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『第一話・5 : 名を忘れる街ラグネル』
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日が落ちる前、街道の先にラグネルの灯が揺らめき始めた。
その光は、旅人を迎える温もりではなく、北を睨み返すような鋭さを帯びていた。
石造りの外壁には鉄板が打ち付けられ、影に潜む見張りの視線が、通る者をひとり残らず測っている。
その鉄板には、過去の戦で打ち込まれた矢や槍の痕が深く刻まれ、街が幾度も北からの脅威を受け止めてきたことを語っていた。
門の横には、戦で失われた者たちの名がびっしり刻まれた木札が吊るされている。
風に揺れるたび、カタカタと鳴る音が──まるで冥界の鎖のように胸を撫でた。
その音に混じって、薬草と鉄の匂いが鼻を刺す。癒しと血の記憶が、この街の呼吸そのものに溶けていた。
指先に、ざらりとした鉄の冷たさが残る。
亡者の名が呼吸しているようで、颯太は無意識に視線を逸らした。
胸の奥に、針のようなざらつきがひとつ残る。
門前には行商人の列ができていた。
けれど荷車に積まれているのは果物や布、工芸品ばかりで、武具や食糧を北へ運ぶものは一台もない。
──この街では、“北へ行く者”は異端。
その空気を、リリアの内に居座る颯太は肌で感じ取っていた。
門前の警備兵が、荷の上からこちらを一瞥した。
「北へ? ……物好きだな。行っても帰れねぇぞ。」
(……フラグか。真っ先に喰われそうだ。いや、そういう役ほど生き残るパターンもあるんだけどな。)
門をくぐった瞬間、香辛料と革の匂いが鼻をくすぐった。
狭い路地では異国の言葉が飛び交い、色鮮やかな布や金属細工が軒先に並んでいる。
街の喧騒の奥には、焦げたような熱気と、不吉な沈黙が共存していた。
しかし──「北の砦」の話が出ると、笑っていた商人も旅人も、音を落としたように沈黙した。
宿を見つけて荷を下ろすと、リリアは市場へ出て、保存食と水袋、地図を新調した。
店主の老婆は、包みを結びながらふと顔を上げ、皺に埋もれた瞳でまっすぐ見てきた。
「……あんた、北へ行く気かい?」
「……ええ。」
リリアは返しながら、心の奥ではすでに構えていた。
老婆の指が包み紙を撫でる。
「なら、名前と──大事な人の顔だけは、忘れないようにするんだよ。霧に入るとね……呼んでも返ってこないことがある。声まで奪われちまうのさ。」
その声は震え、紙の上で指が止まった。
「うちの息子もそうだったよ……砦から戻ってきたのに、わたしを見て“あんた誰だ”って。
呼ぼうとした名前は喉まで来てたのに、掠れて消えたんだ。
そのまま二度と──“母”と呼んでくれることはなかった。」
包み紙の中から、乾いた香草の匂いがふわりと立ちのぼった。
その一瞬だけで、街全体が老女の悲しみを吸い込んだように静まり返る。
(可哀想な話なんだけど……
でもこれ、完全に“呪いイベント発動フラグ”だよな。
どの世界でも、ババ様NPCの忠告はだいたい攻略本レベルにヤバい。)
通りを横切った男が、ぼそりと呟いた。
「……あのガルヴェイン様も、街を守るために鎧に囚われちまったんだ。可哀想になぁ……英雄だったのに。」
その言葉に、周囲の人々が一瞬だけ黙り込む。
笑い声が途切れ、焚き火の煙だけが夜空へ細く昇っていった。
(……ただの敵、ってだけじゃないんだな。)
胸の奥に、鈍いものが沈む。リリアは思わず拳を握った。
沈みかけた陽が、街の石畳に赤を残していた。
その赤はまるで血潮の余韻のように、靴音の下で鈍く光っている。
風に混じる香辛料の匂いが、昼のざわめきを少しずつ夜へと連れていく。
──やがて、ラグネルの灯がひとつ、またひとつ灯り始めた。
夜、街は光をともして、昼間の喧騒をそのまま引き継いでいた。
酒場の扉を押すと、旅人たちが各地の噂を肴に杯を交わしている。
「灰鎧の将ガルヴェインはな、剣を抜かなくても相手を斬るって話だ。」
「いや、あれは霧が幻を見せるんだ。」
「どっちでも同じだ。戻ってきた者は皆、壊れていた。」
さらに奥の席で、酔った男が小声で囁く。
「……俺は見たんだ。砦の上を歩いてる“影”をな。鎧の音だけが響いて、姿は霧に溶けて……ぞっとした。
生きてる人間じゃなかった。
“剣を抜かずに斬る”ってのはよ……“記憶ごと斬られる”ってことだ。
斬られた奴は体に傷ひとつ残らねぇまま、自分が誰かを忘れて死んでいく。俺は……そうやって仲間を何人も失った。」
(抜かないで斬るって……記憶を?)
