ネビュラ・ディバイド

ダデ丸

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序章

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 降り注ぐ蝉時雨。
 緩やかに傾斜した車道はところどころひび割れ、雑草が根を張っている。

 男は左右から車道を覆い茂る木々の陰を縫い、歩くたびに揺れるカメラホルスターを押さえるようにして坂を登る。
 森の湿気を含んだ熱気が体にまとわりついて離れず、額にはじわりと汗が滲む。

 進むほどに道は狭まり、やがて車止めのゲートが眼前に現れた。
 幅は車が二台すれ違って余裕がある程度で、高さは胸の辺りで有刺鉄線も無い。
 これなら背中のバックパックを加味しても乗り越えるのにさほど苦労はしないだろう。
 
 しかし、ゲートからはその高さ以上の不可視の威圧感を覚える。
 その感覚に背を向けながら、こちらを威嚇するかのようにそびえるゲートに向けカメラを構える。
 その奥に見えるのは緑の蔦が這うコンクリートの城。
 
 レンズを寄せると、ガラスは所々破れその正面玄関の上部にはその城の名乗りがあった。

 ――星雲救世会せいうんきゅうせいかい

 本能がけたたましく警鐘を鳴らす。
 「引き返せ」と。
 
 男はシャッターを切る事も忘れ立ち尽くす。
 先程までこの身を灼き尽くさんが如く降り注いでいた日差しも、あれほどやかましかった蝉の声すらも、ゲートの向こう側に届かないかのように薄暗く静寂に包まれている。
 
だが――
 「……行かないと」

 意を決し、ゲートへと近づく。
 
 一歩進むごとに体を包んでいた熱気が逃げていくようで、背中を伝う汗がいやに冷たい。
 ゾワリとした悪寒が全身の産毛を逆立てる。

 アスファルトを踏み締めるようにしてゲートの手前に辿り着くと大きく息を吸い、錆びてザラリとしたその上部に手を掛けた――




 「カゲ君、もし二日経って私から音沙汰がなければこの番号に連絡してくれ」
 乱雑に散らかった編集部の一角で一ノ瀬春華いちのせはるかはそう言うと、小さく折り畳まれた紙切れを景真けいまに差し出す。
 
 彼女の声色はいつも通りの明るくあっけらかんとしたものだったがその表情は真剣そのもので、普段とは違う空気を感じ取った景真は思わず身構える。
 
「弟のりょうの番号だ。刑事をしている。少々変わり者だが頼りになる男だ」
「先輩、なんですか藪から棒に。いよいよヤクザの事務所にカチコミですか?」
 湧いた不安を紛らわすように、いつもの調子でおどけてみると春華は呆れ顔をする。
「君は人をなんだと思ってるんだ。……編集長に掛け合っていた例の企画が通った。これから”教団”の取材に向かうんだ」

 ――“教団”

 その単語が景真の胸に冷たいものを一滴落とす。
 
 星雲救世会。30年ほど前に突然興った新興宗教で、いわゆるカルトだ。

『信じ、捧げし者は女神が治めし楽園へといざなわれる』
 との教義で信者とカネを集める誰がどう見ても怪しいシロモノだったが、いつの間にやら教団施設の存在しない都道府県は無い、というほど巨大になっていた。
 
 その怪しげな匂いは、実態の不明瞭さも相まって数多の噂や都市伝説を生み出した。
 曰く、

 ――教団の周りでは信者、関係者を問わず行方不明者が続出している。
 
 ――行方不明者の臓器を抜き取り不老不死の研究をしている。
 ――教祖は絶世の美女で、この三十年間まるで歳を取っていない。
 ――いや、行方不明者は怪しげな儀式の生贄になったのだ。
 ――国家権力と結びついて政治を意のままにしている。
 ――宇宙人が運営している。だって教団の施設からUFOが飛び立つのを見た!

