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ドS大佐はVチューバー⑪
しおりを挟むある日の正午過ぎ。
小林真琴は、藤堂律が住むマンションのエントランスで立ち尽くしていた。
数日前、熱を出した律を見舞うために訪れたこの場所で、衝動のままに彼を抱き寄せた記憶や、看病の翌朝の気まずいやり取りが脳裏をよぎり、インターホンを押す指がどうしても躊躇してしまう。
「……よしっ」
軽く深呼吸をして自分を奮い立たせ、ようやく指先を押し当てた。
律の部屋の前まで辿り着くと、ドアの向こうから賑やかな話し声が漏れ聞こえてくる。その声は次第に大きくなり、真琴がノックをしようとした瞬間、ドアが勢いよく内側から開け放たれた。
「こーんにちわーーーっっ!!」
中から飛び出してきたのは、栗色のショートボブに鮮やかな緑色のインナーカラーが目を引く、少女のように愛らしい女性だった。
「えっ、あ……」
挨拶を返す暇もなかった。まるで歌のお姉さんのようなハイテンションな叫びと共に、欧米の映画でも見ないような力強いハグが仕掛けられる。
「わわっ!?」
そのままの勢いで押し倒され、真琴は後頭部を床に強打した。
「真琴さん、平気?やっぱ病院行った方がいいんじゃねぇの」
「いやいや、大げさですよ……」
借りた保冷剤で後頭部を冷やしながら、真琴は苦笑いした。小学生以来のたんこぶに、痛みよりもどこか懐かしさすら感じていたが、律の表情は真剣そのものだった。
心配そうに覗き込んでくる彼の瞳。
自覚してしまった「恋心」のせいで、その視線に耐えきれず真琴が目を逸らした、その時だった。
律の大きな手が真琴の首元に添えられ、抗う間もなくぐいっと彼のほうへ引き寄せられる。
「んー……。出血はないか」
目を見張るほどの至近距離。
たんこぶの具合を確かめるための事務的な動作だと分かっていても、鼻先が触れそうな距離で交わる呼吸に、真琴の心臓はうるさいほどに跳ねた。
律が、ふと真琴の顔が真っ赤に染まっていることに気づき、弾かれたように手を離す。
「ご……ごめんっっ!!軽率だった」
「全然!大丈夫っ大丈夫ですからっ!」
お互いに猛烈な気まずさに襲われ、床を見つめて正座する二人の間に、しばしの沈黙が流れる。
その甘酸っぱくも、どこか滑稽な光景を特等席で見守っていた人物が、耐えきれないといった様子で沈黙を破った。
「きゃーわーいーいー!!二人ともラブラブじゃんっ。もしかして私、お邪魔かな?」
その瞬間、律の手が女性の頭を鷲掴みにした。
「……先に言うことがあるだろうが、この馬鹿女っ!!」
そのまま床にこすりつけるようにして、無理やり土下座をさせる。
「イタタタタタっ!律ごめんっ!ごめんって!!彼女さんもごめんなさいいぃーっ!!」
部屋中に響き渡る叫び声は、まさに断末魔のそれだった。
「初めまして、藤堂桃果と申します。弟がいつもお世話になっております」
先ほどの騒ぎが嘘のように、桃果は正座で深々と頭を下げた。
「あっ、小林真琴と申します! ……って、弟!?藤堂さんのお姉さんなんですか!?」
あまりに似ていない、あるいはエネルギーの方向が違いすぎる姉弟に呆気にとられていると、真琴は本来の目的を思い出した。
バッグからスマホを取り出し、律に差し出す。
「藤堂さん、これ。兄さんから預かりました」
「ありがとう真琴さんっ。マジで助かる!これでやっと仕事の資料が作れます」
律はスマホを拝むように両手で受け取り、安堵の息を漏らした。
「でも、薫さんに頼んだはずなのに……。なんで真琴さんが?」
「それがよく分からなくて……。『お前が行く方がおもろいから行ってこい』って言われて」
「……あの狸っ」
律は眉間に深い皺を刻み、薫の「余計な気遣い」の意図を察して、盛大に舌打ちをした。
「ねーねー、小林さん?」
突然名前を呼ばれ、真琴が振り返る。
桃果が頬杖をつきながら、探るような、けれど慈しむような瞳で真琴を見つめていた。
「せっかくだから、少しおしゃべりしない?そういや近くにコンビニがあったなぁ……」
桃果は真琴の返事も待たずに手元のスマホを高速でフリックし始めた。
「お前、何考えて……」
「あった!徒歩三分!行こーっ!」
検索完了の画面を律の眼前に突きつけ、訝しげな彼の声を見事にスルーし、桃果は流れるような動作で真琴の腕を引いて外へと飛び出した。
「待て!」と伸ばされた律の手が空を切り、無情にもドアはパタリと閉まってしまった。
(き、気まずい……。地獄のように気まずいんだが……!)
