上 下
20 / 22
5.魔女の仕事、従者の仕事

5.6 浸潤と反応

しおりを挟む
 サヴァーンは彼の主と共に彼の騎士団が耕した荒れ地の前に立っていた。
 耕したといっても植えられているのは農作物でもなければまともな植物ではない、成長すれば毒をまき散らす半瘴気植物の類だ。
 「こちらの準備は整いました」
 若きナイトルイスが耕作地への種植えが完了した事を告げた。
 「ゲージの方も問題ありません、サヴァーン隊長」
 女性騎士モアナーがスカベンジャーのケージがいつでも開けられることを告げた。
 「それじゃ始めるよ」
  報告を受けて彼の主 が荒れ地に手を付けた。
 「よろしくお願いします、ストレイアさん」
 この計画の発案者魔女メリーゼにストレイアはウィンクして見せるとあたりを光が包み込んだ。とても強い光なのにまぶしくなく不快でなく、暖かく優しい光。収穫前の麦畑を思い起こさせる黄金色の光はそれをまとうストレイアから発せられ、あたりをまんべんなく包み込む。
 先ほどまでの純真無垢な少女のほほえみは鳴りを潜め、今の主は神々しいまでの神性が宿っていた。
 豊穣の女神ストレイアが直接命じれば全ての植物はただちに芽を出し、成長する。眼下の荒れ地からは灰緑色の蔓が不気味にのたうち伸びていく。やがてそれは同色の赤い斑点のある葉をつけ、真っ赤な蕾を付けた。
 ロッティングバインは瘴気のある場所に生える植物で花が咲くと有毒の花粉を飛ばす。それは瘴気とは別の意味で土地を汚染する原因となるものだったが、そうはさせなかった。
 無条件の平安が消えるという軽い喪失感と共にサヴァーンの主が戻った。
 「ケージを解放してください」
 即座にメリーゼの声が飛ぶと、騎士たちは次々にケージを開け放った。すると今まで静かだった荒れ地にゲラゲラというなき声があふれかえった。
 貪欲なスカベンジャー達がごちそうであるロッティングバインに殺到する様は洪水だった。
 彼らは蔓と葉や蕾を毒をものともせずに毟り、かじり、胃の中に収めていく。それだけではない、執拗に土を掘り起こし文字通り根絶やしにしていくのだ。あとに残るのは穿り返された荒れ地だけになる。
 飛び跳ねるようにスカベンジャーが通った後に向かうメリーゼを見送り、サヴァーンはストレイアに近づいた。
 彼女は従者を肩越しに見上げ、少し疲れたような笑みを見せると体を預けるように傾けた。
 「お疲れですか、ストレイア様」
 それに彼女はかぶりを振る、黄金色の髪がサヴァーンの腕を撫で、甘い花の香がふわりと鼻を撫でた。
 「ううん、ただ少し可哀そうだなって思っただけだよ」
 何をとは彼は聞かなかった、わかっているからだ。喰われるためだけに生やされたロッティングバインの事だ。浄化するためだし、放っておけば毒を出すという事も分かっていてなおストレイアは哀れみを感じるのだろう。
 サヴァーンはそんな心優しいストレイアを心から敬っていた。人が必要とするおおよその物を彼女は与えることができる、食、命、そして平安だ。
 弛緩しきり体を預けるストレイアの両肩に手を置きながら、彼はストレイアと出会ったときのことを思い出した。
 彼はこの地、旧サンセットレイクを含むレネジー伯爵領に領地を持つ騎士の一人だった。それがあの山津波によって仕えるべき主を失い、すべての領地は失われ、飢えた領民と共に賊の様な生活を送らざるを得なかった。そこでアルバストロの紹介でストレイアと出会ったのだった。
 彼女は不毛の荒れ地を豊かな耕作地へと変え、飢えていた民に食と仕事を与えた。悲劇の生存者は皆、彼女のもとで新しく、以前よりもより豊かな生活を送れることになった。
 仕えるべき相手がいなかったサヴァーンをはじめとする騎士たちはストレイアを守る事に命を懸ける従者としての生き方も与えられた。誰もが命を失う事を恐れない、何故なら彼らが仕えているのは女神ストレイアだからだ。
 だがサヴァーンにとっては女神ストレイアであると同時に別の意味もあった。
 彼には今のストレイアと同じくらいの娘がいたがあの悲劇によって命を落としていた。
 ストレイアを娘の代わりにしようなどとは彼は思ってはいなかった、がこうやって甘えてくるストレイアを見ているとどうしてもかつて娘に向けていた、父性というものが首をもたげるのだった。
