ワンナイトラブした英雄様が追いかけてきた

茜菫

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1巻

1-2

 そんなころの思い出と共に、アメリはグラスを傾けて一気にワインを呑み干す。好きになろうとがんばってきたが、最後までワインは好きになれなかった。

「っはあ……、次、エールをおねがい」

 アメリはグラスをさげ、次の一杯を頼む。
 もう無理をして好きでもないワインを呑む必要がなくなったのだ。かといってエールが好きというわけでもなかったが、アメリにとってはワイン以外の酔える酒であればなんでもよかった。
 店主が木製のジョッキを出すと、アメリはそれを両手で抱えて一気に呑み干す。アメリはすべてを呑み終えてジョッキをカウンターに置いたところで、両目から涙を流し始めた。

「ふっ……う、うぅ……っ」

 一度流れてしまえばもう止められず、涙は両目からあふれ出し、頬をぬらしていく。

「うっ、……うぅぅ……もう、いっぱいおねがいぃ……」

 小さな嗚咽おえつと共にもう一杯を要求するアメリに、店主はなにも言わず二杯目を出した。一緒に手ぬぐいを差し出され、それを受け取ったアメリは店主のさりげないやさしさにさらに涙があふれる。

「あぁ……うぅ……っ」

 拭っても間に合わないくらい、とめどなく涙は流れていく。
 今日目にしたものがすべて夢だった、そう思いたいくらいに現実が受け入れがたく、アメリの心にはかなしさと苦しさがあふれていた。

「どうしてよぉ……私……っ」

 二股をかけられていたことに、現場を目撃するまで一切気づかなかった自分の愚かさ。
 レイラは婚約者という立場を得ており、エドガールがすがりついたのも彼女が先、自分は二番目でしかないみじめさ。
 レイラが魔法使いであることも、魔法使いに憧れていたアメリの劣等感をあおった。

「私……私……っ」

 唯一にも、一番目にもなれなかった二番目。
 アメリはかなしくて、悔しくて、みじめで、けれどもそれを知ってもまだエドガールを想う気持ちが自分の中に残っていることがつらかった。
 アメリは十六歳のころ、唯一の家族であった父を亡くして一人王都に出てきた。
 幼いころから魔法使いに憧れていたアメリは懸命に魔法を学んだが、魔力量は一般的な人に比べれば多いものの、魔法使いと呼べるほどではなかった。
 個体の持つ魔力量は持って生まれたものであり、多少は高められるものの、それも個体の持つ才能によるところが大きい。
 ゆえに、才能を持たないアメリは魔法使いとなる夢を諦めざるを得なかった。
 それでも好きな魔法に関わりたい、そう思ったアメリは魔道具師を目指した。
 魔道具とは、魔法を使えずとも魔法と同じ効果を導く道具であり、魔道具師はそんな魔道具を開発、製造、管理する者の総称だ。
 師に教えを仰ぎ、いまでは魔道具師と呼ばれるほどに成長したアメリだが、王都に出てきたばかりの見習いのころは自信がなく、知り合いも少なく不安で心細い思いをしていた。
 そんなころに知り合ったエドガールは、アメリの心の拠り所でもあった。
 エドガールはアメリの不安を慰め、成長していく彼女を褒めて認めて自信を与え、そばに寄り添ってさみしさを埋めた。アメリはそんなエドガールを信頼して心を預け、心から愛していた。

「……本当に」

 アメリがここまでがんばってこられたのは、エドガールの存在があったからだ。
 だからこそ最初から裏切られていたと知っても、アメリはエドガールへの想いをそう簡単には断ち切れなかった。

「ばかで……」

 アメリは左の掌を涙にぬれた目で眺める。ここで終わり。そう言って初めて人に振り上げた手は腫れ上がっていた。

「無様ね……」

 掌から伝わる痛みが、夢だと思いたいアメリを現実に引き戻している。裏切られ、終わりだとのたまってもまだ、アメリの心には想いが残っていた。

(……復縁なんて、絶対にないわ)

 けれども復縁は考えられなかった。アメリはもっとも嫌悪する浮気という行為、それを行った男を許すことなどできない。

(……許さない。絶対に、嫌)

 アメリが浮気を人一倍嫌悪するのには理由がある。それはアメリが幼いころに家を出ていった母親にあった。
 アメリの母親は倫理観に欠けた女性だった。元は商家しょうかの末娘で、父親に命じられて革職人であったアメリの父に嫁いだ。
 彼女には愛はなかったのだろうが、アメリの父は彼女を愛していた。自身が身を粉にして働いている間に、彼女が若い男と浮気をしていたことなどまったく知らずに。

(……私も、お父さんと一緒なのね……)

 アメリの父は彼女を愛していた。若い男と共に紙切れ一枚とアメリを残して去っても、まだ彼女を愛していた。アメリは当時の紙切れを眺める父の背中と自分の姿を重ね、ただ力なく笑う。

(……ううん。結婚する前でよかったって……思わなきゃ)

 エドガールには結婚する気がなかっただろうが、父のように結婚したあとに浮気され、自分との子どもを置き去りにされるような事態にならなかっただけましだと、アメリは自分に言い聞かせる。
 不思議なもので、言い聞かせようとすればするほど心は反して美しい思い出にすがり、想いを強くさせていた。

「うっ、……うぅ……っ」

 嗚咽おえつしながらアメリは酒を呑み続ける。泣きながら酒をあおってもなにも解決しないが、ひとときの慰めにはなるだろう。

「……え?」

 必死に声を押し殺しながら涙を流すアメリの前に、店主が小さな皿を差し出した。そこにはたっぷりのシロップがかかったベリーが載っている。アメリは不思議に思って顔を上げた。

「おまけさ」

 アメリより一回り以上は年上だろう眼帯をした店主は、厳つい顔とは裏腹に、ちゃめっ気たっぷりに片目をつむってみせた。ようやく周りが見えるようになったアメリは、さきほど受け取った手ぬぐいで慌てて涙を拭き、頭を下げる。

「っ、ご、ごめんなさい……私っ、こんな、泣いて、迷惑、を……」
「かなしいときは泣くもんだ。涙がかなしい気持ちを流してくれるといいな」

 店主はアメリに事情を問うことはなく、それ以上なにかを言うでもなかった。恋人のどうしようもない裏切りを受けて傷ついたアメリは名も知らぬ人のやさしさに慰められ、ほほ笑む。

「あ……ありがとう……」

 声を押し殺しながらアメリは涙を流した。その涙がかなしみを流し、エドガールへの想いをも流してくれればいいのにと願いながら。
 そのままさんざん泣いて少しだけ落ち着きを取り戻したアメリは、ベリーを一つ摘む。口の中いっぱいにひろがる甘酸っぱさに目を細め、わずかに唇を笑みの形に描いた。

「……甘い」
「口に合ったかね?」
「とても。……なにか、お礼がしたいな」
「そりゃああんた、うちにきてお金をおとしてくれることが一番のお礼さ」
「……ふふっ」

 店主のおどけた声にアメリは小さく笑った。
 ジョッキに残ったエールを飲み干すと、もう一杯とエールを頼む。かなしみは流れきっていないし、エドガールへの想いが消えたわけではないが、アメリの心はほんの少しだけ軽くなっていた。

「まあどうしてもって言うなら、次はあんたが泣いているだれかにやさしくしてやってくれ」
「……それ、すてきね」
「はは、どーも」

 アメリは店主と少し話をしながら最後の一杯を呑み干し、またこようと思いながら店を出た。少しだけ気持ちが楽になって空を見上げると、星が夜の空に美しくかがやいている。

(……やっぱり、帰りたくない)

 アメリは酒に弱いわけではないが強くもなく、いまはだいぶ酔っている。このまま家路につくべきだが、まだ帰りたくないアメリは次の店を探して夜の街を歩き出した。


    ◆


 アメリが泣きながらやけ酒をあおっていたころ、とある酒場で同じようにやけ酒をあおっている男がいた。男の名はラウル・ルノー。この王都ではその名を知らぬ者はいないのではないか、というほど有名な、英雄と讃えられた男だ。
 ラウルは王都警備隊に所属する隊員だ。五年前に王都で発生した大事件で、当時十九歳だった若き隊員であるラウルは目覚ましく活躍し、一躍有名になった。
 その活躍もさることながら、ラウルの容姿もその名を轟かせる一助となった。
 くるりと巻いた白に近い金髪とアーモンド型の琥珀色こはくいろ双眸そうぼう。長いまつげはくるんとカールしており、老若男女問わず魅了しそうな中性的で端整な顔立ちをしている。
 だがいまはそれを隠すように目深まぶかに帽子をかぶり、度の入っていない大きな眼鏡をかけ、その美貌を台無しにするほど顔は真っ赤だった。

「……くそぉ……私が……いったい、なにをしたっていうんだよぉ……!」

 小さな声で悪態をつきながら、ラウルは手に持ったジョッキをあおる。ラウルはすべてを呑み干して酒くさい息を吐き出したあと、ジョッキを掲げて声を上げた。

「……もう一杯っ!」
「あんた、そのくらいにしておいたほうがいいと思うよ」

 ラウルは次を頼もうとしたが、店主に止められて唇をとがらせた。とにかく酔いたかったラウルはすでに七杯も呑んでいる。

「でも……っ」
「わかるよ、呑んで忘れたいこともあるよなあ」
「それはっ……うぅ……」

 ずばり店主の言うとおり、ラウルは自分がラウル・ルノーであること、そして五年前の大事件を発端にして、自分の身に起きた悲劇を忘れてしまいたかった。

(……あの事件で、すべてが狂ってしまった)

 五年前の大事件、それは凄惨せいさんな事件だった。
 王都には魔物よけの結界が張られているが、反国家勢力により結界の一部が破られ、そこから大量の魔物が引き入れられるといった大事件が起きてしまった。犠牲になった市民は数しれず、当時結界が破られた地区を担当していたラウルら王都警備隊も多くの犠牲を出した。
 ラウルは王都警備隊の一員として、王都を、人々を守らなければならない、ここが命をかける場所だとひたすらに剣を振るった。ラウルは仲間たちが倒れていく中だれよりも多く魔物をほふり、阿鼻叫喚の光景においてたった一人、最後まで立っていた。
 その鬼神の如き働きを王家に認められ、ラウルは騎士爵の称号と褒章を与えられ、いつの間にか英雄扱いされていた。
 ラウルが英雄として表に立たされたのにはさまざまな思惑があったのだろうが、彼にはその思惑のすべてを察することはできず、逃れることもできず、それで事態が収拾するのならばと受け入れるしかなかった。

「なのに、どうしてこうなった……!」

 ラウルは英雄になりたかったわけではない。ないのだが、英雄と呼ばれて少し、いや結構気分がよくなっていたのは確かだ。
 犠牲になった市民や仲間を思えば手放しではよろこべなかったが、感謝され、救えた人もいたのだと、自分は間違ってなどいなかったと、ラウルは少しいい気分になっていたし、いままでラウルに見向きもせず、彼をばかにしていた女性らが掌を返して言い寄ってくることに、かなり得意になっていたことは否めなかった。

(だって、みんな急にやさしくなって……)

 ラウルはなにより顔の造形がよく、英雄となる前にも女性から声をかけられることは多々あった。だが、誘いにほいほいとついていったラウルは何度か食事やデートをしたところで、思っていたのと違うと言われて、それ以上に発展したことがなかった。
 一番ひどかった言葉は、いくら顔がよくても言動が残念すぎて、だった。
 そうして女性に振られ続け、落ち込んでいたラウルが英雄という栄光を得た途端、残念さなどどうでもいいと言わんばかりに言い寄られ、やさしくされるようになった。以前ならラウルが声をかければ返ってきたのは冷たい目と酷評であったのに、いまでは可憐な笑顔だ。

(そりゃあ、勘違いするだろっ)

 ラウルはその変化に浮かれていた。このあたりが残念と言われる所以ゆえんの一つなのかもしれないが。

(ああ、そうだよ、私は残念なやつだよ!)

 そんなラウルを見かね、おまえは残念なやつだなと哀れみの目を向けてきた友人がいた。ラウルはそのときこそ反発していたものの、いまではそのとおりだと認めざるを得ない。
 彼女らの好意が英雄という肩書に対するものだと知らずに浮かれていたことも、その好意にほいほいとついていって、結婚だなんだと迫られて怖くなって逃げ出したことも、すべてが残念だ。

「……だからといって! ……こんなの、あんまりだぁ……っ」

 情けない声を上げて目に涙を浮かべ、両手で顔を覆ってうなだれる。英雄と呼ばれた残念な男、ラウル・ルノーにはさまざまな悲劇が起こっていた。
 誘われて食事に行った帰りにラウルが女性を――ではなく、女性に彼が連れ込まれそうになったり、未だに清らかなラウルが、身に覚えのない女性に「あなたの子です」と赤子を抱えながら叫ばれたりといった、さまざまな悲劇だ。
 特に、あなたの子ですと叫ばれた悲劇はラウルの精神をむしばんだ。
 たまたまその場に居合わせたまったく知らない人々にさげすむような目で見られたことや、同僚の女性らから当たりがきつい期間があったこと、同僚の男性らからは揶揄やゆされたことなど、なにもかもがつらかった。
 赤子と本当に血がつながっているかどうかは、熟練の魔法使いに検査してもらってすぐにうそだとわかったが、相応に金が必要だった。
 そこまでして証明しても同僚らにはなかなか信じてもらえず、こうなったのは自身の行いのせいではないかとすら言われてしまった。

(私が悪いのか……?)

 たしかにラウルには残念な面があるものの、一方的に責められるほど悪いことをしたことなどなかった。被害にあったのは自分なのになぜそこまで言われなければならないのか、ラウルは初めこそそう思っていたはずなのに、言われ続けるうちに自分に非があるように思うようになっていた。
 心無い言葉をなんとか笑って聞き流していたラウルだが、彼の心の奥底に少しずつ女性への恐怖が積もっていき、そしてそれはある悲劇によって爆発してしまった。

(あんなことが起きるってわかっていたら……っ)

 ラウルは女性に対する恐れを内に秘めながらも、けっして女性が嫌いではない。
 そんなラウルは三年前、ある女性の誘いを受けた。相手は事件が起こる前からの顔見知りで、たまに王都警備隊の詰所に食事を届けにやってくる、近くの店の看板娘だった。
 だれに対しても笑顔で明るくやさしい彼女がまさかあんなことをしでかすなど、ラウルはもちろんのこと、だれも想像だにしなかった。
 ラウルにとってもっとも恐ろしく、記憶から消し去りたいその日のこと。
 女性は食事をしながら、ラウルを以前から好きだった、結婚を視野に入れて交際してほしいと告白した。これが英雄となる前のラウルなら、一も二もなくうなずいていただろう。
 だがさまざまな悲劇を経験したラウルはおよび腰になり、顔を青くしてそれを拒んだ。

『残念です。けれど、きっとすぐに気が変わってくれると思います』

 告白を断ったラウルにその女性はとてもきれいに笑ってみせた。
 その笑顔をのんきにかわいいと思っていた自分が情けない。あのとき言葉の裏に隠されたたくらみに気づけていればよかったのに。
 ラウルは三年たったいまでもそう自責し、その記憶は彼をひどく苦しめ続けている。

(薬を盛られるなんて……っ)

 きれいな笑みを浮かべた女性は、ラウルが呑んでいた酒に薬を混ぜて彼の意識を混濁させ、既成事実を作ってしまおうと強硬手段に出たのだ。
 その薬はいわゆる、媚薬のたぐいのものだった。薬が回って体調を悪くしたラウルはたまたま、というよりは計算されていたのだろうが、食事処が宿を兼ねていたため女性の誘導で部屋に入った。この時点で、ラウルはまともな判断ができないほどに意識が混濁していた。
 女性が盛った薬の量が多かったこと、そしてラウルに酒が入っていたことで恐ろしいほどに薬が回り、彼は部屋に入るなり完全に意識を失った。女性はなんとかラウルをひきずってベッドに移動させて服を脱がせたものの、勃つものが勃たなくて困り果てていた。
 そこに王都警備隊員がやってきて部屋の扉を乱雑にたたいた。ラウルの酒に薬が盛られる一部始終と、彼のあまりの顔色の悪さに危険を感じた店員の一人が王都警備隊を呼んでいたのだ。
 女性は抵抗していたが、その間にわずかに意識を取り戻したラウルは女性を力の限り突き飛ばし、嘔吐して再び意識を失った。
 結局、隊員は鍵のかかった扉を強行突破し、下半身をさらけ出した状態で顔色を真っ白にし、泡を噴いて嘔吐物にまみれたラウルと、突き飛ばされたはずみに顔に傷を負って気絶した全裸の女性の姿、という悲惨な光景を目の当たりにすることになった。
 当時のラウルは非常に危険な状態だった。もし店員が王都警備隊を呼んでいなければ、いまごろこの世にはいなかっただろう。

(……食事に行っただけで、女性に襲われるなんて思うわけないじゃないかっ)

 男の自分が薬を盛られて女性に犯されそうになり、生死の境をさまようことになるなど、ラウルは思いもしなかった。ただかわいい子から食事に誘われてついていった、それだけだというのに。
 だが、ラウルの悲劇はそれで終わりではなかった。

(お……思い出しただけで……息が……)

 ラウルは緊張に体がこわばり、息苦しさを覚え、胸に手を当てて深呼吸をする。その一件はラウルに大きな心的外傷のみならず、障害をも負わせていた。
 事件が起きて間もないころ、ラウルは女性と目が合うだけで発作を起こし、会話をしようものなら途中で気を失うほどだった。
 そんな状態では当然、仕事にも支障をきたした。
 女性と目が合って顔色を悪くするラウルを上官は叱りつけ、同僚たちは悪気なく笑った。ラウルはそのときのことを思い出してさらに吐き気を覚える。

(うぅ……気持ち悪い……)

 酒のせいか、それとも精神的な負荷のせいか、ラウルは口元を手で覆って吐き気と闘った。なんとか押さえ込んでことなきを得たラウルはため息をつくと、両手で顔を覆う。

(男らしくない……こんなことだから、笑われるんだ……)

 ラウルは同僚らに男なのに情けないと冗談めかして笑われ、精いっぱいの虚栄心でそうだよなと笑ってみせたが、内心ではかなり落ち込んでいた。ラウルのその心を理解する者はだれもおらず、それどころか追い打ちをかけるように、ことを起こした女性が彼の前に現れた。
 女性が現れた際、ラウルは途中で気を失ってしまったため、当時の記憶は曖昧あいまいだ。ラウルの同僚いわく、事件を起こしたことで店をクビになった女性は、顔に傷を負った責任を取れと結婚を迫ってきたそうだ。
 しばらく女性の粘着行為が続き、そこからさらに一悶着あったものの、最終的に女性は家族に連れ帰られる形で王都を去り、いまは田舎いなかで過ごしているという。
 だが、それまでの傷を負った女性の執拗な粘着行為や周りの理解を得られない孤独は、ラウルの心をむしばんでいった。

「……昔に戻りたい……」

 英雄などと呼ばれることなく、女性に言い寄られることもなかったころ。ことあるごとに残念な男だと言われるほうがましであったと、ラウルは心底思う。

「昔に……うぅ……っ」

 きれいな女性を見かけては胸を高鳴らせ、妄想で自分を慰めていたころのほうがはるかにましであった。酔いが回っているラウルは涙目で自分の股間に目を向ける。ラウルにはだれにも相談できない、つらく苦しい悩みがあった。

(勃たなくなったなんて……っ)

 それは女性との事件から三年もの間、股間がぴくりとも反応しなくなってしまったことだ。妄想の中ですら女性が豹変して縮こまってしまうほど、ラウルは深刻な状態だった。
 ラウルは女性におびえて男らしくないと笑われ、その上自身がまったく機能しなくなり、男としての自信がずたずたになってしまった。

(いやだ、このままなんて!)

 ラウルはだれからも理解を得られず、だれにも相談できないまま一人悩み続け、その精神はかなり危うい。女性への恐怖を克服しようと、ラウルは必死だ。
 ラウルはこの半年でなんとか同僚の女性の目を見て話をし、握手程度ならできるようになった。
 だが、相手が顔見知りの女性ならまだしも、見知らぬ女性に対してはまだまだ緊張してまともに目も見られず、当然、しゃべることもままならない。

(……行動しないとっ)

 ラウルには夢があった。
 たいそうな夢ではなく、ただすてきな女性と結婚し、子どもを三人ほどもうけ、慎ましくもしあわせな家庭を築くといったごくごく平凡な夢だ。
 だが、いまの彼にはそのささやかな夢が絶望的に遠くなっている。

(このままずっと一人だなんて……絶対にいやだあぁっ!)

 ラウルは頭を抱えてテーブルに突っ伏す。ついに落ちたのかと店主は心配した様子を見せたが、ラウルはすぐさま金を置いて勢いよく立ち上がった。

「店主っ、ありがとう!」
「お、おぉ……あんた、大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない! 私には……やるべきことがあるんだ!」
「お、おう。がんばれよ」

 ラウルが夜に酒を呑んで街を徘徊しているのには理由があった。やけになって酒を呑んでいるというのも理由の一つではあるが。

(今日こそ、女の人に声をかけるんだ!)

 ラウルは酒の力を借りて、女性への恐怖に打ち勝とうとしており、そのためにこの数日、酒を呑んで女性に声をかけようと試みていた。
 いまのところ成功したためしはない。


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