治療と称していただきます

茜菫

文字の大きさ
25 / 60
第一部

そばにいるから(3)

しおりを挟む
 二人は地下へ下り、中の様子をうかがう。見える範囲にはマシューとアグネスの姿はなかった。

 部屋の中をぐるりと見回すと、扉が五つもあった。そのどれにも魔法でなにかが細工されているのを感じる。おそらく、すべての扉が本物という訳ではない。

「下手に開けるのは危険だな」

「そうね。せめて、当たりをつけないと……万が一、なんて言ったけれど……出し惜しみせず、捜索の魔法を使うわ」

「わかった」

 エレノーラはマシューのぬいぐるみを手に取った。まずはそれを使って、捜索の魔法を使おうと試みる。

「っ」

「エレノーラ! ……妨害か?」

 だが、ばちんと音がして使おうとした魔法が不発に終わった。失敗してしまったことでしびれた指先を、レイモンドが大きな手で包む。

「ごめんね、ちょっと失敗しただけなの」

「大丈夫か……?」

 妨害があった訳ではない。先ほどのハンカチのことが気になって、集中できずにうまく魔法が成せなかっただけだ。

(なにやっているのよ、私……)

 捜索の魔法は難易度が高いものだ。心を落ち着かせなければ扱えない。しかし、エレノーラの心は大荒れの海模様だ。私情で集中できなくなる自分が情けなくてたまらなかった。

(いままでこんなこと、一度もなかったのに……やだ、もう)

 エレノーラはレイモンドが初恋であり、はじめての恋人だ。それまでは薬草と魔法にしか目がなかったからか、こういったことで心が揺さぶられることに慣れていない。恋人になる前は嫉妬心を抱いたとしても仕方がないことだと諦めていたから、どうとでもなっていた。

(私……本当に、欲深くなってしまったわね)

 心が揺さぶられたとしても、そんな状況で難しい魔法を使わなければならない場面はいままでなかった。しかしいまは安全にマシューとアグネスを探し出すためにも、魔法を使わなければならない。悩みの元を解決しなければと、エレノーラはレイモンドに顔を向ける。

「ねえ、レイモンド。あのハンカチは……どうしてアグネスさんが持っているの?」

「えっ」

「笑わないでね。……気になって、集中できなくて、うまく魔法が使えなかったの」

 エレノーラが知ったことは中途半端な情報だ。このまま放っておくと、変に想像して拗らせてしまいそうで、そうならないためにも直接聞いてみるしかなかった。レイモンドも同じようにこれ以上拗らせたくないと思ったのか、正直に答える。

「四年半前、私が魔物討伐の功績を上げる前のことだ。調査でアグネスとほかの騎士や魔道士と一緒に行動することがあって」

「それで?」

「その時、アグネスが転倒してけがをしたんだ。一番下っ端だった私が手当てをして、背負って連れて帰った。その時にあのハンカチを使って……返さなくていいって言ったから、ずっと持っていたんだと思う」

 あの血の跡はアグネス自身のもののようだ。アグネスはレイモンドに助けられたその時のハンカチをずっと、大切に持っていたのだろう。おそらく、その時に生まれた恋心と一緒に。

(はあ。やっぱり、もやもやするわね)

 エレノーラは以前、アグネスに投げられた言葉を思い出す。四年前といえば、レイモンドは十四歳でアグネスは十五歳。そんな若い二人の間にあった、甘酸っぱい話だ。

(その頃の私は十九歳……五年の歳の差は大きいなあ)

 エレノーラが深く息を吐くと、レイモンドは眉尻を下げて不安そうな顔で彼女を見た。その視線を受け、エレノーラは笑う。

「わかったわ。話してくれてありがとう、レイモンド。この話は、もう終わり」

「怒っていないのか……?」

「どうして私が怒るのよ。レイモンドはなにも悪いことをしていないし、むしろちゃんと自分の責務を果たしたんだから、ほめられることよ」

 レイモンドはなにも間違ったことはしていない。けが人を背負うことは、悪いどころか良いことだ。

(私が歳上なんだから、ここは大人の余裕、包容力というものを見せないとね)

 ハンカチが譲渡された理由はわかったのだから、これでエレノーラも少しは落ち着けるだろう。嫉妬心を押し隠し、顔が引き攣りそうになるのをなんとか取りつくろって笑った。レイモンドは真面目な顔で、エレノーラの手を握りしめる。

「レイモンド?」

「僕が好きなのは、エレノーラだけだ」

 ベイビーブルーの目にじっと見つめられて、エレノーラは頬が熱くなるのを感じながら小さくうなずいた。その言葉を、疑ってなどいない。信じているから、嫉妬はしても怒ってなどいない。

 好きな人からの愛の言葉は心をよろこばせ、嫌な気持ちを消し去っていく。エレノーラは自然と笑顔になったが、ふと、冷静になって顔を横に振った。

「ごめん、こんなことをしている場合じゃなかったわね」

「そう、だった。ごめん……」

 マシューとアグネスがどんな状況に置かれているのかわからない以上、急ぐべきだろう。エレノーラは自分がふがいなく、レイモンドにも余計な時間を取らせてしまったと反省した。

「うん、もう大丈夫」

 エレノーラは気合を入れて気持ちを切り替えた。呪文を唱えながら、ぬいぐるみに指で魔力を注いでいく。成功したようで、ぬいぐるみは薄く発光して宙に浮いた。

「う……浮いた……」

 レイモンドはそのぬいぐるみを見て驚いた。宙に浮かんだぬいぐるみはふわふわと漂うようにゆっくりと進んでいく。それは一つの扉へ向かうと、ぶつかって地に落ちた。光は薄くなり、やがて消えてなくなる。

「マシューさんは、この先にいそうね」

 エレノーラは扉を確認するが、特に封じられているといった様子はなかった。となると、マシューは扉が開かないから出てこない訳ではないのだろう。意識がないのか、拘束されているのか、最悪の状況でないことを祈るしかない。

「レイモンドは、直接対峙したことがあるから知っていると思うけど……」

「享楽の魔女のことか?」

「そう。あの男がもっとも得意としていたのは幻覚の魔法なの。だから、この先なにがあっても……幻覚の可能性が、高いわ」

 その魔法に苦しめられたことがあるのだろう、レイモンドは苦々しくうなずいた。魔女はさらに厄介なことに記憶を読む魔法も扱え、その二つを組みあわせた魔法が凶悪なものだった。

 魔女が扱った記憶を読む魔法については、書き残された文面は一切ない。この世でたった一人、享楽の魔女のみが使えた魔法だ。あの男がいなくなったいま、この世にはその魔法を扱えるものはいないし、だからこそ対策も難しく、気をつけるしかなかった。

「私が先に入る」

「うん、わかったわ。気をつけて」

 レイモンドがエレノーラの前に立ち、扉に手をかける。ゆっくりと取っ手を引くと、きい、と音を立てて扉が開かれた。なにかが飛び出してくることはなく、魔法が発動することもなく、エレノーラは不気味さを覚える。一歩、レイモンドが足を踏み入れてもなにも起きなかった。

 扉をくぐったレイモンドから離れないように、エレノーラもその後に続く。中は薄暗く、奥はほとんど暗闇でなにも見えない。扉を開く前からなにかの魔法がすでに発動している気配はあったため、油断はできない。

「明かり、つけるわね」

「ああ」

 エレノーラはレイモンドの返事を聞き終えてから、手のひらに光の玉を魔法で生み出す。部屋の隅まで光が届き、暗闇だった場所が見えるようになり、二人はそこに人の姿を見て息を呑んだ。

「マシューさん……ひどい……」

「……ひどいな」

 エレノーラが思わずつぶやくと、レイモンドがそれに同意する。

「全裸にするって……あの男、本当に……悪趣味ね……」

 かわいそうなことに、連絡が取れなくなっていた魔道士の一人、マシューが全裸で縄で縛られ、床にころがっていた。
しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

処理中です...