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そんなやり取りをしているうちに、馬車は侯爵邸にたどり着く。イライザはノアの手をとり、慣れない高いヒールの靴で歩いた。客間に案内され、居心地悪くソファに座った二人の前に、この縁談の主であるラーゼル侯爵が現れる。
「遠路はるばる、よくきてくれましたね」
ラーゼル侯爵は歓迎の言葉と笑顔で二人を迎えた。白髪交じりの髪はきっちりとまとめてあり、体は細く、身だしなみもきっちりしていて清潔感がある。小太りで下卑た笑みを浮かべる男を想像していたイライザは想像からかけ離れた姿に内心驚きであった。
「閣下、お招きいただきありがとうございます。私は父の名代として参りましたノア、こちらは妹のイライザと申します」
ノアは柔和な笑みを浮かべながらラーゼル侯爵と挨拶を交わし、イライザは無言で令嬢としての礼をとる。ノアが社交の言葉を交わす間、イライザはその隣でただ黙って二人の成り行きを見守るしかなかった。
男たちの会話に女が交じるものではない、それが上流階級の習慣だ。内心では不満であったが、大人しくその慣例に従うイライザに気をよくしたようで、ラーゼル侯爵は笑みを深める。
「なるほど、うわさ以上に美しいご令嬢だ」
イライザはラーゼル侯爵の言葉に顔が引きつりそうになるのをぐっとこらえた。貧乏とはいえ、貴族令嬢である彼女が騎士になったことは社交界では嘲られてうわさになっている。この称賛が言葉通りではないことなど、容易に察せられた。
「……っ、閣下、その、本日は……」
「ああ、今回のことですね」
ノアは慌てて間に割って入る。ラーゼル侯爵にノアの行動に気を悪くした様子はなく、笑顔を絶やさず顔を彼へと向けた。
「おたがい、時間はむだにしたくはありませんね。余計なことはなしにして、早く済ませてしまいましょうか」
ラーゼル侯爵は声音を変えることはなかったが、わずかに目に鋭さを含ませた。その言葉にイライザは息を呑み、ノアは言葉を詰まらせる。
(この男は、私たちの話を聞く気なんてない……)
時間をむだにしたくない、余計なことはしない、早く済ませる。すべての言葉からラーゼル侯爵の意思を感じ取れた。イライザはうつむき、そんな彼女を横目で一瞥したノアは唇を引き締め、ラーゼル侯爵をしっかりと見据えて口を開いた。
「恐縮ですが、今回のお話はお断りさせていただきたく存じます」
「ほう?」
ラーゼル侯爵の目が細められ、ノアは緊張に肩を強張らせる。ノアは少し怖気づいたようだったが、ゆっくりと言葉を続けた。
「妹はサフィール公爵家に騎士として仕えております」
「ああ、存じておりますよ。騎士の真似事をなさっているとか」
イライザは思わず眉をひそめる。自分がどのような目で見られているのかは理解していたが、やはり直接耳に聞けば怒りが湧いてくるものだ。
だが、借金があるという圧倒的に不利な立場では、耐えるしかない。イライザは両手をきつく握りしめて怒りを抑えこんだ。ここで逆上してしまえば、さらに不利な立場に追い詰められることになるのだから。
「すでにご存知でいらっしゃいましたか。でしたら、妹に妻のつとめなど荷が重すぎると、ご理解いただけるかと……」
「いえいえ。これを機に騎士の真似事などやめて、落ち着いてはいかがでしょう?」
ノアは口をつぐみ、イライザは怒りを覚えてわずかに腰を浮かした。イライザは怒声を上げそうになるのをこらえ、肩をわずかに震わせながらゆっくりと腰を下ろす。
そんなイライザの様子をラーゼル侯爵は楽しげに目を細めて眺めていた。口元に笑みを浮かべてすらいる。
(この男は、私の反応を楽しんでいる……)
イライザは女の身で騎士になるために、血の滲むような努力してきたし、見事騎士に叙任されて結果を出した。それらを真似事だと嗤われ、辞めてしまえばよいと軽んじられて、怒りを覚えないはずがない。
