気付いたのか、顎を固定されれば晴輝の顔しか見えない。怒りよりも焦りに似たものを感じた。
「質問に答えてくれ。同じ部署に見られたくない誰かがいるのか?」
「えっ!?」
トーンの下がった声に晴輝が勘違いをしているのだと気付く。社内で気になる人でも現れたのかと思っているのだろうか?
「ち、違うよ! 誰もいないって。だって晴輝くんと付き合ってるもの」
「付き合ってなかったら良かったのか?」
今日はいつになく面倒くさい。けれどそれも凛香の態度のせいだから強く出ることもできない。もうここまできてしまったなら、全てを話したほうがよさそうだ。前世の話なんて、引かれるだろうし、変な女だと思われてしまうかもしれない。でもそれが真実なのだから。理解してもらえなくても、話だけでも聞いてもらおう。意を決して、小さく深呼吸をしたら、掴まれたままの顎を引き寄せられ、唇が重なった。
「……~~っ!ぷはっ」
「俺は絶対、何があっても別れないから。好きな人ができたなら、そいつに二度と会えないところに連れていくまでだ」
唇がほんの少し離れた瞬間、地を這うような声で告げられた内容が処理できずに、凛香は目を白黒させた。
(やっぱり盛大に勘違いしてる……!)
けれど説明しようにも今度はさらに深く唇が重なって不可能だ。呼吸すらままならなくて、胸を叩くも一向に離れる気配はない。響く水音の向こうで、微かに人の声が聞こえた気がした。こんなところを見られたらと焦って身を捩るが、晴輝はまったく取り合ってくれない。寧ろ見せつけようと考えているようだ。理解してもらう努力もしないで楽な方に逃げたのだから、確かに凛香が悪い。まずは謝ろう。そして退勤したら説明すると言わなければ。捻じ込まれて暴れ回る舌に翻弄されている場合ではない。
嫌がることはしない晴輝が『らしく』なくて、これも凛香が追い詰めたのだと反省した。それにしても……しつこい。上を向きっぱなしの首も、息だってかなり苦しい。取り合ってもくれない一方的な晴輝に徐々に腹立たしくなってくる。場所だって弁えてほしいのに。立っているのもやっとの凛香は限界だった。ほんの唇が離れた瞬間、
「お待ちなさい!」
つい、レベッカが全面に出てしまい強めに発してしまった。しまったと気付くが既に遅く。しがみつくようだった晴輝の手が一瞬で離れ、それどころか彼が凛香の視界から消えた。
「えっ!?」
「ハッ! 申し訳ありません!」
なんと消えたのではなく、晴輝は凛香の足元に跪いていた。
母からそう言われ、凛香は曖昧に返事をした。それまではデートの際には時々付けていたのに、旅行の日からなんとなく避けていたのだ。
卒業旅行から半年が経った。今となっては、どうやって翌日を過ごしたのか覚えていないが、多分ちゃんと笑えていたと思う。ほどなくして新社会人となり、新しい環境への緊張と慣れない業務で、凛香が想像していた以上に忙しくしていた。今までは毎日のように会っていたのが退社時間が被ったときに帰り道で食事をしたり、デートも週に一回できればいい方になり、限られた時間では互いの近況報告と、未だに緊張と羞恥のある肌の触れ合いがその時間を占めていた。あのとき以降、晴輝は『レベッカ』と口にしていないのに、やはりどこか警戒してしまう。
このまま忙しさにかまけて距離を置きたくなるときがある。令嬢としてのプライドをへし折られ、築き上げたものが足元から崩れ去ったあの絶望感が未だに胸に残っているから。
「それに土日だって家にばかりいるじゃない」
「まぁね。今は入社したばかりだし、お互い慣れない環境だからね」
言いづらそうな母の様子に、髪飾りのことよりもこちらが本当に聞きたかったことなんだと気付いた。確かに今まで休日になると一緒に出掛けたりしていたし、まめに連絡を取り合っていたので気になっていたのだろう。晴輝からの連絡は変わらずにあって休日の予定も聞かれるが、仕事を覚えるのが大変だと言って少し距離をとっている。嘘をついているわけではないと心で言い訳をしながら。
「そりゃあそうか。うん、まだ若いんだものね。……あ、そういえば斉藤さんちに黒いワンちゃんいるでしょ? あの子、テレビに出たんだって!」
なんとなく上手くいっていないのだろうと察したのか、母は違う話題を出してきた。説明するにしても、いきなり前世の話を始めたなら、別の心配をさせてしまう恐れがあるだろうし。話が全く関係のない、近所の犬の話になり心の中で安堵した。
(他に素敵な人、かぁ……)
すぐに浮かぶのはクライヴだ。いつもそばにいてくれて、頼りになって優しくてレベッカの好きだった人。口にできなかったからか、生まれ変わっても尚更想いが募っているみたいだ。
(でも顔は未だに思い出せないから、内面が似た人を探すのも難しいな……っていやいや)
と、思い至ったところで晴輝を付き合っているのにそんなことを考えてしまって自己嫌悪した。だったら晴輝に別れを告げる? でもそれでは彼を愛する凛香の気持ちがやるせない。でもこのままでは……。
やっぱり少し距離を置くのは正解かもしれない。こんな堂々巡りは、この半年で何度もしていた。ただ日々が忙しいことが救いだった。
* * *
晴輝とどう接していけばいいのか悩んでいたのが、態度にでてしまっていたのだろう。ここ最近は強引に凛香と帰る時間を合わせたり、以前のように休日も一緒にいたから晴輝は何か違和感を覚えたのかもしれない。
「あの、ええと……」
「気になっていたんだが、凛香、最近様子がおかしくないか?」
頭上から見下ろしてくる瞳にハイライトがない気がするのは逆光だからだろうか。付き合いだしてからは穏やかな面ばかりを見てきたので、久しぶりの威圧感に懐かしさすら覚えた。その頃はもっと距離も遠くて、こんなに至近距離で凄まれることなんてなかったけれど。
「そ、そうかな? えっと、ほら、うちの部署忙しかったし……」
「どうしてそんなに焦る必要がある?」
「焦ってなんかないって。同じ部署の人に見られたら、気まずいでしょ」
思わず小声でかつ早口になる。なんせここは職場である。入社して一年も経っていないような新人同士が壁ドンして、されているのを見られたらと思うと、そちらのほうも気になってしまう。胸をそっと押したのが逆効果だったようで、さらに顔を近づけられ、見ようによってはキスをしているように見えそうだ。たとえ人が殆ど通らない非常階段の近くとはいえ、絶対に人が来ないとは限らない。
「別に俺はちっとも。それとも凛香は誰かに見られると困るのか? 何か隠していることでも?」」
「……近い!」
辺りを探っているのに気付いたのか、顎を固定されれば晴輝の顔しか見えない。怒りよりも焦りに似たものを感じた。
「質問に答えてくれ。同じ部署に見られたくない誰かがいるのか?」
「えっ!?」
トーンの下がった声に晴輝が勘違いをしているのだと気付く。社内で気になる人でも現れたのかと思っているのだろうか?
「ち、違うよ! 誰もいないって。だって晴輝くんと付き合ってるもの」
「付き合ってなかったら良かったのか?」
今日はいつになく面倒くさい。けれどそれも凛香の態度のせいだから強く出ることもできない。もうここまできてしまったなら、全てを話したほうがよさそうだ。前世の話なんて、引かれるだろうし、変な女だと思われてしまうかもしれない。でもそれが真実なのだから。理解してもらえなくても、話だけでも聞いてもらおう。意を決して、小さく深呼吸をしたら、掴まれたままの顎を引き寄せられ、唇が重なった。
「……~~っ!ぷはっ」
「俺は絶対、何があっても別れないから。好きな人ができたなら、そいつに二度と会えないところに連れていくまでだ」
唇がほんの少し離れた瞬間、地を這うような声で告げられた内容が処理できずに、凛香は目を白黒させた。
(やっぱり盛大に勘違いしてる……!)
けれど説明しようにも今度はさらに深く唇が重なって不可能だ。呼吸すらままならなくて、胸を叩くも一向に離れる気配はない。響く水音の向こうで、微かに人の声が聞こえた気がした。こんなところを見られたらと焦って身を捩るが、晴輝はまったく取り合ってくれない。寧ろ見せつけようと考えているようだ。理解してもらう努力もしないで楽な方に逃げたのだから、確かに凛香が悪い。まずは謝ろう。そして退勤したら説明すると言わなければ。捻じ込まれて暴れ回る舌に翻弄されている場合ではない。
嫌がることはしない晴輝が『らしく』なくて、これも凛香が追い詰めたのだと反省した。それにしても……しつこい。上を向きっぱなしの首も、息だってかなり苦しい。取り合ってもくれない一方的な晴輝に徐々に腹立たしくなってくる。場所だって弁えてほしいのに。立っているのもやっとの凛香は限界だった。ほんの唇が離れた瞬間、
「お待ちなさい!」
つい、レベッカが全面に出てしまい強めに発してしまった。しまったと気付くが既に遅く。しがみつくようだった晴輝の手が一瞬で離れ、それどころか彼が凛香の視界から消えた。
「えっ!?」
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なんと消えたのではなく、晴輝は凛香の足元に跪いていた。
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