34 / 60
第一部
心を支える言葉(2)
しおりを挟む
そのままゆっくりと眠り、翌朝、エレノーラとレイモンドは謁見の間に向かった。数日前の、享楽の魔女の隠れ家でのことを直接聞きたいと呼び出されていたからだ。
「報告書に書いた以上のことは、言えないのだけれど」
扉にかけられていた封印のことや、マシューとアグネスに発動していた魔法のことはしっかりと報告書に認めた。解析した魔法の式まで、きっちりと。エレノーラはこの国の今後、魔法の発展に貢献できたと自負している。
(まあ……幻に打ち勝った方法は、差し当たりないように書いたけれど)
さすがに、享楽の魔女の幻に二人でいちゃついて打ち勝ちました、とは書ける訳もなかった。報告書以上に詳しくとなれば、言えるのはそれくらいなものだ。
「陛下は、享楽の魔女については少し過敏だからな」
当時の王太子であった第一王子をはじめ、第二、第三王子らは享楽の魔女によって死に至り、第四王子であったアレックスは生死をさまよい、命こそ助かったものの後遺症が残った。父王も王妃も兄も殺されたアレックスの、享楽の魔女への憎悪は並々ならぬものだ。
(いまさらだけど、よく生かしてもらえたものだわ)
はじめてアレックスを目にした時、彼からに向けられた身も凍るような冷たい目を思い出して身震いする。エレノーラにかけられていた魔女の呪い、発見された時の状況と彼女の状態や証言から自ら望んだことではないと証明され、生かされたが、アレックスの目は憎いと語っていた。親兄弟を死に追いやり、彼自身にも深く傷を残した男の情婦など生かしておきたくなかっただろう。
(今回の謁見はどんな意図があるのかしら? あまり悪くは考えたくないけれど……)
今回のことでアレックスが魔女への憎悪を思い出し、その元にいたエレノーラへの苛立ちも思い出してしまった、という可能性はまったくない訳ではない。いまでこそ痔の治療薬を頼まれるくらいには許されているが、はじめの頃は生かしたが気に食わないといった雰囲気であった。
「エレノーラ?」
「あっ……なんでもないわ」
レイモンドに声をかけられ、足を止めて考え込んでいたエレノーラは慌てて笑顔を浮かべる。
「ちょっと、陛下になにを言われるのかしらって考えていただけよ」
アレックスにはとても感謝している。利用価値ありとして生かしてくれていることも、レイモンドとの結婚を許してくれたことも。
(どうなるかしら……)
しかし、今回の謁見次第で覆される可能性も無きにしも非ず。覆されて結婚を許さないと言われても、以前のエレノーラなら仕方がないと諦めていただろう。しかしいまは、仕方がないで済ませられそうにない。不安になっているエレノーラの手をレイモンドがそっと握る。
「僕が、そばにいる」
「……レイモンド」
エレノーラはその言葉と手から伝わるぬくもりにほっとする。なにもかもが安心とはならないものの、気持ちが楽になった。
「ふふ、また僕って言った」
「あっ」
しまったという顔をしたレイモンドに小さく笑いつつ、エレノーラはその手を握り返して腕にしがみつく。
「レイモンド、大好き。私、ずーっとレイモンドにしがみついちゃうから」
「……離さなくていい」
エレノーラはその言葉に頬を染め、顔をすり寄せた。
(私を助けてくれた王子さま、私を守ってくれる騎士さま。私はお姫さまじゃなくて魔女だもの。魔女らしく、結婚するためならなんでもするわ)
そんなやり取りをしている間に、謁見の間にたどりつく。中に入ればいつもの通り。礼を取り、頭を下げ、一連の形式的な挨拶をすませて顔を上げてよし、発言もよしの許可を得てから顔を上げる。顔を上げて見えたのは、不機嫌そうな王の顔だ。
「エレノーラ、隠れ家での仔細を話せ」
「はい」
エレノーラは報告書に書いたことをすべて話す。書いた以上のことは特になく、報告書を読み上げただけのような内容だ。すべての報告が終わると、喉が渇いてしまった。
「報告書通りの内容だな」
報告すべきことはすべて書いたのだから当然だと思いつつ、エレノーラは黙って後ろに下がる。アレックスが片手を上げると警備の兵が退出し、残されたのはアレックスとレイモンド、エレノーラの三人のみ。
「あー……それでな」
肘置きに肘をつき、目を細めたアレックスは人払いをする必要があることを聞きたいようだ。そのまましばらく沈黙が続くと、焦れたレイモンドが口を開く。
「陛下、なにが聞きたいのですか。早くしてください」
「あー……うん……」