 きっとストレイア自身も彼の内心に気が付いている、それでいてなお態度を変えないのは彼女が優しいからなのか、あるいは彼女自身が求めているからなのか。
 どちらにせよサヴァーンは彼のできることを全力で遂行するだけだった。
 「これを見てください!」
 不意にストレイアの体がサヴァーンから離れるのを感じ、彼も記憶の中から戻った。
 見ればメリーゼが二本の試験官を手に興奮した様子でストレイアに詰め寄っていた。
 「こっちが試験前、こっちが試験後の土壌サンプルです!」
 メリーゼの手には右手に試験前、左手に試験後のサンプルが握られていた。サヴァーンはそれが瘴気を可視化する魔術だと知っていたが、右手は水溶液の中で黒い靄が蠢いているのが見て取れるが、左にはそれがなかった。
 「わぁ、凄いよメリーちゃん!完全に瘴気が取り除かれているね!」
 「はい!急成長した事で土壌中の瘴気を根こそぎ吸い取ったのだと思います!これなら吸収側を過剰にしてあげればどんな場所でも安全に浄化が可能になると思います!」
 「さすがメリーちゃん!」
 ストレイアは自分の事のように喜んでいたが、本人は手放しでは喜べないようだった、急に表情が曇る。
 「でもストレイアさんのご助力あってこそですし、ポコリナさんの知識がなかったらこんな事もできませんでした」
 「私の力はいくらだって使っていいんだよ、それにポコちゃんだってこの研究はメリーちゃんの物だって言っていたし、メリーちゃんだって自分で気が付いたじゃない」
 「でもポコリナさんの助言がなかったら私は間違った方法をとっていました…」
 「そんな事…」
 サヴァーンは彼の従者を困らせないで欲しいと苦笑した、ストレイアは誰かが悩んでいれば解決するまで自分も悩み続けるのだから。そしてサヴァーンも目のまえの優秀な若い魔術師が自信をもって仕事に打ち込んでほしいとも思っていた。
 「メリーゼ様がいなければ、このような計画を行動に移す魔術師もいませんでしたよ、瘴気について研究する者はただでさえ少ない上、優秀な術者ともなれば数えられるほどしかおりません。そう言った魔術師が辺境付近に住み、瘴気に曝されているものにとってどれだけありがたいものか、劣等感などに囚われずに知っていてください」 
 メリーゼは目を見開き、サヴァーンの顔を穴が開くほどに見詰めた。
 「そうだよそうだよ、おじさま言う通りだよメリーちゃん!」
 嬉しそうにストレイアは声を上げ、感謝と親愛の籠った微笑みをサヴァーンに投げかけるのだった。
 「メリーゼ様、この地はかつて我々の領地があり、豊かな耕作地がある場所でした。誰からも見捨てられ、放棄されていましたが、あなたが気にかけてくださった」荒涼とした荒れ地、食べる物が無くなり大人しくなったスカベンジャーしかいない荒れ地を見渡しながらサヴァーンは続けた。「もしかしたらあなたの力で私の墓くらいはこの地に建てられるようになるかもしれません」
 「いいえサヴァーン様」
 見ればメリーゼの目にさっきまでの憂いはなかった、代わりに強い使命感に燃える力強い瞳の輝きがともっていた。
 「あなたがご存命の間に必ずこの地を再び人の住める土地に変えて見せます!」
 「期待しております」
 「うんうん、私も頑張るよ!」
 サヴァーンはこの若者たちがいればその日は夢幻ではないと信じることができた。
 その時だった、手を取り合っていたストレイアが急に鋭い視線を北西の空へと向けた。
 「どうしました?」
 不思議そうに尋ねるメリーゼにストレイアは空を指さした。
 「ピッコが…」
 「ピッコ?」
 ピッコとはポコリナの友人であるブラッドピジョンの事でよく伝言を届けてくれていた。という事はまた伝言なのだろうが、サヴァーンは嫌な予感がした。ポコリナ達は今、辺境の調査に出ていたからだ。
 やがてストレイアの言葉を証明するように赤い点が見えてきたかと思うと急激に大きくなり、騒がしくなった。
 「レイア、レイア」
 「どうしたのピッコ、ポコちゃんは?」
 ストレイアの方に留まったピッコに彼女は訝し気に聞いた。
 「ポコ、レイア、ケイカイシロ、ドウインドウイン」
 「え!?」
 明らかに不穏な言葉の羅列、ポコリナはストレイアに警戒しろといっているのだ、そして動員とはおそらくアカデミーと王国へだ。
