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祭りの刻

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 日は沈みかけていた。

 空を覆う雲は夕日によって赤く染まり、これから始まる妖しげな祭りを、いっそう妖しげに感じさせた。

 そう、これから執り行われる「祭り」は、村の存続に欠かせないものだ。

 あの村に住まう人間にとっては、欠かすことのできない祭り。

 それは偏狭の地にあって村を守る神への忠誠であり、そして村長を頂点とする組織構造を確立するための儀式でもあった。

 いつもは人々に蔑まれているユリヤは、いまや村人達にとって神の化身であり、村長と同格の最高位の扱いを受け
ている。あれほどまでに蔑んでいた村人達の豹変振りに、僕はもう嘲笑すらできない。

 「エリク兄さん?」

 純白のドレスを身にまとい、ユリヤが訝しげに僕を呼んだ。

 袖が柔らかい印象を与えるドレスであったが、襟元が大きく開き、胸元からは赤い花のような痣が見えている。

 いや、むしろその痣を見せるために大きな襟ぐりになっているといってもいいだろう。

 白のドレスに赤い痣、そして結い上げたユリヤの赤毛が不思議な妖艶さを醸し出しており、僕は思わず見とれてしまった。

 「兄さん?どうしたの?本当に、変よ」
 「いや……。ユリヤが綺麗だから……なんか不思議な感じがして」

 僕が正直な感想を言うと、ユリヤは一瞬目を見開いたがすぐにまた悲しげな顔をして微笑んだ。だが、僕はそれをみて心が痛んだ。ユリヤの微笑みは、まるで全てをあきらめたような微笑だったからだ。

 僕の眉宇が無意識のうちに歪んだ。

 そんな僕を励ますように、ユリヤはゆっくりと僕に向かうと、まっすぐに言葉を紡いだ。

 「兄さん。今まで優しくしてくれて、ありがとう。それと……私のことは、気にしないで。兄さんが悪いわけではないわ。何も持たない私が村のために何かができるだけで、本当に幸せなのよ」

 その言葉を聴いて、僕はユリヤを抱きしめたい衝動に駆られた。が、僕はその代わりに自らの手をぎゅっと握り締めた。

 僕が悪いわけではない、とユリヤは言った。だが、それは同時に贖罪の機会さえも与えてくれないということだ。

 そんな必要はないと、彼女は言うのだ。

 あの時、僕があの手を離さなければ、ユリヤはあの無邪気な笑みを失わずに済んだのだろうか。

 裏切った僕の言葉に傷ついた幼いユリヤの瞳を、僕は今でも覚えている。

 「ユリヤ……僕はあきらめないよ。遅いかも知れないけど、僕は最後まであきらめない」

 ユリヤは僕の言葉を聴いて大きく目を見開くと何かを言おうとして口を開いたそのとき、時間を告げる使者が現れた。

 ユリヤはそのまま言葉を飲み込むと、何か言いたそうに、そして少し悲しそうな顔をしたが、使者に促されるまま、僕に背を向けた。

 そんなユリヤの後ろ姿を見送りながら、僕は懐にしまったそれをそっと触った。

 そこに確かにある硬い感触。この空と同じ…いやそれ以上に深い赤を湛えたそれは、一見すればきらびやかな装飾品と思うほど美しかった。

 彼女達はそれを聖具と呼んでいた。この世界に現存する最強と言われる武器の一つ。

 そんな力を僕が手にすることができた幸運に満ち足りた気持ちになる。あのとき出会った偶然が奇跡をもたらしたとしか言えない。

 あの少女には悪いことをしたと思うが、このチャンスを棒にふるほど僕はお人好しではない。

 神は僕にとって全てを奪う存在。そしてこの村も偽りの存在。
 もうすぐ、時が来る。終焉の時が……。

 「エリクお兄ちゃん」

 不意に呼び止められて、僕は後ろを振り返ると、ミランダが抱きついてきた。

 「ミランダ!」

 僕にとって心を許せるもう一人の義理妹を抱きしめる。

 「良かった……。リンさん達は、無事に村を抜け出せたかい?」
 「うん……と。たぶん」

 ミランダの意外な言葉に、僕は思わず首をかしげた。

 ミランダには牢の鍵を渡していたし、村からの抜け道も教えている。しかもあえて聖具も残してきたのだ。

 聖騎士である彼らが、村から脱出できないはずが無い。その証拠にミランダ自身は無事に神木の社まで戻ってきているではないか。

 「たぶん……って、どういうことだい、ミランダ」
 「あのね、リンお姉ちゃんは調べものがあるから、後から行くっていって、離れちゃったの」
 「調べもの?」

 誘拐事件のことだろうか。であれば、もう彼女たちが真実を知るのは時間の問題。だが、それには全てが遅すぎる。

 あの聖騎士の少女がこの祭りの真実を知る頃には、すでに祭りは終わっているはずだ。そのとき、僕やユリヤ達はどうなっているのだろうか。

 もし、リンさんがこの呪縛を解いてくれればどんなに良かったか。

 ふと、そんな詮も無いことを思い、僕はかぶりを振った。

 聖具を手に入れられたことだけでも十分過ぎる奇跡なのだ。村には何の関係もないリンさん達を巻き込むわけには行かない。ただでさえ誘拐事件という形で彼女を巻き込んでしまった。

 不意にミランダが僕の服の裾をつまんで呼びかけてきた。

 「ねぇ、エリクおにいちゃん」
 「なんだい、ミランダ」
 「わたし……ユリヤお姉ちゃんと離れたくないな…」
 「そう……だね」

 この幼い少女は薄々とこの祭りで行われることを感じ取っているのかもしれない。いつも明るく生命力に溢れる笑みを絶やすことの無いミランダが、今日は不安そうな色を瞳にたたえている。

 「エリクお兄ちゃん……危ないことは、しちゃ駄目だよ」
 「……どういうことだい?」

 ミランダの意外な一言に僕はどきりとした。

 「“あなたの思いは強運を引き寄せた。女神ラーダはあなたを救う”」
 「え?」
 「アンリお兄ちゃんが、エリクお兄ちゃんに伝えてくれって」
 「アンリ……さんが?」

 僕はアンリさんの持つアメジストの瞳を思い出した。丹精な顔に均整の取れた体つきは、男の僕でさえも美男子だと思った。
 
 だが、彼が異質と感じるのはたぶんその雰囲気のせいだろう。何か、人ではないような、静寂さを持つ不思議な雰囲気。全てを見透かすようなアメジストの瞳。
 
 なぜ、彼がこんなことを言ったのかは理解できなかったが、そんなアンリさんの言葉であれば、何か最後まで希望を捨ててはいけないような気がした。

 「そうだね。でも、大丈夫。きっと、うまくいく。何もかも、全部……」

 地鳴りのような低い太鼓の音が空に響き渡った。

 祭りが始まる。狂気にも似た祭りの夜が、こうして幕を明けるのを、僕は静かに感じていた。
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