夜が名前を呼ぶまで

しるふ

文字の大きさ
3 / 5

駅に呼ばれた人たち

しおりを挟む
城崎と別れたあと、私はすぐには家へ戻れなかった。

頭の中が、情報で埋め尽くされていたからだ。
帰途駅。
後悔を抱えた人間だけが辿り着く場所。
そして、そこに留まる死者は「終われていない」。

凪は、終われていない。

それはつまり――
私が、終わらせていないということだ。

橋から離れ、川沿いを歩く。昼間の景色は驚くほど平凡で、昨夜の出来事が嘘だったかのように思えてくる。だが、その平凡さが、かえって私を不安にさせた。

携帯電話を確認する。
凪からのメッセージは、それきり届いていない。

代わりに、一通のメールが来ていた。

差出人:城崎
件名:会ってほしい人がいます

本文は短い。

今夜二十三時。
◯◯線・旧第三ホーム。
帰途駅の「手前」です。

「手前」という言葉が、妙に引っかかった。

帰途駅は、存在しない。
ならば、その手前とは何なのか。

だが、行かないという選択肢は、もうなかった。



夜二十二時五十分。

指定された駅は、すでに使われなくなった古いホームを抱えていた。フェンスで仕切られ、立入禁止の看板が下がっている。

城崎は、当然のようにフェンスの鍵を開けた。

「違法侵入ですよ」

私が言うと、城崎は肩をすくめる。

「ここに来る人間は、法律より重いものを抱えている」

ホームには、すでに三人の人影があった。

一人は、私と同じくらいの年齢の女性。
一人は、白髪混じりの中年男性。
もう一人は、学生に見える若い男。

全員、こちらを見た。

その視線に、共通したものがある。
疲れ切った目。
逃げ場を失った人間の目。

「紹介します」

城崎が言った。

「全員、帰途駅に行ったことがある人たちです」

胸が強く脈打つ。

「……俺以外にも、いたんですね」

「ええ。思っているより、ずっと多い」

城崎は順に視線を向けた。

「この人は藤堂さん。五年前、部下の自殺を止められなかった」

中年男性は、かすかに頭を下げた。

「こちらは三浦さん。事故で娘さんを亡くしています」

女性は、何も言わず、唇を噛んだ。

「そして彼は直哉くん。友人の冤罪を、黙認した」

若い男は視線を逸らしたまま、低く呟く。

「……俺のせいで、人生終わった」

重たい沈黙が、ホームを包む。

「共通点が、わかりますか」

城崎が言う。

「皆さん、大切な誰かを“助けられたはず”なんです」

助けなかった。
助けられなかった。
助ける勇気が、なかった。

「そして全員、同じ駅に行き着いた」

城崎は、私を見た。

「あなたの妹さんも、その一人です」

そのとき、風が吹いた。

古いホームの奥、使われていない線路の向こう側に、霧のようなものが立ち込める。街灯の光が、そこで歪んだ。

――来る。

直感が、そう告げた。

次の瞬間、聞こえた。

電車の音。

ありえない。
この線路は、もう何年も使われていない。

霧の中から、ゆっくりと車両が現れる。

色あせた銀色。
傷だらけの窓。

昨夜、私が乗った電車だった。

「これが……」

三浦が、震える声を漏らす。

「帰途駅行きです」

城崎が言った。

「ただし、全員が同じ場所に降りるわけじゃない」

「どういうことだ」

藤堂が問う。

城崎は、静かに答えた。

「降りる場所は、その人が向き合うべき“真実”によって変わる」

ドアが、開いた。

車内は暗く、底が見えないほど深い。

その奥で、私は見た。

凪が、立っていた。

昨夜よりも、はっきりとした姿で。

目が合う。

凪は、微笑まなかった。

その代わり、確かに口を動かした。

――まだ、話してない。

私は、一歩前に出た。

「待って」

城崎が、私の腕を掴む。

「忠告します。妹さんの真実は、あなたが一番見たくないものです」

「それでも、行く」

即答だった。

凪が、私を呼んでいる。
それだけで、十分だった。

城崎は、ゆっくりと手を離した。

「なら、覚悟してください」

「帰途駅は、救済の場所じゃない」

「――選択の場所です」

私は、電車に乗り込んだ。

ドアが閉まる。

次の瞬間、世界が、闇に沈んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

春に狂(くる)う

転生新語
恋愛
 先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。  小説家になろう、カクヨムに投稿しています。  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...