6 / 32
『第一話・5 : 戦場バラエティと白き霧』
しおりを挟む
湖畔に残されたのは、戦いの余韻と疲弊だけだった。
傷だらけの兵士たちは甲冑を支えきれず、列を組むどころか震える足を前に出すことすら難しい。
ブッくんは頁の端を破られ、よれよれになりながら呻いた。
「ワ、ワイもう……ただの紙くずやでぇ……」
「情けない。――この程度で怯むなら、すぐにでも帰りなさい。行くわよ!」
セラフィーの声が、凍てつく風より鋭く響いた。
だが、その後の道のりはさらに混沌を極めた。
血と鉄の臭気を孕んだ湿った風が吹き、ぬかるんだ湖畔は黒泥を湛えていた。
一人の兵士が足を取られ、甲冑ごと泥に沈み込み、必死に手を伸ばす。
「助けてくれぇぇ! 鎧が重すぎて沈没寸前や!」
「お前は船か! いや、“沈む前に自力で立てや!”」
ブッくんがツッコミを飛ばしながら、頁で泥をばっさばっさ掻き散らす。
さらに別の兵は慌てて剣を抜こうとして鞘ごと泥に落とし、拾おうとして自分も転倒。
それにぶつかった仲間が「ぎゃっ」と悲鳴を上げ、二人まとめて再沈没。
「お前ら護衛やろ!? 何してんねん! “戦場のバラエティ番組”か!」
ブッくんの絶叫が湖畔に響き、セラフィーは、胸に広がる嫌な予感を押し殺すように、額を強く押さえ、深く息を吐いた。
その混乱を見かねて、ワン太が“ぽふん”と前へ跳ねる。
滑って泥に顔面から突っ込んだ兵士の頭に乗り、ちょこんと尻尾を振った。
その仕草は「落ち着け」と言わんばかりで、混乱の中に一瞬の笑いが広がった。
──だが、笑いは長く続かなかった。
やがて黒泥は凍りつき、靴底が軋む音が響く。
「うぅ、靴が氷に貼りついて動かん!」
「ぎゃっ、鎧の隙間に氷が……冷たっ!」
隊列はドタバタの見本市と化した。
それでも進むにつれ、森はやがて白に閉ざされていく。砕けた氷片がぱらぱらと落ちるたび、笑い声も悲鳴も凍りついていった。
白一色の道。
湿気を孕んだ鉄臭さも、血の匂いも、すべて雪と霧に呑まれていく。
残ったのは、冷たい息遣いと、張りつめた沈黙だけ。
こうして彼らはようやく──霧氷の谷の入口へと辿り着いたのだった。
谷の入口を越えた途端、空気が変わった。
白霧が渦を巻き、吐く息すらすぐに視界を遮る。
氷柱が牙のように突き出し、わずかな音も反響して返ってきた。
「ひぃぃ……! 声が勝手に三重唱なっとるぅぅ!」
ブッくんがびくついて叫ぶと、甲冑の兵も思わず背を丸める。
しかし災難は続く。
「わっ、槍の穂先が氷に刺さって抜けん!」
「うぎゃっ、マントが氷柱にひっかかって首が絞まるぅ!」
「お、おれの尻が氷に貼りついて……離れん! たすけっ!」
次々と情けない悲鳴があがり、列はさらにぐしゃぐしゃに乱れた。
転んだ兵が氷柱に頭から突っ込みかけた瞬間、ワン太が“ぽふん”と飛び出し、ふわふわの体で衝撃を吸収する。
「ぬいぐるみに命を救われるとは……」
兵士が蒼白になって呟く。
「ワン太の方が護衛しとるやんけ!」
ブッくんが即座にツッコミを飛ばし、セラフィーは苛立ちを紛らわすように深く息を吐いた。
だが笑いはすぐ凍りつく。
霧の奥から「……きし……ぎし……」と、氷が軋むような耳障りな音が響いてきたのだ。
誰もが息を呑み、足を止める。
セラフィーは剣を握り直し、低く呟いた。
「……気を抜かないで。ここからが、本当の霧氷の谷よ」
足元の雪は深さを増し、靴が沈むたびに冷たい水が甲冑の隙間へと忍び込む。
兵士たちの震えは寒さだけではなかった。
──そして。
その氷壁の裂け目に、淡い蒼光が瞬いた。
不自然なほど澄んだ光。まるで人の手で置かれた目印のように。
「……っ!」
セラフィーは瞳を奪われるように駆け寄る。
セラフィーの目にだけ、淡い蒼光が映った。
兵士たちは首を傾げ、ただ白霧を見つめている。
「……見えるのは、私だけ……?」
セラフィーが震える手でその場所を指し示した。兵士たちが恐る恐る目を凝らすと、彼女の指先に導かれるように、白霧の奥からようやく微かな蒼い輪郭が浮かび上がった。
氷壁の裂け目に、ひっそりと、淡い蒼光を宿した草花が揺れていた。
霧氷の谷にしか存在しないと伝わる幻の薬草──蒼梢の雫草。
「……あった……! 本当に……」
吐息が震える。
その光は、セラフィーの瞳を蒼く染め上げた。だが、指を伸ばしかけた彼女の頬を、氷の刃のような鋭い殺気がかすめる。
