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第一部
心を支える言葉(3)
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(あぁ、嫌ね……)
それが真実ならば、自分があの男の死に関われたのならと、仄暗い気持ちが浮かんでくる。エレノーラは自分の中から湧き上がる暗い感情から目をそらしたくて首を振ると、アレックスは話を変えた。
「それで、本題に入るが」
「えっ、本題?」
「なんだ、そなたら。俺が……おっと、私がそんなことだけで呼びつける面倒な男だと思っていたのか?」
「実際、面倒な男でしょう」
「言ったな?」
レイモンドの答えにアレックスは鼻で笑い、目を細めて口端を吊り上げた。怒っているというよりもどこかうれしそうに見える。なにせ二人の関係はこの国の王と、英雄と称えられていたとしても一介の騎士、人目がある限りこんなやり取りはできないだろう。意地の悪い顔をしたアレックスは懐から一枚の紙切れを取り出し、目の前にかざした。
「ふっ、レイモンド。これを破り捨ててやってもいいんだぞ?」
紙にはエレノーラとレイモンドの婚姻を許可する旨と、王の印が押されている。エレノーラの身は王の命によりこの国預りとなっているため、結婚するには王の許可が必要だ。その許可を証明する書類が、いま、アレックスが手にしているもの。その書類を提出することで、二人は夫婦として認められるのだ。
「あー! それはっ」
「せーっかく、用意してやったのになあ?」
「ひねくれ過ぎだろう!」
「俺は面倒な男だからな!」
アレックスは王とは思えないような悪どい笑みを浮かべ、レイモンドは目じりを吊り上げてにらみつけている。二人にはじゃれ合いのようなものかもしれないが、エレノーラには余裕がなかった。
「へ、陛下! どうか、なんでもしますから……それは!」
エレノーラは焦って嘆願する。どうしてもレイモンドと結婚したい、けっして諦められなかった。
驚いた顔をしたアレックスはややばつが悪そうに目をそらし、咳払いをする。エレノーラの存在を忘れていたに違いない。
「もちろん、約束は違えぬとも」
アレックスはレイモンドに書類を手渡した。それを受け取ったレイモンドは深く礼をとり、うれしそうに笑って書類を見せた。
「これで、エレノーラは僕の妻だ!」
レイモンドがエレノーラを抱きしめる。エレノーラはとくとくと聞こえる鼓動の音が、伝わるぬくもりが心地よかった。
「いや、まだだろ」
「レイモンド……うれしい!」
「おまえら、聞いていないな」
興奮したレイモンドに冷静なアレックスのつっこみが入ったが、聞こえていなさそうだ。エレノーラも聞こえなかったことにして、レイモンドの背中に腕を回し、抱き締め返して頬ずりする。
「ちゃんと書類、提出してこいよ」
二人の世界に入った二人に王はあきれたようにため息をついてから、軽く拍手した。
「まあ、おめでとう。一人の友として祝おう。人前では、祝えないからな」
「陛下」
「友だと言っただろうが。王としては祝えぬ。……ということで、名を呼ぶことを許可しよう」
いまでは王たる彼の名を呼ぶ者はほとんどいない。兄弟弟子だというレイモンドも敬称呼びだ。
「……アレックス、ありがとう」
レイモンドの言葉に満足気にうなずいたアレックスは、許可するというより呼んでほしかっただけなのかもしれない。
「ここで、さらに」
「次はなにを企んでいるのですか」
「企みとは失礼だな。今回の薬草の魔女エレノーラの働きに、褒美をやろうとしているだけだ」
「私に、褒美ですか?」
思ってもみなかった言葉にエレノーラは首をかしげる。レイモンドも予想外だったらしく、驚いた顔をしていた。
「そんなに意外か?」
「いえ、その……私が褒美をいただくのはおこがましいかと……」
エレノーラがこの国に尽くすのは償いと保身のためだ。任を受けて魔道士二名を助けたことは、この国の優秀な人材を失わせないため。享楽の魔女が遺した魔法を解析して報告したのは、この国の魔法発展のため。そうしてこの国に貢献することで、エレノーラが苦しめたこの国の人々への償いと同時に、自身を生かす価値ありとして守る。そんな下心のある行いであり、褒美をもらうほどの価値はない。
「私はな、これでもそなたを高く評価しているぞ?」
そう言ってにやりと笑ったアレックスに、エレノーラは目をしばたたかせて首をかしげるしかなかった。
「まず、そなたはレイモンドとその兄の命を救った。そなたが介入しなくてもレイモンドは助かったかもしれないが、体の弱い兄の方は難しかっただろう。仮に兄が死んでいれば、レイモンドは爵位を継いで騎士にはなっていなかったかもしれないな」
レイモンドは天賦の才と、その才を開花させ育てる機会と場を得た。騎士を目指さずに爵位を継いでいれば得られなかったものだろう。騎士となったレイモンドがいなければ、享楽の魔女を討つことはできなかったかもしれない。
「次に、そなたは享楽の魔女に隙を作らせた。これに関しては……詳細は控えよう」
先ほどの話だろうが、レイモンドが不機嫌そうな雰囲気を出していたため、エレノーラも軽く流した。
「そして、そなたが作る薬とその知識で我が国の民の多くを救っている。戦力の強化にもつながっているな。今回も含め、享楽の魔女の魔法を解析して共有し、魔法の発展を助けている」
エレノーラは先代の薬草の魔女にしっかり鍛えられ、各地を放浪して知識と経験を身につけた。効果が強力な薬を提供するのはもちろんのこと、効果が多少落ちても生産しやすいように改良を重ね、生産性のよい薬も作りだしたりもしている。
魔法も、本人は不本意ではあったが、享楽の魔女から魔法の知識を得て、あの男が扱う魔法についてもほかの人よりも少し詳しいおかげで今回のような問題にも対応できた。
「陛下」
「なんだ」
「……次は、どのような面倒ごとを?」
「ふ、……ははっ」
こんなにも誉めそやすなんて、また面倒なことを頼む気だとエレノーラは察してしまった。
「半分はあたりだ」
エレノーラの疑い深い目に、アレックスは笑った。やはり、また面倒なことを頼む気らしい。
「半分はちゃんと褒美だ。薬草の魔女エレノーラ、今回の働きの褒美とレイモンドとの婚姻の祝いとして、今日一日限り、旧礼拝堂の使用を許可しよう」
エレノーラは思わず口元を抑え、目を見開く。レイモンドもこれには驚いたようで、えっと声をもらしていた。
王宮には地盤の問題などから新しく礼拝堂が作られ、旧礼拝堂は近々取り壊される予定となっている。旧礼拝堂はいまは無人なため、今日一日限り、利用してよいとのことだ。
それが真実ならば、自分があの男の死に関われたのならと、仄暗い気持ちが浮かんでくる。エレノーラは自分の中から湧き上がる暗い感情から目をそらしたくて首を振ると、アレックスは話を変えた。
「それで、本題に入るが」
「えっ、本題?」
「なんだ、そなたら。俺が……おっと、私がそんなことだけで呼びつける面倒な男だと思っていたのか?」
「実際、面倒な男でしょう」
「言ったな?」
レイモンドの答えにアレックスは鼻で笑い、目を細めて口端を吊り上げた。怒っているというよりもどこかうれしそうに見える。なにせ二人の関係はこの国の王と、英雄と称えられていたとしても一介の騎士、人目がある限りこんなやり取りはできないだろう。意地の悪い顔をしたアレックスは懐から一枚の紙切れを取り出し、目の前にかざした。
「ふっ、レイモンド。これを破り捨ててやってもいいんだぞ?」
紙にはエレノーラとレイモンドの婚姻を許可する旨と、王の印が押されている。エレノーラの身は王の命によりこの国預りとなっているため、結婚するには王の許可が必要だ。その許可を証明する書類が、いま、アレックスが手にしているもの。その書類を提出することで、二人は夫婦として認められるのだ。
「あー! それはっ」
「せーっかく、用意してやったのになあ?」
「ひねくれ過ぎだろう!」
「俺は面倒な男だからな!」
アレックスは王とは思えないような悪どい笑みを浮かべ、レイモンドは目じりを吊り上げてにらみつけている。二人にはじゃれ合いのようなものかもしれないが、エレノーラには余裕がなかった。
「へ、陛下! どうか、なんでもしますから……それは!」
エレノーラは焦って嘆願する。どうしてもレイモンドと結婚したい、けっして諦められなかった。
驚いた顔をしたアレックスはややばつが悪そうに目をそらし、咳払いをする。エレノーラの存在を忘れていたに違いない。
「もちろん、約束は違えぬとも」
アレックスはレイモンドに書類を手渡した。それを受け取ったレイモンドは深く礼をとり、うれしそうに笑って書類を見せた。
「これで、エレノーラは僕の妻だ!」
レイモンドがエレノーラを抱きしめる。エレノーラはとくとくと聞こえる鼓動の音が、伝わるぬくもりが心地よかった。
「いや、まだだろ」
「レイモンド……うれしい!」
「おまえら、聞いていないな」
興奮したレイモンドに冷静なアレックスのつっこみが入ったが、聞こえていなさそうだ。エレノーラも聞こえなかったことにして、レイモンドの背中に腕を回し、抱き締め返して頬ずりする。
「ちゃんと書類、提出してこいよ」
二人の世界に入った二人に王はあきれたようにため息をついてから、軽く拍手した。
「まあ、おめでとう。一人の友として祝おう。人前では、祝えないからな」
「陛下」
「友だと言っただろうが。王としては祝えぬ。……ということで、名を呼ぶことを許可しよう」
いまでは王たる彼の名を呼ぶ者はほとんどいない。兄弟弟子だというレイモンドも敬称呼びだ。
「……アレックス、ありがとう」
レイモンドの言葉に満足気にうなずいたアレックスは、許可するというより呼んでほしかっただけなのかもしれない。
「ここで、さらに」
「次はなにを企んでいるのですか」
「企みとは失礼だな。今回の薬草の魔女エレノーラの働きに、褒美をやろうとしているだけだ」
「私に、褒美ですか?」
思ってもみなかった言葉にエレノーラは首をかしげる。レイモンドも予想外だったらしく、驚いた顔をしていた。
「そんなに意外か?」
「いえ、その……私が褒美をいただくのはおこがましいかと……」
エレノーラがこの国に尽くすのは償いと保身のためだ。任を受けて魔道士二名を助けたことは、この国の優秀な人材を失わせないため。享楽の魔女が遺した魔法を解析して報告したのは、この国の魔法発展のため。そうしてこの国に貢献することで、エレノーラが苦しめたこの国の人々への償いと同時に、自身を生かす価値ありとして守る。そんな下心のある行いであり、褒美をもらうほどの価値はない。
「私はな、これでもそなたを高く評価しているぞ?」
そう言ってにやりと笑ったアレックスに、エレノーラは目をしばたたかせて首をかしげるしかなかった。
「まず、そなたはレイモンドとその兄の命を救った。そなたが介入しなくてもレイモンドは助かったかもしれないが、体の弱い兄の方は難しかっただろう。仮に兄が死んでいれば、レイモンドは爵位を継いで騎士にはなっていなかったかもしれないな」
レイモンドは天賦の才と、その才を開花させ育てる機会と場を得た。騎士を目指さずに爵位を継いでいれば得られなかったものだろう。騎士となったレイモンドがいなければ、享楽の魔女を討つことはできなかったかもしれない。
「次に、そなたは享楽の魔女に隙を作らせた。これに関しては……詳細は控えよう」
先ほどの話だろうが、レイモンドが不機嫌そうな雰囲気を出していたため、エレノーラも軽く流した。
「そして、そなたが作る薬とその知識で我が国の民の多くを救っている。戦力の強化にもつながっているな。今回も含め、享楽の魔女の魔法を解析して共有し、魔法の発展を助けている」
エレノーラは先代の薬草の魔女にしっかり鍛えられ、各地を放浪して知識と経験を身につけた。効果が強力な薬を提供するのはもちろんのこと、効果が多少落ちても生産しやすいように改良を重ね、生産性のよい薬も作りだしたりもしている。
魔法も、本人は不本意ではあったが、享楽の魔女から魔法の知識を得て、あの男が扱う魔法についてもほかの人よりも少し詳しいおかげで今回のような問題にも対応できた。
「陛下」
「なんだ」
「……次は、どのような面倒ごとを?」
「ふ、……ははっ」
こんなにも誉めそやすなんて、また面倒なことを頼む気だとエレノーラは察してしまった。
「半分はあたりだ」
エレノーラの疑い深い目に、アレックスは笑った。やはり、また面倒なことを頼む気らしい。
「半分はちゃんと褒美だ。薬草の魔女エレノーラ、今回の働きの褒美とレイモンドとの婚姻の祝いとして、今日一日限り、旧礼拝堂の使用を許可しよう」
エレノーラは思わず口元を抑え、目を見開く。レイモンドもこれには驚いたようで、えっと声をもらしていた。
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