突然、天才令嬢に転生してしまった 〜異世界で出逢った孤高な王子は江戸の武士であった件について〜 【幼少期編】

ぷりりん

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直感

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「ニロ様、お嬢様。ドナルド様がご入室を望んでおります。扉を開けてもよろしいでしょうか」

 頬を赤らめるニロの顔を見つめていると、扉がコンコンと叩かれ、メルリンの声が聞こえた。

 それでニロがはっと我にかえり、私から離れたのだ。
 なんでわざわざ反対側に移動するのかな……?

「入りたまえ」

 ニロが許可すると、扉がゆっくりと開けられた。
 すかさず私も立ち上がり、入ってくる人物を振りかえった。

「?」

 あれ、社長だけじゃない……。この人、誰?
 見覚えのない中年男性とキウスを連れて、ドナルド社長が入ってきたのだ。

 3人の背後には悲しそうなセルンの顔が見える。うぅ、やはり言いすぎたみたい……。

 あとでちゃんとセルンに謝らないと……。

 こっそりそう思いながら、目の前にきた3人にスカートの裾を摘んだ。

「フェーリ、紹介するよ。こちらはヒューズ・セデック伯爵。キウス君の父親だ」

 いつも以上に完璧すぎる笑顔で、ドナルド社長が大柄な中年男性を紹介してくれた。

「ニロ様。お会いできて光栄です。そしてフェーリ。もちろん君にもだ。我輩はずっと君に会いたかったのさ!」

 とニロに頭を下げてから、ヒューズが私に温かい笑みをみせた。
 
 筋肉質のヒューズは日に焼けた栗色の肌で体育の先生を思わせる。
 なんだろう。同じ黒髪で黒い瞳をしているけれど、2人は似ても似つかない親子だわ。

 キウスはふわっと爽やかな感じだが、ヒューズは熱血的というか、熱苦しいというか……。

 そんな風に考えていれば、ニロの声が聞こえてきた。

「其方ら両家の話だ。余は別の部屋に移動してフェーリを待つとしよう」

「いいえ。ニロ様が移動するほどでもありませんよ。すぐに話を終わらせますので、少しだけお待ちいただけますか?」

「……ふむ。よかろう」
 
 と社長に引き止められ、ニロはもう一度ソファーに腰をかけた。
 心なしか少し悲しげに見える。

 ニロの様子が変だわ。なにかあったのかしら……?

 気になってニロを見つめていると、

「フェーリ」
 
 突然社長に呼ばれ、気づいたら彼の傍に引き寄せられた。

 なんだか社長の雰囲気まで変だ。
 いい笑みなのに、なにげなく暗い。

 ふと不安になり社長を仰ぎ見ると、

「実はね。この度君とキウス君の婚約が決まったのさ」

 頭を撫でられ、突然そう言われた。

 ……え、婚約が決まった……ん? 私と……キウス?

 一拍遅れでその意味がじわじわと頭に染み込み、唐突すぎて目の前が真っ白になった。

「…ーリ、フェーリ? 大丈夫かい?」

 驚愕のあまり暫く固まっていると、ドナルド社長はかがんでそう心配してくれた。

 はっと首を縦に振ると、社長は安堵したように表情を緩めた。

「うん。話の続きだけど、いいかい? 今日は正式に君たちの婚約を結ぶために、ヒューズ卿がわざわざ来てくれたのだよ」

 まだ話についていけず、ぼんやりとヒューズを見ていると、彼は陽気な笑顔でキウスの背中をパンパンと叩き始めた。

「うちのキウスはいつもぼけっとしてて、頼りなさそうに見えるが、いざという時はちゃんと君を守れる男だから、安心しておくれ!」

 とキウスを叩く手を強めて言った。

 わぁ、痛そう……。
 そうして2人を眺めていると、目が合ったキウスはふと困ったような笑みを浮かべたのだ。

 あ、キウスの困った顔だ。初めて見たかも……。

 キウス……婚約……。
 私はキウスと結婚するってこと? 

 ふいに胸が騒いだ。

 キウスのことをあまりよく知らないのに、私は彼と結婚するの……?
 これは決定事項? 断れないの……?

「……どうして?」

 思わずそう疑問を口にすると、社長は私の頭の上にぽんと手を置いた。
 少し強めに置かれたその手に驚く間もなく、明らかにいつもと違う雰囲気の社長が刹那で怖いと思った。

「キウス君が適任だからだよ、フェーリ。聡明な君なら分かってくれるよね?」

 有無を言わせない、光のないその眼差しにぞっとする。

 これは……政略結婚か。

 この世界で生きる術がないから、私は社長に逆えない。
 それに家出しようとするものなら、即座に軟禁されてしまうだろう。

 貴族間の権力争い……。
 さっきまで私はその意味をちゃんと理解できていなかったんだ……。

 そう思うと、瞬時に戦慄が走った。

 どうしよう……どうすればいい……? 
 よくわからないけど、私はキウスと婚約したくない……。

 激しく動揺していると、なぜだかニロのことが頭をよぎった。

 ニロ……あっ! そういえば、ニロは王国唯一の王子だわ! 
 ニロならこの婚約を止める権限があるはず……!

 そう閃いてニロの目を見て助けを求めた。だが、私と視線が絡んだ瞬間、ニロは苦い顔をして私から目を逸らしたのだ。

(ニロ……?)

 まったくこっちをみてくれない。
 これは間違いなく悲しい顔だ……。なんで……?

 どうしたのとニロに訳を聞こうと、重たい唇を開きかけた時。

「フェーリ様」

 相変わらず足音を一切立てないキウスに驚かされ振り向くと、すでに片膝をついた彼の姿が視界に飛び込んできた。

「誇り高き君の名誉を保証すると、この指輪に誓います」

 そうつぶやくと、キウスは指輪を取り出した。

 あ、これは求婚の儀だ……!
 このままだと本当に婚約することになってしまう!

 焦ってもう一度ニロのほうを見たが、彼はそっぽを向いたまま知らないふりをした。

 ニロ……。
 気づいているはずなのに、助けてくれないの……。

 ──見捨てられた。

 そうか……。そういえば、ニロが私を助ける必要なんてないもの。

 そうか。
 私がキウスと婚約することになっても、ニロは気にしないんだ……。

 そうか……と脳内で繰り返しているうちに心がじーんと痛くなった。

 というか、そもそもなんでニロが気にすると私が思ったのだろう……?
 可笑しいわ……。

 訳もわからず胸にぽっかりと穴が空いたようだった。

 礼儀を忘れて儀式に反応しないでいると、キウスに左手を取られた。そのまま小さな銀色の指輪を嵌められ、手の甲から生暖かい感触が伝わってきたのだ。

 そうして求婚の儀が終わると、ぱちぱちと拍手の音がひびいた。

 突如決められた婚約を断る権利すらなかった。
 愛ではなく、親が勝手に決めた婚姻で幸せになれとでもいうのか。それとも貴族として、恋を望むこと自体が贅沢な考えなのか……。

 悔しくなって、唇を硬く噛みしめていると、

「フェーリ様……?」

 立ち上がったキウスは驚いた風で、さっと私の頬に指を寄せてきた。そして曇った顔で、口を開いたのだ。

「……強引ですみません。フェーリ様」

 どうして謝るの? と小首をかしげたら、すぅと何かが頬を滴ったのだ。
 
 あ……れ……?

 この感覚は……涙? 私の……?

 ふいに当惑していると、キウスのひどく辛そうな面持ちが視界に飛び込んできた。

 あ、私……また自分のことしか考えていなかった……。

 キウスも強制的に私と婚約を結ばせられたのに、私はまるで自分だけが被害者みたいな心境になっていたわ……。

 キウスは私とちがって、しっかりと自分の役目を果たしてくれた。それなのに、私は彼になんて失礼なことを……。

「ごめん、なさい。……キウス様は、悪く、ない」

 重たい唇でそう伝えると、キウスは更に哀しそうな表情を浮かべて、無言で私を覗きこんだ。
 やや重たくなった場の雰囲気を和ませるように、横から社長が私の頭をふわっと撫で下ろしたのだ。

「よかったね。フェーリ。おめでとう」

「ああ、お前もよかったな、キウス! こんな可愛い子と婚約できて。なあ?」

 と社長に続くように、ヒューズは嬉しそうにキウスの背中を何度も叩く。

「お待たせしました、ニロ様。これで2人の婚約は結ばれました」

「……よい」

 軽く頭をさげた社長に、ニロは素っ気なく返事した。

 3人は書類の用意もあるとのことで、そのまま部屋を後にしたのだ。

 そうして再びニロと2人きりになり、部屋はしんと静まり返った。
 まるで嵐が通過したあとのようだ。

 力なく棒立ちになっていると、ニロは平然とした態度で目の前に足を運んできた。

「この間のように、侯爵家の令嬢であるお前を狙っている輩は数え切れないほど大量にいるのだ、フェーリ。これはそんなお前を守るための儀式でもあるのだ。理解したまえ」

 冷静にそう言われ、更に息が苦しくなった。

 私を守るための儀式、ね……。

 そうして、しばらく沈黙すると、再びニロの声がひびいた。

「……すまない。フェーリ……」

 あれ、……ニロの口調が、変。
 なんだかすごく苦しそうに聞こえる……。

 恐る恐る顔をあげた途端、憂に満ちた銀色の瞳が視界に映った。

 これは、ニロの悔しい顔……? 

 どうして……? と困惑していれば、ニロは拳を握り、地面に視線を落としたのだ。

「……フェーリ、本心をいうと余は直にお前を守りたい……。だが、もし余が全面に出てお前を庇うものなら、すでに対立している文武の関係を悪化させる恐れがある。そうなれば武家は反乱を起こしうる事態になってしまう。そして今の余にそれを止める手段がないゆえ、お前を守ることができないのだ……」

 武家が、反乱……? 

 ニロが私を庇うだけで国が傾いてしまうというのか……。そこまで深く考えてなかった。そうか、やはり私は甘いんだ……。

 ニロは無知な私と違って、ちゃんとこの世界の情勢を分かっている。だから異を唱えなかったのか……。

 あ、そうか……。
 ニロは私を見捨てたわけではない。逆に私を思ってわざと黙ってくれたのか……そうか……。

 ふと安堵が胸いっぱいに広がった。
 私の目をみて、ニロはやや眉を寄せた。

「異なことを考えるな、フェーリ。余がお前を見捨てることなどありえない。先ほど約束を交わしたばかりであろう?」

 約束……? 
 頭の上に疑問符を浮かべていると、ニロはほのかに頬を赤らめて、「ゆ、指切りで……」と恥ずかしそうに加えたのだ。

(あ、ニロに隠し事をしないこと……?)

「……ん?」

 と怪訝な顔で、ニロがばっと私の瞳を見つめてきた。そうして数秒ほど経つと、「なんだ、通じ合ったと思ったのだが……はあ」とニロががっかりした様子で肩の力を抜いたのだ。

 え、なんでしょんぼりしているの……って、急に何⁇
 首をひねる私の手を取り、小指を絡めて上下に振ると、ニロは覚悟を決めた風で私と向かい合った。

「フェーリ。余はずっと……お前と……余は……お前を……」

 辿々しい言葉でよくわからず、更に首をひねれば、ニロが突然ガクッとうつむいた。その耳の根は真っ赤っかに染まっている。

「……フェーリ。余はずっとお前の仲間だ。これは約束だ!」

 と珍しく大声でそう言うと、ニロは悔しそうな感じでため息をついた。

 ニロと私はずっと仲間……。あ、そういう意味か。つまり、2人は仲間しかなれないってことか……。

 まだ赤みを残すニロの首筋に視線を投げかけつつ、じわじわとやるせない気持ちに襲われた。なぜだか少し悲しいけれど、ニロがずっと仲間でいてくれるなら、それで十分だ。

「……うん。やく、そく」

 ちゃんと言葉を紡ぎ出してそう伝えると、顔を上げてきたニロは真顔でうなずいてくれた。そして私の頬に手を伸ばしてきて、優しく撫でてくれたのだ。

「余がお前を守れるようになるまでの辛抱だ、フェーリ」

 真剣な眼差しでそう囁くと、ニロは私に額を寄せて目を閉じた。

 なんだろう。よくわからないけれど、ニロの本気がすごい伝わってくる……。

 ニロの体温が暖かい……。

「ありがとう……ニロ」

 同じ日本人だけれど、ニロは私なんかよりも遥かに優れている。
 現実逃避ばかりする私とちがって、ニロはのうのうと日々を過ごしているのではなく、ちゃんとこの世界と向き合って生活しているのだ。

 そして最期まで子供たちの未来を気にかけていたニロは、誰よりも優しいという事実を私は知っている。

 そんなニロが私を守る……か。

 通常なら断固として人に頼りたくないのに、なぜだかニロにだけは頼ってもいい気がする。

 本当は今世もただ誰にも迷惑をかけることなく、穏便に日々を過ごしたいだけだった。
 けれど、貴族社会に生まれた以上、その願いは叶うことはないだろう。

 転生前のように現実逃避するだけでも、きっと多くの人に迷惑がかかってしまう。
 娘とはいえ、育ててくれたドナルド社長に恩がある。軟弱になって社長を困らせたくないわ……。

 それに仲間として、なにがあってもニロは私のそばにいてくれる。
 
 ニロなら私のどんな過去でも受け入れてくれるだろう……。

 よく分からないけれど、なぜだかそう直感したのだ。
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