人払いされているからか、二人は少し気軽だ。アレックスはがしがしときっちりまとめられた赤毛を掻きむしり、少しうつむいて深く息を吐いた。しばらくして、アレックスは目だけを二人に向けて剣呑な雰囲気をまとう。エレノーラはその様子に緊張で体が震えた。
「……享楽の魔女の幻は、うまく消せたのか?」
深い憎悪がこもった言葉だ。アレックスが望む答えは、魔女の幻をひどい目に遭わせて消したというものだろう。どう答えるべきかわからず言葉に詰まると、レイモンドは一歩前に出る。
「消しましたよ。手に入れられなかったエレノーラの心を私が得ていることに怒り、手を伸ばしたものの届かず、とても悔しそうにしながら消えました」
「はは、そりゃあいいな!」
レイモンドの言葉に、アレックスはまとう剣呑な雰囲気を消して楽しそうに笑った。
(あの状況、うまい言い方で表現したわね……)
実際、エレノーラがレイモンドといちゃついて魔女が怒り、止めようとした。言い得て妙だ。
「それが聞きたかっただけですか」
「ああ。俺は見ることができないんだから、少しくらい、スカッとするいい報告が聞きたいだろう?」
レイモンドのあきれたような声に、アレックスは悪びれもなくうなずく。魔女本人がすでに死亡し、幻が出たとしても己の手で始末できる立場でもない。アレックスの享楽の魔女に対する恨みつらみは強烈だ。エレノーラはただ成り行きを見守るしかない。
「死んでも手離したくない女が奪われていると知れば、それはさぞかし滑稽な姿だっただろうなあ。……あーあ、見たかった」
「死んでも……とは、言い過ぎかと思いますが……」
とても執着されていたことは感じていたが、だからといって死んでもとまでは思わなかった。エレノーラの言葉にアレックスは目を細めて軽く指を振る。
「享楽の魔女はあの場に残り、レイモンドに殺られた。まさに、死んでも手離したくない……だろう? 魔女の討伐はレイモンドと、そなたの功績ともいえるな」
「……恐れ多いです」
エレノーラは人払いをした理由がわかった。こんなこと、人前で言えることではない。
(まさか、本当に……?)
エレノーラも少し不思議に思っていた。なぜあの日、あの男は隠れ家を放棄しなかったのか、と。隠れ家を腐るほど持つ魔女は、隠れ家を放棄して別の隠れ家に移動していたのに、あの日だけは違った。
(確かに、あの日……私は動けない状態だったわ)
いま思い返せば、いつもと違ったのはエレノーラが動けない状態であったことだ。
「報告書に書いた以上のことは、言えないのだけれど」
扉にかけられていた封印のことや、マシューとアグネスに発動していた魔法のことはしっかりと報告書に認めた。解析した魔法の式まで、きっちりと。エレノーラはこの国の今後、魔法の発展に貢献できたと自負している。
(まあ……幻に打ち勝った方法は、差し当たりないように書いたけれど)
さすがに、享楽の魔女の幻に二人でいちゃついて打ち勝ちました、とは書ける訳もなかった。報告書以上に詳しくとなれば、言えるのはそれくらいなものだ。
「陛下は、享楽の魔女については少し過敏だからな」
当時の王太子であった第一王子をはじめ、第二、第三王子らは享楽の魔女によって死に至り、第四王子であったアレックスは生死をさまよい、命こそ助かったものの後遺症が残った。父王も王妃も兄も殺されたアレックスの、享楽の魔女への憎悪は並々ならぬものだ。
(いまさらだけど、よく生かしてもらえたものだわ)
はじめてアレックスを目にした時、彼からに向けられた身も凍るような冷たい目を思い出して身震いする。エレノーラにかけられていた魔女の呪い、発見された時の状況と彼女の状態や証言から自ら望んだことではないと証明され、生かされたが、アレックスの目は憎いと語っていた。親兄弟を死に追いやり、彼自身にも深く傷を残した男の情婦など生かしておきたくなかっただろう。
(今回の謁見はどんな意図があるのかしら? あまり悪くは考えたくないけれど……)
今回のことでアレックスが魔女への憎悪を思い出し、その元にいたエレノーラへの苛立ちも思い出してしまった、という可能性はまったくない訳ではない。いまでこそ痔の治療薬を頼まれるくらいには許されているが、はじめの頃は生かしたが気に食わないといった雰囲気であった。
「エレノーラ?」
「あっ……なんでもないわ」
レイモンドに声をかけられ、足を止めて考え込んでいたエレノーラは慌てて笑顔を浮かべる。
「ちょっと、陛下になにを言われるのかしらって考えていただけよ」
アレックスにはとても感謝している。利用価値ありとして生かしてくれていることも、レイモンドとの結婚を許してくれたことも。
(どうなるかしら……)
