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第二部
せっかくやるなら楽しく(1)
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エレノーラはいま、とても困惑していた。なぜなら、向かいの椅子にはなかなかお目にかかることのない、高貴な方が座っているからだ。
「薬草の魔女エレノーラですね」
「はい……」
落ち着いている声音は耳に心地よい。歳の頃は二十歳前半か、ゆるく巻かれたプラチナブロンドを少し揺らし、ヴァイオレットの双眸でやさしげにエレノーラを見つめている女が一人。彼女はアレックスの妃、つまり王妃、レイチェルだ。
アレックスは先王の第四子、享楽の魔女により兄王子たちを失い、父王まで奪われ、わずか十六歳という若さで即位した。王位につくにあたって、元々、第一王子の婚約者である宰相の娘と婚姻を結んだ。そんな複雑な経緯があるものの、いまではとても仲睦まじい夫婦だ。
エレノーラはレイチェルに会うのははじめてだ。優雅にティーカップを手にし、それを口にしたレイチェルはにっこりとほほ笑む。
「わたくし……いえ、わたくしたち、あなたにお願いがあるの」
「私にできることであれば、なんなりと」
薬のことだとはだいたい察しがつく。だが、王からではなく王妃から直接頼まれるものとは、いったいなにか。
「これから話すことは他言無用ですわ」
「心得ております」
エレノーラがいまいるのは、王宮内で王族と許可された者のみしか立ち入れない中庭にあるガゼボ。こんな場所にお呼びがかかるのは、おそらくこれが最初で最後だろう。
テーブルにはエレノーラとレイチェルのみ。結界が張られており、遠目に警備の者も見えるが、声が聞こえる範囲にはだれもいなかった。エレノーラの答えに王妃は満足気にうなずくと、言葉を続ける。
「では、お願い。あなたに精力剤を作ってほしいの」
エレノーラは手にしたカップを落としそうになった。目を剥いてレイチェルを見るが、彼女はにっこりとほほ笑んでいるだけだ。
「えっと、精力剤、ですか? それはまた……」
「もちろん、陛下に使います。あの方も、このことは知っていますわ」
(なら、陛下がいつものように私を呼び出して直接命じればいいのに)
レイチェルはその考えを察してか、あきれたようにため息をつく。
「自分では話したくなかったみたい」
どうやら、アレックスにとっては男の股間、ではなく、沽券に関わるらしい。
(……そういえば、お二人には男の子がいなかったわ)
この国の王位は基本的に男に継がれる。いまは王女が二人のみで、王子がいない。これは世継ぎ問題にも関わる重要なことだ。レイチェルは憂いを帯びた表情でため息をつき、目を伏せる。
「最近、そちらの方が元気がなくて。すでに既知のものは試しているのだけれど、効果はあまり」
アレックスは尻がたいへんで、足も患っており、さらに最近はまだ若いのに下の方も思わしくないようだ。
(陛下、おかわいそうに……)
エレノーラは心の中で同情し、すぐに彼女をにらみつけるアレックスの顔を想像した。それを頭から追いやりつつ、すでに試されている薬を聞き取る。世に出回っている分、安全性があるかわりに強力とは言いがたいものばかりだった。
「できれば、精力剤と言うよりは媚薬の方がいいのだけれど。どう、作れそうかしら?」
「……謹んでお受けいたします。」
エレノーラは不本意ながらも、昔に媚薬を作ったことがあった。それを応用すれば、薬は作れるだろう。だが、気がかりなことがあった。
「あの、王妃陛下。一つだけ懸念がございます」
「なにかしら」
「私は、作った薬の効果をきちんと確認してから、お出ししたいのです」
作ったけれど効果はありませんでした、ではお話にならない。アレックスには効果が薄かった、ということはあるかもしれないが、少なくともある程度の効果を確認しておきたい。
「陛下に処方する薬ですから……対象は男性です」
対象がレイチェルであれば、同じ女であるエレノーラは自分の体で確認できる。だが、今回の対象は男性、その上、相手が相手なだけに慎重にならなければならない。エレノーラが考えられる、もっとも適切な被験者はたった一人。
(レイモンドに頼むのが一番ね)
王からの信頼を得て、王に忠誠を誓い、口は固く、ついでに言えばエレノーラとそういう関係にある。本人が了承するかは別として、まさに適任だ。
この懸念について、レイチェルは想定済みだったようだ。ソーサーにティーカップを置き、小さくうなずく。
「陛下が全幅の信頼を置くあなたの夫、レイモンドに協力を仰ぐことを許します」
「ありがとうございます」
エレノーラは少し複雑な気持ちだった。媚薬に関してはあまりいい思い出がない。
(いえ、薬も使いようよ)
エレノーラはようやくティーカップに手をつけるが、紅茶はぬるくなっていた。
「引き受けてくれて、うれしいわ」
レイチェルはほほ笑み、すぐに少し赤くなる。頬に片手を添えて、小さくうつむくと、ぽつりとつぶやいた。
「こんなことをお願いするのは、やはり少し恥ずかしいわね……」
王も王妃も、その双肩にかかっているものは大きい。しかし、一組の夫婦であり、それぞれ一人の人間だ。
「……わたくし、あの方の子がほしいの。そうでなくとも愛し合いたいわ。あの方も望んでくださいますし……なにより……ふふ、あの方をとってもおいしくいただきたいの」
「え?」
「いえ、なんでも」
少しうっとりした表情を浮かべたレイチェルに、エレノーラはなにか近いものを感じ取った気がした。
(……気のせいね。王妃陛下と私のような魔女に、近いものなんてあるはずがないわ)
エレノーラはまったく失礼なことを考えたと思いつつ、うなずいた。
「一週間、お時間をいただけますか?」
「ええ。では、この話はおしまい。エレノーラ、もう一杯、いかがかしら」
「……ぜひ」
エレノーラがうなずくと、新しく紅茶が注がれる。湯気のたったその水面を眺めていると、レイチェルがくすりと笑った。。
「ふふ。陛下とレイモンドは、とても仲が良いわね」
「はい。なんでも、同じ剣の師を仰いだ兄弟弟子とか」
「実はその師、わたくしの祖父なの」
「えっ」
エレノーラはおおいに驚いた。二人の師は現宰相の父にあたる方で、レイチェルの元婚約者であった第一王子も共に剣を学んでいたという。レイチェルはアレックスや第一王子、レイモンド、ニコラスの訓練の様子をたまに見ていたそうだ。
(陛下が剣を学んでいた頃……ということは、レイモンドがまだ十代前半の頃……!)
エレノーラは知りたくても知れない、レイモンドの幼少期のことに、とても興味があった。
「レイモンドはどんな様子でしたか?」
「あら。あなたはレイモンドのことが大好きなのね」
レイチェルがくすくすと笑い、エレノーラは頬を赤く染めた。
「陛下と些細なことで喧嘩になって、よく、対決なんてしていたの。その度にニコラスが止めに入って……あの方に説教されて、祖父からお仕置きとして、走らされたりしていたわ」
「あら」
レイモンドもアレックスも、なかなかわんぱくだったようだ。
(王妃陛下は、享楽の魔女の元にいた私に思うところはないのかしら)
婚約者を殺されたレイチェルはきっと、享楽の魔女を憎んでいるだろう。憎い男と関わりのあったエレノーラに悪い感情を抱いてもおかしくない。だが、レイチェルはエレノーラにそんな様子はみせなかった。
「薬草の魔女エレノーラですね」
「はい……」
落ち着いている声音は耳に心地よい。歳の頃は二十歳前半か、ゆるく巻かれたプラチナブロンドを少し揺らし、ヴァイオレットの双眸でやさしげにエレノーラを見つめている女が一人。彼女はアレックスの妃、つまり王妃、レイチェルだ。
アレックスは先王の第四子、享楽の魔女により兄王子たちを失い、父王まで奪われ、わずか十六歳という若さで即位した。王位につくにあたって、元々、第一王子の婚約者である宰相の娘と婚姻を結んだ。そんな複雑な経緯があるものの、いまではとても仲睦まじい夫婦だ。
エレノーラはレイチェルに会うのははじめてだ。優雅にティーカップを手にし、それを口にしたレイチェルはにっこりとほほ笑む。
「わたくし……いえ、わたくしたち、あなたにお願いがあるの」
「私にできることであれば、なんなりと」
薬のことだとはだいたい察しがつく。だが、王からではなく王妃から直接頼まれるものとは、いったいなにか。
「これから話すことは他言無用ですわ」
「心得ております」
エレノーラがいまいるのは、王宮内で王族と許可された者のみしか立ち入れない中庭にあるガゼボ。こんな場所にお呼びがかかるのは、おそらくこれが最初で最後だろう。
テーブルにはエレノーラとレイチェルのみ。結界が張られており、遠目に警備の者も見えるが、声が聞こえる範囲にはだれもいなかった。エレノーラの答えに王妃は満足気にうなずくと、言葉を続ける。
「では、お願い。あなたに精力剤を作ってほしいの」
エレノーラは手にしたカップを落としそうになった。目を剥いてレイチェルを見るが、彼女はにっこりとほほ笑んでいるだけだ。
「えっと、精力剤、ですか? それはまた……」
「もちろん、陛下に使います。あの方も、このことは知っていますわ」
(なら、陛下がいつものように私を呼び出して直接命じればいいのに)
レイチェルはその考えを察してか、あきれたようにため息をつく。
「自分では話したくなかったみたい」
どうやら、アレックスにとっては男の股間、ではなく、沽券に関わるらしい。
(……そういえば、お二人には男の子がいなかったわ)
この国の王位は基本的に男に継がれる。いまは王女が二人のみで、王子がいない。これは世継ぎ問題にも関わる重要なことだ。レイチェルは憂いを帯びた表情でため息をつき、目を伏せる。
「最近、そちらの方が元気がなくて。すでに既知のものは試しているのだけれど、効果はあまり」
アレックスは尻がたいへんで、足も患っており、さらに最近はまだ若いのに下の方も思わしくないようだ。
(陛下、おかわいそうに……)
エレノーラは心の中で同情し、すぐに彼女をにらみつけるアレックスの顔を想像した。それを頭から追いやりつつ、すでに試されている薬を聞き取る。世に出回っている分、安全性があるかわりに強力とは言いがたいものばかりだった。
「できれば、精力剤と言うよりは媚薬の方がいいのだけれど。どう、作れそうかしら?」
「……謹んでお受けいたします。」
エレノーラは不本意ながらも、昔に媚薬を作ったことがあった。それを応用すれば、薬は作れるだろう。だが、気がかりなことがあった。
「あの、王妃陛下。一つだけ懸念がございます」
「なにかしら」
「私は、作った薬の効果をきちんと確認してから、お出ししたいのです」
作ったけれど効果はありませんでした、ではお話にならない。アレックスには効果が薄かった、ということはあるかもしれないが、少なくともある程度の効果を確認しておきたい。
「陛下に処方する薬ですから……対象は男性です」
対象がレイチェルであれば、同じ女であるエレノーラは自分の体で確認できる。だが、今回の対象は男性、その上、相手が相手なだけに慎重にならなければならない。エレノーラが考えられる、もっとも適切な被験者はたった一人。
(レイモンドに頼むのが一番ね)
王からの信頼を得て、王に忠誠を誓い、口は固く、ついでに言えばエレノーラとそういう関係にある。本人が了承するかは別として、まさに適任だ。
この懸念について、レイチェルは想定済みだったようだ。ソーサーにティーカップを置き、小さくうなずく。
「陛下が全幅の信頼を置くあなたの夫、レイモンドに協力を仰ぐことを許します」
「ありがとうございます」
エレノーラは少し複雑な気持ちだった。媚薬に関してはあまりいい思い出がない。
(いえ、薬も使いようよ)
エレノーラはようやくティーカップに手をつけるが、紅茶はぬるくなっていた。
「引き受けてくれて、うれしいわ」
レイチェルはほほ笑み、すぐに少し赤くなる。頬に片手を添えて、小さくうつむくと、ぽつりとつぶやいた。
「こんなことをお願いするのは、やはり少し恥ずかしいわね……」
王も王妃も、その双肩にかかっているものは大きい。しかし、一組の夫婦であり、それぞれ一人の人間だ。
「……わたくし、あの方の子がほしいの。そうでなくとも愛し合いたいわ。あの方も望んでくださいますし……なにより……ふふ、あの方をとってもおいしくいただきたいの」
「え?」
「いえ、なんでも」
少しうっとりした表情を浮かべたレイチェルに、エレノーラはなにか近いものを感じ取った気がした。
(……気のせいね。王妃陛下と私のような魔女に、近いものなんてあるはずがないわ)
エレノーラはまったく失礼なことを考えたと思いつつ、うなずいた。
「一週間、お時間をいただけますか?」
「ええ。では、この話はおしまい。エレノーラ、もう一杯、いかがかしら」
「……ぜひ」
エレノーラがうなずくと、新しく紅茶が注がれる。湯気のたったその水面を眺めていると、レイチェルがくすりと笑った。。
「ふふ。陛下とレイモンドは、とても仲が良いわね」
「はい。なんでも、同じ剣の師を仰いだ兄弟弟子とか」
「実はその師、わたくしの祖父なの」
「えっ」
エレノーラはおおいに驚いた。二人の師は現宰相の父にあたる方で、レイチェルの元婚約者であった第一王子も共に剣を学んでいたという。レイチェルはアレックスや第一王子、レイモンド、ニコラスの訓練の様子をたまに見ていたそうだ。
(陛下が剣を学んでいた頃……ということは、レイモンドがまだ十代前半の頃……!)
エレノーラは知りたくても知れない、レイモンドの幼少期のことに、とても興味があった。
「レイモンドはどんな様子でしたか?」
「あら。あなたはレイモンドのことが大好きなのね」
レイチェルがくすくすと笑い、エレノーラは頬を赤く染めた。
「陛下と些細なことで喧嘩になって、よく、対決なんてしていたの。その度にニコラスが止めに入って……あの方に説教されて、祖父からお仕置きとして、走らされたりしていたわ」
「あら」
レイモンドもアレックスも、なかなかわんぱくだったようだ。
(王妃陛下は、享楽の魔女の元にいた私に思うところはないのかしら)
婚約者を殺されたレイチェルはきっと、享楽の魔女を憎んでいるだろう。憎い男と関わりのあったエレノーラに悪い感情を抱いてもおかしくない。だが、レイチェルはエレノーラにそんな様子はみせなかった。
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