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第一部
また、治療と称していただきます(8)
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「こんな、はずでは……」
「どんなはずだったの」
レイモンドはエレノーラに跨られたまま、顔を両手で覆っている。既視感のあるやり取りだ。
「はぁ……もう、落ち着いたか?」
「うん、だいぶよくなったわ!」
エレノーラはまだむらむらするも、押さえ込んでおける程度には落ち着いていた。離れて乱れた服を整えると、レイモンドも服を整えて床に転がっていた小瓶を拾い上げる。
「これは、エレノーラが作った薬なのか?」
「うん……」
望んで作った訳ではなく、享楽の魔女に脅されて作った強力な媚薬だ。即効性があり、効果は丸一日継続するたちの悪いものだ。薬が効けば、ただ貪欲に快楽を求めるだけになる。
「ねえ、この薬のことは黙っていてほしいの」
「え?」
「悪用したら、とんでもないものだから」
エレノーラはその効果を身をもって知っていた。薬が効けば、享楽の魔女への恐怖を忘れ去る自信があった。結果はこの通り。材料が貴重なものばかりで量は作れず、おそらく先ほど飲み干したものが最後の一つだろう。
「そうだな……わかった」
「ありがとう。……あの石はどこに置いてきたの?」
薬の効果が薄まっているいまも幻が再び現れないということは、レイモンドはこの場所からあの石を引き離せたのだろう。享楽の魔女だけが使えた、記憶を読み取る魔法が組み込まれた石。持ち帰ればその解析を命じられるはずだ。一生かかっても解析できるかどうかわからないくらいに複雑なものであったが、エレノーラ個人としても興味があった。
「それが……」
なぜかレイモンドはばつが悪そうに顔をそらした。エレノーラが不思議に思いながら首をかしげると、レイモンドは小さな声でつぶやくように言う。
「……壊れた」
「え?」
その言葉があまりにも意外だったので、エレノーラは間抜けな声をもらしてしまった。
「だから……壊れたんだ」
「ええっ!? ものすごく頑丈な魔法を幾重にも施されていたのに、どうやって壊したの?」
壊せるものなら、媚薬など飲まずにその場で壊していた。できるはずがないと思っていたことが起きていて、エレノーラはレイモンドに詰め寄る。レイモンドはたじろぎ、首を横に振った。
「違う、僕が壊したんじゃない。……小屋の外に持ち出した瞬間に、ひとりでに壊れて、砂みたいになったんだ」
ひとりでに壊れたとなると、あの石は魔力の供給が絶たれれば壊れる、そのように作られていたと考えられる記憶を読む魔法についての一切をほかの人間に知られたくなかったのだろう。
「そう……」
エレノーラは少し残念だが、これで良かったのかもしれないと思い直した。記憶を読むなど、悪用すればなんでもできてしまう恐ろしいものだ。実際、悪用した享楽の魔女がこの国を苦しめ、多くの人々を苦しめ続けたのだから。そんな魔法が使えたから、享楽の魔女はあれほど歪んでしまったとも考えられる。
「あんな魔法、ない方がいい」
「そうね……」
レイモンドも同じように思っているのだろう。あの魔法は解析せず、享楽の魔女と共に屠る方が、この世のためだ。
記憶を読んで、幻を生み出す魔法。エレノーラとレイモンドの記憶から再現された享楽の魔女は、限りなく本物に近かった。
けれど、所詮は人の記憶だ。本物に似ていたが、本物とは違う。もっと慎重な男だったが、どちらかといえば好戦的だったのは、実際に戦ったことのあるレイモンドの印象がそう変化させたのだろう。エレノーラも同じで、あの男のすべてを正確に覚えている訳ではなく、恐怖の感情がさらに恐ろしくしていたのかもしれない。
(記憶を読んで、その幻を見せる魔法の要を恐怖とするなんて……)
実に有用な魔法だったと、エレノーラは思う。堪ったものではなかったが。
「それより、エレノーラ。妖精の魔法は?」
「ああ、そうだったわ!」
レイモンドをおいしくいただき、享楽の魔女の幻が消えて満足していたが、本来の目的はまったく満たされていない。元々ここに来た理由は、妖精の要求を叶えるためだ。
「取りに行かないと」
エレノーラが池の中に残っている魔法の石を回収しなければと体を向けると、レイモンドがすっと手を差し出す。その手を目を丸くして見ると、レイモンドは小さく笑った。
「じゃあ、次こそ一緒にぬれるか」
一緒に、その言葉にエレノーラは胸が熱くなる。たとえ火の中水の中、どこまでも一緒だ。
「ふふ、そうね。一緒にいきましょう」