だが、その怒りを顕にすることすら、いまの立場では難しい。どうしょうもない憤りを感じ、それを耐えるしかないイライザをラーゼル侯爵は楽しんでいた。
(……落ち着かなきゃ)
怒れば相手の思うつぼだが、黙っていても相手の思うとおりになってしまう。一つ深呼吸したイライザは、二人の会話に割って入った。
「……閣下」
「ふむ……まあ、よいでしょう。イライザ嬢、なにか?」
「恐れ入ります」
イライザの行動は令嬢としては失礼にあたる。ノアは焦っていたが、すでにラーゼル侯爵がイライザの発言を認めたため、口をはさむことができないだろう。
わずかに緊張を覚えたイライザは両手を握りしめ、震える唇を薄く開くと、静かな声で告白した。
「……私は清らかさを失っており、妻となる資格がございません」
「えっ!?」
イライザの告白に大きな声を上げて驚いたのは、兄であるノアだ。嫁入り前の妹が純潔を失っている、つまりは男と情を交わしていたことを知り、ノアの顔は真っ青だ。
(父さまがこの場にいなくてよかった……)
兄のあまりの顔色の悪さに、もしこれが父であれば卒倒していたかもしれないとイライザは思う。それほどに、上流階級での未婚女性の純潔さは重要とされるものだ。
イライザがちらりとラーゼル侯爵の様子を窺うと、彼は眉をしかめて不快そうにしていた。
(効果があった! これであきらめてくれれば……!)
ラーゼル侯爵の反応にイライザは内心よろこぶ。だが、ラーゼル侯爵がひとつ深いため息をつきながらつぶやいた言葉に、イライザの期待は砕かれることになった。
「価値が下がりましたが……まあいいでしょう」
「……っ」
イライザは緊張に息を呑み、体を強張らせる。まあいいとの言葉から、まだイライザとの縁談を白紙にするつもりはないようだ。
(なにか、ほかの理由を……)
なにか手はないかと焦るイライザだが、良い考えは浮かばず、顔色が悪くなる一方だ。
「そ……っ、…………くっ」
ノアは妹へのひどい物言いに顔をしかめ、けれどもなにも言えずに口を閉ざす。ラーゼル侯爵は二人の様子を眺めながら右の口角を上げると、明るい声で話を切り出した。
「仕方がありませんね。今回の話をなかったことにしても構いませんよ」
「……え?」
イライザは驚き、慌てて顔を上げた。これにはノアも驚いたようで、二人は思わず顔を見合わせる。兄妹の反応に満足気に笑ったラーゼル侯爵は両手を軽く叩くと、先ほどまでとは打って変わって醜く笑った。
「ただ、お貸しした金はすぐに、まとめてお返しいただきたいですね」
「な……っ」
イライザの顔色が怒りに赤くなり、けれどもすぐに青くなる。伯爵家の残債はまだまだ多く、一括で返しきれるほどの金は伯爵家にない。
ラーゼル侯爵はそれをわかっていながら条件として出してきたのだ。ノアは真っ白な顔で、唇を震わせながらなんとか言葉を紡ぐ。
「閣下、それは……」
「元々、返済期限はとうに過ぎているのですよ」
祖父が残した借金には返済期限が定められていた。期限内に返しきれる金額ではなく、伯爵がなんとか頼み込んで期日を延ばし延ばしにしていた状態だ。
期限を延ばしたことで相手に負い目を感じさせ、さらに利息が増える。おそらく、これがラーゼル侯爵の金貸しの手法なのだろう。
「そ、そう、ですが……っ」
「こちらも、期限を延ばしていたのは善意ですからねえ」
返す言葉もなく、イライザとノアは黙りこむ。この話を拒絶できる手段がなに一つないと、イライザは絶望にうつむいた。
そんなイライザの隣で、意を決したように唇を引き締めたノアは両手を握りしめ、ラーゼル侯爵を見据える。
「閣下……その、少し、お時間をいただけないでしょうか」
「私も、そう長くは待てませんが……そうですね、明日までなら待ちましょう」