しかし、今回の謁見次第で覆される可能性も無きにしも非ず。覆されて結婚を許さないと言われても、以前のエレノーラなら仕方がないと諦めていただろう。しかしいまは、仕方がないで済ませられそうにない。不安になっているエレノーラの手をレイモンドがそっと握る。
「僕が、そばにいる」
「……レイモンド」
エレノーラはその言葉と手から伝わるぬくもりにほっとする。なにもかもが安心とはならないものの、気持ちが楽になった。
「ふふ、また僕って言った」
「あっ」
しまったという顔をしたレイモンドに小さく笑いつつ、エレノーラはその手を握り返して腕にしがみつく。
「レイモンド、大好き。私、ずーっとレイモンドにしがみついちゃうから」
「……離さなくていい」
エレノーラはその言葉に頬を染め、顔をすり寄せた。
(私を助けてくれた王子さま、私を守ってくれる騎士さま。私はお姫さまじゃなくて魔女だもの。魔女らしく、結婚するためならなんでもするわ)
そんなやり取りをしている間に、謁見の間にたどりつく。中に入ればいつもの通り。礼を取り、頭を下げ、一連の形式的な挨拶をすませて顔を上げてよし、発言もよしの許可を得てから顔を上げる。顔を上げて見えたのは、不機嫌そうな王の顔だ。
「エレノーラ、隠れ家での仔細を話せ」
「はい」
エレノーラは報告書に書いたことをすべて話す。書いた以上のことは特になく、報告書を読み上げただけのような内容だ。すべての報告が終わると、喉が渇いてしまった。
「報告書通りの内容だな」
報告すべきことはすべて書いたのだから当然だと思いつつ、エレノーラは黙って後ろに下がる。アレックスが片手を上げると警備の兵が退出し、残されたのはアレックスとレイモンド、エレノーラの三人のみ。
「あー……それでな」
肘置きに肘をつき、目を細めたアレックスは人払いをする必要があることを聞きたいようだ。そのまましばらく沈黙が続くと、焦れたレイモンドが口を開く。
「陛下、なにが聞きたいのですか。早くしてください」
「あー……うん……」
人払いされているからか、二人は少し気軽だ。アレックスはがしがしときっちりまとめられた赤毛を掻きむしり、少しうつむいて深く息を吐いた。しばらくして、アレックスは目だけを二人に向けて剣呑な雰囲気をまとう。エレノーラはその様子に緊張で体が震えた。
「……享楽の魔女の幻は、うまく消せたのか?」
深い憎悪がこもった言葉だ。アレックスが望む答えは、魔女の幻をひどい目に遭わせて消したというものだろう。どう答えるべきかわからず言葉に詰まると、レイモンドは一歩前に出る。
「消しましたよ。手に入れられなかったエレノーラの心を私が得ていることに怒り、手を伸ばしたものの届かず、とても悔しそうにしながら消えました」
「はは、そりゃあいいな!」
レイモンドの言葉に、アレックスはまとう剣呑な雰囲気を消して楽しそうに笑った。
(あの状況、うまい言い方で表現したわね……)
実際、エレノーラがレイモンドといちゃついて魔女が怒り、止めようとした。言い得て妙だ。
「それが聞きたかっただけですか」
「ああ。俺は見ることができないんだから、少しくらい、スカッとするいい報告が聞きたいだろう?」
レイモンドのあきれたような声に、アレックスは悪びれもなくうなずく。魔女本人がすでに死亡し、幻が出たとしても己の手で始末できる立場でもない。アレックスの享楽の魔女に対する恨みつらみは強烈だ。エレノーラはただ成り行きを見守るしかない。
「死んでも手離したくない女が奪われていると知れば、それはさぞかし滑稽な姿だっただろうなあ。……あーあ、見たかった」
「死んでも……とは、言い過ぎかと思いますが……」
とても執着されていたことは感じていたが、だからといって死んでもとまでは思わなかった。エレノーラの言葉にアレックスは目を細めて軽く指を振る。
「享楽の魔女はあの場に残り、レイモンドに殺られた。まさに、死んでも手離したくない……だろう? 魔女の討伐はレイモンドと、そなたの功績ともいえるな」
「……恐れ多いです」
エレノーラは人払いをした理由がわかった。こんなこと、人前で言えることではない。
(まさか、本当に……?)
エレノーラも少し不思議に思っていた。なぜあの日、あの男は隠れ家を放棄しなかったのか、と。隠れ家を腐るほど持つ魔女は、隠れ家を放棄して別の隠れ家に移動していたのに、あの日だけは違った。
(確かに、あの日……私は動けない状態だったわ)
いま思い返せば、いつもと違ったのはエレノーラが動けない状態であったことだ。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる