治療と称していただきます

茜菫

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第一部

そばにいるから(2)

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 謁見が終わり、二人が部屋を出たところで突然、レイモンドがエレノーラを抱きしめた。部屋の前には警備の兵がいる上に、魔道士長も一緒に出てきている。周りに人がいる状況だというのに、普段は気にするレイモンドの大胆な行動にエレノーラは少し驚いた。

「レイモンド、私」

「ごめん、わかっている……」

 レイモンドは先ほどのアレックスの言葉がよほど腹に据えかねているようだ。レイモンドの怒りの矛先はアレックスではなく、この世にはいない享楽の魔女だ。

 エレノーラはいまのこの世でだれよりも長く享楽の魔女の身近にいて、彼の使う魔法を知っている。魔女に二年もの間、囚われていたからだ。その間に享楽の魔女からいいようにも扱われていて、その一端をレイモンドは目にしている。だからこそ、レイモンドは怒りを感じているのだろう。

 けれどそれはすべて過去のことであり、怒りをぶつける相手はこの世にはいない。皮肉なことに、その事実を知らず、怒りを感じる前のレイモンドの手で屠った相手だ。

 レイモンドはエレノーラをしっかりと抱きしめる。しばらくして、怒りの気持ちに折り合いをつけたのだろう、エレノーラを離した。

「行こう、エレノーラ」

「ええ」

 エレノーラはほほ笑んでうなずいた。

 件の廃墟へは馬で向かうことになった。エレノーラはレイモンドの愛馬である、青毛のアイギスに挨拶する。名づけ親はレイモンドだが、その由来は、なんとなく響きが格好いいから、だった。格好いいからで決めてしまうレイモンドを、エレノーラはかわいいと思っている。

「行こう」

「うん。アイギス、お願いね」

 エレノーラがアイギスに乗り、彼女の後ろに乗り込んだレイモンドは手網を操って馬を進めた。そのまま馬に揺られること三十分。目的の廃墟にたどりつくと、そこには魔道士が一人と兵が数人、二人が思っていたよりも多く人がいた。

「エレノーラ殿、こちらです!」

 年若い魔道士が手を上げる。エレノーラが馬をおりてそちらに近づくと、魔導士は名乗った。

「自分はポールと申します。お会いできて光栄です!」

 ポールはエレノーラに少し興奮したように挨拶をする。エレノーラを享楽の魔女の元にいた魔女だと知っているようだが、ポールには嫌悪の念がなかった。

「よろしくお願いしますね」

 エレノーラがポールの様子に安心して挨拶を返すと、彼と一緒にいた、兵をまとめている隊長らしき人が敬礼する。

「魔道士殿、よろしくお願いします」

 どうやら、彼はエレノーラが魔女ということを知らないらしい。ここにいる兵は全員王宮勤めではないようで、エレノーラが薬草の魔女ということを知っている者はいなさそうだ。

(よかった)

 エレノーラは少しほっとしながら、案内のポールの後ろをレイモンドと並んでついて行く。そのまま廃墟の中に入ると、地下へ続く扉の前へと案内された。

「ここです」

 エレノーラは閉じられた扉の状態を確認する。事前に聞いていたとおり、一度封印が解除されてから再度封印が作動していた。

「自動発動の再封印だから、そこまで強固なものじゃなさそうね」

 扉の再封印は足止めのものであって、最初に施されていた封印よりかはいくらか容易い。享楽の魔女は強大な力を持っていたが、驕らず、用心深い男だった。この国のさまざまな場所に隠れ家を持っていたが、そのすべてに厳重な封印魔法を施し、見つかってしまえば侵入者が対策の罠にかかっている間に隠れ家をあっさりと放棄し、すぐに居場所を変えていた。だから数十年もの間捕まることなく、この国に災厄をもたらし続けていた。

「これなら解けそう。ちょっと乱暴にしちゃっても大丈夫?」

「はい。……あ、でも、できるだけ中のものが無事だと助かります!」

 あっさりと放棄してしまえるほど、魔女は重要なものを隠れ家には置いていなかった。残っているものは魔女が価値なしと思っていたものばかりだが、彼にとってのそんなものでも、この国にとっては大きな価値になるものもある。

「できるだけ、ね」

 エレノーラはうなずくが、閉じ込められているだろう二人のことを考えれば、保証はしかねた。

 エレノーラは扉に手をつくと、目をつむって集中し、作業をはじめた。レイモンドはエレノーラのそばに、なにが起きてもすぐ対応できるように控えている。手のひらから感じる魔力から、嫌になるくらいあの男の魔法を感じ取った。

 エレノーラは静かに、確実に、多少強引に解除していく。容易いといっても十分ほどかかってしまった。

「おお!」

 きい、と小さな音を立てて扉が開かれると、ポールが感嘆の声を上げた。

「こんなにあっさり解除してしまうなんて……!」

 ポールは感動しているようだが、エレノーラ自身は十分もかかってしまったと感じていた。

「さすが、魔……んんっ、魔法使いですね!」

(……大丈夫かしら、この子)

 うっかり魔女と呼びそうになったのか、ポールは咳き込んで言い直した。その様子にエレノーラは少し不安を覚える。

「私とレイモンドが先に入って様子を見てくるわ。もし三十分経っても戻ってこなかったら、応援を呼んでくれる?」

「わかりました! ……あ、先ほど、封印の解除中に魔道士長の使いから、こちらが」

 魔道士長はエレノーラが頼んでいたものを届けさせたようだ。ポールからそれを受け取ろうとすると、レイモンドが前に出て代わりに受け取る。

 一つはかわいらしいクマのぬいぐるみ、一つは古い血の跡が残っている男物のハンカチだ。

(かわいいぬいぐるみ。アグネスさん、かわいいのね)

「ぬいぐるみがマシュー殿で、ハンカチがアグネスのものです」

「……あ、そうなの」

 マシューは初老の、眼鏡をかけていかにも生真面目といったような、まったく笑わない男だ。ぬいぐるみがマシューの私物というのは、エレノーラも、レイモンドも、ポールも意外だった。

「なにに使われるのですか?」

「捜索用の魔法で必要なの。万が一の時に、ね」

 エレノーラが扱う捜索魔法は対象の持ち物が必要になる。対象がより大切にしているものだと効果が高まるもので、恐らく、魔道士長はエレノーラの意図を察してふさわしいものを用意したのだろう。

「これは……」

 レイモンドは彼女が受け取ったハンカチを見て、目を細めてぽつりとつぶやく。ぬいぐるみがマシューのものならば、これはアグネスのものだ。

「どうしたの、レイモンド?」

「それは、その……譲渡されたものでも、有効なのか?」

 とてもばつが悪そうに問うレイモンドの様子にエレノーラは察してしまう。これはおそらく、元々レイモンドの私物だったのだろう。ハンカチを燃やしてしまいたい気持ちが湧き上がったが、そんなことは絶対にしてはいけないと、深呼吸をして心を落ち着かせる。どんな理由であっても、だれかが大切にしているものを燃やしてしまうなど、いけないことだ。

「譲渡されてからの期間が短いなら使えないわ。ポールさん、それ、返しておいてもらえるかしら?」

「はい!」

「……それと、私の視界に映らないようにしてほしいの」

「えっ……あ、はい」

 エレノーラは少しきつい言い方になってしまったが、ポールは不思議そうに首をかしげ、近くの兵にそれを預けた。

「あの……エレノーラ……」

 レイモンドがエレノーラの様子をうかがうように、恐る恐る見ながら名前を呼ぶ。それに対し、エレノーラは深く息を吐いた。

「レイモンド、あのねえ」

 レイモンドにはレイモンドの、エレノーラが知らない時間とそこで築かれたほかの人との関係がある。アグネスとの関係もその一つだ。どういった経緯であのハンカチがレイモンドからアグネスに渡ったのだとしても、エレノーラと恋人同士になる前のことなら、二人の自由だ。

(でも、知りたくなかったわ)

 頭では理解していても、知らないレイモンドの時間、それもアグネスという彼に恋心を抱いている女性との時間があることを知ってしまえば嫉妬心が湧き上がる。

「そんな表情していたら、わかっちゃうわ。できれば、私に気づかれないようにしてほしいのだけれど」

「う……ごめん……」

「なに、後ろめたい気持ちがあるの?」

「ない! それは絶対にない!」

「なら、その表情はやめてくれないかしら」

「……ごめん」

 レイモンドがエレノーラと享楽の魔女の時間をどうしようもないように、彼女もレイモンドとアグネスの時間は、どうしようもなかった。
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