 などなど、都市伝説に尾ひれが付いただけとしか思えないシロモノだ。
 少なくとも世間の人々はそう考えている。

 しかし、事実として教団の周囲では人が消えていた。
 
 入信した人、教団施設の近隣に住んでいた人、施設に出入りしていた業者などが帰ってこない、連絡が付かない。
 そんな話がSNS上にいくつも上がり、しかし報道も捜索もされる事なく消えていく。

 故に、景真と春華が籍を置く『月刊マボロシ』の編集部にも教団の記事を載せて欲しい、とのリクエストがしばしば寄せられていた。
 そこで春華は半年前から星雲救世会の調査企画を編集長である鎧沢あぶみさわに掛け合っていたのだ。

 『月刊マボロシ』は普段、読者から寄せられた怪しげな都市伝説を調査――と言ってもネット、SNSで拾った情報を元に妄想や脚色をどっぷりと塗りたくって記事にするB級誌だ。
 
 良くも悪くも一部のマニアに向けニッチを極めた記事をゆるく書き散らしているに過ぎず、危険を伴う取材など基本的にする事はない。
 
 だからこそ鎧沢は渋った。
 社内の鼻つまみ者であるマボロシ編集部に咲く、見目麗しき一輪の華である一ノ瀬春華に万が一の事があれば――
 
 所詮は都市伝説。そう鼻で笑いながらもこと星雲救世会にまつわる噂に関しては、どこか拭いきれぬ真実味を鎧沢は感じていた。

 しかし、春華の意思は編集部の誰しもの予想を上回る固さだった。景真は春華のその必死さ、頑なさにどこか別の意図を感じ取ってもいた。
 そして、結果として鎧沢が折れる形で企画の許可が下りたのだ。

 春華は自分のデスクに寄りかかるように立つ。
「それで、教団に取材を申し入れたら意外にも快諾されてね」
「え、許可が降りたんですか?」
 春華は長いまつ毛を伏せ、少し困惑しているようだった。
 それもそうだろう。教団はこれまで大手のマスコミに取り上げられた事すらないのだ。それがなぜうちのような三流弱小誌の取材を受ける?
 その違和感に景真の脳裏を言い知れぬ不安がよぎる。
「カゲ君」

 ――カゲ君。
 この名で景真を呼ぶのは春華だけだ。
 彼女は景真のペンネームである『カゲザネ』の名付け親でもある。
 景真の字を読み変えただけだが、彼女曰く「戦国武将みたいでカッコいいだろう?」と半ば強引に押し切られてしまった。

 景真の不安を見透かしたかのように、切れ長の大きな目が真っ直ぐと見上げていた。視線が合い、その目がニッと笑う。
「大丈夫、すぐに戻るよ。おねーさんを信じたまえ!」
 そう言って胸を張る。
 
 この人はいつも、年も一つしか変わらないのにこうやってお姉さんぶるのだ。
 いつもはそんな弟扱いも軽く受け流すのだが、今はなぜかその笑顔に胸がざわめく。
「先輩、やっぱり俺も――」
 そう言いかけたところを手で制止された。
 人差し指がチッチッチと目の前でゆらゆら揺れる。
「これは私の仕事だ。それに、君には君の仕事があるだろう?」
 そう言うと、未だ右手に持っていた紙切れを景真のワイシャツの胸ポケットにねじ込み、ぽんぽんと叩くとデスクの上のリュックを背負いくるりと回る。
 
「それじゃあ行って来るよ。これが終わったらまたラーメンでも食べに行こう。おねーさんの奢りだ」
「チャーシュー麺にチャーシュートッピングしますからね、あと味玉も」
 努めていつも通りに、明るい声色で言う。
「まったく、図々しい後輩だな君は」
 春華は少しムッとした表情を見せた後、ふはっと笑うと景真に背を向けひらひらと手を振ると、颯爽とした足取りで編集部を後にする。

 景真はその背中が見えなくなるまで、どこか現実感を喪失したままぼんやりと見送った。
 
 きっと無事取材を終えて、いつもの笑顔で戻って来る。
 そう自分に言い聞かせながら。

 ――果たしてその後、一ノ瀬春華は消息を絶つ。









 
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