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天使の顔をした悪魔 【終章】
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******【情景】
赤く澄んだ石で作られた屋敷。
そこからそう遠くない庭園の片隅に、星空の美しい光を浴びて、空高く剣を振りかざすフィンの姿がいた。
夜のしじまを切り裂くように、フィンはスッと剣を振り下ろし、ハッと力強く声を発した。
よく鍛えられたその身体は硬い筋肉で覆われている。
爛々と燃え盛る青い瞳で、フィンは額の汗をふり払うように、ひっきりなしに剣を振り下ろしたのだ。
「!」
背後に忍びよる影に気づき、フィンはバッと振りむいた。
「おっ! 勘が鋭くなってきたじゃのう、フィン」
「……バーレ師匠~!」
突如現れた初老の男性に、フィンは明るい笑顔で迎えた。
「努力を惜しまないのがお前の長所じゃ、フィン。だが度が過ぎると体がもたんぞ」
短く整えられた顎ひげを撫でながら、バーレは真剣な表情でそう言った。
「まだまだ頑張れま~す!」とフィンは素早く剣を左右に振ってから、元気よく返したのだ。
「やれやれ……。はあ、今日はもう休め、フィン」
「はい!」
バーレの困った表情をみて、フィンは素直に戻っていった。屋敷に向かって走ってゆくその後ろ姿を見届けると、バーレは木々の間に険しい眼差しを投げかけた。
「何者じゃ、出てこい!」
「…………」
わずかな足音もなく、1人の若い男性が姿を現した。
青白い月明かりに照らされた男性の端正な顔を目にして、バーレはぎょっと目を剥く。
「お前は……アンジェロ、アンジェロ・ガールドではないか!」
驚いた顔から一転して、歓喜に満ちた表情でバーレはアンジェロの両肩をぐっと掴んだ。その手はひどく震えている。
「今までどこで何をしていた、アンジェロ! 4年前なぜ何も言わずに姿をくらました! 騎士団団長のお前の失踪でどれだけわしゃみんな苦い思いをしたものか……」
「……心配かけてすまない、バーレさん。もう大丈夫だ」
目に涙を滲ませたバーレに、アンジェロは悲しい笑顔を向けた。
「アンジェロ。なぜまた急に戻ってきた。セルンは知っているのか、お前が帰ってきたこと?」
バーレに軽く首を横に振ってから、アンジェロは懐から1通の手紙を取り出した。
「事情が変わったのだ、バーレさん。あなたに頼みがあってきたんだ」
黒い封蝋に押された貴族の印章を確認すると、バーレの眼光が咄嗟に鋭くなった。
そうして手紙を読んでいるうちに、その顔からドンドンと血の気が引いていった。
「……こ、これは……正気か、アンジェロ?」
震えたバーレの声には、興奮と恐怖が混じり合っていた。
「ああ。コンラッド侯爵からこの企てを聞かされてから4年。これの実現を目掛けて、私はずっと西の国に潜伏していたのだ。そしてついに文武両家が融合した今、やっと計画が本格的に動き出せる」
「……コンラッド。……ふん」
その名を繰り返すと、バーレは嫌悪そうに目を細めた。
「やはりお前の失踪にゃあのコンラッド家が背後にいたのか。噂を聞きつけてあの家に潜入したはずのセルンも今となりゃやつにいいように使われている。邪智深い文家め、侮れぬ……。特にあのドナルドだ、一体どこまで手を回しているのじゃ……」
「そう言わないでくれ、バーレさん。ドナルド様は真摯に王国の未来を思う数少ない優れた方だ。その彼の働きでやっと王国が安定してきたのだ」
「王国の安定。ふん、王国本来の目的を見失った文家の働きなど、惜しむにたらん」
憎悪の色がはっきりと混じったバーレの口調に、アンジェロはただただ困ったように眉尻をさげた。
