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ドS大佐はVチューバー・ifストーリー【ヴァンパイア編】
第一話 アステリズムの迷い子
しおりを挟む銀河の砂を撒き散らしたような紺鼠色の夜空が、音もなく箱庭『モノクローム・ガーデン』を浸食していた。
それは陽の光と呼ぶにはあまりに淡く、熱を持たない。
まるで古い銀板写真の中に閉じ込められたかのような、穏やかで、けれどどこか物悲しい静止した光景。
藤堂律は、庭園の中央にそびえる巨大なキノコのような形の岩に背を預け、古びた魔道書をめくっていた。
時折、風に揺れる銀色の葉が、モノクロームの視界にわずかな動揺を与える。
ここは静寂と孤独が支配する聖域だった。
律の心象風景が作り出したその街並みは、かつて彼が愛した人間界の残影だ。色彩までは再現できずとも、家々の軒先や路地裏の匂いまでを、彼は孤独な十年の歳月をかけて克明に刻み込んできた。
「リツ様! リツ様! リツ様ったらーーーっっ!!」
静謐を切り裂くように、バサバサとせわしない羽音が近づいてくる。
律は視線を本に落としたまま、眉間にわずかな皺を寄せた。
「……うるさいぞ、白斗。そんなに叫ばなくても聞こえてるっつーの」
耳朶をかすめる長さの黒髪がさらさらと揺れ、その隙間から左耳のリングピアスが鈍い銀光を放つ。伏せられた長い睫毛が持ち上がると、そこには磨き上げられた紅玉のような「赤」が、無機質な陽光を撥ねのけていた。
灰色の静寂を切り裂く、唯一の鮮烈な色彩。
種族の飢えと気高さを象徴する、燃えるようなファイアーレッドだ。
その身を包むのは、夜の闇を裁断して仕立てたような漆黒の貴族服だ。
装飾を削ぎ落としたジャケットの下には、黒いドレスシャツを隙なく纏っている。
闇に沈むような装いの中で、唯一の色彩を放つのは、喉元を飾る紅い紐のループタイ。
銀の台座に嵌め込まれた紅い宝石が、主の瞳と共鳴するように、静かに拍動していた。
「大変です!大変なんですっ!!白兎が落石に挟まり動けなくなっております!どうかリツ様のお力で
お助けくださいませ~っ」
律はため息をつき、ようやく本を閉じた。
冷ややかな紅い瞳が、宙を舞う白コウモリを射抜く。
「落石? ……どんくさ。アステリズムで生き物が死ぬことはない。放っておいても勝手に抜け出す
だろ」
「そういう問題ではありません!いくら、あなた様の創造の世界とはいえ、この世界の住人にも自我
がございます!痛みも感じますし、不当な拘束は多大なストレスになるのです!どうか、主として
の慈悲を!」
「……たく。ほんとダリィなぁ。行けばいいんだろう? 行・け・ば」
律は億劫そうに立ち上がると、無造作に指を鳴らした。
刹那、空間が万華鏡のように歪み、二人は騒動の現場へと転移した。
「おーい!白兎~、リツ様を連れて来たから、もう安心だぞ!」
「ああ、ハクトさん、ありがとう。このご恩は一生忘れません」
見れば、自慢の白い毛並みを泥で汚した白兎が、あつらえたように見事に岩の隙間に挟まっていた。その滑稽な姿に、律の薄い唇がふっと弧を描く。
「ははっ!まじで、挟まってる!どうやったら、そんな器用にハマるんだよ。むしろ奇跡じゃね?こ
のまま放置して、庭の新しいオブジェにするのはどうだ?」
律の無慈悲な提案に、白斗と白兎が同時に顔を青くさせた。
「リツ様っ!!」
白斗の甲高い抗議が、静かな庭園に響き渡る。
「はいはい。冗談だよ」
律がスッと白く細い手をかざすと、巨大な落石は重力から見放されたように、音もなく宙へ浮き上がった。
彼がそのまま、美しい指先を軽く握り込む。
瞬間、強固な岩塊は抵抗することさえ許されず粉砕され、ダイヤモンドの塵のような光の粒子となって、モノクロの世界にキラキラと降り注いだ。
「リツ様ぁ~!!ありがとうございますぅ!このご恩は一生、末代まで忘れません!」
足元にスリスリと鼻を寄せてくる白兎に、律は「お前は、誰にでも『一生』を誓うのか?」と呆れ顔を見せた。「安いな」と毒づきながらも、泥を払うようにその柔らかな体をひょいと抱き上げる。
掌に伝わる小さな鼓動。
彼はこの白黒の世界の住人を、彼なりに慈しみ、愛していた。
飽き飽きした停滞の日常を唯一彩る、微かな安らぎの時間――。
その時だった。
――パキリ、と。
アステリズムの強固な結界に、目に見えない亀裂が入る音が律の脳内で鋭く爆ぜた。
「……なんだ?結界の軸が歪んだぞ」
「リツ様!街の方からです!」
律は反射的に白兎を地面へ降ろすと、背中から漆黒の翼を解き放ち、一気に夜空へと舞い上がった。
眼下に広がるのは、見慣れたはずの現代的な街並み。
本来ならモノトーンで統一されているはずの星群特区に、見たこともない鮮烈な「色彩」が毒のように、あるいは福音のように点在し始めている。
ひび割れの中心点――。
時計台の屋根に降り立った律は、その光景に紅い瞳を見開いた。
「……は?人間の、女の子……?ありえない。ここは俺の世界だ。誰の侵入も許さない、孤独の檻
のはずだぞ」
アスファルトの上に、ぽつんと立ち尽くす少女。
彼女が踏み出す足元から、枯れていたはずの風景に淡い桃色や新緑の光が、呼吸を始めるように灯っていく。
律の紅玉の瞳が、その輝きを強烈に反射し、燃え上がった。
それはアステリズムの灰色の夜を真っ向から拒絶する、圧倒的な生命の輝きだった。
「リツ様!どのような者か判りません。一度身を潜め、様子を窺いましょう!」
律は白斗の進言に従い、時計台の影に音もなく身を隠した。
胸の奥で、心臓がかつてないほど激しく波打つ。
それは、完成されていたはずの平穏な孤独が、たった一人の侵入者によって音を立てて崩れ落ちていく――抗いがたい「終焉」への胸のざわめきだった。
律の鋭い視線が、灰色の世界を侵食する「色彩の主」を射抜いた。
そこにいたのは、使い込まれた質素な——もっと端的に言えば『煤けた』に近い、白いシャツと紺のベストを纏った、二十代前半と思しき少女だった。
アステリズムの凪いだ風に、暖色系の薄いスカートが力なく揺れている。
ふわりと波打つショコラグレージュのミディアムヘアは、手入れが行き届いていないのか、毛先が所々無造作に跳ねていた。
だが、驚きに大きく見開かれたヘーゼルブラウンの瞳は、この色彩を失った聖域には存在し得ない、陽だまりのような暖かな光を宿している。
律は時計台の縁に片膝を立てて座り、眼下の少女を凝視した。
(……なんだ、あいつ。ひどい身なりだな。なのに、歩くたびにアスファルトを芽吹かせてやがる。
どういうからくりだ?)
彼女の周囲だけ、アステリズムの永い夜が明けたかのように白く、温かく発光している。
その瞬間、律は無意識に自分の牙が疼くのを感じた。それは単なる空腹ではない。
もっと根源的な、対象のすべてを奪い去りたいという、吸血鬼としての剥き出しの本能だ。
自分の「孤独の檻」を無邪気に塗り替えていく彼女に対し、律は苛立ちよりも、呼吸を忘れるほどの美しさを覚えてしまう。
それは、十年間の「停止」が、一瞬にして「始動」へと切り替わったような戦慄だった。
「リツ様、人間!人間です!人間の少女ですよ!どうなさいますか、排除いたしますか!?」
白斗が興奮のあまり、律の頬をパタパタと羽根で叩く。
「……騒ぐな。見ればわかる」
「それにしても、なんという甘く、芳醇な香り……。捕まえて、今夜のディナーに召し上がるのはい
かがです?ちょうどメインを決めかねておりました」
「ダメだ、落ち着け。あいつは人間だ。慈しむべき、俺たちの『親』のような種族だぞ」
律は自分に言い聞かせるように、種族の鉄律を心に刻んだ。
だが、白斗は納得のいかない様子で首を傾げる。
「それはリツ様たちヴァンパイアの道理。我ら、白コウモリには関係ございませんゆえ。……しか
し、あれが人間。資料以外では初めて見ましたが、なんとも美しいですね」
「……いや、あれは例外だ。人間はあんな風に、歩くだけで世界を発光させたりはしない。……本当
に『人』なのか?」
律は指をパチンと鳴らし、漆黒の貴族服を、一瞬で人間界の現代的な装いへと変えた。
「リツ様!?何を!?」
「様子を見てくる。……白斗、お前は先に屋敷へ戻っていろ」
「なんとっ!?危険です!!正体不明の侵入者なのですぞ!?ハクトも共に行きます!」
「馬鹿。お前がいたら変装する意味がねえだろうが」
「ですが……っ!」
「大丈夫だ。あれを見ろ」
律は静かに少女を指さした。
少女は、自分が結界を壊したことにも、この灰色の世界に「色」を灯していることにも、全く気づいていないようだった。
「……あれ?ここ、さっきまで白黒だった気がするけど……気のせいかな。それにしても、お腹す
いたなぁ」
彼女はポケットから、くしゃくしゃになった包み紙の飴玉を取り出し、無防備に口へ放り込んだ。
そのあまりに無害な生活感と、ゆるゆるな警戒心。
律の肩から、ふっと憑き物が落ちたように力が抜ける。
「……害はないだろ」
律は漆黒の翼を霧のように消し、重力から解き放たれた羽根のように、静かに地上へと舞い降りた。
そこはもう、灰色の静寂ではない。
彼女が持ち込んだ「生命の色」と、律の「永い夜」が混じり合う、不思議な境界線だった。
律は着地すると同時に、自らの装いを一瞥した。
漆黒の貴族服は、現代的なオーバーサイズの黒コートへと姿を変えている。