たった一日では残債を返済しきれる金を手に入れられるわけがない。
(ミケル……私はもう……)
ラーゼル侯爵には縁談を白紙にする気などないのだとイライザは絶望した。
「遠路はるばる、よくきてくれましたね」
ラーゼル侯爵は歓迎の言葉と笑顔で二人を迎えた。白髪交じりの髪はきっちりとまとめてあり、体は細く、身だしなみもきっちりしていて清潔感がある。小太りで下卑た笑みを浮かべる男を想像していたイライザは想像からかけ離れた姿に内心驚きであった。
「閣下、お招きいただきありがとうございます。私は父の名代として参りましたノア、こちらは妹のイライザと申します」
ノアは柔和な笑みを浮かべながらラーゼル侯爵と挨拶を交わし、イライザは無言で令嬢としての礼をとる。ノアが社交の言葉を交わす間、イライザはその隣でただ黙って二人の成り行きを見守るしかなかった。
男たちの会話に女が交じるものではない、それが上流階級の習慣だ。内心では不満であったが、大人しくその慣例に従うイライザに気をよくしたようで、ラーゼル侯爵は笑みを深める。
「なるほど、うわさ以上に美しいご令嬢だ」
イライザはラーゼル侯爵の言葉に顔が引きつりそうになるのをぐっとこらえた。貧乏とはいえ、貴族令嬢である彼女が騎士になったことは社交界では嘲られてうわさになっている。この称賛が言葉通りではないことなど、容易に察せられた。
「……っ、閣下、その、本日は……」
「ああ、今回のことですね」
ノアは慌てて間に割って入る。ラーゼル侯爵にノアの行動に気を悪くした様子はなく、笑顔を絶やさず顔を彼へと向けた。
「おたがい、時間はむだにしたくはありませんね。余計なことはなしにして、早く済ませてしまいましょうか」
ラーゼル侯爵は声音を変えることはなかったが、わずかに目に鋭さを含ませた。その言葉にイライザは息を呑み、ノアは言葉を詰まらせる。
(この男は、私たちの話を聞く気なんてない……)
時間をむだにしたくない、余計なことはしない、早く済ませる。すべての言葉からラーゼル侯爵の意思を感じ取れた。イライザはうつむき、そんな彼女を横目で一瞥したノアは唇を引き締め、ラーゼル侯爵をしっかりと見据えて口を開いた。
「恐縮ですが、今回のお話はお断りさせていただきたく存じます」
「ほう?」
ラーゼル侯爵の目が細められ、ノアは緊張に肩を強張らせる。ノアは少し怖気づいたようだったが、ゆっくりと言葉を続けた。
「妹はサフィール公爵家に騎士として仕えております」
「ああ、存じておりますよ。騎士の真似事をなさっているとか」
イライザは思わず眉をひそめる。自分がどのような目で見られているのかは理解していたが、やはり直接耳に聞けば怒りが湧いてくるものだ。
だが、借金があるという圧倒的に不利な立場では、耐えるしかない。イライザは両手をきつく握りしめて怒りを抑えこんだ。ここで逆上してしまえば、さらに不利な立場に追い詰められることになるのだから。
「すでにご存知でいらっしゃいましたか。でしたら、妹に妻のつとめなど荷が重すぎると、ご理解いただけるかと……」
「いえいえ。これを機に騎士の真似事などやめて、落ち着いてはいかがでしょう?」
ノアは口をつぐみ、イライザは怒りを覚えてわずかに腰を浮かした。イライザは怒声を上げそうになるのをこらえ、肩をわずかに震わせながらゆっくりと腰を下ろす。
そんなイライザの様子をラーゼル侯爵は楽しげに目を細めて眺めていた。口元に笑みを浮かべてすらいる。
(この男は、私の反応を楽しんでいる……)
イライザは女の身で騎士になるために、血の滲むような努力してきたし、見事騎士に叙任されて結果を出した。それらを真似事だと嗤われ、辞めてしまえばよいと軽んじられて、怒りを覚えないはずがない。
だが、その怒りを顕にすることすら、いまの立場では難しい。どうしょうもない憤りを感じ、それを耐えるしかないイライザをラーゼル侯爵は楽しんでいた。
(……落ち着かなきゃ)
怒れば相手の思うつぼだが、黙っていても相手の思うとおりになってしまう。一つ深呼吸したイライザは、二人の会話に割って入った。
「……閣下」
「ふむ……まあ、よいでしょう。イライザ嬢、なにか?」
「恐れ入ります」
イライザの行動は令嬢としては失礼にあたる。ノアは焦っていたが、すでにラーゼル侯爵がイライザの発言を認めたため、口をはさむことができないだろう。
わずかに緊張を覚えたイライザは両手を握りしめ、震える唇を薄く開くと、静かな声で告白した。
「……私は清らかさを失っており、妻となる資格がございません」
「えっ!?」
イライザの告白に大きな声を上げて驚いたのは、兄であるノアだ。嫁入り前の妹が純潔を失っている、つまりは男と情を交わしていたことを知り、ノアの顔は真っ青だ。
(父さまがこの場にいなくてよかった……)
兄のあまりの顔色の悪さに、もしこれが父であれば卒倒していたかもしれないとイライザは思う。それほどに、上流階級での未婚女性の純潔さは重要とされるものだ。
イライザがちらりとラーゼル侯爵の様子を窺うと、彼は眉をしかめて不快そうにしていた。
(効果があった! これであきらめてくれれば……!)
ラーゼル侯爵の反応にイライザは内心よろこぶ。だが、ラーゼル侯爵がひとつ深いため息をつきながらつぶやいた言葉に、イライザの期待は砕かれることになった。
「価値が下がりましたが……まあいいでしょう」
「……っ」
イライザは緊張に息を呑み、体を強張らせる。まあいいとの言葉から、まだイライザとの縁談を白紙にするつもりはないようだ。
(なにか、ほかの理由を……)
なにか手はないかと焦るイライザだが、良い考えは浮かばず、顔色が悪くなる一方だ。
「そ……っ、…………くっ」
ノアは妹へのひどい物言いに顔をしかめ、けれどもなにも言えずに口を閉ざす。ラーゼル侯爵は二人の様子を眺めながら右の口角を上げると、明るい声で話を切り出した。
「仕方がありませんね。今回の話をなかったことにしても構いませんよ」
「……え?」
イライザは驚き、慌てて顔を上げた。これにはノアも驚いたようで、二人は思わず顔を見合わせる。兄妹の反応に満足気に笑ったラーゼル侯爵は両手を軽く叩くと、先ほどまでとは打って変わって醜く笑った。
「ただ、お貸しした金はすぐに、まとめてお返しいただきたいですね」
「な……っ」
イライザの顔色が怒りに赤くなり、けれどもすぐに青くなる。伯爵家の残債はまだまだ多く、一括で返しきれるほどの金は伯爵家にない。
ラーゼル侯爵はそれをわかっていながら条件として出してきたのだ。ノアは真っ白な顔で、唇を震わせながらなんとか言葉を紡ぐ。
「閣下、それは……」
「元々、返済期限はとうに過ぎているのですよ」
祖父が残した借金には返済期限が定められていた。期限内に返しきれる金額ではなく、伯爵がなんとか頼み込んで期日を延ばし延ばしにしていた状態だ。
期限を延ばしたことで相手に負い目を感じさせ、さらに利息が増える。おそらく、これがラーゼル侯爵の金貸しの手法なのだろう。
「そ、そう、ですが……っ」
「こちらも、期限を延ばしていたのは善意ですからねえ」
返す言葉もなく、イライザとノアは黙りこむ。この話を拒絶できる手段がなに一つないと、イライザは絶望にうつむいた。
そんなイライザの隣で、意を決したように唇を引き締めたノアは両手を握りしめ、ラーゼル侯爵を見据える。
「閣下……その、少し、お時間をいただけないでしょうか」
「私も、そう長くは待てませんが……そうですね、明日までなら待ちましょう」
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