「……落ち着いてくれ、バーレさん。文家も武家も、元を言えばみな同じ理想をもった仲間ではないか。この計画が成功すれば、王国はやっとあるべき姿に向かっていけるのだ。王国の繁栄のためにも、諸侯が再び団結せねばならない」
「……アンジェロ。まさか、お前はまだその夢を諦めていなかったのか……」
ふいと暗い顔になったバーレに、アンジェロはやるせない表情で、静かにまつげを伏せた。
「ああ。いろいろと手遅れだが、いよいよ実現できそうだ」
「アンジェロ……」
「まあ、それより、この手紙をみてくれ」
バーレの手中にある手紙に視線を投げかけて、アンジェロが唇を和らげた。
「ここにも書いてある通り、いまのセデック家はコンラッド家を全面的に支持している。だからバーレさん、我々も同じ武家として協力していかねばならないのだ。力を貸してくれないか?」
「……力を貸す? よく言うわい。拒否権なんぞ初めからわしにゃなかろうが」
はあ、と呆れたように息を吐きつつ、バーレは肩をすくめた。
「ガールド家の命令に逆らうわけにゃいかぬ。なるだけ巣立ったやつらに声をかけてやるよ、アンジェロ。そして今屋敷にいる若造共にも頑張ってもらおう。なにぶん戦争にゃ若い力が必要じゃからな」
「ああ、感謝する」
「なに。これは可愛い弟子の頼みでもあるのじゃ、快く引き受けてやろうぞ」
再びアンジェロの肩に手を置いて、バーレは顔を綻ばせた。そして何かを思い出したように、ニヤニヤと呟いた。
「そういや、セルンのやつが珍しくわしのところに弟子入りの紹介状を寄越したぞ」
「……セルン、が?」
「そうじゃ、あのセルンが、じゃ! あの手紙をもらった時、怪しんでわしゃ何度も読み直して筆跡を確認したくらいじゃぞ。ガハハッ!」
驚くアンジェロをみて、バレーは大口を開けて豪快に笑った。
「最初は同じ文家の出だからかとわしゃ思ったが、そりゃちがったようじゃ。あのフィン坊を見ているとな、あの真っ直ぐな瞳はどこかお前とよく似ているのじゃよ、アンジェロ。そいであのセルンがわざわざわしのところに彼を託したのかと、なんとなくじゃが納得したのじゃ」
そう言ってバーレはコクコクと嬉しそうにうなずいたが、一方のアンジェロは悲しそうに目をそらした。
それをみて、バーレは慎重な口調で言葉を紡ぎだしたのだ。
「……じゃがな、アンジェロ。フィンはお前とは違う。やつは自分のためだけに一生懸命で前向きだ。才能と家柄に恵まれていないが、あれはあれで幸せじゃと、わしゃつくづく思うぞ」
「……ああ、たしかにそうかもな。……バーレさん、そのフィンとは、先ほどここにいた坊やのことか?」
「そうじゃ」とバーレが肯定すると、アンジェロは閃いたように目を光らせた。
「セルンの紹介、か……。うん、バーレさん。そのフィンを私が引き取っても構わないか?」
「ほ、本気なのか、アンジェロ!」
とバーレはあんぐり口を開けた。
「かのキウスを育て上げたお前が直にフィンの面倒をみるというのか⁇」
「ああ。フィンはセルンとバーレさんが見込んだ子だ。彼ならこの計画に必ず役に立つだろう」
「……なるほど。そうか、よかろう! フィンをよろしく頼むぞ、アンジェロ!」
「ああ、あとでセルンにもそう伝えてくれ」
「言わずともそうするじゃ!」
満面の笑みを浮かべるバーレに頷くと、アンジェロは極わずかに口角をあげた。そして上りはじめた陽光を手のひらで感じてから、ゆっくりと握り拳をつくったのだ。
******【フィン・エアン】
持ち物を雑に入れた革製の鞄を片方の肩に、俺は小走りで馬車に駆け寄った。ポカポカ~。朝日の日光が温かいぜ~。
けさ、急遽バーレ師匠から新しい師匠が決まったと言われ、俺はひどく戸惑った。だが、その新しい師匠はなんと、俺の憧れの王国騎士団の元騎士長だったそうじゃないか!