 サヴァーンはナイトルイスとモアナーに挙手して見せると二人は走り寄ってきた。
 「どういう事ピッコ、ポコちゃんは無事なの?」
 不安げなストレイアにピッコは頭を上下させた。
 「ポコヘイキ、ホリィタスケタ、ストレイアケイカイシロ」
 「何かあったけど、ホリィさんが助けてくれたのね」
 ストレイアは胸をなでおろし、それからサヴァーンを見た。
 「おじさま!」」
 心得たとばかりにサヴァーンは頷き、彼の前に立った二人の騎士に厳命した。
 「ナイトルイスは王都へ、モアナーはアカデミーへ緊急招集の要請をだすように、発起人は豊穣の鎮守魔術師ストレイア並びに瘴気の鎮守魔術師ポコリナだ」
 二人は反論もなく神妙にうなずくとただちに行動を起こした。
 「全軍、完全武装にて待機、辺境方面への索敵警戒を密にせよ」
 サヴァーンの号令で騎士たちは今まで持っていた農具を置き、全員が完全武装に変わるべく兵舎へと走っていく。
 「え、え、招集ですか!?」
 「うん、辺境に行っているポコちゃんからの伝言だから、何かあるのは間違いないよ、ただ事じゃあ…」
 一人慌てふためくメリーゼにストレイアは説明しようとしたが彼女の言葉は途中で途切れた。
 地面が細かく揺れているのを感じた刹那、沼の方で泥や水が吹き飛び柱となったからだ。そしてそれとわかるおどろおどろしい靄が地面を這ってくるのが見えた。
 「瘴気!なんて濃度の!」
 悲鳴のようなメリーゼの声は恐怖に満ちていた。
 その死の波は勢い衰えることなくサヴァーン達の元へ来ていた。
 「下がれ、後退しろ!」
 今にもそれに飲まれんとしていたパトロールにサヴァーンの怒声が轟くが、もはや手遅れだった。靄に包まれた三人のパトロールは動きを弱め、一人また一人と地面に突っ伏した。
 すぐに自分たちの元にもそれは到達するはずだったが、そうはならなかった。
 黄金色の輝きが再びあたりを包むと、死の波に向けて命の波がほどばしる。そしてそれがぶつかると瘴気の壁を押し戻した。
 「おじさま、三人を早く!」
 ストレイアの輝きは今までにない物であり、彼女の本気さがうかがい知れた。
 
 救出された三人は既に意識はなく、髪の毛は赤く変色し、肌はどす黒かった。いかに瘴気に曝されるという事が過酷かを物語っていた。三人はストレイアの足元に並べられ、命の光を浴びてはいたが助かるか保証はなかった。
 そして事態は全く収まっておらず、刻一刻と悪い方へと推移していた。
 瘴気の源、そびえる城壁の様な蛇の化け物はサヴァーン達の前にいて、彼らを飲み込まんとする試みを諦めてはいない。今もストレイアの創り出す命の光をその瘴気と巨体で押しつぶさんと圧力をかけてきていた。
 「騎士団、押し返すぞ!」
 サヴァーンはロングソードを掲げ、彼の部下たちに檄を飛ばし突撃しようとした。
 「おじさま、いけない!」
 だが彼の主であるストレイア、すでにその姿は強い光の中で輪郭しか見えないが、彼女はサヴァーンを止めた。
 「私の護りがあってもあの瘴気は防ぎきれない!」
 「しかしストレイア様…」
 たとえそうだとしても彼ら騎士団はストレイアと土地を守る覚悟があった、このままでは結界で守っているストレイアの元まであの化け物が来るのは時間の問題だった。
 「アカデミーや王国の兵たちが来るまでは食い止めるよ、そうじゃないと無駄死にになっちゃう」
 接近戦を挑んでも無駄死にになると言っているのだ、それだけ瘴気は濃いのだろう。それにあの巨体だ、瘴気が無くても危険なのはわかった。兵器や攻撃魔術が得意な魔術師が来ればあるいはと思ったが、今ここにはどちらもない。ストレイアは攻撃的な魔術はほぼ使えないし、騎士たちは平時の装備だった。
 「わかりました、ストレイア様。我々もできるだけ遅延できるように努力いたします」
 「よろしくねおじ様、私も頑張るから。それにきっとすぐにポコちゃん達も来てくれるよ」
 なるほど、とサヴァーンは思った。
 確かに瘴気のプロフェッショナルであるポコリナが要れば心強い、それに彼女のあの気難しい従者であれば瘴気の影響を受けないようだ、信じられないが。
 「全軍、武装を弓に変えよ、資材を集めてカタパルトを作るのだ」
 とにかく援軍が来るまでサヴァーン達、騎士団の消極的ながら重要な戦いが始まった。
しおりを挟む

処理中です...