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最終話『 想 』 - 03 /04
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「取り壊した後って、ここの神サンどうするんだろうな」
走り去ってゆく牧村の車を見送りながら、綺刀は言った。
そんな綺刀に禰琥壱が答える。
「あそこの祠と桜の木は、ちゃんと残して工事をするそうだよ。ここも完全に新しいアパートにするらしくてね」
「そっか」
「うん。ここの地主神もそれなら構わないって言ってくれたから」
「なら安心だな。――あの人も、無事にあっちで相手に会えてると良いけど」
「それはきっと大丈夫でしょ。ちゃんと俺が道しるべしといたから」
綺刀が203号室の方を見て言うと、今度は刻斉がそう言った。
綺刀が言った"あの人"というのは、あの203号室に憑りついていた女の霊の事だ。
彼女もまた、意図せずこの世に残ってしまった死者ではあったが、人に害を成したくてあそこにいたわけではない。
だが、その深い悲しみや欲求から、彼女は一時的にただの負の思念の塊になってしまっていた。
ただ、野崎が203号室に住んでどのような変化があったのかはわからないが、刻斉が見た彼女は、しっかりと人の思念として形を成していたのだという。
また、悲しみを帯びてはいたものの、彼女からはもう負の気らしいものはほとんど抜けきっていたのだそうだ。
だが、既にあの部屋に憑いてしまった彼女は、もうあの場所から動くことはできなくなっていた。
だからこそ、例え野崎が彼女と共になろうとして自殺したのだとしても、あちらに渡れたのは野崎だけだった。
それゆえに彼女は、あの部屋でずっと想い人を探し求めながら嘆いていたのだった。
しかしこうして刻斉が無事に彼女を送る事ができた事で、彼女もまたあちらへ渡れた。
後は彼らの想いがちゃんと強いものであれば、あちらで再会する事ができるだろう。
刻斉の道しるべはあるものの、ここからはやはり彼ら次第だ。
「それで? あの時祠に居た宮下君とやらは、それからどう?」
「あぁ――」
刻斉の問いに対し、対応したのは禰琥壱だった。
野崎を発見した当時、禰琥壱は宮下が取り乱すものと思っていた。
だが宮下は、部屋から野崎が運び出されてゆく姿を見た後、また少し、静かに泣いただけであった。
宮下はその時、両親が来るまでは禰琥壱と共に居たのだが、その際に――わかっていたんです――と言った。
宮下によれば、あの時にはもう既に野崎の死を覚悟していたのだそうだ。
宮下は知っていたのだ。
野崎が危険行為ともとれる活動をしていた事を。
だがその上で、宮下はそれを見て見ぬふりをしていたのだと言う。
宮下は何よりも、彼の楽しみを奪い、それを否定する事で、彼に嫌われる事を恐れた。
だからこそ宮下には、野崎を止める事が出来なかったのだ。
「なんつぅか健気だよなぁ。そんな宮下を振り回して勝手に死んでよ、――それであっちで幸せにってのも、ちょっとな」
「うん。でも彼も何となく、自分は一番になれないんだと思っていたらしくてね。なんというか、宮下君の方が十分に大人だったよ。彼が幸せならそれでいい。自分はまた生きていく中で、好きな人とも出会えるだろうから、とね」
綺刀の言葉に、大体を説明し終えた禰琥壱がそう言い添えた。
「やせ我慢、か」
「それもあるだろうね。――でも、彼にはもう何も憑いていないし、今後歩む道さえ間違えなければ大丈夫さ」
宮下の心境を悟った恵夢の言葉に、禰琥壱は頷きそう言った。
「そうですね。人生は生きてりゃ終わらない。身動きが取れなくなるのは終わっちまった後。――だから生きてる限り、その先は何とでもできる」
「うん、そういう事だね」
恵夢の言葉に一同も賛同の意を示す。
そしてその場の全員が、今一度203号室を見た。
「これで本当にひと段落、か」
「だな」
綺刀の呟きに恵夢が頷く。
それから少しの沈黙が訪れた頃、禰琥壱が一同に声をかけ、それぞれを自宅に送り届ける為に車を発進させた。
そうして住宅街を運転する禰琥壱は、野崎を発見した直後に交わした宮下とのやりとりを思い出していた。
宮下はあの時、禰琥壱にだけ野崎と自分の関係を明かした。そして、更にもう一つ禰琥壱に告白したことがあった。
禰琥壱はその告白を思い出す。
――俺、遺書みたいなメッセージを貰っていたんです。
――それには、自分以外の人と幸せになってほしいって書いてあって……あと、誰にも言わずに消してほしいって書いてありました。
――だから警察の人や他の人には言わないでほしいんですけど……
その宮下の言葉を聞いて、禰琥壱はなんと身勝手な事だろうかと思った。
話を聞けば、彼が大人になった際には共になる約束まで交わしていたという。
そんな彼との約束を無きものとして自欲の為に他者の救世主になり、だが彼の幸せも願い続けていると語るなど、それはただの自己満足だ。
そのような自分勝手な者に、彼に幸せになってほしいなどという綺麗事を綴れる資格はない。
野崎という人間には相変わらず良い印象を持てない事ばかりで、禰琥壱は苦笑した。
だがもちろん、それを宮下に伝える事はしなかった。
宮下はそれでも野崎を想っているのだ。
野崎もそうだが、赤の他人である禰琥壱にもまた、その想いを否定するような権利はない。
だからこそ禰琥壱はその際、そうか、とだけ言って彼の頭を撫でるだけにとどめたのだった。
そしてその後、秘密を守る事を約束し、もし何か困った事があれば連絡しておいでと自分の連絡先だけ彼に託した。
ここ数か月間であった彼の経験は、思春期の少年が経るにはあまりにも複雑なものばかりだ。
だからこそ、どうしようもなくなった時にまたこのような事にならぬよう、最後の最後の逃げ道を託さずにはいられなかったのだ。
またその時、禰琥壱から己の連絡先と、一人で抱え込まなくていいからね、という言葉を受け取ると、宮下は何度も頭を下げ礼を言ったのだった。
そんな彼はその後、両親と共にその場で警察の聴取を受けた後、再び禰琥壱に頭を下げ、家に帰って行った。
禰琥壱は、そんな彼を思い出し、どうかこの先、彼が二度と負のものに呑まれる事がないようにと願った。
「うーわ、すげぇ~」
「桜の木と祠だけが残ってるっていうのも、なんだか面白い光景だねぇ」
2018年8月16日。
牧村の所有していたアパートの解体工事が終了したその日。
その場所では、刻斉が属する家系である夏目一族の上位者によって地鎮祭が執り行われた。
そうして厳かに執り行われた地鎮祭も無事に終わった後、儀式を見守っていた面々は、改めて更地となった敷地内を見回していた。
その日は牧村の希望もあり、禰琥壱や他の面々も立ち会う事になっていたのだった。
その為、この件に大きく関わった恵夢、綺刀、刻斉、京弥もまた、この地鎮祭に立ち会った。
更に、これも霊能者なりの社会経験という事で、梓颯や彰悟も立ち会わせてもらう事になり、立会人の見目がずいぶんと騒がしい中の地鎮祭となったのであった。
「あ、あの」
そして、それぞれが地主神にも挨拶を済ませ、道路に出てまた敷地内を見回していると、恐る恐るといった様子の声がかかった。
それに一同が振り返ると、そこには控え目に包まれた花束を持った宮下が居た。
そんな宮下に話を聞けば、野崎の墓を知るつてがなかった為、せめてここに花を添えられればと思い来てみたとの事だった。
だがすっかり更地になってしまったその土地を見て、不安そうな視線を禰琥壱へと向けた。
そこで、それに気付いた禰琥壱は、宮下に事情を説明した。
「――そうだったんですね……何もなくなっていたのでびっくりしました。――でも、じゃあこれは持って帰った方がいいですね」
宮下はそう言い、抱いていたささやかな花束を見て苦笑した。
だが禰琥壱は、そんな彼を制止するように言った。
「あぁ、待って。部屋にはもう置けないけれど、よかったらこの土地を守る神様のところに供えていかないかい? 彼が無事にこの地からあちらへ渡れるよう、お祈りも兼ねて」
「い、いいんですか?」
「うん。そのくらいの花束なら大丈夫だと思うから。ね」
「――はいっ」
宮下は、そう言って微笑む禰琥壱の言葉に嬉しそうに返事をした。
そして、優しく胸に抱くようにしていた花々を抱きしめるようにして、宮下は禰琥壱に導かれ、祠の前へと向かった。
走り去ってゆく牧村の車を見送りながら、綺刀は言った。
そんな綺刀に禰琥壱が答える。
「あそこの祠と桜の木は、ちゃんと残して工事をするそうだよ。ここも完全に新しいアパートにするらしくてね」
「そっか」
「うん。ここの地主神もそれなら構わないって言ってくれたから」
「なら安心だな。――あの人も、無事にあっちで相手に会えてると良いけど」
「それはきっと大丈夫でしょ。ちゃんと俺が道しるべしといたから」
綺刀が203号室の方を見て言うと、今度は刻斉がそう言った。
綺刀が言った"あの人"というのは、あの203号室に憑りついていた女の霊の事だ。
彼女もまた、意図せずこの世に残ってしまった死者ではあったが、人に害を成したくてあそこにいたわけではない。
だが、その深い悲しみや欲求から、彼女は一時的にただの負の思念の塊になってしまっていた。
ただ、野崎が203号室に住んでどのような変化があったのかはわからないが、刻斉が見た彼女は、しっかりと人の思念として形を成していたのだという。
また、悲しみを帯びてはいたものの、彼女からはもう負の気らしいものはほとんど抜けきっていたのだそうだ。
だが、既にあの部屋に憑いてしまった彼女は、もうあの場所から動くことはできなくなっていた。
だからこそ、例え野崎が彼女と共になろうとして自殺したのだとしても、あちらに渡れたのは野崎だけだった。
それゆえに彼女は、あの部屋でずっと想い人を探し求めながら嘆いていたのだった。
しかしこうして刻斉が無事に彼女を送る事ができた事で、彼女もまたあちらへ渡れた。
後は彼らの想いがちゃんと強いものであれば、あちらで再会する事ができるだろう。
刻斉の道しるべはあるものの、ここからはやはり彼ら次第だ。
「それで? あの時祠に居た宮下君とやらは、それからどう?」
「あぁ――」
刻斉の問いに対し、対応したのは禰琥壱だった。
野崎を発見した当時、禰琥壱は宮下が取り乱すものと思っていた。
だが宮下は、部屋から野崎が運び出されてゆく姿を見た後、また少し、静かに泣いただけであった。
宮下はその時、両親が来るまでは禰琥壱と共に居たのだが、その際に――わかっていたんです――と言った。
宮下によれば、あの時にはもう既に野崎の死を覚悟していたのだそうだ。
宮下は知っていたのだ。
野崎が危険行為ともとれる活動をしていた事を。
だがその上で、宮下はそれを見て見ぬふりをしていたのだと言う。
宮下は何よりも、彼の楽しみを奪い、それを否定する事で、彼に嫌われる事を恐れた。
だからこそ宮下には、野崎を止める事が出来なかったのだ。
「なんつぅか健気だよなぁ。そんな宮下を振り回して勝手に死んでよ、――それであっちで幸せにってのも、ちょっとな」
「うん。でも彼も何となく、自分は一番になれないんだと思っていたらしくてね。なんというか、宮下君の方が十分に大人だったよ。彼が幸せならそれでいい。自分はまた生きていく中で、好きな人とも出会えるだろうから、とね」
綺刀の言葉に、大体を説明し終えた禰琥壱がそう言い添えた。
「やせ我慢、か」
「それもあるだろうね。――でも、彼にはもう何も憑いていないし、今後歩む道さえ間違えなければ大丈夫さ」
宮下の心境を悟った恵夢の言葉に、禰琥壱は頷きそう言った。
「そうですね。人生は生きてりゃ終わらない。身動きが取れなくなるのは終わっちまった後。――だから生きてる限り、その先は何とでもできる」
「うん、そういう事だね」
恵夢の言葉に一同も賛同の意を示す。
そしてその場の全員が、今一度203号室を見た。
「これで本当にひと段落、か」
「だな」
綺刀の呟きに恵夢が頷く。
それから少しの沈黙が訪れた頃、禰琥壱が一同に声をかけ、それぞれを自宅に送り届ける為に車を発進させた。
そうして住宅街を運転する禰琥壱は、野崎を発見した直後に交わした宮下とのやりとりを思い出していた。
宮下はあの時、禰琥壱にだけ野崎と自分の関係を明かした。そして、更にもう一つ禰琥壱に告白したことがあった。
禰琥壱はその告白を思い出す。
――俺、遺書みたいなメッセージを貰っていたんです。
――それには、自分以外の人と幸せになってほしいって書いてあって……あと、誰にも言わずに消してほしいって書いてありました。
――だから警察の人や他の人には言わないでほしいんですけど……
その宮下の言葉を聞いて、禰琥壱はなんと身勝手な事だろうかと思った。
話を聞けば、彼が大人になった際には共になる約束まで交わしていたという。
そんな彼との約束を無きものとして自欲の為に他者の救世主になり、だが彼の幸せも願い続けていると語るなど、それはただの自己満足だ。
そのような自分勝手な者に、彼に幸せになってほしいなどという綺麗事を綴れる資格はない。
野崎という人間には相変わらず良い印象を持てない事ばかりで、禰琥壱は苦笑した。
だがもちろん、それを宮下に伝える事はしなかった。
宮下はそれでも野崎を想っているのだ。
野崎もそうだが、赤の他人である禰琥壱にもまた、その想いを否定するような権利はない。
だからこそ禰琥壱はその際、そうか、とだけ言って彼の頭を撫でるだけにとどめたのだった。
そしてその後、秘密を守る事を約束し、もし何か困った事があれば連絡しておいでと自分の連絡先だけ彼に託した。
ここ数か月間であった彼の経験は、思春期の少年が経るにはあまりにも複雑なものばかりだ。
だからこそ、どうしようもなくなった時にまたこのような事にならぬよう、最後の最後の逃げ道を託さずにはいられなかったのだ。
またその時、禰琥壱から己の連絡先と、一人で抱え込まなくていいからね、という言葉を受け取ると、宮下は何度も頭を下げ礼を言ったのだった。
そんな彼はその後、両親と共にその場で警察の聴取を受けた後、再び禰琥壱に頭を下げ、家に帰って行った。
禰琥壱は、そんな彼を思い出し、どうかこの先、彼が二度と負のものに呑まれる事がないようにと願った。
「うーわ、すげぇ~」
「桜の木と祠だけが残ってるっていうのも、なんだか面白い光景だねぇ」
2018年8月16日。
牧村の所有していたアパートの解体工事が終了したその日。
その場所では、刻斉が属する家系である夏目一族の上位者によって地鎮祭が執り行われた。
そうして厳かに執り行われた地鎮祭も無事に終わった後、儀式を見守っていた面々は、改めて更地となった敷地内を見回していた。
その日は牧村の希望もあり、禰琥壱や他の面々も立ち会う事になっていたのだった。
その為、この件に大きく関わった恵夢、綺刀、刻斉、京弥もまた、この地鎮祭に立ち会った。
更に、これも霊能者なりの社会経験という事で、梓颯や彰悟も立ち会わせてもらう事になり、立会人の見目がずいぶんと騒がしい中の地鎮祭となったのであった。
「あ、あの」
そして、それぞれが地主神にも挨拶を済ませ、道路に出てまた敷地内を見回していると、恐る恐るといった様子の声がかかった。
それに一同が振り返ると、そこには控え目に包まれた花束を持った宮下が居た。
そんな宮下に話を聞けば、野崎の墓を知るつてがなかった為、せめてここに花を添えられればと思い来てみたとの事だった。
だがすっかり更地になってしまったその土地を見て、不安そうな視線を禰琥壱へと向けた。
そこで、それに気付いた禰琥壱は、宮下に事情を説明した。
「――そうだったんですね……何もなくなっていたのでびっくりしました。――でも、じゃあこれは持って帰った方がいいですね」
宮下はそう言い、抱いていたささやかな花束を見て苦笑した。
だが禰琥壱は、そんな彼を制止するように言った。
「あぁ、待って。部屋にはもう置けないけれど、よかったらこの土地を守る神様のところに供えていかないかい? 彼が無事にこの地からあちらへ渡れるよう、お祈りも兼ねて」
「い、いいんですか?」
「うん。そのくらいの花束なら大丈夫だと思うから。ね」
「――はいっ」
宮下は、そう言って微笑む禰琥壱の言葉に嬉しそうに返事をした。
そして、優しく胸に抱くようにしていた花々を抱きしめるようにして、宮下は禰琥壱に導かれ、祠の前へと向かった。
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