リリアは木製のカウンターに肘をつき、薄いスープを啜る。
湯気がふっと揺れた瞬間、その白さが灰色の霧と重なって見えた。──それは、生の温度と死の影が触れ合う一瞬だった。
遠くの砦から、鎧の音がこちらに近づいてくる錯覚に、指先が冷える。
(……それでも行くしかない。ここで迷えば、何も残らない。)
外で風が鳴った。誰かの囁きのように、夜の街が微かに揺れる。
その音が遠のくころ、身体の力がふっと抜けた。
宿に戻り、ベッドに身を沈める。
毛布を肩まで引き上げ、ゆっくりと息を吐く。
この部屋に漂うのは、石造り特有の冷たさと、昼の市場の名残を思わせる甘く乾いた匂い。
それらを意識の端から追い出すように、心を深く静めていく。
眠るためじゃない。
意識を深層へ沈め、セラフィーと繋がるためだ。
瞼の裏に広がるのは、色も音もない世界。
そこでは、自分の鼓動だけが水底で静かに波を打っていた。
やがて、その静寂の中心へ向かって──遠くから確かに近づいてくる気配があった。
(……セラフィー、聞こえる?)
返事はすぐにはなかった。
けれど、胸の奥で微かな共鳴が生まれ、その震えが形を帯びて声になる。
──聞こえるわ、リリア。
耳ではなく、胸の奥に直接届く声。
同時に、見えない風が頬を撫で、現実の境界がそっと薄れていく。
「明日、砦に向かう……その前に、聞きたいことがあるの。」
「──何?」
「灰鎧の将ガルヴェインって、本当は何者なの?」
短い沈黙。
セラフィーはすぐに答えず、胸の奥に凍るものを抱えるように、深く息を吸った。
「……あの人は、私の師匠だった人。」
その声には、かすかな震えと、遠い昔を懐かしむような揺らぎが混じっていた。
「初めて剣を握ったとき、“迷うな、剣は心を映す”って教えてくれた。
戦場で背中を預けられるのは、あの人しかいなかった……」
(……師匠、か。王道イベントすぎるだろ。でも、それってつまり──セラフィーの師匠を、俺が斬らなきゃいけないってことか?)
胸の奥がひやりと沈み、思わず息を呑んだ。
(いや、これ完全に“裏切り師匠ルート”のフラグ……)
その瞬間、遠くで鐘が鳴った。
静かな夜の底に、運命の音だけが確かに響いていた。
その光は、旅人を迎える温もりではなく、北を睨み返すような鋭さを帯びていた。
石造りの外壁には鉄板が打ち付けられ、影に潜む見張りの視線が、通る者をひとり残らず測っている。
その鉄板には、過去の戦で打ち込まれた矢や槍の痕が深く刻まれ、街が幾度も北からの脅威を受け止めてきたことを語っていた。
門の横には、戦で失われた者たちの名がびっしり刻まれた木札が吊るされている。
風に揺れるたび、カタカタと鳴る音が──まるで冥界の鎖のように胸を撫でた。
その音に混じって、薬草と鉄の匂いが鼻を刺す。癒しと血の記憶が、この街の呼吸そのものに溶けていた。
指先に、ざらりとした鉄の冷たさが残る。
亡者の名が呼吸しているようで、颯太は無意識に視線を逸らした。
胸の奥に、針のようなざらつきがひとつ残る。
門前には行商人の列ができていた。
けれど荷車に積まれているのは果物や布、工芸品ばかりで、武具や食糧を北へ運ぶものは一台もない。
──この街では、“北へ行く者”は異端。
その空気を、リリアの内に居座る颯太は肌で感じ取っていた。
門前の警備兵が、荷の上からこちらを一瞥した。
「北へ? ……物好きだな。行っても帰れねぇぞ。」
(……フラグか。真っ先に喰われそうだ。いや、そういう役ほど生き残るパターンもあるんだけどな。)
門をくぐった瞬間、香辛料と革の匂いが鼻をくすぐった。
狭い路地では異国の言葉が飛び交い、色鮮やかな布や金属細工が軒先に並んでいる。
街の喧騒の奥には、焦げたような熱気と、不吉な沈黙が共存していた。
しかし──「北の砦」の話が出ると、笑っていた商人も旅人も、音を落としたように沈黙した。
宿を見つけて荷を下ろすと、リリアは市場へ出て、保存食と水袋、地図を新調した。
店主の老婆は、包みを結びながらふと顔を上げ、皺に埋もれた瞳でまっすぐ見てきた。
「……あんた、北へ行く気かい?」
「……ええ。」
リリアは返しながら、心の奥ではすでに構えていた。
老婆の指が包み紙を撫でる。
「なら、名前と──大事な人の顔だけは、忘れないようにするんだよ。霧に入るとね……呼んでも返ってこないことがある。声まで奪われちまうのさ。」