エレノーラはその手を取り、同じように小さく笑い返す。手をつないだまま池の中に足を踏み入れ、もう一歩、また一歩と一緒に進んでいった。水位が深くなっていき、ブーツの中に水が入り込むが、レイモンドと一緒ならそれすら楽しく思えた。
池の中から三つ、魔法の石を回収する。その内の一つのみ魔法が発動しているのがわかった。恐らくこれが、妖精たちを悩ましている妖精避けの魔法だろう。
ほかの二つはなにも発動しなかったため、罠の魔法ではないのか、調整中のまま魔女が死んだため放置されたのか。どちらにしても、いまむりに中身を知る必要はなく持ち帰ってから解析すればよい。
「解除できそうか?」
「できると思うけれど、時間がかかりそう」
すでに結構な時間が経っていて、これ以上時間はかけたくない。魔力の元はここにある魔力を結晶化させたものだと考えられるので、先ほどの石と同じように引き離せば、解除できるかもしれない。
「これ持って、一旦外に出ましょう」
「ああ、そうだな」
二人が来た道を戻って小屋を出れば、目論見通り、妖精避けの魔法は解除された。だが、壊れるように仕込んでいたのはあの石だけだったようだ。持ち帰って解析すれば、利用できる魔法になるかもしれない。
そこでタイミングよく妖精が二人の前に現れる。もしかしたら、ことを終えるまで待っていたのかもしれない。必要以上の草の根をエレノーラに差し出してきた妖精は、妖精避けの魔法が切れているのがうれしくてたまらないらしく、跳ね回っていた。
「ようやく、本来の目的を果たせたな」
「そうね……」
ずいぶん遠回りし、とんでもない目にあいつつもなんとか薬の材料を手に入れられた。これだけの量があれば、ほかの薬も作れそうだ。
「本当に、陛下の命はろくなことがないな……」
疲れた声でぽつりとレイモンドがつぶやく。エレノーラがそれに苦笑いを浮かべて励まそうとしたところで、嫌なものが目に映って思わず声をもらした。
「あっ」
「え?」
レイモンドはエレノーラの声に反応し、目を向けて顔を引き攣らせた。そこにいたのは前回レイモンドが襲われたあの、男の精を食らう魔物だ。
「レイモンド」
「いやいやいやいや、むりだむり! もう出ないから!」
残念ながら、エレノーラが先ほど搾り取ったので枯れ果てているようだ。そうでなくとも、一滴たりとも魔物には譲る気はない。もちろん、魔物でなくてもだ。
「気づかれる前に逃げるぞ、エレノーラ!」
「そうね。レイモンドはだれにも譲らないんだから!」
エレノーラは焦った顔で彼女の手を取ったレイモンドにほほ笑み、一緒に走り出した。
「どんなはずだったの」
レイモンドはエレノーラに跨られたまま、顔を両手で覆っている。既視感のあるやり取りだ。
「はぁ……もう、落ち着いたか?」
「うん、だいぶよくなったわ!」
エレノーラはまだむらむらするも、押さえ込んでおける程度には落ち着いていた。離れて乱れた服を整えると、レイモンドも服を整えて床に転がっていた小瓶を拾い上げる。
「これは、エレノーラが作った薬なのか?」
「うん……」
望んで作った訳ではなく、享楽の魔女に脅されて作った強力な媚薬だ。即効性があり、効果は丸一日継続するたちの悪いものだ。薬が効けば、ただ貪欲に快楽を求めるだけになる。
「ねえ、この薬のことは黙っていてほしいの」
「え?」
「悪用したら、とんでもないものだから」
エレノーラはその効果を身をもって知っていた。薬が効けば、享楽の魔女への恐怖を忘れ去る自信があった。結果はこの通り。材料が貴重なものばかりで量は作れず、おそらく先ほど飲み干したものが最後の一つだろう。
「そうだな……わかった」
「ありがとう。……あの石はどこに置いてきたの?」
薬の効果が薄まっているいまも幻が再び現れないということは、レイモンドはこの場所からあの石を引き離せたのだろう。享楽の魔女だけが使えた、記憶を読み取る魔法が組み込まれた石。持ち帰ればその解析を命じられるはずだ。一生かかっても解析できるかどうかわからないくらいに複雑なものであったが、エレノーラ個人としても興味があった。
「それが……」
なぜかレイモンドはばつが悪そうに顔をそらした。エレノーラが不思議に思いながら首をかしげると、レイモンドは小さな声でつぶやくように言う。
「……壊れた」
「え?」
その言葉があまりにも意外だったので、エレノーラは間抜けな声をもらしてしまった。
「だから……壊れたんだ」
「ええっ!? ものすごく頑丈な魔法を幾重にも施されていたのに、どうやって壊したの?」
壊せるものなら、媚薬など飲まずにその場で壊していた。できるはずがないと思っていたことが起きていて、エレノーラはレイモンドに詰め寄る。レイモンドはたじろぎ、首を横に振った。
「違う、僕が壊したんじゃない。……小屋の外に持ち出した瞬間に、ひとりでに壊れて、砂みたいになったんだ」
ひとりでに壊れたとなると、あの石は魔力の供給が絶たれれば壊れる、そのように作られていたと考えられる記憶を読む魔法についての一切をほかの人間に知られたくなかったのだろう。
「そう……」
エレノーラは少し残念だが、これで良かったのかもしれないと思い直した。記憶を読むなど、悪用すればなんでもできてしまう恐ろしいものだ。実際、悪用した享楽の魔女がこの国を苦しめ、多くの人々を苦しめ続けたのだから。そんな魔法が使えたから、享楽の魔女はあれほど歪んでしまったとも考えられる。
「あんな魔法、ない方がいい」
「そうね……」
レイモンドも同じように思っているのだろう。あの魔法は解析せず、享楽の魔女と共に屠る方が、この世のためだ。
記憶を読んで、幻を生み出す魔法。エレノーラとレイモンドの記憶から再現された享楽の魔女は、限りなく本物に近かった。
けれど、所詮は人の記憶だ。本物に似ていたが、本物とは違う。もっと慎重な男だったが、どちらかといえば好戦的だったのは、実際に戦ったことのあるレイモンドの印象がそう変化させたのだろう。エレノーラも同じで、あの男のすべてを正確に覚えている訳ではなく、恐怖の感情がさらに恐ろしくしていたのかもしれない。
(記憶を読んで、その幻を見せる魔法の要を恐怖とするなんて……)
実に有用な魔法だったと、エレノーラは思う。堪ったものではなかったが。
「それより、エレノーラ。妖精の魔法は?」
「ああ、そうだったわ!」
レイモンドをおいしくいただき、享楽の魔女の幻が消えて満足していたが、本来の目的はまったく満たされていない。元々ここに来た理由は、妖精の要求を叶えるためだ。
「取りに行かないと」
エレノーラが池の中に残っている魔法の石を回収しなければと体を向けると、レイモンドがすっと手を差し出す。その手を目を丸くして見ると、レイモンドは小さく笑った。
「じゃあ、次こそ一緒にぬれるか」
一緒に、その言葉にエレノーラは胸が熱くなる。たとえ火の中水の中、どこまでも一緒だ。
「ふふ、そうね。一緒にいきましょう」
エレノーラはその手を取り、同じように小さく笑い返す。手をつないだまま池の中に足を踏み入れ、もう一歩、また一歩と一緒に進んでいった。水位が深くなっていき、ブーツの中に水が入り込むが、レイモンドと一緒ならそれすら楽しく思えた。
池の中から三つ、魔法の石を回収する。その内の一つのみ魔法が発動しているのがわかった。恐らくこれが、妖精たちを悩ましている妖精避けの魔法だろう。
ほかの二つはなにも発動しなかったため、罠の魔法ではないのか、調整中のまま魔女が死んだため放置されたのか。どちらにしても、いまむりに中身を知る必要はなく持ち帰ってから解析すればよい。
「解除できそうか?」
「できると思うけれど、時間がかかりそう」
すでに結構な時間が経っていて、これ以上時間はかけたくない。魔力の元はここにある魔力を結晶化させたものだと考えられるので、先ほどの石と同じように引き離せば、解除できるかもしれない。
「これ持って、一旦外に出ましょう」
「ああ、そうだな」
二人が来た道を戻って小屋を出れば、目論見通り、妖精避けの魔法は解除された。だが、壊れるように仕込んでいたのはあの石だけだったようだ。持ち帰って解析すれば、利用できる魔法になるかもしれない。
そこでタイミングよく妖精が二人の前に現れる。もしかしたら、ことを終えるまで待っていたのかもしれない。必要以上の草の根をエレノーラに差し出してきた妖精は、妖精避けの魔法が切れているのがうれしくてたまらないらしく、跳ね回っていた。
「ようやく、本来の目的を果たせたな」
「そうね……」
ずいぶん遠回りし、とんでもない目にあいつつもなんとか薬の材料を手に入れられた。これだけの量があれば、ほかの薬も作れそうだ。
「本当に、陛下の命はろくなことがないな……」
疲れた声でぽつりとレイモンドがつぶやく。エレノーラがそれに苦笑いを浮かべて励まそうとしたところで、嫌なものが目に映って思わず声をもらした。
「あっ」
「え?」
レイモンドはエレノーラの声に反応し、目を向けて顔を引き攣らせた。そこにいたのは前回レイモンドが襲われたあの、男の精を食らう魔物だ。
「レイモンド」
「いやいやいやいや、むりだむり! もう出ないから!」
残念ながら、エレノーラが先ほど搾り取ったので枯れ果てているようだ。そうでなくとも、一滴たりとも魔物には譲る気はない。もちろん、魔物でなくてもだ。
「気づかれる前に逃げるぞ、エレノーラ!」
「そうね。レイモンドはだれにも譲らないんだから!」
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