桃果の数歩後ろを歩きながら、真琴は心中で悲鳴を上げていた。
根っからのオタク気質である真琴のコミュ症が「初対面の人と二人きりなんて死ぬ!」と警報を鳴らす一方で、日々の接客業で培われた営業スマイルが発動し、外面スイッチがカチカチと空回りを始める。
(何か……何か話さなきゃ! て、天気とか!?それとも緑のおしゃれな髪を褒めるべき!?)
接客業の仮面とオタクの被害妄想が脳内で激しいデッドヒートを繰り広げ、真琴がパンク寸前で頭を抱えそうになったその時だった。
桃果がポツリと独り言のように呟いた。
「私ね、律に会うの五年ぶりなんだ……。元気そうで安心したよ」
その声には、先ほどまでの明るさは微塵もなかった。
「律、ママとちょっとぎくしゃくしててさ。実家に全然帰って来なくて……。気づけば五年も経って
たんだよね」
唐突に語られた、律の家族の事情。
複雑な事情があるのだと、察するに余りある。けれど……。
「桃果さんっ、ごめんなさい!!」
真琴の張り詰めた声に、桃果の肩が跳ねた。
「私……その話、聞けません。藤堂さんのいない場所で、藤堂さんの大切なことを知りたくないんで
す」
真琴は拳をぎゅっと握りしめ、真っ直ぐに桃果を見つめた。
たとえ姉であっても、律の痛みや過去を、彼の許可なく第三者から「情報」として受け取ることは、律の心を土足で踏み荒らすことと同じだ。
真琴にとっての律は、もうそれほどまでに尊重したい存在になっていた。
桃果は驚いたように両手で口を覆った。やがてその瞳がみるみるうちに潤んでいく。
「……君、良い子だねぇ~っっ!」
桃果は勢いよく真琴の手を両手で包み込んだ。
「うんうん、そうだよね!律のことは律に聞かなきゃだよね!ありがと、教えてくれてっ」
一度感情が溢れ出すと止まらないタイプなのか、桃果は真琴の戸惑いをよそにどんどん話を加速させる。
「真琴ちゃんて呼んでいい?てか、いくつ? えっ、タメじゃん!アカウント交換しよ!」
真琴が口を挟む隙など原子レベルで見当たらないほど、あれよあれよとペースを握られる。
そんな桃果のマシンガントークに気圧されていると、桃果がふと、優しく目を細めて呟いた。
「そっかぁ……。真琴ちゃんみたいな子が、傍にいてくれてるんだね」
「あ、あのっ!私、藤堂さんの彼女じゃな……」
誤解を解こうとするが、桃果はすでに次の目的地を見定めていた。
「よーしっ!そうと決まればサクッと買い物して、律のとこに戻ろう!」
真琴の必死の呼びかけも虚しく、桃果は鼻息荒く、まるで獲物を見つけた狩人のような速度で駆け出してしまった。
(……なんだこの人!人の話、全然聞かないじゃん!!)
もはやツッコミを入れずにはいられない。
嵐のような律の姉の熱量にタジタジになりながらも、真琴はいつか、律本人の口から彼の学生時代の話や、どんな子供だったのかとか、そんなたわいもない話を聞ける日が来ればいい……、という小さな願いを胸の端っこに抱えたまま、猛スピードで遠ざかる緑色のインナーカラーを必死に追いかけた。
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