その声は震え、紙の上で指が止まった。
「うちの息子もそうだったよ……砦から戻ってきたのに、わたしを見て“あんた誰だ”って。
呼ぼうとした名前は喉まで来てたのに、掠れて消えたんだ。
そのまま二度と──“母”と呼んでくれることはなかった。」
包み紙の中から、乾いた香草の匂いがふわりと立ちのぼった。
その一瞬だけで、街全体が老女の悲しみを吸い込んだように静まり返る。
(可哀想な話なんだけど……
でもこれ、完全に“呪いイベント発動フラグ”だよな。
どの世界でも、ババ様NPCの忠告はだいたい攻略本レベルにヤバい。)
通りを横切った男が、ぼそりと呟いた。
「……あのガルヴェイン様も、街を守るために鎧に囚われちまったんだ。可哀想になぁ……英雄だったのに。」
その言葉に、周囲の人々が一瞬だけ黙り込む。
笑い声が途切れ、焚き火の煙だけが夜空へ細く昇っていった。
(……ただの敵、ってだけじゃないんだな。)
胸の奥に、鈍いものが沈む。リリアは思わず拳を握った。
沈みかけた陽が、街の石畳に赤を残していた。
その赤はまるで血潮の余韻のように、靴音の下で鈍く光っている。
風に混じる香辛料の匂いが、昼のざわめきを少しずつ夜へと連れていく。
──やがて、ラグネルの灯がひとつ、またひとつ灯り始めた。
夜、街は光をともして、昼間の喧騒をそのまま引き継いでいた。
酒場の扉を押すと、旅人たちが各地の噂を肴に杯を交わしている。
「灰鎧の将ガルヴェインはな、剣を抜かなくても相手を斬るって話だ。」
「いや、あれは霧が幻を見せるんだ。」
「どっちでも同じだ。戻ってきた者は皆、壊れていた。」
さらに奥の席で、酔った男が小声で囁く。
「……俺は見たんだ。砦の上を歩いてる“影”をな。鎧の音だけが響いて、姿は霧に溶けて……ぞっとした。
生きてる人間じゃなかった。
“剣を抜かずに斬る”ってのはよ……“記憶ごと斬られる”ってことだ。
斬られた奴は体に傷ひとつ残らねぇまま、自分が誰かを忘れて死んでいく。俺は……そうやって仲間を何人も失った。」
(抜かないで斬るって……記憶を?)
リリアは木製のカウンターに肘をつき、薄いスープを啜る。
湯気がふっと揺れた瞬間、その白さが灰色の霧と重なって見えた。──それは、生の温度と死の影が触れ合う一瞬だった。
遠くの砦から、鎧の音がこちらに近づいてくる錯覚に、指先が冷える。
(……それでも行くしかない。ここで迷えば、何も残らない。)
外で風が鳴った。誰かの囁きのように、夜の街が微かに揺れる。
その音が遠のくころ、身体の力がふっと抜けた。
宿に戻り、ベッドに身を沈める。
毛布を肩まで引き上げ、ゆっくりと息を吐く。
この部屋に漂うのは、石造り特有の冷たさと、昼の市場の名残を思わせる甘く乾いた匂い。
それらを意識の端から追い出すように、心を深く静めていく。
眠るためじゃない。
意識を深層へ沈め、セラフィーと繋がるためだ。
瞼の裏に広がるのは、色も音もない世界。
そこでは、自分の鼓動だけが水底で静かに波を打っていた。
やがて、その静寂の中心へ向かって──遠くから確かに近づいてくる気配があった。
(……セラフィー、聞こえる?)
返事はすぐにはなかった。
けれど、胸の奥で微かな共鳴が生まれ、その震えが形を帯びて声になる。
──聞こえるわ、リリア。
耳ではなく、胸の奥に直接届く声。
同時に、見えない風が頬を撫で、現実の境界がそっと薄れていく。
「明日、砦に向かう……その前に、聞きたいことがあるの。」
「──何?」
「灰鎧の将ガルヴェインって、本当は何者なの?」
短い沈黙。
セラフィーはすぐに答えず、胸の奥に凍るものを抱えるように、深く息を吸った。
「……あの人は、私の師匠だった人。」
その声には、かすかな震えと、遠い昔を懐かしむような揺らぎが混じっていた。
「初めて剣を握ったとき、“迷うな、剣は心を映す”って教えてくれた。
戦場で背中を預けられるのは、あの人しかいなかった……」
(……師匠、か。王道イベントすぎるだろ。でも、それってつまり──セラフィーの師匠を、俺が斬らなきゃいけないってことか?)
胸の奥がひやりと沈み、思わず息を呑んだ。
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