足元は緩めの黒のスウェットパンツに、モノトーンのスニーカー。
白いスタンドカラーシャツの首元には、先ほどまで正装を飾っていたお気に入りのループタイを再び引き寄せ、きゅっと結び直した。
人間界の若者に紛れても遜色のない、完璧な『擬態』。
律は満足げに口角を上げると、迷い子の少女へと歩み寄った。
「もしもし。お嬢さん。……そこの、キョロキョロと落ち着かないお嬢さん。どうされました?何か
お困りですか?」
その声は、迷い子を案じる親切な青年そのものだ。
だが同時に、どこかこの世のものとは思えないほど滑らかで、心臓を直接撫でるような澄んだ響きを帯びていた。
飴を口の中で転がしていた少女が、弾かれたように振り返る。
その瞬間、彼女の視線は、灰色の世界で唯一鮮烈な輝きを放つ、律の紅玉の瞳に釘付けになった。
「わあ……綺麗な目……」
無意識に漏れ出たその呟きに、律は虚を突かれた。
「は?」
「あ、や、ごめんなさい!ちょうどよかった……。駅に向かっていたはずが、いつの間にか道に迷っ
てしまったようで。ここがどこだかわかりますか?」
「……駅。それだけですか?」
少女の問いに、律は瞳の紅玉を細め、三日月を思わせる歪な笑みを浮かべた。
それは親切な案内人と、迷い子を深い森へ誘い出す怪異の、ちょうど中間に位置するような不確かな微笑だった。
「……何か、特別な門をくぐったとか、ベールの膜を切り裂いたとか。……そんな自覚は?」
「……して、ないと思いますけど」
(……ふむ。無自覚か)
律は確信する。彼女は己の異質な力に気づいていない。
「ようこそ。ここは『星群特区・アステリズム』、レミニセンス・シティー。追憶の街です」
律はそう告げると、現代的なコートの裾を、あたかも豪奢な正装の燕尾であるかのように軽やかに捌いた。左手を腰の後ろに回し、右手を胸に当てて、流れるような所作で深々と頭を下げる。
それは人間界の歴史から零れ落ちた、古き良き時代の貴族が見せる完璧な敬礼だった。
「レミニ……え?外国ですか?」
真琴は目を丸くし、その場違いなほど優雅で、絵画のように美しい所作に見惚れた。
律は顔を上げると、片目を茶目っ気たっぷりに眇めてみせる。
「そちらの言葉で言うところの『異世界』。……とでも思ってください」
「異世界!?私、死んじゃったの!?それとも召喚!?」
オーバーなリアクションで狼狽え始めた彼女に、律はわずかに眉をひそめた。
「俺は藤堂律。ここレミニセンス・シティーの唯一の住人だよ」
十五年を過ごした人間界での名を、彼は久方ぶりに口にした。
その響きは、冷たい灰色の空気へ不思議なほど滑らかに馴染んでいく。
「唯一って……あなた一人で!?え、インフラは!?生活はどうしてるんですか!?」
「あー、平気平気。この世界では大したことじゃないよ」
「大したことですよ!!インフラが整備されていないと、暮らせないでしょう!?」
「……食いつくとこ、そこかよ」
律は面倒くさそうに、小さく舌打ちをした。
度を越したお人好しか、あるいは染み付いた生真面目さか。
彼女の心配の矛先は、どうにも本質からズレている。
「インフラのことは一瞬忘れて。あんた、名前は?」
「こ、小林真琴です」
「オッケー、真琴さん。駅に向かいたいんだよね?」
「は、はい!駅前の花屋さんに行きたくて」
「花屋?誰かに贈り物?」
「いえ、店員なんです。急がないと遅刻しちゃう……!」
「あー、なるほど。花屋の店員、ね……」
律は得心がいったように顎に手を添え、改めて真琴を頭のてっぺんから爪先まで、値踏みするように視線でなぞった。
「……な、なんですか!?」
「いや、似合ってるなと思って。花を慈しむ、優しい雰囲気がすごく心地好い……」
律は吸い寄せられるように一歩踏み込み、彼女の逃げ場を奪う距離まで詰めると、その瞳を真っ直ぐに見つめて、さらりと付け加えた。
「綺麗だ」
不意打ちの、甘い毒のような賛辞。
真琴の心臓が跳ね上がり、その頬はアステリズムに点在するどの光よりも鮮やかな桃色へと紅潮した。
「は、はぁーーー!?な、ななな何を……っ」
「それじゃ、街の入り口まで案内するから。遅れないようについてきて」
狼狽える真琴に目もくれず、律は翻るコートの裾を揺らして、すたすたと歩き出した。
その背を追う真琴はまだ知らない。
自分を案内するこの「親切な青年」が、自らに『自戒』という名の枷を嵌めながら、その奥底で「すべてを支配し、奪い去りたい」という狂おしい本能と戦っている吸血鬼であることを。
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