治療と称していただきます

茜菫

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第一部

また、治療と称していただきます(2)

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「エレノーラ、逃げられそうか?」

 レイモンドの言葉に小さくうなずく。妖精と遭遇した場合は速やかに逃走、逃走できない場合は交渉して見逃してもらうと、事前に決めてあった。妖精はただそこにいるだけでなにかをしてくる様子はなく、逃げる余裕は十分にある。

 しかし、エレノーラの動きを察してか、妖精は周りをくるくると回りだした。違和感を覚え、エレノーラは動こうとしたレイモンドを制止する。

「待って、様子が変だわ」

 妖精はまるで二人を引き留めようとしているかのようだ。エレノーラはいたずらする気はないのに引き留めようとする、妖精らしからぬ動きに首をかしげる。

「ちょっと、意思疎通を図ってみるわ」

「わかった」

 エレノーラは妖精との意思疎通のための魔法を使う。妖精は人のような言葉を持たず、思念のみで意思のやり取りを行うため、人の感覚ではなかなか理解するのが難しい。妖精も人の言葉を使えばいいのに、なんて愚痴りたくなりつつも、エレノーラは必死で妖精の思念を読み取り整理した。時間はかかったものの、なんとかこの妖精が二人に伝えたいことを察する。

「えっと……この森の奥にね、人が作った小屋……のような建造物があるんだって」

「妖精の森に?」

 信じられないといったようにレイモンドは驚いた声を上げた。伝えられたエレノーラも信じられない気持ちだ。妖精がいる森になにかを建造しようとする恐れ知らずの人間なんて、そういない。

「いままでなにもなかったみたいなんだけど、なにかの拍子でその建物の一部が壊れたそうなの」

「妖精なら人の建造物なんてどうでもいいものじゃないか」

「そうなんだけど……壊れたことで、変なものが吹き出してきたらしくて」

「変なもの?」

 妖精はただ変で嫌なもの、としか伝えてこなかった。彼らにもそれがなにかわからないのだろう。

「人が作ったものだから、人でなんとかしてほしいみたい」

「そうは言われてもな」

「なんとかしてくれるまで、森の外に出してあげないって」

「……脅迫に近いということか」

 レイモンドは軽くため息をついた。やはり、ろくな目にあわない。

「仕方がない、確認するしかないな。せめて、その代わりに素材を採ってきてもらう……ってことはできないのか?」

「レイモンド、頭いいわね! 交渉してみるわ」

「別に……」

 ほめられて照れたらしいレイモンドは目をそらす。エレノーラは妖精に向き直り、その代わりに草の根を採ってきてくれないかと思念を送った。うまくできるか心配であったが、伝わったらしく、妖精はうれしそうにくるくるとその場でまわりながらよろこんで承諾した。

「交渉、成立したわ」

「ありがとう」

 妖精は二人の前に出て、宙を跳ねるように飛びながら道案内をし始める。その様子はうれしそうで、実際にエレノーラにはうれしいうれしいという思念が伝わっていた。

(いつもこんな様子なら、妖精もかわいいものなのに……)

 妖精に連れられて歩くこと、三十分。獣道をかきわけたどりついた場所には、妖精が伝えてきた通りに小屋があった。小屋に近づくのが嫌なのか、妖精は吹き出してきたものをなんとかして、あなたの求めているものを持ってくる、そう思念を送ってくるとそのまま飛んで姿を消してしまう。

「逃げたな」

「よっぽどここが嫌みたい」

 なんの変哲もない小屋にしか見えないが、なにがあったのだろうか。なにかが吹き出したと伝えられたが、見たところそんな様子は見られず首をかしげる。

「普通の小屋よね?」

「普通の小屋だな……立地がおかしいことを除けば」

 そもそも、こんな場所に建てられていること自体がおかしな話だ。猟師は妖精の森には近づかないし、利用するものがいないのだから、わざわざ妖精のいたずらに耐えながら小屋を建てる必要はない。だれが、なぜ、どうやって、こんな場所に小屋を建てたのだろう。

「僕が先に近づいて確認する。エレノーラは合図をしたら来てくれ」

「わかったわ」

 レイモンドは小屋に近づき、小屋の外をぐるりと一周して様子を確認する。窓から中をのぞき込むと、扉を開いて中へと入っていった。しばらくして出てきたレイモンドに変わった様子はなく、エレノーラに向かって手招きする。

「大丈夫だった?」

「地下へ続く扉があって、そこが壊れていた。それ以外は、僕がわかる範囲では特に変なところはなかった」

 目に見える分にはなにも問題はないようだ。レイモンドが一見しただけでは気づけない問題となると、魔法によるものだろう。もしくは、妖精の勘違いか。後者であればよいが、妖精が近づくのも嫌なくらいに避けていることを考えると、可能性は低い。

「壊れている扉が怪しいわね。どこにあるの?」

「こっちだ」

 エレノーラが小屋の中に入ると、その扉はすぐに目に映った。部屋の隅の方、床に木の板でできた扉がある。本来なら扉を上に開いて壁に掛けておくのだろうが、板は半壊し、床下へと続く梯子が見えていた。エレノーラは地下になにがあるのか確認のために近づこうとしたが、ぞわりと寒気を感じてレイモンドの背にしがみついた。

「っ……エレノーラ、どうした?」

「嫌なものが、そこから吹き出て……」

「え?」

 レイモンドにはなにも感じ取れないようだ。エレノーラには妖精避けの魔法と思われる悪意に満ちた思念が、壊れた扉から吹き出しているのが感じ取れる。先ほど妖精との意思疎通のための魔法を使っていなければ感じ取れなかっただろう。さらに、それがよく知った男の魔力で発動していることまでわかった。忌々しい、大嫌いで憎い男の魔力は、間違えようがなかった。

「ここ……たぶん、享楽の魔女の隠れ家だわ」

「……っ」

 レイモンドが身を強ばらせたのが、しがみつく背中から感じとれる。まさかこんな場所で、享楽の魔女に関連するものが出てくるとは思わなかった。

 エレノーラはその身が朽ちてもまだ消えてくれない男の影に震えてしまう。すると、レイモンドは体を反転させ、エレノーラを抱き寄せた。

「エレノーラ、大丈夫だ。僕が、そばにいる」

「……レイモンド」

 その体にしがみつき、顔をすり寄せて匂いを嗅ぐ。いつもなら止めるレイモンドだが、エレノーラがおびえていることを感じてか、止めなかった。エレノーラは堪能させてもらい、十分にレイモンド成分を補給して気合を入れた。

「エレノーラ、引き返すか?」

「ううん。妖精と交渉したから、放棄する訳にはいかないもの。そんなことをしたらどうなることか……」

 妖精は約束を違えた時の報復が恐ろしい。視力や聴力を奪われたり、最悪、植物人間になったという恐ろしい話を先代の薬草の魔女から聞いたことがある。どこまで本当かはわからないが、かといって確認しようという度胸はない。

「そうか……大丈夫か?」

「うん。レイモンドが一緒だから、大丈夫」

 一人なら恐ろしくて震えるしかできなかっただろう。だがいまは、レイモンドがそばにいる。エレノーラを助け、守り、心を支えてくれる騎士さまがそばにいるから、恐ろしくてもがんばろうと思えた。
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