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5.魔女の仕事、従者の仕事

5.3 死の大地

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 俺達の乗る木馬は緩衝地帯としての不毛地と沼の間をしばらく行くとやがて再び沼の上に入った。ランドマークもなく、方向感覚が狂う土地ではあるがなんとなくポコリナの住処から北に見えた山の方に向かっているのではないかと思っていたが、それが正しいとやがて水平線に尖がる山頂が見えてきた。
 それを確認した途端、ずっと集中していたのか無言だったポコリナは気の抜けたような間抜け面をこちらに向けた。
 「それで?」
 「あ?」
 何がそれでなんだこいつは、主語はなんだ主語は。
 「それだよ、それ」ポコリナは俺の背中に目を向けて言った。「サヴァーンのおじさんに選んでもらったんだろう?どんなものを受け取ったんだよ」
 ああ、この武器の話だ。
 結局俺は最も長く大きく重い大剣を選んだ。というのも他のどれも軽すぎる気がしたからだ、どうにもしっくりこなかったのだ。まあ武器なんか使ったこと無いのだしっくりもくそもないのではあるが、振った時にどうも不安が残った。
 だがその大剣には問題もあった、一メートル以上あるそれは腰にかけることができずに携帯に難があったのだ。そのためゲームなんかの勇者よろしく、背負う形で持ち運ぶことになった。絶対に扱いづらい、そう思ったが予想以上にすんなりと抜くことはできたためこれはこれでよいのだろう。ただしまう時は気を付けないと首や肩に傷が増えることになる。
 両手を右肩に回し、剣を引き抜くと薄暗い沼の上でも刃が冷たい輝きを放った。
 ポコリナが息をのむ音が聞こえた。
 「あんた、それ真銀の大剣じゃあないか!」
 「しんぎん?」
 信用金庫かなんかか?
 「ミスリルだよ!」
 「うん」
 訳が分からん、けどその名前は聞いた気がする。
 ピンと来ていない俺にポコリナは呆れたようにため息を吐いた。
 「凄く希少な金属製のとても高価な武器だよ、おまけにエンチャントされているじゃないか!あたしの出る幕がない、完成された武器だよ!」
 どうやらとても高価らしい、だがまてエンチャント?
 「げえ魔法掛かってんのかよこれ、変えてもらおうかな」
 「うーふざけるなよ、それ一本であんたに支払っている賃金の何年分だと思っているんだ」
 「それだけ俺が薄給ってことか」
 「普通の、鉄の武器で良かったのに!まさかこんなに高価なものを…」
 本気で悩んでいる様子のポコリナだった。それだけ貴重品なのだろうが、用意した奴もサヴァーンもこいつが悩むことなんて望んではいないだろう。
 「なんかお前に恩がある女が用意したって言っていたぞ、謹んで受け取っておけよ」
 「あんたが言う事じゃないだろう…」そういってポコリナはかぶりを振った。「でもまあ、ありがたいことだし、後でしっかりお礼しておこう…」
 「そうしておいてくれたまえよ」
 俺の言葉にポコリナが大きなため息を吐く。
「あんたには勿体ない逸品だよ、まったく」
 まあそうなのだろう、ぶん回すぐらいしかできない俺には。

 山体がそれとはっきりわかる様になって来た頃、あたりは見通しが聞かないほど暗くなってきた。それはもともと薄暗い沼地だからではなく、時間によるものではないかと俺は思ったが時間の感覚が狂っていたために正確な事はわからなかった。
 「えらく暗いな」
 「そうだねもう夕刻だし」
 ちらりと空を見てポコリナは言った。
 いったいどこで判断したのかはわからないが、夕刻らしい。
 「もう少し行ったところに村があるからそこで夜を明かすことになるよ」
 「村?こんなところに人がいるのか?」
 「言い方が悪かったね、村の跡があるから」
 なんて事だ今夜は野宿らしい。こんな汚い場所にホテルや旅館があるとは思ってはいなかったが、村の跡だそうだ。
 やがて眼下にそれらしき影が見えてきた。
 村の死骸、白骨死体のような骨組みが暗闇の中でなお濃い影を形作った。
