『勇者リリアとレベル999のモフモフぬいぐるみ』 Eden Force Stories I(第一部)

風間玲央

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『第十一話・4 : 世界律の拒絶式(The Rejection Syntax)』

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風が、やんだ。

世界の裂け目が閉じ、断界の鼓動が沈黙する。
それは“終わり”だった。
けれど、どこか──“始まり”のような予感が、胸の奥でまだ呼吸していた。

砂塵が落ち、空気が鎮まる。
誰もいない森の真ん中に、ただひとりの“異物”が立っていた。

「……終わった、よね」

声は平坦で、けれど微かに“呼吸を探っている”ようだった。
倒れた敵の残骸も、魔素のゆらぎも、もう感じられない。
けれど、この沈黙──違う、なにかがおかしい。

(いま、誰かが──俺のこと、見てる。)

冗談ではなかった。

その“視線”は、空の向こうにあった。
形もない。熱もない。
けれど──存在を、寸分の誤差なく“観測”する意志。

颯太の心が、ざらりと軋んだ。

(違う。これは“観測”じゃない──“照準”だ。)

風が止まり、森の色が反転する。
葉の裏が白く光り、時間の呼吸が一瞬だけ跳ねた。
──世界が、何かの“眼”に覗かれている。

その瞬間、森の空が、一点だけ──抜け落ちたように黒く沈んだ。

風が逆流する。音が失われ、色が凍る。
世界がひとつ、“誰かの瞳孔”へと収束していく──。

──“眼”だった。

空間に、巨大な“神の瞳”のような渦が開いていた。
まばたきもない。語りかけもない。
ただ、圧倒的な“意思”が、そこにある。

それは見るための眼ではなかった。
存在を“定義し直す”ための、空白の演算子──“神が書き損じた句読点”そのものだった。

瞳孔が瞬きもせずこちらを射抜くたび、
皮膚の裏側を針でなぞられるような疼きが走る。
視線が触れた部分から、自分の輪郭が薄紙のように一枚ずつ剥がれ落ち、
血肉どころか“名前の文字”までも削ぎ落とされていく。

そして、空気が変わった。
湿度が変わるように、音のない風がひとつ吹き抜けた。

地面に、うっすらと浮かび上がる幾何学のパターン。
それは神殿の紋様のようにも見えたが、よく見れば──線は途中で断ち切られ、複雑に折り返し、何層もの円環が互いに食い違っていた。
これは神の紋ではない。

空間が、わずかに呼吸を忘れた。
風も音も、意味を失ったまま宙に漂う。
世界そのものが、自分の構文を思い出せずに沈黙している。

それは──
世界律そのものの“拒絶式”だった。
創世の言語が自らを塗り潰す“裏文法”──
神が定義を誤った瞬間にだけ現れる、“世界の裏返し”のコードだった。

《対象:LILIA(ver.9.99β)》
《指定分類:定義外ユニット》
《再統合処理:不許可》
《世界律崩壊防止のため、“対象削除”プロトコルを起動》

──音が消えた。
代わりに、“無音の残響”が世界全体を震わせた。
空間の膜が、静かに破れ始める。

(……削除、だと?)

瞬間、空気にノイズが走る。
風景が一瞬だけ“壊れた”。
同時に、紋様の線がリリア自身の皮膚に薄く浮かび、血管をなぞるようにじわりと広がった。
声を出そうとすれば、喉から母音が一つずつ抜け落ちる。
心臓の鼓動さえ、“何拍目”かを忘れた楽譜のように途切れた。
まるで存在そのものが、規定外データとして上書きされていく。

(ああ……これは、世界が俺を殺しに来たってわけか)

(……それとも──“リリア”を、完全に消す気か?)

胸の奥が、どくんと重くなる。

ふと自分の指先に目を落とした。
手の甲に浮かぶ血管のラインが、まるで“他人のもの”のように見えた。

──そして、心の奥で乾いた声が漏れた。
(……いやいや、バージョン管理ミスかよ。誰が9.99βだ、正式リリースまで待てってんだクソシステム!)

喉の奥がかすかに震えた。笑っている。
削除の最中に、まだ“生きている”ことが可笑しくてたまらなかった。

爪を、そっとひとつ撫でる。
その動作に、どこか“遠くの声に触れようとする”ような繊細さが滲んでいた。

(……神を殺して、世界の構文にまで手を突っ込んで……)

(それでも、黙ってたくせに。今さら“整合性が取れません”ってか?)

沈黙が落ちた。
空気が一度だけ震え、すぐに──静止した。

──頬がかすかにひきつる。
冷笑とも、疲労ともつかない感情が滲む。

(そりゃあ、お前らにとっては都合が悪いよな。
 “人類の救世主”が、魔王だけじゃなく、“神の座”まで見据えちまったんだから。)

かつて、颯太がゲーム内で操ったリリアは、
“神に見捨てられた大地”を歩き続けた。
戦乱の国境を越え、魔王軍の軍団を砕き、聖都の枢機卿までを断罪した。

(そりゃあ、支配層は困るわけだ。
 戦争が続いてくれなきゃ困る連中ばっかだもんな。
 ……戦って死ぬ者がいなきゃ、金も名誉も巡らない)
その仕組みごと、俺は壊して来たんだろうな──気づけば。

指先が、光を拒んだ。
世界の余白が、ざらりと逆立つ。
自分の存在が、神話の本文から削除されていく音がした。

それでも、指は止まらなかった。
震えているのは恐れではない。
──怒りでもない。
ただの“認識”だった。

だが、その認識は──残酷な真実へと裏返る。
かつて画面の向こうで眺めていた戦いは、もう“他人事”ではない。
今この肉体で、その続きを背負わされているのだ。

そして空が、ゆっくりと瞬きをするように色を変えた。
青から黒へ、黒から白へ──存在を一行ずつ削り取るコードのように。

息が詰まる。

その点滅が、“リリア=俺”の存在を一秒ごとにカウントダウンしていた。
世界そのものが冷徹に「削除キー」を押し続けている──そんな錯覚が胸を凍らせた。

(……いや、錯覚って言葉で済ませられるかよ。普通に心臓止まるっての……)

(……世界そのものが、“穏やかな破滅”を望んでるのかよ)

リリアは、誰にでもなく、吐き捨てるように呟いた。

その声が消えるより早く、世界のコードは閉じた。
風も、音も、意味も止まった。
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