グングンと気分が舞い上がり、俺は必需品だけササっとまとめて、屋敷から飛び出たのだ。
「──うぬっ⁈ ……もう準備できたのか、フィン?」
猛突進してきた俺を見て、バーレ師匠は目を見張った。
喜びのあまりぴょんぴょん飛びながら「はい!」と答えれば、バーレ師匠はがっかりした様子でため息をついた。
「……ちっともこの屋敷に未練がないようじゃのう、フィン」
バーレ師匠はすんげえ優しいから好きだ。いつも俺をよくしてくれるから、離れるのは少し寂しい。
だが、今日から俺はバーレ師匠よりも優れた人のもとで剣技を学べるのだ。こんなのまるで夢のような話。
浮かれて「はい!」と声を上げたら、バーレ師匠は泣きそうな顔になってしまった。
もちろん、後でちゃんとバーレ師匠に別れの挨拶を告げるつもりだ。ただ、いまは胸の興奮を抑えるのに精一杯で、そんなところではない。
新しい師匠。まだ来てないのかな?
そうしてキョロキョロと新しい師匠の姿を探していた時。
「用意が済んだなら行こうか、フィン」
「うわっ!」
突然背後から肩を掴まれ、びっくりして跳ね上がった。
え、こんなにも近くに居たのに、全然気配を感じなかった……! とふいに固まる俺をみて、恰幅の良い男は微笑んだ。
この人がバーレ師匠の言ったアンジェロか……。
首まで真っ黒な髪を伸ばし、筋肉質で麦色の肌をしている。
すげえ! こんなにも筋肉があるのに、全く音を立てないで動けるんだ……。
やばい、やばいやばい! めっちゃくちゃ強そう~!
そうしてプルプルと興奮する俺の肩をぽんぽんと叩き、アンジェロは柔らかい笑みを見せてくれた。
「時間がない。さあ、行こう」
「あ、はいっ!」
アンジェロに手招きされて、俺はぴょんと馬車に乗った。
「慣れないところで心細いじゃろうが、あちらでアンジェロの言うとおりにして、迷惑をかけてはいかんぞ、フィン」
「はいっ、分かっています‼︎ いままでありがとうございました、バーレ師匠!」
深々とお辞儀をすると、バーレ師匠は顎ひげをなでながら、満足げにうなずいてくれた。
そうしてガタガタと走り出す馬車の中で、俺は肌身離さずに持っている手紙を開いたのだ。
フェーの筆跡……何度見ても美しいな……。
指先でその黒い文字を辿ってから、ぎゅっと胸に抱きしめた。
なんて書いてあるのだろう……早く読めるようになりたいよ……。
俺は平民同然の身分だから、ほかの使用人に白い目で見られて育ったのだ。
それなのに、みんなの憧れのフェーは、俺にだけ特別に優しい。
自分も食べたいはずなのに、フェーはいつも美味しいケーキを俺に譲ってくれた。
そして才能もなにもない俺を、フェーはいつも好きだと言ってくれた。
身分など関係ない。フェーは本気で俺を思ってくれているんだ。
それなのに、フェーは知らない人と婚約を無理やり結ばされて、俺らは会えなくなってしまった。
俺は身分が低いから、このままだとフェーを幸せにできない。
それでも俺はフェーともう一度会いたい……。
俺のことが好きだと言ってくれたフェーに、俺はもう一度会いたいんだ……!
だから、フェーが好きでもない人と結婚する前に、俺は誰よりも強くなって、ドナルド様に認めてもらうんだ。そのためなら、どんな苦労でも惜しまない!
いつか必ず身分を高めて、フェーにふさわしい男になって見せる。
懐におさめたフェーの手紙にそう誓いつつ、俺は拳を握った。
そうして、両膝の上にある自分の握り拳に視線を落としていれば、突然アンジェロが俺を覗き込んできた。
「私はバーレさんと違ってかなり厳しいよ、フィン。覚悟はできたかな?」
温もりのある声でそう問われ、思わず首をひねる。
セルン師匠ならまだ分かるが、雰囲気も顔もすんげぇ優しそうに見えるこのおじさんが厳しいのか……?
こっそりそう疑いつつも、元気よく「はい!」と答えた。
──それがなんと恐ろしいことに、その後俺はすぐに <天使の顔をした悪魔> という言葉の意味を思い知ることとなったのだ。
赤く澄んだ石で作られた屋敷。
そこからそう遠くない庭園の片隅に、星空の美しい光を浴びて、空高く剣を振りかざすフィンの姿がいた。
夜のしじまを切り裂くように、フィンはスッと剣を振り下ろし、ハッと力強く声を発した。
よく鍛えられたその身体は硬い筋肉で覆われている。
爛々と燃え盛る青い瞳で、フィンは額の汗をふり払うように、ひっきりなしに剣を振り下ろしたのだ。
「!」
背後に忍びよる影に気づき、フィンはバッと振りむいた。
「おっ! 勘が鋭くなってきたじゃのう、フィン」
「……バーレ師匠~!」
突如現れた初老の男性に、フィンは明るい笑顔で迎えた。
「努力を惜しまないのがお前の長所じゃ、フィン。だが度が過ぎると体がもたんぞ」
短く整えられた顎ひげを撫でながら、バーレは真剣な表情でそう言った。
「まだまだ頑張れま~す!」とフィンは素早く剣を左右に振ってから、元気よく返したのだ。
「やれやれ……。はあ、今日はもう休め、フィン」
「はい!」
バーレの困った表情をみて、フィンは素直に戻っていった。屋敷に向かって走ってゆくその後ろ姿を見届けると、バーレは木々の間に険しい眼差しを投げかけた。
「何者じゃ、出てこい!」
「…………」
わずかな足音もなく、1人の若い男性が姿を現した。
青白い月明かりに照らされた男性の端正な顔を目にして、バーレはぎょっと目を剥く。
「お前は……アンジェロ、アンジェロ・ガールドではないか!」
驚いた顔から一転して、歓喜に満ちた表情でバーレはアンジェロの両肩をぐっと掴んだ。その手はひどく震えている。
「今までどこで何をしていた、アンジェロ! 4年前なぜ何も言わずに姿をくらました! 騎士団団長のお前の失踪でどれだけわしゃみんな苦い思いをしたものか……」
「……心配かけてすまない、バーレさん。もう大丈夫だ」
目に涙を滲ませたバーレに、アンジェロは悲しい笑顔を向けた。
「アンジェロ。なぜまた急に戻ってきた。セルンは知っているのか、お前が帰ってきたこと?」
バーレに軽く首を横に振ってから、アンジェロは懐から1通の手紙を取り出した。
「事情が変わったのだ、バーレさん。あなたに頼みがあってきたんだ」
黒い封蝋に押された貴族の印章を確認すると、バーレの眼光が咄嗟に鋭くなった。
そうして手紙を読んでいるうちに、その顔からドンドンと血の気が引いていった。
「……こ、これは……正気か、アンジェロ?」
震えたバーレの声には、興奮と恐怖が混じり合っていた。
「ああ。コンラッド侯爵からこの企てを聞かされてから4年。これの実現を目掛けて、私はずっと西の国に潜伏していたのだ。そしてついに文武両家が融合した今、やっと計画が本格的に動き出せる」
「……コンラッド。……ふん」
その名を繰り返すと、バーレは嫌悪そうに目を細めた。
「やはりお前の失踪にゃあのコンラッド家が背後にいたのか。噂を聞きつけてあの家に潜入したはずのセルンも今となりゃやつにいいように使われている。邪智深い文家め、侮れぬ……。特にあのドナルドだ、一体どこまで手を回しているのじゃ……」
「そう言わないでくれ、バーレさん。ドナルド様は真摯に王国の未来を思う数少ない優れた方だ。その彼の働きでやっと王国が安定してきたのだ」
「王国の安定。ふん、王国本来の目的を見失った文家の働きなど、惜しむにたらん」
憎悪の色がはっきりと混じったバーレの口調に、アンジェロはただただ困ったように眉尻をさげた。
