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5.魔女の仕事、従者の仕事

5.2 剣と覚悟

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 しばらく空の上にいる事を我慢していると俺はおかしなことに気がついた。
 常識という点でおかしな状況は変わらないが、そうではなく向かっている方向がおかしいのではないかと。
 ポコリナは瘴気の濃い辺境の奥へと行くと言っていた、だが陰鬱な空に次第に明るさが増しているような気がする。
 いや気がするではなく、確実に空が明るくなっていた。
 「おいポコリナ、向かう先はこっちでいいのか?お前の言う瘴気が薄くなっている気がするが」
 俺の言葉に彼女は意外そうな顔をしてから頷いた。
 「一度外縁に出るよ、そこでも用があるし、そこから回って行ったほうが目的地には近いんだ」
 「はあ、そうなんだ」
 そうこうしているうちに空は急激にその青さを取り戻し、薄汚い沼から寂しげな荒れ地、いや草一本生えていない不毛の地へと変わった。
 「緩衝地だよ、瘴気の影響の終端の大地だ。草も生えないけど人や動物には短期的な影響は無いところだよ」
 そう言ってポコリナは眼下の広大な荒れ地に向けて降下し始めた。
 ややあって俺にも目的地が見えてきた、数人の人がいて、その中に見覚えがある人間をみとめたからだ。

 「ポコちゃん!」
 羊少女レイアはポコに飛びつきその抱擁で出迎えた。
 「わっふ、お待たせレイア」
 仲が良すぎる二人の様子を眺めていたが、そこに向けられる視線がもう一つある事に気が付き、そちらに目を向ければそいつと視線が交差した。
 ポコリナの物よりもだいぶ綺麗で新しいハットに新品のだぼだぼワンピース、ローブとか言ったかに身を包んだそいつはどうしたらいいかわからない様な愛想笑いを浮かべて俺と二人の間に視線を這わせていた。
 誰だこいつは。
 魔女だというのは間違いない怪しい恰好だ、だがポコリナやレイアの友達というには壁があるように見えた。
 満足したレイアから解放されたポコリナが向き直るとそいつは深々とお辞儀をして彼女を出迎えた。
 「瘴気の鎮守魔術師ポコリナ様、ご足労頂誠にありがとうございます」
 えらくへりくだった物言いの女を前にポコリナは眉を顰め、かぶりを振った。きっとやり辛いのだろう。
 「様なんてやめてくれよ。そんなにかしこまらなくていいって言っただろうメジャーメリーゼ、これはあたしの問題でもあるんだからさ」
 メジャーメリーゼ、それが魔女の名前だろうか。
 「ホリィさんはメリーちゃんと会うのは初めてだったよね」
 「メリーちゃん?」
 呼びにくい名前だから短縮されているのだろうかと俺は思って頷いた。
 「そうそう、メリーゼちゃんだよ。メジャークラスの優秀な魔術師で今回の発案者だよ」
 レイアの説明でメリーゼが名前でメジャーというのは階級みたいなもののようだった。
 「そうだ紹介するよ、これがあたしの従者ホリィだ。ホリィ、メジャー魔女のメリーゼだ」
 話題に窮したのか、あるいは当然の流れなのかポコリナが俺の事をメリーゼに紹介した。
 紹介を受けてメリーゼの好奇心に満ちた目が俺に向けられた。
 「噂は聞いています、初めましてホリィさん」
 メリーゼの頭が下げられると大きなハットが前にずれ、頭を上げる際に彼女は手で整えるとニコリとほほ笑んだ。
 「どーも」俺も会釈で応じたが彼女の言葉に気になるところがある事に気が付いた。「というか噂って?」
 「瘴気の魔女にもついに従者ができたってアカデミーで話題ですよ!」
 そこまで言ってメリーゼは慌てた様子で口に手を当てた。
 うれしいのか不愉快なのかよくわからない、苦笑するポコリナの複雑な心中を察したのかもしれない。
 「…ポコリナさんの様な優秀で素晴らしい魔女にいなかったことが間違いでしたし…」
 その言葉にポコリナは呆れたような溜息交じりにかぶりを振った。
 「別に変な気を使って取り繕わなくてもいいよ、その資格がない人間しかいなかったんだし」
 偉そうに言う魔女。優秀云々は否定しないようだ。
 「そうなんですよね、資格、それが問題ですよね瘴気を扱うとなると」落ち着かない視線を俺に這わせてメリーゼはため息を吐いた。「私もホリィさんの様な人を見つけたいところですが」
 「ま、緩衝地帯なら普通の人間でも大丈夫だよ」
 ポコリナの言葉にメリーゼは不満げにうなずいて見せるのだった。
 良い従者、魔術師はそれを求めるしそれがいるのが自然な事だと聞いた。となると俺には気になる事があった、メリーゼにそれが見当たらないという事だ。
 「あんたには従者とやらはまだいないのか?」
 ええ、と彼女は何の臆面もなく頷いた。
 「メリーちゃんはメジャーだからね、まだまだ機会はいくらでもあるからね!」
 レイアの説明は説明になっていなかったが、事は実に単純な話であった。
 実績がある魔術師ほど従者の選り好みができるという事なのだ。
 基本的に従者はなるメリットがなければならない、それは知識だったり問題解決の糸口だったり賃金だったりあるいは絆だったりするわけだ。最後はともかくとして他を測る基準、メリットを測るバロメーターはその魔術師の実績とそれに伴う階級というわけだ。このメリーゼとかいう魔女も『今回の仕事』とやらで成果を出せばそれは実績となり位も上がり賃金すら出るという事だ、つまり様々な目的で従者を目指す者達の目に留まりやすくなるという事だ。
 「だから今回は私の人生をかけて全力を尽くします!」力強く宣言した後でメリーゼはかぶりを振った。「いいえ、鎮守魔術師のお二人にお力添えいただくのですから失敗するわけにはいかないです!」
 「だから力を抜きなって」
 「そうだよーお友達に力を貸すのは当然だよー」
 嬉しそうなしまりのない顔になっていくメリーゼを前に俺は胸の中にしこりが生じていくように錯覚した。人生をかけてってそれを魔術師に奪われたんだ。酷く不愉快な記憶と渦を巻く感情が俺の内を染めていく。
 不意に気が付けば三つの視線が俺を捉えていた。困惑した様子のメリーゼ、哀れみと慈悲に満ちたストレイア、そして不安げなポコリナ。
 「ど、どうかしましたか…?」
 おずおずと尋ねるメリーゼに俺は自分がいったいどれだけ酷い面をしていたのだろうかと疑問に思った。
 「いや」俺はかぶりを振り、努めて無表情を装った。「そんな重要な事って何をするんだろうなって考えていただけだ」
 そうだ、こいつらは俺の今の状況とは無関係だ。
 「ああ、そうでしたねごめんなさい、説明していませんでした」
何もわからないメリーゼだけがホッとした様に笑顔を見せ、自分の人生をかけた仕事とやらの説明を始めた。
 
 メリーゼの仕事というのは簡単に言えば土壌の浄化だった。
 瘴気に汚染された土地を取り戻す、彼女は誇らしげに言っていたが確かにこの荒涼とした土地が豊かな耕作地に変わるというのであれば功績は大きいのかもしれない。
 今回はあくまでも実験、そう前置きし準備を終えて合流したサヴァーンのおっさん率いる騎士団を含めた一段に説明を始めたメリーゼ。
 大まかな流れとしてはポコリナが持ってきた瘴気に耐性のある植物の種を植え、それをレイアが成長させ、瘴気を取り込ませて、収穫処理することで土地の瘴気を浄化するとのことだ。
 ちなみに植える植物はなんでも毒を放出する恐ろしい植物という事で収穫処理をするのには人間は使わないという事だった。それをするのはサヴァーン騎士団が捕獲してきたげらげら笑う小動物『スカベンジャー』だ。檻の中でも相変わらずゲラゲラ笑っているそれは暴れることもなく、まるで出番を待っているかのようだった。
 フィールドワーク、ポコリナはそういっていたがつまり今日は農作業なのだろう。騎士団全員が剣から鍬に持ち替えているのを見て俺はそう思ったが本人に聞けばそうでもないようだった。
 「いやあたし達は別の目的があるんだ、あたしは種を届けるのと最初だけ様子見る事だけどあんたはサヴァーンのおじさんに従って欲しいんだ」
 「おっさんに?」
 ポコリナは頷くとおっさんを指さした。
 「行けばわかるから」
 それだけ言い残すと忙しそうにメリーゼと話し始めてしまった。
 魔術師なんかと話すぐらいならおっさんと話していた方がいいが、なんかむかついた。
 もやもやを内に、言われた通り騎士団の方へ行くとサヴァーンと数人の騎士以外は皆農具を持ち、待機していた。武器を携帯している騎士はレイアを囲み、守っているようだった。淡い金色の光をまとう彼女はいつもの様子とは違い、神秘的であり、無言だった。
 「ポコリナの奴に言われてきたんだけど」
 「聞いております」
 おっさんは巌の様な顔に柔和な笑みを浮かべ頷くとついてくるように促した。
 「騎士団っていうか開拓使だなあんたの部下たちは」
 俺の言葉におっさんは満更でもない様子で頷いた。
 「農地を司るのもストレイア様のお仕事であるならば我々も時には剣を鍬に持ち替えて土地を相手に戦うのも仕事でして。まあ皆農作業自体嫌いではないし、よい鍛錬にもなるのです」
 「ふーん、でレイアは何してんだ?」
 跪き、両手を胸の前で組んで金色に輝くレイアを振り返りながら訪ねる。
 「ストレイア様は瞑想をなされています、これからこの不毛の地に命をいきわたらせねばならないのですから」
 命をいきわたらせる、俺には全く想像がつかなかった。
 ストレイアは女神とか呼ばれているようだがポコリナと同じ魔女であることには変わりない。それでも嫌な感じがしないのは彼女の持つ雰囲気や人柄がそうさせるのだろうか。
 我が主との違いについての得る物のない思考は突如立止まったサヴァーンに中断させられた。
 騎士団の野営地だろうか、天幕が立ち並んでいた。
 そして荷車やら木箱やらが置かれた一角には一人の兵士がいて、使い込まれて傷だらけの黒い円卓の上に何やら物騒な物を並べていた。
 兵士はサヴァーンに気が付くと踵をそろえてびしりとした敬礼で出迎えたが急な動きが災いしてかけている眼鏡がずれ、慌てて直した。
 「…団長、ご命令通り一通りの武具を並べておきました」
 眼鏡の向こうから意志の強そうな瞳が俺を一瞥した。
 灰色がかった不思議な色の髪は短く切りそろえられ、一見すると男のようだが、よく鍛えられている体は小柄で、なにより胸鎧越しにも自然なふくらみがあるのがわかる。
 彼女もまた騎士団の騎士の一人なのだろう。
 「ご苦労だった、モアナー」
 様々な種類の物騒な物、そして感情の読めないモアナーの顔、眉を顰めてサヴァーンを見上げる。
 「ポコリナ様からホリィ殿に武器を見繕って欲しいと依頼されていまして」彼は机の上の短剣を手にして続けた。「ホリィ殿は何か得意な武器は?」
 「なんだそりゃ、頼んでねえぞそんな物」
 「まさか丸腰で辺境の探索に出るわけにはいきますまい?ポコリナ様の従者であるならば彼女を護らなければなりませんし、ひいてはそれがあなたの命を助けることにもなるでしょう」
 そんなことを言われて俺はポコリナが俺の仕事の中に戦う事があると言っていたことを思い出すとともにフィールドワークの意味というものも理解した。
 「人殺しの道具なんて扱った事ねえからどれがいいとかわからねえわ」
 ズラリと並ぶ武器、剣もあれば槍もあればハンマーみたいなものや弓、得体のしれない謎の円形もある。それらを見るとワクワクするような落ち着かない気分になるのは確かだった。
 「それにしては何か嬉しそうに見えますが、まずは実際に触ってみて、使えそうと思うものを選んでみては?」
 何か選んで持っていくというのは決定事項のようだ、それも戦う事になるなら仕方ないのかもしれない。
 机の上やラックに置かれているものを眺めた。よくわからない武器は論外だ。となると剣や槍や斧なんかになるだろう。
 「扱い方がわからなかったら遠慮なくお聞きください」
 それに俺はかぶりを振った。
 「振り回して当たれば死ぬんだろ」
 「実にシンプルな答えですな」
 サヴァーンは苦笑し、モアナーは棘のある視線を俺に向けた。
 なんとなくで俺は幅広で両刃の剣の柄に指を這わせた。だがその指は震え、剣をとることはなかった。脳裏によみがえるのは忌々しい記憶、悲鳴と血生臭い惨劇、俺がこのクソみたいな世界に堕ちてきたその日の出来事だった。
 「武器が怖いの?男の癖に」
 モアナーの静かだからこその棘のある言葉、そう見えたのかもしれないし、事実そうなのかもしれない。
 「そりゃあ俺はお前ら野蛮人と違って平気で人を傷つけたりはできないからな」
 そう、そのはずだったのに。鉛のような胸の中がそのまま剣の柄の重さのようだった。
 別にモアナーに何か言われたからではなかった、問題は自分の中にあった。
 「実際に武器は恐ろしい物ですホリィ殿。その点は間違いない、向けた相手の命を奪うものだから。だからこそ目的が重要なのです、剣を振るう、いや相手の命を奪う目的が」
 サヴァーンの言葉は信条に基づいているようだった。押し付けるわけでもないが微塵も疑ってはいない言葉、それは一つの真理なのかもしれない。
 「もしストレイア様の権利が脅かされるような事があれば我々はあなたの言う野蛮人に喜んでなります、あの方が多くの人々に恵みをもたらす限り我々はそのために命を捨てる、それが従者の覚悟であり、それはこれからも決して変わらない事だと信じております」
 だがそれはサヴァーン達の信じる物であって、俺のじゃない。俺には…。
 「あんな魔女なんかを命がけで守る理由なんてない」
 サヴァーンは笑顔を崩さず何か続けようとしていた、だがそれは突如起こった、割れるような音に妨げられた。
 「あんな魔女なんかですって!?」
 見ればモアナーが机に拳を叩きつけていた、その顔を怒りに朱で染め、ずれた眼鏡の上にはガラスの破片を思わせる輝きをたたえた瞳を覗かせ。
 「あなたは従者でしょう、少しは敬意を持ちなさいよ!」
 なんなんだこの女は急に。
 困惑と怒りをぶつけられた不快さが胸の中で渦を巻く。
 「知らねえよなんだよ敬意って、こっちはなりたくてなってるわけじゃねえんだ」
 その瞬間にモアナーは絶句し、それから憎悪で満たされた刺々しい視線を俺に向けた。彼女の口元からは歯噛みする悍ましい音が漏れ聞こえた。
 「やめよモアナー、落ち着きなさい」
 サヴァーンに諭されても彼女は止まらないようだった。
 「なんであなたみたいなのがポコリナ様の従者なのよ!なんであんたにそんな権利があるのよ!」
 本当に何を言っているんだこの女は。
 「そんな権利いらねえよ、なりたけりゃお前がなればいいだろうが」
 目を見開き、唖然と彼女は俺を見た。
 俺の口は呪われているのだろうか、湧き上がる後悔となんでそうなったかという疑問。
 モアナーの瞳はうるみ、やがて体の震えと共に雫が頬を伝った。
 「なれたら、そうしているわ」
 それきり彼女は俺に背を向け、走り去った。
 どうしてかはわからない、だが彼女はポコリナの従者になりたかったようだった。そしてそう、資格がなかったのだろう。
 「申し訳ないホリィ殿、モアナーは優秀な騎士なのだがまだ年ごろの娘であることを捨てきれていないのです」
 「いや…」
 なんて応えればいいのか俺にはわからなかった。
 「あなたが使う武器をそろえる仕事を請け負ったのは彼女でして、まあ所謂雑務というものだが彼女は立候補しました、ポコリナ様のお役に立てるならと大喜びで」
 「喜んで?」
 俺の問にサヴァーンは目を細め、首を傾げた。
 「お気づきかとは思いますが彼女はポコリナ様の従者を望んでおりました、が当然その資格はなかった、あなたのように瘴気に対する耐性など持っていなかったからです。故にポコリナ様と近しいストレイア様の従者となったという事です、少しでも近くにいて役に立つために」
 別にそんなことをしなくても貢献なんていくらでもできそうな気はしたが口にはしなかった。だがなんであんな陰気でちんちくりんな魔女にそこまで入れあげるのか俺にはわからなかった。
 「そこまでする理由がわからないといった顔をしていますな」
 それに俺は頷いた。
 「うむ、彼女の生まれ育った村は瘴気の噴出によって地図から消えたのです」痛ましい出来事をもいだすように目を閉じ、かぶりを振って続けた。「突如の事だったため多くの住民が命を落とし、また瘴気に蝕まれました、彼女やその両親のように。その瘴気の病から救ったのがポコリナ様でした、就任して最初の年でしたがポコリナ様は病にかかっているものすべてをお救いになられました、今はゴールデンヒルズトップに住んでおりますが、その村の人々は皆、ポコリナ様をストレイア様と同じくらいに敬愛なさっています」
 だからモアナーは俺に怒ったのだ、理由はわかった。だがそれでどうしろというのか。
 「何も我々のように敬意を持てと言っているのではないのですよ、ホリィ殿。私はあなたが魔術師全般に抱いている悪感情を知っていますから。だがモアナーのようにポコリナ様に救われた命が多くいることやポコリナ様の瘴気の鎮守魔術師が請け負う仕事がどれだけ重要で、大変な物なのかは知っていて欲しいと思います」
 「ああ」
 短くそっけない返答になったが本当にどう反応していいのかわからなかった。
 そんな俺におっさんはいつもの巌の様な顔に柔和な笑みを張りつかせた。
 「まあポコリナ様の仕事もあなたが金やちょっとしたサービスの分を返すために魔物に対して剣を振るうだけの価値はある、その事だけは覚えていて頂きたい」
 「ちょっとしたね」
 銀色に煌めく幅広のソードを手にして目の前にかざすと鋭い視線が俺の瞳の奥を覗いた。
 「そう、あなたが彼女に対して思う価値の分働けばいい、価値がないと思えばやめればいいし、命を懸ける価値があると思うならそうすればいい」厳かにそういった後でサヴァーンは悪戯っぽく笑った。「まあ私は後者であることを望みますがね」
 「冗談」
 サヴァーンの冗談が面白かったからだろう、剣に映る瞳も楽しそうに孤を描いた気がした。
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