立派な淑女に育てたはずなのに

本編

1

　森の奥にそびえたつ古びた塔には魔女が住んでいる。魔女には塔を管理している国から侍女が一人つけられ、その侍女には魔女の身の回りの世話をすることが課せられていた。

　塔に住む魔女の名はレアケ。およそ四十年塔にこもりきりの魔女だ。それほど長くそこにいるのだから実年齢はそれ以上のはずだが、見た目は腰にまで届くほど長く真っすぐな白髪と淡い紅色の目をした、二十歳ほどの美しい女性の姿をしていた。

「ふあ……」

　春のうららかな陽光が窓から差し込む塔の一室で、レアケは小さな椅子に座ったまま片手で口元を覆い、その美しさを台無しにするような大あくびをしていた。レアケの前には一人の少女が立っており、彼女にちらちらと視線を送りながら震えている。

「俺、……私はエスタだっ……です。今日から、魔女さまの身の回りのお世話をさせていたたっ、だき、ます」

　エスタと名乗った少女は震えながら挨拶し、頭を下げた。肩にかかるほどの長さの金髪はくすんで傷み放題で、少し落ち窪んだ眼窩からのぞく深緑の目は不安げだ。質の良さそうな侍女服とは裏腹に、そこから伸びる手足は不健康にやせ細っている。レアケは少女を一瞥した後、面倒くさそうに宙を眺めて深くため息をついた。

「……飽きもせずに、また寄越したのか」

「っ、あの……」

　かわいそうなくらいに顔を青くしたエスタを頭の天辺から足の爪先まで眺め、レアケは小さく笑う。その視線にエスタはただうつむき、スカートの裾を握りしめて恐怖に耐えていた。

「なにもせぬ、そうおびえるでない。顔を上げよ」

「……っ」

　エスタは恐る恐る顔を上げる。レアケが近づきその顔をのぞき込むと、エスタは息を呑み体を硬直させた。

「かわいそうにのう、やせ細って。そなた、腹が減っておろう？」

「っ……いえ、別に……」

　そこで狙ったかのようにエスタの腹の音が鳴る。顔を真っ赤にするエスタに対し、レアケはにっこりと笑って一歩身を引き、誘うように腕をある方向へと伸ばした。

「そなたの腹は正直なようだ。おいで、共に食事をしようじゃないか」

　レアケの指したテーブルの上にはいくつかの料理が並べられている。エスタの目はそれに釘づけとなり、口を半開きにして驚いた声をもらした。

「魔女さまが、作ったのですか」

「そうだ。ここには私しかいないのだから、当然だろう？」

　本来は魔女の食事を用意するのは侍女の役目であり、食料を受け取り塔に持ち込むのも侍女の役目だ。レアケには一週間ほど前まで別の侍女がついていたが、とある事情でいなくなってしまい、新たにエスタが遣わされたというわけだ。この一週間は侍女がいなかったため、レアケは食事も含めて身の回りのことは自分でしなければならなかった。

「少し作りすぎてのう。食してくれると助かるのだが」

「そう、ですか……」

　エスタは気もそぞろで、目は料理に釘づけだ。よだれをたらしそうなエスタにレアケが小さく笑うと、その笑い声に反応してはっとしたエスタは慌てて首を横に振った。

「でも、私は魔女さまの侍女だ、……です。だから、そのようなことは許されません」

「構うことはない。ここにはそなた以外、だれもおらぬよ。私とそなたの心の内に留めておけば、だれにも知られぬ」

「でも……」

「さあ、私の侍女よ。この魔女の相手をしておくれ」

　エスタは警戒しているようで、いぶかしげにレアケを見ている。しかし誘惑には勝てないのか、引き寄せられるように足が進んでいた。

「ううっ……なにを企んでやがる……」

　エスタは口だけは抵抗している。レアケはその少し生意気そうな様子がとても気に入った。

「ふうむ、そうだのう……餌づけ、かのう」

「お、俺を食う気か!?」

　レアケは食べ物を与えることでエスタを懐柔しようとしていただけだ。しかしエスタの反応があまりにもかわいくて、つい意地悪く、意味ありげな笑みを浮かべる。

「たーんと肥えてもらわねばならぬからのう？」

「くそっ、……タダで食われてやらねえからな！」

　エスタは体を震わせ、わずか目に涙を浮かべながらレアケをにらみつけた。虚勢を張り吠えているエスタに辛抱たまらず、レアケは腹を抱えて笑い出す。

「ははっ、は……そなたが魔女をどう思っているのかは知らぬが、少なくとも、私は人を食したりはせぬ。安心せよ」

「な、なんだよ！　うそだったのかよ!?」

「私は肥えてもらわねばと言っただけだが？　そのように細い腕では、ここでの仕事はままならぬと思ってのう」

　エスタはさっと両腕を自分の後ろに隠したが、腕を隠したところでスカートから伸びる足は細く、そもそも体自体が細い。こんな状態の少女が侍女になること自体、常ではありえないことだ。

　エスタにはなにか事情があるのだろう。しかし、レアケにとってはエスタの事情などどうでもよいことだ。ここに遣わされる侍女がわけありなのはいつものことなのだから。それよりも、レアケには気になることがあった。

（今回も魔力持ちの子だけれど……）

　魔女の侍女になるには一定の魔力を持っていることが条件だ。というのも、塔にある設備は魔力を注ぐことで動くものばかりだからだ。

（この子、すごい魔力を持っているわね）

　レアケの所見では、エスタには魔力が十分にある。むしろ、いままで見た人間の中では一番だ。この国の過去にいた屈指の魔法使いよりも魔力を擁しているのではとまで思う。

（ここに送ってきただれかさんは、それに気づいていないようだけれど）

　気づいていればこんなところに遣わせず、魔法使いとして育てているはずだ。魔女に至るには及ばないが、正しく学べば優秀な魔法使いになれる可能性を秘めている。

（この子は、魔法使いとして育ててみるのもいいわね）

　レアケは自分がエスタを魔法使いとして育てるのも楽しそうだと考えた。どちらにしても、いまの健康状態を改善する必要はありそうだが。

「働く者は食うべし。さあ、食すがよい」

　エスタは満面の笑みを浮かべるレアケに文句の一つどころか、二つ、三つと言いたそうな顔だ。しかし、その腹はなにか棲んでいるのではないかと思うくらいの音を鳴らしていて、エスタはなにも言えなかった。

「……っ」

　自分の食欲を止めることができなくなったのか、エスタはテーブルの上にある料理に手を伸ばす。そのままつかんで口に放り込み、夢中になって食らいついた。

「愛いやつめ、まるでリスのようだの。……フォークの使い方くらいは学ばせねばならぬようだが、それは追々かのう」

　レアケの声は届いていないようで、エスタは黙々とテーブルに並べられた料理を皿をなめる勢いで平らげていく。よほど空腹だったのだろう、すべてを食べ終えたところでやっと正気に戻ったらしく、はっとしてレアケへと振り返り、頭を下げた。

「ご、ごめ……あっ、申しわけございませ、ん！」

「よい、よい。小気味いいくらいの食事っぷりだった。ほれ、これで手を拭くといい」

　エスタの手に手ぬぐいを持たせて拭くように指示する。エスタが大人しく従うと、その間にレアケはエスタの頭や肩、背に顔を近づけて観察し始めた。

「それにしても、やはりそなた……匂うな」

「えっ!?　ちゃんと風呂には入れてもらったぞ！」

　エスタには風呂よりも食事が優先だろうにとレアケは思う。とはいえ、侍女がここにくるまでのことはどうにもできないことだ。

「体臭ではない、魔力の匂いだ。そなた、いまなにか魔法を使っておろう？」

「……魔法？」

　エスタは勢いよく顔を上げる。そこには驚きだけでなく戸惑いの色も見えて、レアケは首をかしげた。