「……落ち着いてくれ、バーレさん。文家も武家も、元を言えばみな同じ理想をもった仲間ではないか。この計画が成功すれば、王国はやっとあるべき姿に向かっていけるのだ。王国の繁栄のためにも、諸侯が再び団結せねばならない」
「……アンジェロ。まさか、お前はまだその夢を諦めていなかったのか……」
ふいと暗い顔になったバーレに、アンジェロはやるせない表情で、静かにまつげを伏せた。
「ああ。いろいろと手遅れだが、いよいよ実現できそうだ」
「アンジェロ……」
「まあ、それより、この手紙をみてくれ」
バーレの手中にある手紙に視線を投げかけて、アンジェロが唇を和らげた。
「ここにも書いてある通り、いまのセデック家はコンラッド家を全面的に支持している。だからバーレさん、我々も同じ武家として協力していかねばならないのだ。力を貸してくれないか?」
「……力を貸す? よく言うわい。拒否権なんぞ初めからわしにゃなかろうが」
はあ、と呆れたように息を吐きつつ、バーレは肩をすくめた。
「ガールド家の命令に逆らうわけにゃいかぬ。なるだけ巣立ったやつらに声をかけてやるよ、アンジェロ。そして今屋敷にいる若造共にも頑張ってもらおう。なにぶん戦争にゃ若い力が必要じゃからな」
「ああ、感謝する」
「なに。これは可愛い弟子の頼みでもあるのじゃ、快く引き受けてやろうぞ」
再びアンジェロの肩に手を置いて、バーレは顔を綻ばせた。そして何かを思い出したように、ニヤニヤと呟いた。
「そういや、セルンのやつが珍しくわしのところに弟子入りの紹介状を寄越したぞ」
「……セルン、が?」
「そうじゃ、あのセルンが、じゃ! あの手紙をもらった時、怪しんでわしゃ何度も読み直して筆跡を確認したくらいじゃぞ。ガハハッ!」
驚くアンジェロをみて、バレーは大口を開けて豪快に笑った。
「最初は同じ文家の出だからかとわしゃ思ったが、そりゃちがったようじゃ。あのフィン坊を見ているとな、あの真っ直ぐな瞳はどこかお前とよく似ているのじゃよ、アンジェロ。そいであのセルンがわざわざわしのところに彼を託したのかと、なんとなくじゃが納得したのじゃ」
そう言ってバーレはコクコクと嬉しそうにうなずいたが、一方のアンジェロは悲しそうに目をそらした。
それをみて、バーレは慎重な口調で言葉を紡ぎだしたのだ。
「……じゃがな、アンジェロ。フィンはお前とは違う。やつは自分のためだけに一生懸命で前向きだ。才能と家柄に恵まれていないが、あれはあれで幸せじゃと、わしゃつくづく思うぞ」
「……ああ、たしかにそうかもな。……バーレさん、そのフィンとは、先ほどここにいた坊やのことか?」
「そうじゃ」とバーレが肯定すると、アンジェロは閃いたように目を光らせた。
「セルンの紹介、か……。うん、バーレさん。そのフィンを私が引き取っても構わないか?」
「ほ、本気なのか、アンジェロ!」
とバーレはあんぐり口を開けた。
「かのキウスを育て上げたお前が直にフィンの面倒をみるというのか⁇」
「ああ。フィンはセルンとバーレさんが見込んだ子だ。彼ならこの計画に必ず役に立つだろう」
「……なるほど。そうか、よかろう! フィンをよろしく頼むぞ、アンジェロ!」
「ああ、あとでセルンにもそう伝えてくれ」
「言わずともそうするじゃ!」
満面の笑みを浮かべるバーレに頷くと、アンジェロは極わずかに口角をあげた。そして上りはじめた陽光を手のひらで感じてから、ゆっくりと握り拳をつくったのだ。
******【フィン・エアン】
持ち物を雑に入れた革製の鞄を片方の肩に、俺は小走りで馬車に駆け寄った。ポカポカ~。朝日の日光が温かいぜ~。
けさ、急遽バーレ師匠から新しい師匠が決まったと言われ、俺はひどく戸惑った。だが、その新しい師匠はなんと、俺の憧れの王国騎士団の元騎士長だったそうじゃないか!
