夢見るネコの私とあなた

こひな

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彼…栗原恭弥くりはらきょうやさんは、社長令嬢の富川沙也加ふかわさやかの幼馴染だそうだ。
彼自身もいわゆる御曹司らしく、この会社には修行に来ている…という噂だ。


世間知らずの私が、栗原さんの親が経営している会社なぞ知る由もなく……知ったところで何になる…という立場でもある。
要するに、彼…栗原恭弥は高根の花なのだ。
高根の花って、女性に使う言葉なのかもしれないけれど、それぐらい遠い存在なのだ。



●○●○



「もう!なんなのよ!いい加減にしなさいよっ!」


営業部フロアに響く甲高いヒステリックな声。
何が気に食わないのか、ここしばらく毎日がこうだ。


朝はお茶が飲みたいと言うのでお茶を入れたら不味いと言われ…コーヒーにしてと言われたのでコーヒーを入れたら、インスタントなんて飲めるわけないじゃない…と、手で払いのけられる。


当然、私に熱いコーヒーがかかりやけどをするが、周りの誰もが見て見ぬふり。
相手がこの会社のお嬢様だから。
そしてこれは毎日決まったように、営業補佐……女性しかいない時間に行われる……。


時々、同じ営業補佐の先輩から「よくやっていられるわね」といわれるけれど、私はこの会社を辞めたら住む場所までなくなってしまうというリスクがある。


仕事自体は好きなのだ。だから頑張れる。そう思っていたし、できると思っていた。これからも。


この時まではそう……。




●○●○




「及川さん、いつまで続くだろうね」


同じ営業部の仙川せんかわがつぶやく。
最近、沙也加の当たりがキツくなってきたと、仙川の補佐をしている子から聞いたらしい。


「今まではある程度の時期になったら替わってただろ?なんで及川さんの時には替わらないんだ?」


思った事を聞いてみると、意外な答えが返ってきた。


「人事部長にこのまま続けるか、会社辞めるかどっちかだっつー感じのこと言われたらしいよ。……あぁ~…栗原は知らないんだったか。彼女ほら、施設出身なんだよ。なんでも…高校を卒業したら施設を出なくちゃいけなかったらしくて、寮がある会社を学校が紹介したみたい。アパート借りるのも保証人とか必要だし、保証会社なんて結構手数料取ったりすんじゃないの?高校卒業して新卒でアパート借りるって、金銭的にもちっとムズいだろ」


やけに個人情報に詳しい仙川を問い詰めると、人事部の女の子に聞いたらしい。
ったく…あっちこっち手を出していると、その内刺されるぞというと、「ハイハイ。おっ、時間だ」と言って、手をひらひらさせて休憩所を出て行った。


そんな事情があるのか……。
って言うか会社として、それダメだろ!…の前に、自分の知らない彼女の事実を、他の男から聞かされてしまい、何となく後味が悪い。


別に付き合っているわけじゃないから、彼女の事を全て知らないのは当たり前…だけど…胸中は複雑だ。
そうか…施設出身……なのか。


ほんわりと笑う彼女からは想像もつかない過去だ。
それに…勝手に彼女の過去を自分が知って良かったのか…明日から、どんな顔をして彼女に会えばいいのか分からない。


いつも通り、何も聞かなかったフリが一番いいんだろうけど。
はぁ…自分の不器用さに嫌気がさしてきた。こんな時は、彼女のあの笑顔が一番の薬なんだが…。


そう思い、誰もいなくなったフロアを出る。
明日はなんて言って話しかけよう……。


こう思える時間がとても幸せで尊いものだと思い知ったのは、それから一週間経ってからだった。
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