隠された乙女の甘やかな最愛婚―虧月―

くろのあずさ

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「すごい」

 ぐるりと一周、屋上を囲むようにし柵が巡らされているが、真上の空はどこまでも吹き抜けて青く、自由だ。

 絲は空から視線を戻し、惹かれるようにして柵に近づいていく。柵の高さは絲の身長よりも少し低いくらいで縦格子型だ。これならよじ登ると越えられるだろう。

 白い塗料はすっかり剥げ、錆びている箇所に触れると手が汚れそうだ。それでもかまわず手すり部分に手を触れると、ひんやりとし、ざらついた固い感触がある。絲は柵の隙間から下を見た。

 道行く人々が小さく、軍服を着た人間はやはり目立つ。やけに大きい【カフェー・アトロピン】の看板が目を引くが、上からだと店内の様子は見えない。

 医院周りにあるカフェに出入りする人は忙しなく、馬車と自動車が通る道路は日進月歩の技術革新を象徴していた。

 ここから落ちたら、さすがに死ぬかな?

 何人もの少女たちがここで命を落としてきた。彼女たちが見た最後の光景はどうだったのか。下からの風が絲の長い髪を乱していく。

 髪を押さえ、絲は一度柵から手を離して反対側に踵を返す。

 再び下の様子をうかがうと、病院の裏手に当たり、途端に人の姿はない。

 こちら側からなら、落ちても誰にも迷惑をかけない――。

 さっきから絲の頭に何度も浮かんでは消える、飛んでしまいたい衝動。

 思いきって手すりに手をかけ、体を浮かせる。行儀の悪さは承知で足をかけ、柵を越え、向こう側に移動した。思ったより足場の幅がある。けれど、飛べばすぐに落ちるだろう。

 なにをしているのか。死にたいわけでも命を粗末にしたいわけでもないでもない。

 ただ――。

「この高さなら、さすがに怪我するかな?」

 今にも泣き出しそうな声に自分でも驚く。

 ここから落ちたらいくらなんでも無傷ではすまないだろう。今まですぐに治ってきた傷とはわけが違う。

 想像して、なぜか安堵する。

 けれど……もしも大丈夫だったら?

 その可能性に、体が震える。何人もの若い女性が命を落としたにもかかわらず、ここから飛び降りてもこの体が回復し、死ねなかったら自分は本当に化け物かもしれない。

 怖い。

 この高さが、ではない。自分自身が、だ。

 私は誰? 何者なの? 

 いくら考えても答えは見つからない。もうずっとだ。自分には辿るものがない。今の絲は、行くところも帰る場所もない。それどころか、このままでは異常存在として軍の実験に使われ、ひどい扱いを受けるかもしれないのだ。

「もう、いいかな」

 絲はそっと目を閉じた。

 お願い。私がただの……普通の人間であると証明して――
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