ふと振り返れば、仮面の兵士だけが薬草に背を向け、霧の深淵を睨みつけていた。歓喜に沸く兵士たちの声が、彼の沈黙に吸い込まれて消えていく。
足元のワン太が、初めて聞いたような低い唸り声を漏らした。
見上げる蒼い輝きは、もはや救いには見えなかった。それは手にする者に相応の代償を求める、冷徹な静謐さを湛えた「罠」のようでもあった。
傷だらけの兵士たちは甲冑を支えきれず、列を組むどころか震える足を前に出すことすら難しい。
ブッくんは頁の端を破られ、よれよれになりながら呻いた。
「ワ、ワイもう……ただの紙くずやでぇ……」
「情けない。――この程度で怯むなら、すぐにでも帰りなさい。行くわよ!」
セラフィーの声が、凍てつく風より鋭く響いた。
だが、その後の道のりはさらに混沌を極めた。
血と鉄の臭気を孕んだ湿った風が吹き、ぬかるんだ湖畔は黒泥を湛えていた。
一人の兵士が足を取られ、甲冑ごと泥に沈み込み、必死に手を伸ばす。
「助けてくれぇぇ! 鎧が重すぎて沈没寸前や!」
「お前は船か! いや、“沈む前に自力で立てや!”」
ブッくんがツッコミを飛ばしながら、頁で泥をばっさばっさ掻き散らす。
さらに別の兵は慌てて剣を抜こうとして鞘ごと泥に落とし、拾おうとして自分も転倒。
それにぶつかった仲間が「ぎゃっ」と悲鳴を上げ、二人まとめて再沈没。
「お前ら護衛やろ!? 何してんねん! “戦場のバラエティ番組”か!」
ブッくんの絶叫が湖畔に響き、セラフィーは、胸に広がる嫌な予感を押し殺すように、額を強く押さえ、深く息を吐いた。
その混乱を見かねて、ワン太が“ぽふん”と前へ跳ねる。
滑って泥に顔面から突っ込んだ兵士の頭に乗り、ちょこんと尻尾を振った。
その仕草は「落ち着け」と言わんばかりで、混乱の中に一瞬の笑いが広がった。
──だが、笑いは長く続かなかった。
やがて黒泥は凍りつき、靴底が軋む音が響く。
「うぅ、靴が氷に貼りついて動かん!」
「ぎゃっ、鎧の隙間に氷が……冷たっ!」
隊列はドタバタの見本市と化した。
それでも進むにつれ、森はやがて白に閉ざされていく。砕けた氷片がぱらぱらと落ちるたび、笑い声も悲鳴も凍りついていった。
白一色の道。
湿気を孕んだ鉄臭さも、血の匂いも、すべて雪と霧に呑まれていく。
残ったのは、冷たい息遣いと、張りつめた沈黙だけ。
こうして彼らはようやく──霧氷の谷の入口へと辿り着いたのだった。
谷の入口を越えた途端、空気が変わった。
白霧が渦を巻き、吐く息すらすぐに視界を遮る。
氷柱が牙のように突き出し、わずかな音も反響して返ってきた。
「ひぃぃ……! 声が勝手に三重唱なっとるぅぅ!」
ブッくんがびくついて叫ぶと、甲冑の兵も思わず背を丸める。
しかし災難は続く。
「わっ、槍の穂先が氷に刺さって抜けん!」
「うぎゃっ、マントが氷柱にひっかかって首が絞まるぅ!」
「お、おれの尻が氷に貼りついて……離れん! たすけっ!」
次々と情けない悲鳴があがり、列はさらにぐしゃぐしゃに乱れた。
転んだ兵が氷柱に頭から突っ込みかけた瞬間、ワン太が“ぽふん”と飛び出し、ふわふわの体で衝撃を吸収する。
「ぬいぐるみに命を救われるとは……」
兵士が蒼白になって呟く。
「ワン太の方が護衛しとるやんけ!」
ブッくんが即座にツッコミを飛ばし、セラフィーは苛立ちを紛らわすように深く息を吐いた。
だが笑いはすぐ凍りつく。
霧の奥から「……きし……ぎし……」と、氷が軋むような耳障りな音が響いてきたのだ。
誰もが息を呑み、足を止める。
セラフィーは剣を握り直し、低く呟いた。
「……気を抜かないで。ここからが、本当の霧氷の谷よ」
足元の雪は深さを増し、靴が沈むたびに冷たい水が甲冑の隙間へと忍び込む。
兵士たちの震えは寒さだけではなかった。
──そして。
その氷壁の裂け目に、淡い蒼光が瞬いた。
不自然なほど澄んだ光。まるで人の手で置かれた目印のように。
「……っ!」
セラフィーは瞳を奪われるように駆け寄る。
セラフィーの目にだけ、淡い蒼光が映った。
兵士たちは首を傾げ、ただ白霧を見つめている。
「……見えるのは、私だけ……?」
セラフィーが震える手でその場所を指し示した。兵士たちが恐る恐る目を凝らすと、彼女の指先に導かれるように、白霧の奥からようやく微かな蒼い輪郭が浮かび上がった。
氷壁の裂け目に、ひっそりと、淡い蒼光を宿した草花が揺れていた。
霧氷の谷にしか存在しないと伝わる幻の薬草──蒼梢の雫草。
「……あった……! 本当に……」
吐息が震える。