グングンと気分が舞い上がり、俺は必需品だけササっとまとめて、屋敷から飛び出たのだ。
「──うぬっ⁈ ……もう準備できたのか、フィン?」
猛突進してきた俺を見て、バーレ師匠は目を見張った。
喜びのあまりぴょんぴょん飛びながら「はい!」と答えれば、バーレ師匠はがっかりした様子でため息をついた。
「……ちっともこの屋敷に未練がないようじゃのう、フィン」
バーレ師匠はすんげえ優しいから好きだ。いつも俺をよくしてくれるから、離れるのは少し寂しい。
だが、今日から俺はバーレ師匠よりも優れた人のもとで剣技を学べるのだ。こんなのまるで夢のような話。
浮かれて「はい!」と声を上げたら、バーレ師匠は泣きそうな顔になってしまった。
もちろん、後でちゃんとバーレ師匠に別れの挨拶を告げるつもりだ。ただ、いまは胸の興奮を抑えるのに精一杯で、そんなところではない。
新しい師匠。まだ来てないのかな?
そうしてキョロキョロと新しい師匠の姿を探していた時。
「用意が済んだなら行こうか、フィン」
「うわっ!」
突然背後から肩を掴まれ、びっくりして跳ね上がった。
え、こんなにも近くに居たのに、全然気配を感じなかった……! とふいに固まる俺をみて、恰幅の良い男は微笑んだ。
この人がバーレ師匠の言ったアンジェロか……。
首まで真っ黒な髪を伸ばし、筋肉質で麦色の肌をしている。
すげえ! こんなにも筋肉があるのに、全く音を立てないで動けるんだ……。
やばい、やばいやばい! めっちゃくちゃ強そう~!
そうしてプルプルと興奮する俺の肩をぽんぽんと叩き、アンジェロは柔らかい笑みを見せてくれた。
「時間がない。さあ、行こう」
「あ、はいっ!」
アンジェロに手招きされて、俺はぴょんと馬車に乗った。
「慣れないところで心細いじゃろうが、あちらでアンジェロの言うとおりにして、迷惑をかけてはいかんぞ、フィン」
「はいっ、分かっています‼︎ いままでありがとうございました、バーレ師匠!」
深々とお辞儀をすると、バーレ師匠は顎ひげをなでながら、満足げにうなずいてくれた。
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フェーの筆跡……何度見ても美しいな……。
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俺は平民同然の身分だから、ほかの使用人に白い目で見られて育ったのだ。
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自分も食べたいはずなのに、フェーはいつも美味しいケーキを俺に譲ってくれた。
そして才能もなにもない俺を、フェーはいつも好きだと言ってくれた。
身分など関係ない。フェーは本気で俺を思ってくれているんだ。
それなのに、フェーは知らない人と婚約を無理やり結ばされて、俺らは会えなくなってしまった。
俺は身分が低いから、このままだとフェーを幸せにできない。
それでも俺はフェーともう一度会いたい……。
俺のことが好きだと言ってくれたフェーに、俺はもう一度会いたいんだ……!
だから、フェーが好きでもない人と結婚する前に、俺は誰よりも強くなって、ドナルド様に認めてもらうんだ。そのためなら、どんな苦労でも惜しまない!
いつか必ず身分を高めて、フェーにふさわしい男になって見せる。
懐におさめたフェーの手紙にそう誓いつつ、俺は拳を握った。
そうして、両膝の上にある自分の握り拳に視線を落としていれば、突然アンジェロが俺を覗き込んできた。
「私はバーレさんと違ってかなり厳しいよ、フィン。覚悟はできたかな?」
温もりのある声でそう問われ、思わず首をひねる。
セルン師匠ならまだ分かるが、雰囲気も顔もすんげぇ優しそうに見えるこのおじさんが厳しいのか……?
こっそりそう疑いつつも、元気よく「はい!」と答えた。
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