 当然、生活の痕跡はおろか人の気配すらなかった。
 「昔ここはライズって名前の栄えた鉱山街だったんだ、それが一瞬で壊滅して多くの人々が犠牲になったんだ」
 街の広場らしき空き地にランディングしながらポコリナは言った。
 なんの前兆もなく発生した瘴気をふんだんに含んだ水による山津波は街を、村を牧や農場や森を飲み込み、すべてを死が蔓延る沼に変えてしまったという。多くの人が亡くなり、生き残った人々も瘴気による後遺症で苦しみ命を落とした。残っていた清浄な土地も汚染が進み、森は今となっては長老の霊樹のみになった、そうポコリナは語った。
 「長老ってお前の家にあるあの木か?霊樹って?」
 俺の問にポコリナは頷いた。
 「そう、長老はエントさ。エントっていうのは力のある偉大な木で知恵のある森の守護者だよ、昔は彼らとも上手くやっていたけど」
 「知恵?俺はあの樹が喋ってんのなんか聞いていないが」
 ポコリナは悲しそうにかぶりを振った。
 「悲しみに心を閉ざしてしまっているからね、守るべき同胞たちは瘴気にやられ自分だけが生き残ってしまったから。また森を広げようにも種は根付かず、永遠の孤独なんだ。あたしはよく話しているし、力も貸してもらっているけど」
 孤独か、それは他人事でもない。
 「気の毒な事だな」
 その言葉に彼女は驚き、それから微笑んだ。

 街跡に降りるとポコリナは俺に荷物の一部を持たせると木馬をそのままにして歩き出した。
 おそらく石畳であろう通りは粘りつくヘドロに覆われていて歩きにくく、何よりも妙な、悪臭に包まれていた。生臭いというかなんて表現するべきか、死を感じさせる臭い、それは死臭とは違うが確かに死を連想さえる臭いだった。
 「瘴気の匂いだね、普通の人間なら動けない中で死を待つ濃度の瘴気だし」
 「ふーん」俺は鼻を鳴らしていった。「くせえけどどうってことはないな」
 「あたしだって気分が悪いのにたいしたものだよ」
 褒められても微塵もうれしくはないが、気分が悪いというのは気になる。
 「んだよ、大丈夫なのかよ」
 「心配してくれるのはうれしいけど、問題ないよ」
 そういってポコリナは杖で目のまえを指し示した。
 巨大な石造りの建物はその頑強さを示すようにほとんど無傷に見えた、ほかの他の建物は全て朽ち果てているというのにえらく不自然だった。
 「かつて山津波があった時に生き残りが避難していた取引場で、ロエンという魔術師が結界を引いて中にいた人間は助かったんだけど、その結界をあたしが強化して使っているのさ」
ふうん、とそのかすかに光って見える建物を見上げながら俺はポコリナの言葉に引っかかるものがあった事に気が付いた。
 別に魔女の体を心配しているわけじゃないんだ、こんなところで倒られでもしたら俺は今日飛んできた道を歩いたり、泳いだりして戻らなければならない。そんな事はごめんだ。
 まああえてそんな事を主張する必要もないか、ガキじゃあるまいし。そう思い直し、俺は既に姿を消したポコリナの後を追って建物に入った。
 なるほど、結界とやらの効果は入った瞬間にわかった。あの独特の生臭さがピタリと消えたからだ。つまりポコリナの言う瘴気は消えたのだろう。
 内部はテニスコート二面分程度の大きさがある大きな部屋で等間隔に柱が並んでいた。
 取引所という事だ、在りし日は商人たちの活気のある声が飛んでいたのだろうが今は中心にあるかがり火が寒々しい室内をぼんやりと照らすのみだった。
 「今日はここで休んで、明日から本格的に辺境の探索に移るよ」
 ポコリナはポケットから鉄製のミニチュアを取り出すと自分の目線に掲げた。
 またか、と俺はうんざりしてその光景から目を離して自分の荷物を地面に降ろして荷ほどきをした。中身は食料に薬品、後は何に使うかわからない魔女の呪われた品の数々だ。
 次に篝火の方に目を向けた時にはその上に釣り鐘から下げられた鉄壺のようなポットが現れていた。
 「食べ物をとってくれよ」
 荷ほどきしたばかりの荷物から革に包まれた塊を手に取るとひんやりとしていた。これはあいつが凍らせた肉や野菜などだった。
