40 / 161
『第八話・3:沈黙のあとに訪れた問い』
しおりを挟む
街へと帰る馬車は、ゆるやかな傾斜をがたごとと登っていた。
車輪が踏む土の振動が、板張りの床を通じて足元から伝わる。
革の座席はじんわりと温く、木枠は小さく軋み、外からは馬の鼻息と蹄の音が重なって響いてきた。
窓の外では、燃え残った丘が少しずつ遠ざかっていく。
その向こうに沈みかけた陽が、やけに淡い橙色を残していた。
戦いの煙はもう消えている。けれど、ほんのり焦げた匂いがまだ風に混じっていて、それが胸を撫でるたび、戦場の残響が微かに疼く。
安堵と疲労がまだ抜けきっていないことを、いやでも思い知らされた。
しばらく、誰も言葉を発しなかった。
ただ車輪が土を噛む音と、互いの呼吸が重なるだけ。
けれどその沈黙は重苦しくはない。
静寂の中に、命がまだここにあるという確信が滲んでいた。
戦いを生き延びた者にしか持てない、やわらかで温い静けさだった。
ゆったりとした揺れは、どこか母に抱かれているような錯覚さえ呼び、気づけば指先や肩のこわばりまでほどけていく。
その解放感は、仕草や座り方までも柔らかく染め変えていた。
颯太──いや、リリアは、セラフィーの隣で膝の上に指を揃えて座っていた。
背筋は自然に伸び、膝も内側できちんと閉じている。
自分でも気づかぬうちに、呼吸に合わせて姿勢が磨かれ、視線や首の傾きさえも“女性”の所作に近づいていた。
──気づけば、声も、仕草も、瞬きの間合いすら、完全に“女の子”のものになっていた。
しかもそれは作った演技じゃない。反射に近い自然さだった。
まるで自分の中に眠っていた“誰か”の癖が、呼吸に混じって浮かび上がってきたみたいに。
甘美な自然さ。けれど同時に、背筋を冷やす怖さもある。
心地よさの裏で、気づけば戻れぬ川を渡ってしまったような──そんな予感が滲んでいた。
(……オレ、このまま女の子の体で生きてくことになるのか?)
冗談っぽく思おうとした。だが胸の奥はざわついていた。
焦りというより、得体の知れない温かさ。
まるで、この体が“借り物”じゃなく、最初から自分のものだったかのような錯覚。
その錯覚に身を委ねれば、男としての記憶すら少しずつ溶けていくんじゃないか──。
甘美と恐怖のはざまで、胸が震えた。
小さな吐息が窓ガラスを曇らせる。
曇りが消える前に、横から視線を感じた。
橙色の光が窓をすべり、影がセラフィーの横顔を撫でていく。
静かに揺れる睫毛、きゅっと結ばれた唇。
祈りの像のように沈黙していたが、その沈黙は問いを孕んでいた。
声にならぬ圧が頬を刺し、空気さえ呼吸を忘れるほど、彼女の気配が濃くなる。
──そして、次の瞬間。
「ねえ、リリア」
セラフィーの声はやわらかかった。けれど、真っ直ぐだった。
温もりの奥に鋭い芯が潜んでいる。
まるで、この一言を切り出すためにずっと隙をうかがっていたかのような──ためらいのない呼びかけだった。
車輪の音さえ遠のき、馬の吐息もかき消える。
世界に残ったのは、彼女の声と鼓動だけ。
「……教会で会った、あなた。“中身”は、別だったのよね?」
リリアの心臓が、一瞬だけ跳ねて止まった。
時間の継ぎ目が裂けるように、現実の幕が少しだけめくれた気がした。
言葉よりも先に、喉の奥で震えが広がっていった。
車輪が踏む土の振動が、板張りの床を通じて足元から伝わる。
革の座席はじんわりと温く、木枠は小さく軋み、外からは馬の鼻息と蹄の音が重なって響いてきた。
窓の外では、燃え残った丘が少しずつ遠ざかっていく。
その向こうに沈みかけた陽が、やけに淡い橙色を残していた。
戦いの煙はもう消えている。けれど、ほんのり焦げた匂いがまだ風に混じっていて、それが胸を撫でるたび、戦場の残響が微かに疼く。
安堵と疲労がまだ抜けきっていないことを、いやでも思い知らされた。
しばらく、誰も言葉を発しなかった。
ただ車輪が土を噛む音と、互いの呼吸が重なるだけ。
けれどその沈黙は重苦しくはない。
静寂の中に、命がまだここにあるという確信が滲んでいた。
戦いを生き延びた者にしか持てない、やわらかで温い静けさだった。
ゆったりとした揺れは、どこか母に抱かれているような錯覚さえ呼び、気づけば指先や肩のこわばりまでほどけていく。
その解放感は、仕草や座り方までも柔らかく染め変えていた。
颯太──いや、リリアは、セラフィーの隣で膝の上に指を揃えて座っていた。
背筋は自然に伸び、膝も内側できちんと閉じている。
自分でも気づかぬうちに、呼吸に合わせて姿勢が磨かれ、視線や首の傾きさえも“女性”の所作に近づいていた。
──気づけば、声も、仕草も、瞬きの間合いすら、完全に“女の子”のものになっていた。
しかもそれは作った演技じゃない。反射に近い自然さだった。
まるで自分の中に眠っていた“誰か”の癖が、呼吸に混じって浮かび上がってきたみたいに。
甘美な自然さ。けれど同時に、背筋を冷やす怖さもある。
心地よさの裏で、気づけば戻れぬ川を渡ってしまったような──そんな予感が滲んでいた。
(……オレ、このまま女の子の体で生きてくことになるのか?)
冗談っぽく思おうとした。だが胸の奥はざわついていた。
焦りというより、得体の知れない温かさ。
まるで、この体が“借り物”じゃなく、最初から自分のものだったかのような錯覚。
その錯覚に身を委ねれば、男としての記憶すら少しずつ溶けていくんじゃないか──。
甘美と恐怖のはざまで、胸が震えた。
小さな吐息が窓ガラスを曇らせる。
曇りが消える前に、横から視線を感じた。
橙色の光が窓をすべり、影がセラフィーの横顔を撫でていく。
静かに揺れる睫毛、きゅっと結ばれた唇。
祈りの像のように沈黙していたが、その沈黙は問いを孕んでいた。
声にならぬ圧が頬を刺し、空気さえ呼吸を忘れるほど、彼女の気配が濃くなる。
──そして、次の瞬間。
「ねえ、リリア」
セラフィーの声はやわらかかった。けれど、真っ直ぐだった。
温もりの奥に鋭い芯が潜んでいる。
まるで、この一言を切り出すためにずっと隙をうかがっていたかのような──ためらいのない呼びかけだった。
車輪の音さえ遠のき、馬の吐息もかき消える。
世界に残ったのは、彼女の声と鼓動だけ。
「……教会で会った、あなた。“中身”は、別だったのよね?」
リリアの心臓が、一瞬だけ跳ねて止まった。
時間の継ぎ目が裂けるように、現実の幕が少しだけめくれた気がした。
言葉よりも先に、喉の奥で震えが広がっていった。
20
あなたにおすすめの小説
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
【コミカライズ決定】勇者学園の西園寺オスカー~実力を隠して勇者学園を満喫する俺、美人生徒会長に目をつけられたので最強ムーブをかましたい~
エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング2位獲得作品】
【第5回一二三書房Web小説大賞コミカライズ賞】
~ポルカコミックスでの漫画化(コミカライズ)決定!~
ゼルトル勇者学園に通う少年、西園寺オスカーはかなり変わっている。
学園で、教師をも上回るほどの実力を持っておきながらも、その実力を隠し、他の生徒と同様の、平均的な目立たない存在として振る舞うのだ。
何か実力を隠す特別な理由があるのか。
いや、彼はただ、「かっこよさそう」だから実力を隠す。
そんな中、隣の席の美少女セレナや、生徒会長のアリア、剣術教師であるレイヴンなどは、「西園寺オスカーは何かを隠している」というような疑念を抱き始めるのだった。
貴族出身の傲慢なクラスメイトに、彼と対峙することを選ぶ生徒会〈ガーディアンズ・オブ・ゼルトル〉、さらには魔王まで、西園寺オスカーの前に立ちはだかる。
オスカーはどうやって最強の力を手にしたのか。授業や試験ではどんなムーブをかますのか。彼の実力を知る者は現れるのか。
世界を揺るがす、最強中二病主人公の爆誕を見逃すな!
※小説家になろう、カクヨム、pixivにも投稿中。
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
勇者パーティーを追放されたので、張り切ってスローライフをしたら魔王に世界が滅ぼされてました
まりあんぬさま
ファンタジー
かつて、世界を救う希望と称えられた“勇者パーティー”。
その中で地味に、黙々と補助・回復・結界を張り続けていたおっさん――バニッシュ=クラウゼン(38歳)は、ある日、突然追放を言い渡された。
理由は「お荷物」「地味すぎる」「若返くないから」。
……笑えない。
人付き合いに疲れ果てたバニッシュは、「もう人とは関わらん」と北西の“魔の森”に引きこもり、誰も入って来られない結界を張って一人スローライフを開始……したはずだった。
だがその結界、なぜか“迷える者”だけは入れてしまう仕様だった!?
気づけば――
記憶喪失の魔王の娘
迫害された獣人一家
古代魔法を使うエルフの美少女
天然ドジな女神
理想を追いすぎて仲間を失った情熱ドワーフ
などなど、“迷える者たち”がどんどん集まってくる異種族スローライフ村が爆誕!
ところが世界では、バニッシュの支援を失った勇者たちがボロボロに……
魔王軍の侵攻は止まらず、世界滅亡のカウントダウンが始まっていた。
「もう面倒ごとはごめんだ。でも、目の前の誰かを見捨てるのも――もっとごめんだ」
これは、追放された“地味なおっさん”が、
異種族たちとスローライフしながら、
世界を救ってしまう(予定)のお話である。
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
異世界転生おじさんは最強とハーレムを極める
自ら
ファンタジー
定年を半年後に控えた凡庸なサラリーマン、佐藤健一(50歳)は、不慮の交通事故で人生を終える。目覚めた先で出会ったのは、自分の魂をトラックの前に落としたというミスをした女神リナリア。
その「お詫び」として、健一は剣と魔法の異世界へと30代後半の肉体で転生することになる。チート能力の選択を迫られ、彼はあらゆる経験から無限に成長できる**【無限成長(アンリミテッド・グロース)】**を選び取る。
異世界で早速遭遇したゴブリンを一撃で倒し、チート能力を実感した健一は、くたびれた人生を捨て、最強のセカンドライフを謳歌することを決意する。
定年間際のおじさんが、女神の気まぐれチートで異世界最強への道を歩み始める、転生ファンタジーの開幕。
勇者パーティーにダンジョンで生贄にされました。これで上位神から押し付けられた、勇者の育成支援から解放される。
克全
ファンタジー
エドゥアルには大嫌いな役目、神与スキル『勇者の育成者』があった。力だけあって知能が低い下級神が、勇者にふさわしくない者に『勇者』スキルを与えてしまったせいで、上級神から与えられてしまったのだ。前世の知識と、それを利用して鍛えた絶大な魔力のあるエドゥアルだったが、神与スキル『勇者の育成者』には逆らえず、嫌々勇者を教育していた。だが、勇者ガブリエルは上級神の想像を絶する愚者だった。事もあろうに、エドゥアルを含む300人もの人間を生贄にして、ダンジョンの階層主を斃そうとした。流石にこのような下劣な行いをしては『勇者』スキルは消滅してしまう。対象となった勇者がいなくなれば『勇者の育成者』スキルも消滅する。自由を手に入れたエドゥアルは好き勝手に生きることにしたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる