滅霊の空を想う

ゆずぽん

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あの日

激動

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 結局一睡も出来なかった。
 昨日の夜の出来事は今でも鮮明に覚えている。
 楽しかった夏休みは、最悪の形で幕を閉じた。

 学校……行きたくない。

 僕は振られたと言う現実から逃れるように、布団を頭から被り、夢の世界へ逃げ込もうとした。
 しかし、下から母さんが僕を呼ぶ声が聞こえる。
 少し口調が強めだ。
 次に呼ばれる時、それはつまり死を意味する。
 僕は重い体を無理やり起こし、制服へ着替えて一階へと降りた。

「おはよ」

 僕は気怠そうに挨拶し、顔を洗いに向かった。
 するとちょうど洗面所から出てきた姉貴にばったり出会した。

「あんたなんだよその顔
三日寝てないおっさんみたい」

 彼女は驚きながら怪訝そうな顔をした。

「うっせ
 ほっとけ」

 僕はムッとしながら答えた。

「あっそ!
 ちゃんと顔洗えよー」

 僕は驚いた。
 いつもの姉ならここでマシンガン口撃がはじまるのだが、
 何かを察したように今日は優しい。

 今日は大雨だな。

 僕は歯を磨き、顔を洗い、寝癖を適当に整えるとリビングへ向かった。
 するといつもの親父と姉貴がバトルを繰り広げていた。

「ちょっとお父さん!
 うちの歯ブラシの隣に剃刀置かないでっていったじゃん!
 汚ぇ! きもいんだよ!」

「剃刀ぐらい別にいいだろ!
 なにがいけないんだ言ってみろ!
 父さんの剃刀はハーブの香りだ!
 まっっったく汚くない!」

 親父は机をバンと叩き立ち上がった。

 あーあまた始まったわ。
 俺は気にせず席についた。
 母さんも慣れてるのか、何事もないかのように僕に話しかけてきた。

「味噌汁だけでも飲みなさい。
 いつもご飯食べないんだから」

 そういうと目の前に味噌汁を置いてキッチンに戻って行った。
 すぐそばで、親父にパロスペシャルを掛けている姉に一目もくれずに。
 うちの家族の朝はいつもこんな感じ。
 親父は自称亭主関白のお調子者だ。
 もちろんしっかりと母さんの尻に敷かれている。
 ……いや、笑顔でマウントされヘッドロックをかけられていると言った方がいいのか。
 姉貴は口が悪く、思った事をズバズバ言う心臓に毛が生えた女の中の男。
 その口撃の鋭さは、ヤクザすら膝をつかせるほど。
 僕も昔は何度心を折られたことか。
 母さんは基本的には優しい。
 だが、キレると恐ろしい。
 僕に反抗期が来なかったのは、幼少の頃より親父と、母さんの喧嘩を見てきたからに他ならない。
 いや、あれは喧嘩というより一方的なマインドブレイクである。
 そこはしっかりと姉貴に受け継がれた。

 僕は味噌汁を一気に飲み干した。

「ご馳走さま。もう行くね」

 食器を片付け鞄を持ってリビングから出ようとしたら母さんに呼び止められた。

「ねぇ!あきらちょっと待って!
 はいこれ」

 手のひらに乗せられたのは小さなチョコレートだった。

「ん? なんでチョコ?」

 僕が不思議そうな顔をすると、母さんはニコッと笑い。僕の肩をポンポンと叩き、

「お母さん甘いもの食べると、少し幸せになれるの!
 だから幸せのお裾分け」

 そういうと、僕をクルッと玄関の方へ向かせて背中を優しくおした。

「いってらっしゃい」

 僕はまた少し、涙がでた。
 母さんはいつも優しい。
 玄関のを出ると、まるで今の心のように空はどんよりと灰色に染まっていた。
 そういやいつも空と亮が家の前で待っててくれるのに今日はいない。
 空は……なんとなくわかるが亮はどうしたのだろう。
 もしかして空から話を聞いて、僕にかける言葉がなく一人で先に行ったのかも。

 ついでに連絡しとくか。
 僕は亮と空に「居ないから先に行くね」と連絡し、学校へ向かった。



 しばらく歩いていると、たったったったと 後ろから足音が近づいてきた。
 振り返るとそこには息を切らせた空がいた。

「はぁ、はぁ、ごめん。
 寝坊しちゃって、はぁ、はぁ」

 空は肩で息をしながら謝ってきた。
 結構走って来たのだろう、かなり息が上がっている。

「いいよいいよ!
 そんな事もあるさ」

 僕はホッとした。
 もう昔みたいに空と亮三人で登校できない気がしていたから。

「ふぅーーーー」

 空は大きく息を吐くと僕に向き直った。

「おはよっ!
 傘持った? 今日絶対雨降るよ?」

 いつも通りの空だ。
 いつも笑顔で僕に元気をくれる。
 でも少し無理してるのがわかる。
 僕にはそれが少し辛かった。

「おう! ちゃんと持ってるよ!
 てか、亮と一緒じゃないんだね」

 すると空は首を傾げた。

「あれ? 一緒じゃなかったの?
 私知らないよ?」

 空も知らないのか。
 まあでも今までも寝坊して連絡無しに待ち合わせ場所に来ない事もよくあったので、あまり気にならなかった。

「また寝坊だろ!
 連絡しといたし先に行こうぜ」

 僕はそう言うと学校の方へ向き直り、先に歩き始めた。
 あまり空に顔を見られたくなかった。

「あっ待ってよ!」

 空はそう言うと小走りで隣に並び、一緒に歩き始めた。
 道中はほとんど喋れなかった。
 そういえば二人きりなんて久しぶりだからお互い何を話していいかわからなかった。
 まっ、昨日の事もあったしね。



 教室に入ると空は友達の元に走って行き笑顔で話し始めた。
 すると彼女の周りには続々と友達が集まってきた。
 空は僕と違って友達が多い。
 明るい彼女はみんなを笑顔にする。
 僕も話をしたりそこそこ遊ぶ友達はいるものの、本当の意味で友達と言えるのは亮だけだった。
 僕は自分で心に壁を作っているらしい。
友達なんて、本当に親しい人が数人いればそれでいい。

 僕は適当挨拶して席についた。



 しばらくすると先生が入ってきた。
 さっきまで話していた生徒たちはガチャガチャと忙しなく席についた。
 そして先生はおもむろに口を開いた。

「実はみんなに大事な話がある」

 そう言うと先生は少し俯き、フゥッと一息ついて、顔を上げた。

「山仲亮君が、昨晩通り魔に刺され亡くなった」

 ガンッと頭を思いっきり殴られた気がした。
 心臓がバクバクなり、全身から汗が吹き出し体の力が抜けるのを感じた。
 それは空も一緒のようで、彼女も大きく目を見開き、口に手を当て震えている。
 教室中ざわざわしだした。
 それを見た先生は手をパンパンと叩き自分注目させた。

「本当に悔しくてならない。
 あいつはムードメーカーでクラスに不可欠なやつだった。あいつは帰る途中……」

 ガラッ

 僕は先生の言葉を最後まで聞き終わる前に立ち上がり、走り出していた。

 遠くで僕を呼ぶ声がする。

 だが、僕は止まらなかった。
 本当に亮が死んだのか自分で確かめるまでは信じられなかった。
 無我夢中で走った。
 泣きながら。



 そして気づいたら亮の家の前にいた。
 僕はインターホンを鳴らして叫んだ。

「おばさん!
 亮は、亮はいますか?
 死んだなんて嘘ですよね?」

 ドアをバンバン叩く俺を見かねた近所の人が何事かと集まってきた。
 そのうちの一人が僕の方に近寄り声をかけてきた。

「山仲さんは今ご家族で病院にいるよ。
 昨日はそこに泊まったみたいだから。」

 僕はそれを聞くとその人に掴みかかった。

「どこの病院ですか? 
 教えてください!!」

 僕の剣幕にたじろぎながら彼は病院の名前を教えてくれた。
 お礼もそこそこに僕は走り出した。
 その病院は町の中心にあり、ここから二キロメートルぐらいのところにあった。
 スマホが鳴りっぱなしだ。
 だが、そんな事関係無かった。
 亮が死んだのが嘘だと確かめたかったんだ。
 靴も内履きのままなのも気付いていなかった。
 無我夢中で病院に向かい走った。
 側から見ると本当に頭がおかしくない人だと思う。
 雷の音が近い。
 空も泣いているかのように大粒の雨が降り出した。
 もう何で顔が濡れているかわからないぐらいぐしゃじゃになりながら、僕はただひたすらに走った。



 ウィーン



 自動ドアが開くと、むせ返るほどの消毒液の匂いが鼻をついた。
 僕は受付に走り寄り、順番待ちをしてる人をかき分け詰め寄った。

「はぁ、はぁ、山仲亮は
どこですか? はぁはぁ……
教えてください!!」

 受付の女の人はすごい形相の僕に気圧され、震える手で指を刺した。
 僕はその方向へ確認もせず走り出した。
 階段を降りて走っていくと、薄暗い廊下の先に泣き崩れている亮のお母さんとそれを宥めているお父さんがいた。

 その時僕は悟ってしまった。


 ああ、、、本当に、、そうなんだ。


 僕は亮の両親の前にたどり着くと膝からぐずれ落ちた。
 頭がぼやぼやし、視界が霞む。現実がどんどんと押し寄せてくる。
 心臓が握り潰されている感覚がした。遠くの方で亮の母親が叫んでいる。
 多分僕のことを責めているのだろう。だがもうそんな事はどうでも良かった。

 唯一の親友が。
 唯一の理解者が。
 いなくなってしまったのだから……。

 その時、僕たちの青春は終わりを告げた。
 やっぱり今日は大雨だった。




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