 それを渡すと魔女は楽しそうに調理を始める。どうも彼女は料理をするのが好きらしい。味は悪くはないのだが、レパートリーとしては煮る、焼く程度であまり豊富ではないようだった。何よりその調理風景が胃袋を重くするのに十分だった。
 毒リンゴでも作りそうな壺に投入される肉片や草類、白い破片に種の類。それを金属がこすれる音を立てながらかき混ぜるその姿はまさに魔女の婆だった。にやにやしながら調理を行う彼女に似合うセリフは擦れた笑い声に違いない。
 そうやってできた物を木の器にたっぷりとよそうと俺によこした。
 肉と野菜が入った濃厚で粘り気のあるスープに穀物の入った、リゾットの様な食べ物はポコリナの得意な料理らしい。
 「いただきます」
 俺が俺でありここの人間ではないという証明の合言葉はいつの間にかポコリナも唱和するようになっていた。いつも不思議そうな顔をしていたが由来を話したらレイアと共に素晴らしいと言われ、それ以来その調子だった。まあ変だと言われてもやめるつもりはなかったが。
 「明日の事なんだけど、食べながら聞いてほしいんだ」
 器を床に置いてポコリナがそう言うのに。俺はスプーンを口に突っ込んだままで首をかしげて話すのを促した。
 「明日からは徒歩で山に入るんだ、空は瘴気が渦を巻いていてうまく飛べないかもしれないから」
 「あんなんで飛んでいくくらいなら歩いたほうがいいわな、それから?」
 「あんなのとか言うなよ…、それでまずは比較的安全な鉱山方面で採集や測定なんかをしたいと思う」
 「比較的?」
 言い方が気になった、つまり何かあるという事だ。
 「そうだよ、この先の砂地を超えたらもう安全な場所なんてないんだ。あんたは気にならないかもしれないけど瘴気の濃度も濃いし、致命的な瘴気溜まりもあるかもしれない、何より瘴気に汚染された化け物の襲撃がいつあるかもわからない」
 「化け物?どんなのがいるんだ?」
 脅威となる物の能力は把握しておきたいものだ。
 「瘴気によって変異した動植物、魔物、いろいろいるけど危険性はピンからキリだね、そういった魔物の調査も含まれているんだ」
 「んで、そういうのを叩きのめすのも俺の仕事の範疇と」
 サヴァーンからもらった大剣の柄を触りながら俺が言うとポコリナはかぶりを振った。
 「まずはあたしの指示に従って欲しいんだ、いろいろな奴がいるから。棘を飛ばしたり、体液が毒だったり、集団で襲ってきたり…あんたにはできるだけ時間を稼いでほしんだ、たいていの相手はあたしの魔術が完成すれば何とかなるから」そこまで言ってポコリナはまるで落ち込んだように赤い瞳を篝火に落とす。「もちろん命を懸けろなんて言わないよ、できるだけでいいし、万が一の時は逃げてくれたっていい。もしあたしが命を落としたらピッコがレイア達に伝えてくれるから、救助はくるよ」
 「ピッコってあのアホ鳥かよ」
 ギャーギャー喚き散らしながら俺の事を突きまわすのが好きな赤い鳥だ。動物は好きだし、手を挙げるつもりはないが正直あいつは苦手だった。
 「でもあいつ着いてきてないじゃないか」
 「アホ鳥とかいうなよいい子だよ…ピッコは呼べば来るよ」
 「ふうん」まあ何にせよだ。「貰った分は働くぜ」
 ポコリナは頷き、そして微笑んだ。
 「まあ最初だし、だいたい把握できている場所で作業するよ、もし余裕があったら未知の場所も行きたいけど、とりあえずは予定にいれない」
 「なんでもいいぜ、とにかくとっとと終わらせてかえって風呂入りたい」
 それにポコリナは鼻を鳴らした。
 「ここには腐った水くらいしかないからね」
 「魔女にはそのくらいがいいんじゃねえのか?」
 ボッとポコリナの顔が朱に染まった。
 「そんなわけあるか!あんたあたし達をなんだと思っているんだよ!」
 ギャーギャーとうるさい抗議の声を俺はマットの上に横になって遮断した。
 目を閉じるとやがて声も止み、篝火のはぜる音だけが静寂に吸い込まれていった。
 瞼を閉じた時の暗闇だけが唯一俺に残された変わらぬ現実だった。 
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