その光は、セラフィーの瞳を蒼く染め上げた。だが、指を伸ばしかけた彼女の頬を、氷の刃のような鋭い殺気がかすめる。
ふと振り返れば、仮面の兵士だけが薬草に背を向け、霧の深淵を睨みつけていた。歓喜に沸く兵士たちの声が、彼の沈黙に吸い込まれて消えていく。
足元のワン太が、初めて聞いたような低い唸り声を漏らした。
見上げる蒼い輝きは、もはや救いには見えなかった。それは手にする者に相応の代償を求める、冷徹な静謐さを湛えた「罠」のようでもあった。
0
あなたにおすすめの小説
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
転生したら最強種の竜人かよ~目立ちたくないので種族隠して学院へ通います~
ゆる弥
ファンタジー
強さをひた隠しにして学院の入学試験を受けるが、強すぎて隠し通せておらず、逆に目立ってしまう。
コイツは何かがおかしい。
本人は気が付かず隠しているが、周りは気付き始める。
目立ちたくないのに国の最高戦力に祭り上げられてしまう可哀想な男の話。
伯爵家の三男に転生しました。風属性と回復属性で成り上がります
竹桜
ファンタジー
武田健人は、消防士として、風力発電所の事故に駆けつけ、救助活動をしている途中に、上から瓦礫が降ってきて、それに踏み潰されてしまった。次に、目が覚めると真っ白な空間にいた。そして、神と名乗る男が出てきて、ほとんど説明がないまま異世界転生をしてしまう。
転生してから、ステータスを見てみると、風属性と回復属性だけ適性が10もあった。この世界では、5が最大と言われていた。俺の異世界転生は、どうなってしまうんだ。
出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。
起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。
その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。
絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。
役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。
傷物転生令嬢マグダリーナと原初の魔法使いエステラの幻想譚-女神とスライムの光とともに- (旧タイトル:ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
※他サイトでも掲載しています
※ちょいちょい手直ししていってます
2026.12.14 タイトル変更 旧タイトル:ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
レベル1の地図士は、世界の裏側を知ってしまった
あめとおと
ファンタジー
異世界に転移した主人公が得たスキルは【地図作成】。
戦闘能力ゼロ、初期レベル1。
冒険者ギルドでは「外れスキル」と笑われ、
新人向けの雑用クエストしか回ってこない。
しかしそのスキルは、
ダンジョンの隠し通路、未踏破エリア、消えた古代文明の痕跡まで“地図に表示する”
という、とんでもない能力だった。
生き残るために始めた地味な探索が、
やがて世界の秘密と、国家すら動かす大冒険へ――。
これは、
戦えない主人公が“冒険そのもの”で成り上がる物語。
同作品を「小説家になろう」で先行配信してます。
この度異世界に転生して貴族に生まれ変わりました
okiraku
ファンタジー
地球世界の日本の一般国民の息子に生まれた藤堂晴馬は、生まれつきのエスパーで透視能力者だった。彼は親から独立してアパートを借りて住みながら某有名国立大学にかよっていた。4年生の時、酔っ払いの無免許運転の車にはねられこの世を去り、異世界アールディアのバリアス王国貴族の子として転生した。幸せで平和な人生を今世で歩むかに見えたが、国内は王族派と貴族派、中立派に分かれそれに国王が王位継承者を定めぬまま重い病に倒れ王子たちによる王位継承争いが起こり国内は不安定な状態となった。そのため貴族間で領地争いが起こり転生した晴馬の家もまきこまれ領地を失うこととなるが、もともと転生者である晴馬は逞しく生き家族を支えて生き抜くのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる