立派な淑女に育てたはずなのに

茜菫

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本編

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 春の麗らかな昼下がり。空は青く晴れわたり、温かな光が塔に差し込んでいた。レアケはこんなによい天気の日は、優雅に紅茶でも飲みながらゆっくりしたいところだが。

「はぁ……っ、ここがいいんだろう、なあ……っ」

(どこのことよ)

 レアケは老齢の男がベッドの上で一人腰を振っているさまを、光を失った目で眺めていた。

 相変わらず自らがだまして契約し、閉じ込めた魔女を抱きにやってくる男は、魔女が幻を見せていると気づかずに一人行為に浸っている。

 レイフがこうして定期的にやってくるのは、魔女から魔力を得るためだ。契約により魔女の魔法を扱えるようになったレイフだが、元々魔法使いでない。魔法が扱えるほど魔力はもっておらず、魔法を扱うには魔女からの魔力譲渡が必要だった。

 魔力の譲渡方法はさまざまあるが、自然な譲渡方法では体液を媒介にした粘膜吸収がもっとも効果が高い。それを口実にやってきては、レアケを抱く。実際には抱いている幻を見ている間に、魔法で魔力譲渡されているだけだが。

(ようやく終わったのね、この遅漏野郎……)

 シーツの上に盛大に精を吐き出したレイフはベッドに寝そべった。自らが生み出した幻のレアケを満足させられたのか、満足そうな顔で笑みを浮かべている。レアケは幻とはいえ、この男に抱かれたのかと思うと吐き気がした。

「レアケ、おまえはいつまでも美しいな」

 レアケは大きくため息をついた。膨大な魔力を体に擁した魔女は肉体が歳を取ることを忘れる。もう何十年もいまの姿を保ったままのレアケは、何十年も聞かされ続けた言葉に、ただあきれるしかなかった。

(あなたは年々、醜悪になっていくわね)

 ベッドで全裸をさらけ出している老人がなにもない隣をなでている。その間抜けなさまを眺めながら、レアケは嘲笑した。この男が幻を見ている間だけが、王を嘲笑える時間だった。

「まったく、ブリヒッタは口煩くてかなわん。ますます醜くなるばかり。いつまでも若くて美しいおまえを、王妃にすればよかった」

 レアケはレイフの言葉に怒りで叫びたくなった。よくもだましておいてそんなことが言える、と。契約により王族を害してはならないレアケはその言葉を吐き出すことができず、それを無理やりに飲み込んで視線を落とした。

(……本当に、私ってばかね)

 レアケは王妃になりたかったわけではない。ただ好きな人と一緒にいたかっただけだ。結婚すれば好きな人とずっと一緒にいられるのだと信じていた。

 森に引きこもっていた魔女は情勢に疎く、第一王子と第二王子が王位継承争いを繰り広げていたことなど知りもしなかった。そのため、彼女のもとにやってきた第二王子が魔女の力を欲していたことに、まったく気づけなかった。

 まんまとだまされて王子を愛した魔女は力を貸し、だまされたと気づいたときにはすでに手遅れ。魔女の力を得た第二王子が王位を得て、敗れた第一王子は罪を着せられ、処される前に姿を消した。

(……私が手を貸さなければ、レイフが王になることはなかったのかもしれないわ)

 第二王子ではなく第一王子が王となっていれば、ここまでひどい国政にはならなかったかもしれない。もっとも、当時の第一王子の人となりを知らず、結果としては王位継承争いに敗北したのだから、善き王になったかどうかは想像もできないが。

(……少なくとも、悪政を敷く王を守る魔女なんて、生まれなかったわね)

 塔に閉じ込められ、外界との接触を禁じられているレアケは自分がどのように語られているのかを知らない。ただいままでここにやってきた侍女らの畏怖や憎悪の目から、よく思われていないことはわかっていた。

(こんな魔女は、消えるべきよ)

 侍女らから多くの民が王の悪政に苦しんでいると聞いて、レアケはずっと己の浅はかさを悔い、嘆いていた。

 悔いても嘆いても、契約のために償うことすらできない。レアケにできることは、ただだれかが自分を殺してくれることを待つだけだ。

 服を正して出ていくレイフの背を見送り、レアケは汚されたベッドに目を向ける。レイフの無様な姿を嘲笑っても、そのときが終われば惨めにしかならなかった。

(……汚い)

 レアケはシーツを剥ぎ取ると、それを一瞬で燃やして灰にする。鉄格子のはまった窓からそれを捨て、青い空を眺めた。

 いまごろレイフは階段をよたよたと下りているころだろう。そのまま足を踏み外して転げ落ちてしまえばいいと、呪いのように念じる。残念ながらそのような悲鳴も音も聞こえてくることはなく、扉が再び閉じられる音だけが塔に響いた。

(……本当に、嫌だわ)

 しばらくして転移の魔法が発動したと思われる魔力の流れを感じ、レアケは深くため息をつく。そして顔を上げ、口を開き――

「下半身でしかものを考えられない、間抜けな老人めっ! あなたの自慰なんて見たくないのよ! もう二度と来ないで!」

 レアケは大きな声で恨み言を叫び、肩で息をした。幻を見せて難を逃れているとはいえ、あまりにも苦痛な時間だった。いまでこそ魔法を使ってごまかしているが、はじめのころはどうすることもできずに体を暴かれていた。

「本当に、最悪の時間だわ!」

 愚かにもレイフを愛していたころは、どんなに痛くて苦しくとも、それが愛だからとよろこんで受け入れていた。それがいまでは拷問の時間でしかない。

「はぁ、はぁ……うん?」

 悪態をついたレアケだが、直後に転移の魔法が発動したような気がして首をかしげた。

 王は確かに王宮へと戻ったはずだ。なのになぜ再び転移の魔法が作動したのか。ただの気のせいかとも思ったが、自分の感覚を信じたレアケは用心のために階段を下りる。

(入れ違いで、ブリヒッタでも来たのかしら。だとしたら、早すぎじゃない?)

 相変わらずレイフの訪れがあった後は、ブリヒッタの突撃と暴言、暴力だ。もしいまの転移がブリヒッタなら、レアケは自ら殴られに出向いていることになる。

(……なんてばからしい)

 そう思いつつも、レアケは一抹の不安に足を進める。足取りは重かったが、階段を下りている間に塔の転移座標が消失したのを感じて一変した。

「えっ!?」

 レアケは慌て、急ぎ足で階段を下りる。この四十年、転移座標に異常が起きたことなど一度もなかった。

(いったい、なにが起きているの……?)

 座標がなければ王族が気安くやってくることはなくなりうれしい限りだが、突然消失するなどどう考えても異常事態だ。レアケは階段を下り、塔の扉の前に立ったところで足を止める。

(……だれかが、いる)

 扉の向こう側に何者かの存在を感じる。扉が小さな音を立て、ゆっくりと開かれるさまをレアケは見守った。緊張にどくどくと心臓が高鳴り、固唾をのむ。

(まさか、あなたが……)

 レアケはいよいよ待ちに待ったときが来たのかと淡い期待を抱いた。かならず迎えにくると、一方的に約束した少女。レアケはその言葉を忘れたときなどなかった。

 扉が開かれ、一人の人物が塔の中へと入ってくる。その人物をひと目見た瞬間、レアケは目を見開いてぽつりとつぶやいた。

「…………えっ、だれ?」

 光を浴びて輝く金色の髪と、切れ長のきりりとした新緑の双眸。レアケより頭半分ほど背が高く、美しく整った顔立ちの、男だ。彼はレアケをその目に映すと、蕩けるような笑みを浮かべて両腕を広げた。

「迎えに来ましたよ、私の魔女。さあ、結婚しましょう」

 レアケは唖然として言葉を失う。男の存在もそうだが、その口から吐き出された言葉も意味がわからなかった。

「……いや、あなただれよ!?」

 記憶の中に、こんな男は存在しない。レアケは混乱し、頭を両手で抱えて後ずさった。
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